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刀/メンヘラ本丸



「俺もかしゅと仲良くしたい」
あれが来てから一週間、文机で大人しく仕事を片付けていた主が唐突に言いだした。
「いやだめでしょ、アレ主見かけるだけでパニックになるじゃん」
「過呼吸起こす加州も悲鳴上げる加州も可愛いよね」
一応窘めてみたけど、返答は要を得ない上に相変わらず気持ち悪い歪み方をしている。解ってはいるがなんでこの人はこんなに俺をこじらせているんだろう。主キモい、としか思えない。忌憚なく主キモい、と口に出して言ってあげる。
さらっとしていても罵倒には変わりないのに、主は俺の反応にくふくふとご機嫌な様子で、手にしていた筆を置いて俺のいる卓袱台のところへ寄ってきた。
「少しは無茶してみてもいいんじゃないかなあ、大丈夫だよ他は結構落ち着いてるみたいだし」
「適当だな…主が近くで観察したいだけなんじゃないの」
「それもある」
「あるのかよ」
微塵も隠す様子のない好奇心に改めてドン引きする。当人は引いてる加州も可愛いよ加州、と相変わらずご機嫌だ。加州の涙ってどんな味するんだろうね?じゃないわ。まあ俺泣かないし千載一遇ってことなんだろうけど。
「それに、そろそろ追い出さないと折られちゃうかなって」
浮ついた声のままけろりと吐かれた言葉に、その包帯まみれの顔を凝視した。ゆらゆらと落ち着きなく揺れている体や、陽が落ちてようやく執務室へ出てきたところといい、今日の調子は良くないはずだ。アレが来てからというもの欲のままに本丸内をうろついてもいるから、色々消耗もしているだろうに。
いつだって、俺たちのことはよく見ているらしい。
その執着に我慢できず唇が歪んだ。
「そーね…主がアレを俺と同じに見てるのが八割くらいの原因だけど、まあそろそろ始末してもいいかなとは思ってたよ」
正直に述べれば、悪い笑顔の加州かわいい!!!世界一可愛いよおおお!!!と主が悶えている。決して止めようとしたり、恐れたりしないところがこの人間本当にダメだなあ、としみじみさせられる。
でもこれが俺の主だ。俺の大事な、俺が大事な、たったひとり。
「じゃあ、明日はみんなで遊ぼうか」
嬉しそうに、楽しそうに、声を弾ませて訊く主へいーよ、と了承を返す。
アレに対する罪悪感はなかった。あるのは嫌悪と侮蔑だとはばらさない。アレは俺ではないけれど、主がアレを加州清光だと呼ぶのなら、少しくらいは遊んでやってもいいだろう。
傷付くのはアレであって、喜ぶのは主であって、俺は主に従うだけで。だったらいい。何が起ころうと、俺が斬って終わらせることが出来る範囲だ。



世話係の俺は良く俺を置き去りにした。今日は庭掃除に駆り出されたと思えば、集まった輩が多かったせいで特に何も任されないまま、気がついたら他の誰かも世話係の俺もいなくなってしまっていた。
こうなると、ここで何をすればいいのか分からないので、指示が飛ぶまでぼうっとしているしかない。肩にかけていた羽織が風に飛ばないよう前で握り留め、誰かが通りかかるのを待つ。
特に寒暖に偏った気温でもなかったが、作業するからと与えられた半袖の丁しゃつというものは、薄くて軽くて、襦袢のようで頼りない。それに、何度見ても自分の肌が何の傷もなく在るのを見ると、どこか気持ちが騒ぎ立った。
ここは平和な本丸だ。呻き声も諍いの声も、誰かを殴る鈍い音も、砕けた刃が床を叩く音も聞こえない。肉が燻る臭いも、腐った臓物の臭いも、傷口に集る虫も皮膚が剥がれ落ちる痛みも脳みそを掻き回される違和感も体を擂り潰される我慢も何もない、何も、なにも。
「ああ、こちらに居ましたか」
ようやく声がかかったと思えば、平野だった。
振り返るより早く庭に立っていた俺を引っ張って、おもに粟田口が茶飲み部屋として使っている一室に連れ込む。そこでは厚と五虎退が二振りと、骨喰がすでに長机を囲んでお茶をすすっていた。
