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死に節覗き(再録)




大した人間ではない。
はっきりと分かっていた。この本丸の審神者は一般枠から就任したと聞く。その通り、人らしいと言えば聞こえは良いが、ただの凡人であることは明白且つ確固たる事実で、歴代自分が傍で見てきた様な者たちから考えると、その矮小さは憐れにさえ思え。
それでも此れがーー自分を喚び降ろした「主」なのだと、いつの間にかこの頭は認めている。

あなたは、

連続する非番に身を持て余して、当て処無く庭を散策するのにもそろそろ厭いてきていた。一日で回るなど到底無理な敷地とはいえ、数か月もあれば視界に新鮮さはない。それでも自ら他の雑事をせびるつもりはなく、また今日も広い箱庭の中を彷徨っている。
機が合えばどの花が奇麗に開いていたよ、あの木に鳥の雛がいるよなどと詳しく教えてくれる者もいるが、あいにくとそういう事には興味がない。愛想を返しはするが、時にやかましいとすら思うほどだ。
葉擦れの音。緩慢な足音。緑ばかりの視界。
(所詮、ここも)
不愉快な自嘲に溺れ掛けて思考を止める。くだらない。
遠くで誰かを探している声が聞こえた。耳触りに思え、もう少し奥へ、声が届かないところへ行こうと木々の合間をすりぬける。
ふいに、足もとで生き物の気配がした。
「あなた、そこで何を?」
人気のない庭の一角、背の低い木の下で、主はべったりと何も敷かずに地面へ座り込んで虚空を見ていた。
全く何をしているのか。
毎度ながら、訳がわからない事をするーー思わず声をかけてしまったものの、緩慢にその目がこちらに向けば、面倒臭い時に絡んでしまった、とほぞを噛んだ。
いつもならば包帯で遮られている瞳は今日に限って晒されていて、胡乱な眼は焦点が怪しい。それでもこちらをじいと見て、その暗い色に不機嫌そうな僕の姿を映している。
「いやー何でもないよ」
へらっとだらしのない返事に、そうですか。と今来た道へ踵を返した。
危うきには近寄らず。当然のことだ。これ以上会話をする気はなかった。一人でいたいならいればいい、邪魔する気などない。だからこちらにも構ってくれるな。態度で示せば案の定、背後の気配からはそれ以上の動きはなかった。
ーー嗚呼、面倒臭い。
庭に下りているのが嫌になり、屋敷の中に戻る。かといってやはり行くあてもなく、仕方なく自室へ帰る道すがら、あれを呼び歩いていたあれの側近に先程の居場所を伝えておいた。
普段ならべったりと付き添っているくせに、なぜ時にあれはこれの横から離れようとするのか。投げられた簡素な礼と、バタバタと急く足音は品がなく、全くあれは主従揃ってどうしようもない、と苦く思う。大儀なことだ。あの様に寄り侍って、飽かないのだろうか。...それとも、厭きていることに気付かないようにしているのか。
どうも今日の思考はあまり明るく働いてはくれないようだった。
ーーあれも、誰にも遇いたくないのなら、一人閉じ籠りでもすればいいものを。
嫌だ嫌だ。かぶりを振って思考を切る。今日はもう、大人しくしていよう。どうしようもないことは何時だってあった。今日も、それと大きくは変わらない。
一連を目にした疎ましさが、自分の底に燻ぶる女々しい言葉が、薄皮のごとくカンにまとわりついて不快だった。