「連れてきました」
「おっ、やっと見つかったかあ」
「今日はどこにいた」
「庭にいらっしゃいました。加州さん、こちらにどうぞ」
「、あ、ありがとう」
「いえ!お茶を淹れ足して来ますね」
ふかふかする座布団に座る。五虎退の片方が菓子盆をこちらに寄せて、もう片方が俺に手を出して下さい、と何かを一つ握らせてきた。
「あの、その緑のやつ、めろん味なんです。おいしいので、どうぞ」
「めろん」
「瓜に似ている、柔らかくて甘い果物だ」
「本当は西瓜とかとおんなじで野菜分類らしいけどな」
「えっ、そ、そうなんですか…?」
苺とかも野菜らしいぞ、えっいち兄?いち兄は刀だろ、赤いやつだよ、けーきに乗っているやつだ、つぶつぶの甘酸っぱいやつですか?、そうそうそれ!、と転がる会話を聞きながら、手に乗せられた小さい四角の半透明を口にいれる。ざくり、と外側にあった砂糖の膜が崩れて、柔らかくて甘い部分が砕ける。めろん味。は、よくわからないけれど、甘い。
きゅうと頬の奥が痛くなって、また歯が折れたのかと思って舌で歯列をなぞった。欠けはない。
「戻りました」
「俺もいーれて!」
「ん、おかえり!信濃、加州の隣空いてるぞ」
「おっ、おかえりなさい」
平野と一緒に信濃が来て、何故かわざわざ俺にぴったりくっつくように座る。折角だし懐入ってもいい?と聞かれたので頷いた。やった、じゃあ足伸ばして!言われる通りにすれば伸ばした足の間に信濃が移動してくる。
膝に置いていた手のやり場がなく、どうしようかと思っていると信濃が自分の腹を抱かせるように誘導してきた。柔らかくて温かい。中身の零れていない、血脂で汚れていない、これから消えもしない細い腹だ。
「へへへ」
俺を振り返るように見上げて、にこにこと笑う信濃。それを見て、他の粟田口たちもほほえましげにしている。
ここには粟田口が脇差も短刀も欠けずに、沢山いる。俺は何故か彼らの庇護対象にいれられたらしく、世話係の俺から置き去りにされると大概、遊びに誘われたり、お茶に誘われたりして彼らと一緒に過ごすことになった。
聞き慣れないきゃらきゃらとした笑い声や絶えず渡される色々なお菓子に、どこかついていけないまま、世話係が俺を思い出すまでいつもこうして囲まれてしまう。
「甘栗だ」
「…ありがとう」
五虎退がくれた半透明をようやく飲み下したところで、次は骨喰がずずいと剥かれた甘栗を渡してくる。一つ頬張ると、砂糖とは違うほんのりとした甘味が口の中に広がっていった。

「ねえー、此処にアイツいる?」
甘栗のあと、最中、かき餅、ちょこと食べさせられたところで俺と同じ声が障子をあける音と同時に入ってきた。
振り向けば無愛想な表情をした世話係が、両手を襖の両側にかけて俺のことを見下ろしている。
「行儀が悪いですよ」
「ごめんごめん、あっやっぱいるじゃん」
「庭で困っていらっしゃいました。理由は御存じですよね?」
「あー掃除の時か…。ホントどんくさいよね、少しは自分で考えろよ。いいからちょっと来て、仕事」
「加州さん」
平野がむっとしたように世話係を見ていたけど、俺は俺の腕を引っ張って立たせるとそのまま歩き出した。膝の上にいた信濃がうわ、と慌てた声を出していて、謝ろうと思ったけど声を出す前に部屋を連れ出された。有無を言わせない世話係の俺は、加州、加州さん、ちょっと、と後ろからかかる声にも反応しない。
ぐいぐい引っ張る力に遠慮はなく、俺は縺れそうになる脚をどうにか動かして着いていく。なんだろう、ついに折られるのかな。
ここの刀は皆優しかった。俺を歓迎してくれた。俺が誰にも勝てないと決まっていたからか、単に子飼い遊びをしたかったのかは分からないけれど、そんなのはどうでもいい。
あたたかい布団、あたたかい日差し、あたたかい掌、あたたかい視線。
傷の疼かない夜も、淀んで重苦しくない庭も、暴力ではない触れ合いも、「俺」を無視しない存在も。
どれも、なんだか胸がざわざわと、気持ち悪くて、堪らなかった。
それももう終わるのかと思えば、いい夢だったと言える。
俺を引き摺る世話係の手や目線は何時だって懐かしくて安心できたけど、今日は殊更そう感じる。やっと俺の番になった。やっと、俺も終われるんだ。
後ろを振り返ってみたけれど、結局留めに来る影は一つもなかった。



「あるじぃー連れてきたよ」
緩いノックのあと二振り目の声が聞こえて、俺はゲームを弄る手を止めた。ヒィ!?、ガタン、逃げるな!。どたばたとしたやり取りが漏れ聞こえる。中に誰がいるのかわかったアレが暴れたのだろうと予想が付いた。
そういう所だ。俺みたいなナリをしながら、アレは初めの瞬間からみっともない。俺の本丸だからいいものの、他のものたちがこんな醜い何かを俺だと思ったらどうしてくれるのか。本当に気に食わない。
「入っていいよ」
「はーい」
主の許しを待ってガラリと障子が開き、見慣れた姿が入ってきた。それに引きずられるように、真っ青な顔のアレ。ガタガタ震えている姿が不愉快だった。俺と目が合うと、びくりと大きく跳ね怯えるところも。
「ほら、そこ座って」
「っ……ぃ、あ、」
「るっさいなあ、座れって」
「!!」
「…ッざ」
俺と同調しているのか、それともただイライラしているのか、二振り目が突き飛ばすように用意していた座布団の上へアレを置いた。中々珍しい光景だと思うけど、少し目に余る。目線でその位にしろよと忠告して、後ろで控えるように指示を出す。折り畳んだ足を横に投げだして、手を畳に突いてようやく震える体を支えているソレは、うわごとのように何かブツブツと呟いている。
俺の横でようやくセーブを終えた主がゲーム機を置いた。辛うじて俺達のチームが勝ったらしい。いきなり抜けるんだもんなあ、と愚痴られたけど、状況的にゲームしてる方がおかしいだろ、しっかりしろ。
主が姿勢を正してアレに向き合い、膝を詰める。じり。途端、アレが身を引く。尻が座布団から落ちてドスンと音が立つ。逃げようとして、けれど、障子の前には二振り目がいて部屋を出ることはできない。それにアレも気付いたらしい。こめかみにきゅうと力を入れるのが見える。ぜえ、ゼエ。また過呼吸を起こし始めた。
「加州」
主が俺の名でアレを呼ぶ。
俺達にとってもうアレは俺ではないけれど、主にとってまだ俺でいいらしい。本当なら俺達しか指さないその呼び声がアレに捧げられるのは気に食わないが、それがアレのためになっているわけではないからいい気味だと思う。亀のように身を丸めて息にならない呼吸をしているアレは一等主が苦手らしい。
『加州清光』が大好きな主とは最悪の相性ってことだ、愉快すぎて涙が出る。俺でもないくせに、俺をやめないからこうなっている。
いまだゆっくりと間を詰めていく背中に「主」と一言声をかければ、伝わったのか近付き過ぎないくらいでにじり寄るのを止めてくれた。そうそう、いくらもう俺でないと言ったって、きっと人間を一薙ぎで殺せるくらいの力はあるはずだ。なのに主へ何を怯える必要があると言うのか。
「加州」
繰り返される呼び声が聞こえていないわけではない。声がかかるたび、二人の間が詰まるたびにアレが体をより小さくまとめようと蹲って怯えているのはよく判った。主の声は平静を装っているが語尾に高揚がにじんでいる。俺と最初から相思相愛だった分、主の前で見せたことのない「俺」の姿にどうしても心躍っているのだろう。
でもそれは、俺じゃないんだけど。
急激にイラッと逆立った気分になって、あるじ、と目の前の袖口を引っ張った。
「俺たちと遊ぶんでしょ」
「、うん」
俺に振り返り頷いた主の向こうで、アレの背中が一段と大きく揺れて、あああああああああああああ、とブレブレの悲鳴が上がった。余りの五月蠅さに思わず刀身を抜きそうになったけれど、指先で捕まえたままの主の顔を見て手を止める。