「あ、先刻はありがとーね。ちゃんと回収したから」
湯殿前にて行き合った清光が声をかけてきた。こちらは今出てきたところであるから、彼は今からなのだろう。手元に抱えた着替えはまた見たことのない洋服で、本当に主はこれに甘いと呆れ返る。
そうですか。良かったですね。簡潔に応じて去ろうとしたが、その前に彼がまたけらけらと言葉を発する。浮かせかけていた足を留めた。あれの傍に常にいるため中々話す機会もないが、これが存外お喋りで明るい刀なのは承知している。発想は過激で理解し得ないところもあるけれど。
「ホントよく見付けるね、専用索敵値でもあるの?」
ただ、その一言は戯れが過ぎた。
知りませんよ、気色悪い事を言わないでもらえますか。不愉快です。
きっぱりと告げて睨みつける。清光はおっと、と表情を変えて頭を掻いた。
「ごめんごめん、俺がもうちょっとすぐ気付ければいいんだけど。まあ助かってるからさ。あっ、厨に湯上がりの水菓子あるって!」
わかりました、後で頂きます。
今度こそ、当たり障りなく流してすり抜けた。本当にこの主従は、余計なことを言う。なぜ自分があれへ何かしら特化などするものか。そんなこと、微塵たりとて必要も、願望もない!
後で、とは言ったが、特別気にもならなかったので、厨には寄らずに部屋に戻る。余っていれば大食らいも多いこの本丸だ、誰かが胃の腑へ片付けてくれるだろう。途中通った濡れ縁で、騒がしく月見酒をする輩に声をかけられたが、またの機会に、とだけ返した。
朧月夜と言えば聞こえは良いが、ただ曇っているだけでは、と外回廊を歩みながら空を少しだけ仰ぐ。まあ、気温としては寒くもなく過ごしやすいから構わないが。酒も。今日は断ったが特に嫌いでも好きでもない。酔わないから面白くもないし。
自室に帰りつき、卓の前に収まる。飾箪笥の引き出しから化粧箱を用意して、先ずは荒れ抑えに頂いた軟膏を肌に伸ばした。大まかなところは脱衣所に置いた保湿用のもので事足りるので、これは手足と顔用だ。立ち上る仄かな花の香は、朝には布団の中にしか残らないほど密やかで好ましい。
次いで、布で拭いて風も通したもののまだ湿り気のある髪を櫛で整え、頭髪専用の乳液を塗り込む。細くもつれやすいこの毛質も、手入れをしてやれば多少は言うことを聞く。ここを怠ると朝の支度が倍にかかると学んでいた。
……兄が、坊主に刈り上げてしまおうか迷っていると言っていたが、この手入れの時だけはそれに便乗してしまおうかと血迷いたくなる。
最後にもう一度別の軟膏を指先と唇に塗り込んで、ようやく面倒たらしい体の手入れを終え、僕は汲み置きの水を一杯飲んだ。
温い水は存外に甘く滲みる。少々湯に浸かりすぎたかと思う。それでも、当たりやすく冷えやすいこの厄介な体は既に四肢の末端をヒシヒシと湯冷めで痛め始めている。足首を緩く摩った。
ああもう、早めに寝よう。
とりあえず押し入れから寝具を降ろすだけして、それでも少しは読み物でもしようかと思った時、ふと手元に羽織がないのに気がついた。はて、何処に置いただろうか。
今日は特に任もなく、屋敷周りしか動いていない。羽織も脱ぐ機会は少なかった筈だけれど。
暫し思い返して、そういえば、いつもの談話室で脱いだかもしれない、と取りに行くことにした。


談話室と言っても、ただの空き部屋を好き好きに少人数で使っているだけだ。
自分がよく使うそこは、個人の部屋より二回りほど広いだけの特に誂えもしていない部屋だから、出入りする顔触れも左文字を筆頭に落ち着きのあるものが多い。
彼らは生活態度も真っ当なもので、夜も更けたこの時間に、当然部屋灯りは点いていなかった。
「入りますよ」
誰もいないだろうが、と一言かけて障子を開ければ、部屋の角に畳んだ目当てのものを見付ける。探していた羽織とーー
「……」
「………」
またですか。思わず袖で口元を覆った。それでも苦虫を噛み潰したような顔になったのは間違いあるまい。目元は如実にその表情を映しただろう。嗚呼いや、人の子はそこまで夜目が利かないのだったか。では僕が誰かも判らないのかもしれない。
「……そーざさんか」
なんですか。
見えてるじゃないか、と直前の思考に文句を付けた。理不尽だとは解っているが腹が立ったんだ、仕方ないでしょう。
というか、言うにかこつけて「そーざさんか」は無いでしょう。「か」ってなんですか。不満ですか。僕はお呼びじゃありませんでしたか。これでも一応天下人の刀なんですけどね。
ふうーん、そうですか、この人間は!!
ぷりぷり内心で怒るふりもしてみたが、やはり少しだけ気まずい心地になり、表情を取り繕って腕を下ろす。
何もなかった。わかりましたね?
「……どうしたの」
「忘れ物を取りに来ただけですよ、あなたに用はありません」
キッパリと言い切ってやる。主はあっそっかー、とへらへら笑い出す。また、あの胡乱な反応だ。
途端庭での心情がぶり返して今度は腹がかっと煮え立った。
どうして。
……違う。罵倒を口走りかけて寸での所で堪える。これに言ってどうなるという。此処に居るしかないのはこれも、……変わらないのだ。そう。
――なんですか。気持ち悪い。もう。意味がわからない。わかりたくもない。
目をそらして明かりをつけようか迷い、擦れ違ったあれの視線に気がついて止める。近侍に巻かれたのか今は包帯が多くを隠しているものの、視線自体は泳ぐようにこちらを向いている。
見えているのだろうか。
どうでも良かった。別に顔を見られたいわけでも、ましてや見たいわけでもない。羽織さえ取り返せればそれで良いのだ。昼のようにとはいかないが、規格上なら僕程度の刀でも今明りは必要ない。
「あなたこそ何をしてるんですか、ここは居住棟ですよ。用なんか無いでしょう」
いまいち内情まで踏み込むのは躊躇われて、手持ち無沙汰に一応指摘すると、ウ~ン、と歯切れが悪い。まあそうだろう、個人の居室やげーむ部屋ならばまだしも、ここは特に何もない空き部屋だ。入り込む理由がない。
別に僕達の居住棟にこれが入ってはいけないなんて決まりもないのだけれど、ここまでやってくるのが珍しいのは間違いなかった。繰り返し問う。何しに来たんですか、あなた。
「......何かないとだめかなあ」
主の声がじわりと湿る。間違えました。なぜ追求した。
僕は自分が選択を間違えたことを深く理解して、下ろしていた袖を改めて口元に寄せた。気まずい。質問に質問で返すな。
面倒なことだ。どうしてこれはこんなにも拗らせているのか。選んで此処に居るのは自分でしょうに。あなたみたいな凡百が何をそんなに悩むことがあるんですか。馬鹿じゃないのか。どこに居ようと咎められ無い立場であるくせに。
鬱陶しいから出てって厨で水菓子でも食べなさい。僕の分をあげます。真似事でなくて済む身なのだから、そうすればいい。どうせまた低俗な戯言を聞いたとかの下らない理由でしょうから、それくらいで幸せになれるはずです。
面倒臭い。心底面倒臭い。歯噛みしながら黙りこんだ主を睥睨する。目線は合わない。包帯の裏側で、何を馬鹿馬鹿しく考え込んでいるのか。腹が立つ。
疎通は諦めて、誰かが畳んで端に寄せておいてくれたらしい羽織を取り上げた。帰りましょう。そういえば早く寝るんだった。すっかり体は冷えてしまっていて、湯上りの軽さはない。はあ、と浅く溜息を吐いて羽織を広げようと手にかける。
おや、この畳み方は小夜ですね。きっと忘れものに気付いて寄せておいてくれたんでしょう。あああの子はなんて優しい気の利く子だろうか!さすが小夜!略してさ夜!
可愛い弟の心遣いを感じながら、温まった胸だけは浮わつかせて部屋に背を向ける。誰かがこれを探しに来るかもしれないので、拳一つ分、障子は開けたままにしておいた。