恍惚だ。
「加州」
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
「加州」
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
「加州、かしゅう」
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
「かしゅう、かしゅうきよみつ、」
上擦った声で名前を呼びながら、喚き続けるゴミに這い寄った主が覆い被さる。ガタガタとみっともなく震えている体を押えて、俺の名で呼んで。
主のずっしりとした重さでぐぇ、と一度汚い声を出したソレの喚き声は少しだけとぎれとぎれに変わって違う単語が混ざり始める。
ごめんなさい、ごめんなさい、するから、言うこと聞くから、ごめんなさい、ごめんなさい、ちゃんと、ちゃんとするから、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい
「いいよ」
主が笑みを含んだ声で言う。
ぐずぐずに溶けた甘い音だ。
主は『俺』が大好きすぎる。
「いいよ、ちゃんとしなくても、言うこと聞かなくても、謝らなくても、何もしなくても」
「加州はかわいいから」
「加州が何をしても何をしなくてもいいよ、加州は何をしててもいいよ、泣いてても、怯えてても、壊れてても、拒否しても、何してもいいんだよ、何もしなくてもいいんだよ、加州は加州と言うだけで十分すぎるくらい価値があるんだから。そこにいるだけで可愛いよ、そこにあるだけで素敵だよ、どこにいたって一番だよ、加州は加州であるだけでいいんだよ、可愛いよ、すごくかわいいよ。今だって本当に素敵だよ、かわいいね。」
「かしゅう、かわいいよ、すごくかわいい、本当に、とても、物凄くかわいい。その働き者の爪先も、自然な髪形も、気取らない顔も、シンプルな浴衣も、馴染み深い羽織も、特別に、当然に可愛いよ、静かな性格も、緊張しいなところも、涙もろいところも、思慮深いところも、控え目なところも、全部全部かわいい。」
「かわいい、かわいい、大切な、加州。大丈夫だよ、いいんだよ、心配しなくても、誰も加州を責めないから」
連ねられるそれは酷い呪いだ、と思う。喜色満面でアレを抱きかかえて繰り返す言葉の優しさに裏も嘘もないけれど、とっくに俺にとってアレは俺たちではないのに、主だけが今もアレを俺だと認め続けている。
名で縛って、有り得ない全てを当然と留めて、『加州清光』という枠から逃がさない。俺としての在り方を忘れたアレにとって、それがどれだけ残酷か、多分主は知らない。
「加州、加州、可愛いね、大丈夫だよ、全部、全て、どこまでも可愛いよ、何があっても、どんな風でも、普通じゃなくても、かしゅう、加州は加州だから、大丈夫、許されるからね、可愛いから、大丈夫なんだよ、いいんだよ」
アレが段々と静かになっていて、俺達は鼻白んだ。
「…あ、ぅ、」
「かしゅう」
うわごとでしかなかった声が意思を持って、まるく固まっていた体が身動ぎする。ひっ、ひっ、としゃくりあげるような幼い息の仕方が無様で、それでも主は爛れるほど蕩けた声でアレを俺の名前で呼ぶ。
「ゆ、ゆる、…かわい、ぃ?」
アレが、主の声に訊ねた。
「かわいいよ、加州はかわいい。泣いてても、丸まってても、怖がってても、混乱してても、全部可愛いし、全部大丈夫だよ、なにをしてても」
即答が飛ぶ。主はいつもそうするから、俺のことを手放しで認めるから。俺たちにとってそれは何も驚くようなことではないけれど、アレにはきっとそうではない。与えられたことのないもの、そしてきっと、手に入れたかったものだろう。
ただ、主が捧げるそれは『加州清光』へのもので、アレにとってのものではない。だから、アレがそれを欲しがるなら。
「かしゅう、加州は何をしてても大丈夫なんだよ、全部許されるの、いいんだよ、ぜんぶ、心配いらない、加州が加州である限り、変わらないんだから」
「何を望んでも大丈夫、何を嫌っても大丈夫、何を選んでも、何を遠ざけても、何をしても何をしなくても、加州が加州らしくいられるなら、それが加州だって自分で思えるならそれでいいんだよ、かしゅう、加州、可愛いから、安心していいんだよ、」
のっそりとのしかからせていた身を起こして、主が見るからに汗でじっとりとしているアレの背をさする。
「ぜんぶ、何があっても、どんな罪も、どんな欲も、どんな過ちも、加州なら許されるよ、許さずにはいられないでしょ?加州は可愛いから、世界一可愛いから、何よりも素敵だから、いいんだよ、大丈夫、何を望んでも、どうあろうとしても、加州は可愛くて最高のかたなでしょう?」
興奮で火照り切った顔で、上擦った早口で、アレに向かって主がさらに言いつのる。盲信、熱狂、依存、逃避。本人も何を言っているのかなんて分かっていない、覚えていない。ただ俺を、「加州清光」を肯定することだけが、主の間違いない意思だと俺達は知っている。
蹲っていたアレは、俯かせていた首だけを少し上げて、荒れてざんばらな髪の隙間からぐりりと主を見上げている。
「かしゅうきよみつ」
物を人ともするような。
強い執着を抱えた主の口がアレを俺に縛り付けていく。「お前は加州清光だ」と、主が規定する。肯定したいと、大事にしたいとそのためにそうあれかしと、主は言う。
そうだ。逆に見ればアレは俺にならなければ許されない。ここに居るには、居てもいいといわれるには俺で在らねばならない。
弾かれておちた存在が、それでも存在を許されるための一線が示される。越えても地獄、越えなくても地獄。どちらに踏んでも、アレはもう俺ではないし、俺に戻れるわけもないのは変わらない。許される限りは、俺のものまねはできるだろうけど。

俺たちは主を眺めながらすっかりと不機嫌になっていた。
正直なところ。アレが何者でも、どんなものでも関係ない。
俺達は主のためなら何だって斬り伏せてみせるし、それが出来ないなら主との約束を果たして消えるだけだ。だから何があろうとどうでもいい。
ただ俺たちの前で俺以外を主がほめそやしているのが気に入らない。俺ではないものに向かって、俺が貰えるはずの言葉を費やしているのが腹が立つ。最後の一言を告げていないから、まだ見逃してやっているが。内容が俺のことでなかったら、今頃もうアレは物言わぬモノに戻っているはずだ。…いいや、アレが物に戻れるのか、わかったものではないけれど。
「かしゅ「あるじ」
いい加減、アレにまだ語りかけようとする主の声を遮る。俺へ振り向いた主の向こうでアレが追いすがるようにとっさに伸ばしかけた手を、二振り目がすかさず跳ね除けて踏みしめる。
「っぅ、」
「あるじ」
アレの呻きをごまかすように再度呼び止めて、腕を前に広げ仕草でハグをねだる。普段はあまりしないおねだりをして見せれば、それだけで主はアレを忘れて俺の方にずりずりと戻ってきた。
「担当呼んで」
流れでハグしてこようとした主の頭をはたいて止めた。うえぇ…?と御手杵みたいに呻く主の手に、俺の携帯用連絡端末を握り込ませると、途端びくりと体を震わせる。紅潮していた頭部からざあと血の気が引いたのが見えた。包帯越しでも視線がうろうろと泳いでいるのがわかる。
れ、んら、く、?そ、連絡。
ぎぎぎ、と不自然な動きで主が頷いた。メール画面を開こうとする手を止めさせて通話、と指示する。つうわ、?。そ、通話。さっきまでのアレみたいに怯える様は、アレより断然不快感がない。
カタカタ主の体が揺れて、顔の包帯に噴き出した汗がにじむ。そうだねえ、苦手だもんね、他人への接触も、音声通話も。でもあの担当とさっさと渡りをつけるのには通話が一番いい。ごめんね?