翌朝は冷え込んだ。
朝食に昨日の羽織を着ていけば、小夜が「それ、にいさまのだったの...なら、部屋に持っていけばよかったね。気付かなくてすみません......」としゅんとしかけたので、全身全力で褒め称えて撫で回した。
小夜は困惑しながらも桜を舞わせていたし、兄様も小夜の逆隣からそっと便乗して撫で回していたので、これは多分朝一番によい和睦を贈れたようだ。小夜の手柄ですね。さ夜!
手伝い当番の手で卓へ汁椀が並べられている間に、配膳台へ用意された主菜を選びに行く。
今日は二皿までか、と張り紙を確認しながら目ぼしいものを見繕っていると、またしてもあれとかち合った。横にはいつもの近侍が侍り、今朝はまだ包帯がその視界を閉している。ちらりとその手にある皿を見る。ふうん、おかずを見る目はあるんですね。それ、歌仙の西京焼きでしょう。あっこの人間、蜻蛉切の卵焼きを確保しているだと...!?
初期には奪い合いも発生したという、ふわりと出汁がきいた少し甘い厚焼き玉子を見咎めると、それはふいに此方を見返り、こてりと首を傾けた。
小夜と違ってあなたでは可愛くないから止めなさい。目を眇めて無言で訴え、二皿めに青江の漬物を探しに行こうとすれば、そーざさん、とのんきな声がかかる。
なんですか。だから、あなたに用はありませんよ。
「卵焼き、」
「ありがとうございます」
差し出されかけた皿をさっさと受け取って席に戻った。
号令は信濃藤四郎だった。手を合わせて声を出し、きちんと礼までする小夜は本当にいい子だ。ああ、僕の弟が今日もかわいい。さあ、小夜、あなたの好物のあの卵焼きですよ。三人で頂きましょうね。箸をつける前にこちらの皿から移そうとすれば、頬を少しだけ染めながら困った顔をする。そんな顔まで可愛いんですね。さ夜。
「でも......」
「良いんですよ、僕が主から直々に譲られたのですから、僕が小夜にあげても何の問題もありません」
ちらちらと小夜はあれとこちらを交互に見遣る。どうやら配膳中のやりとりを見ていたようだ。優しい小夜、略してやさ夜。そんなに気にしなくても大丈夫ですから。
あれは近侍の隣で漬物をかじっていた。今日はキュウリの浅漬けだ。よく並ぶ一品でもあるので、その味は馴染み深い。塩と昆布の優しい味が、本丸の畑から採りたてだった新鮮なキュウリにじんわりと染み込みシャキリとおいしい。ほらやっぱり、青江の漬物があるなら十分ですよ、遠慮なんて要りません。あのひと、歌仙の西京焼きも確保してましたし。さ、小夜。早く取って兄様にも回してあげてくださいね。
分けあった卵焼きはおおぶりで、一切れでも十分味わえる。繊細な巻き加減はほろりと口の中でほどけ、じゅんわりと染み出す柔らかな甘みが舌を踊らせた。
炊きたての白米も併せて甘い。
ああ、美味しい。
今日は昨日より天気が良いみたいだ。散歩には持って来いだろうが、もう厭きた。何より今日も主と鉢合わせたらと思うとそれだけで気が滅入る、冗談でも勘弁頂きたい。
手毬麩と小松菜の味噌汁を一口。今日は麦味噌。温かい液体が胃に落ち、ピリピリと冷たかった手足の不快感が和らぐようだ。
嗚呼、あれに訊ねて出陣でもしましょうか。
どうせ此処に戻ってあげるのだから、我儘の一つは許されたい。
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