「主」
はやく、と囁けば、息を荒く乱しながらも言う通りにしてくれた。ツッ、ツッ、ツッ、と短い待機音の後、もしもしぃ、といつもの間延びした担当の声が聞こえる。
「明日取りに来て」
主が声も出せずに泣き始めるのを見て、端末を奪い取った。そのまま間髪いれずに要請する。一拍置いて、担当から少し低くああ~と嘆息する声が返る。
「加州さん、折っちゃいましたあ?」
「折ってよかったの?じゃあ今から折ろうか」
「あ、まだ無事ならそのままがいいですがあ、門の外に置いておいていただければあ」
「そ。じゃあよろしく」
迅速な対応もできるじゃん、と俺は喉の奥だけで笑ってぷちり、主の持っている端末の終話ボタンを押す。これでいい。
かしゅ、と震える主の声が俺に縋る。端末を懐にしまってから、うろたえるその頭を抱え込んでやる。話したのは俺だけだったが、それでもカタカタ震える姿にありがと、と声をかける。毎度思うが、これでどうやって就任まで現世に暮らしていたというのだろう。本当に、向いていない人間だ。
…主の向こう側、放置されたアレがこちらを見ている。主に優しく縄を打たれ、俺の顔をした何かが、クズみたいながらんどうの目にとぷとぷと薄暗いものを溜め置いて、俺をじっと見ている。さっきまでの震えが嘘のように静かに、怯えてうなだれていたのが幻のように冷たく。
俺は主を抱き締める腕にこれ見よがしに力を入れて、アレに笑いかけてやった。
干渉は許さない。ぎりりと畳を掻くように握られた奴の拳は、まだ二振り目の足の下だ。
せいぜい悔しがればいい。いくら許されようと、誉められようと、甘やかされようと、これは俺の主で、この座は俺の場所で、約束は俺だけと交わされのだと、紛い物にはきちんと教えてやらなければならない。
お前だけではない。この本丸のどの刀でも、二振り目の俺ですらなく、初めに手に取られた、手を取った俺だけのものだ。
弁えろと見詰め返せば、視線がぶれて下を向く。それでいい。
後一晩、情けをかけて泊めてやり、始末すら放逐で許してやろうというのだから、俺はとっても慈悲深い。だから、これ以上主に俺の顔をするようなら。
俺の腕の中で、もぞりと動く純正の生肉は温かくて蒸れた汗の臭いがした。



「あ、」
「あるじ、ほらバイバイして」
「んええ~~…つら…かしゅ…元気でね…」
アレが視認して話し出す前に、一振り目が主の目線を奪って別れに持ち込ませる。俺の横できょどきょどと不審な態度を取っていたアレはグッと呼びかけを飲み込んで、伸ばしかけていた手も仕舞っていた。賢い選択だと認めてやる。そうしようとした時点でダメではあるが。
場所は門前。アレを横に留める俺と、主を左手に牽いて現れた一振り目は向かい合って立ち止まった。
まだ空に夜の端が残るような時分だけど、アレを追い出すには遅すぎるくらいだというのは俺達二振りの共通認識だ。今日俺の隣に立つアレは、髪も身形も整えて、誰に頼んだのか爪紅まで綺麗に塗りそろえられていた。安定の羽織はまだ肩に掛けているけれど、身形を整えて背を伸ばし、緩く纏っている分にはそういうスタイルに見えなくもない。
よくもまあ、まるで俺みたいに見えるものだと横目にアレをねめつける。やはり昨日の時点で追い出せばよかった、いいや途中で折ったならば、そも連れてこられた時にいなかったと言ってしまえばよかったかもしれない。
「かしゅ、これ餞別だから」
「…甘いやつらに感謝しなよ」
一時の沈黙を破って主が差し出した、アレが来た時に持っていた風呂敷とは別の紫紺の包みは、歌仙と粟田口が用意したという。中身は袋をつけた竹の箸が一膳と箸置きと手拭いが二本、手伝い札が一枚と小判が何枚か入った巻き財布、藍縞の浴衣と帯が一揃い、中身の満ちた練香入れ、爪紅が二瓶、携帯もできる櫛と鏡。折れた誰かの破片入りの巾着袋と、懐紙に矢立、日持ちする菓子の詰め合わせ。
お守りを添えようとした主を止めたのは俺たちだ。お優しい主には悪いが、あんな霊力の塊をアレに残すなど、許せるはずもなかった。
渡された荷物を胸に抱いて、アレはきゅうと眉間にしわを作る。
「あり、がと…ござぃま す、」
震える声はこの十日ほどでうんざりするほど聞いた泣く前の気持ちが悪いそれだが、それでも言葉と分かる程度に礼を言えているのは進歩なのだろう。
「かしゅ」
荷物を挟んでしがみつくように、主がアレに触れた。一振り目が鯉口を切り、俺も柄に手をかける。
「かしゅは可愛いからねえ、今日はいっぱい頑張ってるねえ、爪も、髪も、薄化粧もとっても綺麗。立ち姿が格好いいよ、新撰組のだんだらもすごく映えてる。似合ってるよ、素敵だねえ、加州は可愛いね、いつでも可愛いよ。とっても、とってもすごくすてき。だから大丈夫だよ」
「大丈夫… ?」
「うん、大丈夫。加州は加州だから、大丈夫だよ」
ぎゅうぎゅうと、主が荷物ごとアレを抱き締めて唱える。あーあ。
「…うん」
アレが汚い目を閉じて笑う。ぎこちない表情。ファンデがヨレる。マスカラが瞼に移る。一線のこちら側に、そうしてアレはしがみつこうとしていた。
「あるじ」
一振り目はすっかり抜き身の本身を片手に、主の襟首を鷲掴んでアレから引き剥がした。アレの体が名残惜しげにぐらりと揺らぐのを、俺が押さえて留める。この主は、本当に、俺の見た目に心底弱い。
もう良いのではないかと思っていたら、案の定初期刀殿が主をそのまま自分の斜め後ろに置きつつ、ぎらぎらと冷たくにえた目だけで俺にアレを連れていくように言っていた。ハイハイとこちらも荷に回された腕を掴んで引き摺り、門の外に放り出す。バランスを崩してよろけたアレは、けれど踏み止まって姿勢を正した。
「じゃあな、もう遇うこともないだろうけど」
最後に一言かけてやり、二度と見えないという事実を作る。抱き込んでいた風呂敷を片手に持ち直して、アレは俺をじっと見ていた。
何か言えるなら言ってみろ。
剣呑な視線に、顎をしゃくって促す。
「…あんたは、どうして」
あんた、なんて言うようになったのかと睥睨する。
ま、言いたいことは分かった。確かに俺はこの本丸の加州清光として二振り目、普通ならば、そしてここの主だからこそ疑問に思われて当然だろう。
「俺は一振り目の分体になってるんだよ。それに主が自ら選んだ、お前と一緒にするな」
「俺は、…俺も、」
「お前は俺じゃないだろ」
「…主は「は?あれはおまえの主じゃない。折られたいの?」
「…許すって言った」
「愛してるとは言ってない」
「俺は、」
「お前は俺じゃない」
判り切った問答だ。面白味の一つもない。くだらなくて、腹立たしいばかりの、どうしようもないやりとり。
ここに居たいと思っても、お前はそれを求められていない。
主はバカだから、本当に欲しいと思ったならもう少し駄々をこねて面倒をかけているはずだ。それがない時点で、お前は違う。
俺たちは選ばれた。
お前は選ばれなかった。
俺であろうとして漸く自分がどういうものにおちてしまったのか気が付いたのだろうが、お前が実際俺かどうかなんて関係のないところで、お前は俺たちと違っている。俺たちは主に望まれて、愛されて、ここにいてくれと希われている。
お前は違う。
それだけだろ?それだけだ。
お前は、初めからここのものではない。
にこりと笑いかけてやれば、アレはぎちりと風呂敷を握りしめて俺から視線を外した。その足が縋る気配がないのを今一度確かめて、潜戸から身を戻し、門を閉める。閂をかけて、錠を落とす。振り向けば主が一振り目とじゃれていた。そちらへ歩き出しながら、アレを忘れる前に一つだけもう聞こえない忠告を投げる。
せいぜい気をつけるといい。
俺たちみたいな、完璧な加州清光の振りが出来るように。



「あーあ、行っちゃった」
門の外に消えた二振り目とアレをまだ視線で追いながら、主が至極残念そうに声を漏らした。
何か加州より細かったなー、と一人ごちながら先ほど抱きしめた感触を思い返しているらしい、久しぶりに見た包帯のない顔は思ったよりも緩んでいない。
「さみしい?」
「ん?ふふふ残念は残念だよ」
まるい背に軽く寄りかかって体重をかけると、途端に表情が崩れて赤い顔でにへにへと笑いだす。俺はそれに少しだけ機嫌を治して、右手に出したままにしていた刃を鞘へ納める。
「あの子はうちの加州じゃないけど、すごい面白いなーとは思ってたからもうちょっと居てほしかった」
せめてもう一回おもらし見たかった、とクソみたいな蛇足が入ったので俺は体を起こして一歩引く。えっなんで離れるのじゃないよ、心の距離だよ。少しは自重しろ。
とはいえ、余計な言葉以外、主のぼやきはまたいくらか俺の機嫌を立て直した。アレは主にとって観察対象で、俺が見せない一面を補うための代替品でしかなかった。この本丸で手放さずに愛で続けるほどの存在にはなれなかった。
紛い物かどうかなど関係がない、主が絶対に手放したくないのなら、折ってでも自分の許に置くはずだ。たとえば、俺のように。
「俺がいるじゃん」
「まあね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
もう一度後ろから懐いてみせればあからさまにテンションを上げて絶叫する。ああああ可愛いよ可愛い加州可愛いようちの加州可愛い、天使か?神だよ!ああ可愛いたまらん世界一可愛いヤバい可愛いもう超可愛いヤバいありがとうございます可愛い、とか謎の気持ち悪い呪文も聞こえてくるが、今は目溢すことにした。普段だったら五月蠅いの一言で黙らせるが、別に誉めそやされることは嫌じゃない。
どれだけ主が加州清光という数多の俺を可愛いと思っても、この俺はやっぱり主にとって、一番の存在だ。それが揺るがないなら何でもいい。俺を愛して、俺を求めて、俺を可愛がって、二人の約束を果たしてくれるなら。
「置いてきたよー」
二振り目が門の向こうから戻ってくる。その陰にちらりと視えたアレの目が、どろりと俺を見詰めていた。
俺みたいな形で、俺みたいな嫉妬をして。それでもお前は俺になれない。主に選ばれた俺にはなれない。
一線のこちらの、もう一線。
例えどれだけ努力しても、取り繕っても、意味はない。
門のこちら側にいられるのは俺だけ。主と共死にをするのは俺だけだ。
門が閉まれば、全て終わり。
興奮して赤くなっている柔らかな耳に向かって問う。

「あるじ、俺のこと愛してる?」
「もちろん愛してるよ大好きだよ可愛いよ加州うううううううう!!!!!!!!!!!!」












俺だけが、主の一番。



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