このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

死に節覗き(再録)


ぷつりと穴が開く。
鋭利な針は皮と肉を抉って、傷口からゆっくりと血が漏れる。
切先が穴をほじりきり茶色いコルクに行き当たると侵入は一旦止まる。平らに落とされている逆端へ別の金属部品が取り付けられる。
ずる、と安置されていた針が、僅かな時間でもきつく絡まってきていた肉を無視して再度押し入れられていく。全長数センチの移動がひどく長い。じんじんビリビリと疼く痛みが、脳の芯と患部を苛む。
接続の段差を越え、尻に据えられていた金属部品がぬぢゅりと侵入した。
貫通し退かされた針はぬるりと血を纏ってコルクに聳え立ったまま脇へ放られている。後付けの部品は傷を貫いたまま肉の中に残されていた。
ずぐ、ずぐ、鼓動に合わせた違和感が穴のすべてから響いて意識を掻き乱す。熱く腫れてそこだけ空気が冷たく感じる。零れた血が乾き引き攣る上を、止まらない新しい血が伝う。
チャリ、と音を立てて、別の金具がピアスを固定した。
「かわいい」
溢された一言に、ゾクゾクと背中を悦びが駆け上がっていく。
「もう一か所開けていいかな」
「っ...もちろんだよ、ご主人様!」
銀色に光る楔を耳に揺らして、亀甲貞宗は鮮やかに紅潮した笑顔で即答した。



ピアッシングというものがおそらく趣味と呼ばれるにはあまり一般的ではないというのは、人間の俗習に疎い亀甲にもよく感じられた。肉に針を刺す、穴をあける、異物を差し込んで欠損を固定する。どれも拷問じみた行為で、野蛮と捉えられても否定できまい。
男士の中にも居る通り、多少ならば装飾として楽しむこともあるのだろうが、審神者が好むのは通常より無骨な装飾を行うボディピアスと呼ばれる方だ。ファッションピアスと類される、お洒落として広く楽しまれるものよりも、穿つ穴の大きさや数は過大で、時には身体改造に類される規模へ及ぶ程の危うさも孕んでいる。
人の体というものは手入れで治ったりしないし、痛みだって敏感に感じるように出来ているはずだという。
審神者は、ニードルと呼ばれる専用の鋭利な針や、円滑さを助ける軟膏の準備は怠ることがなかったし、消毒や、位置についても毎度慎重に吟味していた。それでも、痛みも傷も生じる、自身の肉を穿つ行為を繰り返す

初めに見た時、亀甲は審神者が自身へ責め苦を施しているのかと思った。自身の体へ針を突き刺して、血を流し顔を青く歪めながらもそれを止めようとはしないのだから。
仔細は違ったが、それでも公言していなかった嗜癖には違いない。暴かれた秘密。その相伴を、亀甲はいま、本丸の中で唯一許されている。

「また開けてる」
亀甲が行為に呼ばれるのは夜である。
大半の業務が終わり、湯あみを済ませて休むまでの合間、ふらりと審神者が滅菌パックに入った針を片手にその部屋を訪れ、開けていいかと問うのである。亀甲はその誘いを、はじめてのときから一度も拒んだことがない。
誘われるままに手に手を取って審神者の部屋へ移動して、お互いに満足するまで事に及んで、夜更けに別れて自室へ帰り、布団に入り夜が明け、起床し寝巻きから着替えて再び審神者の部屋に訪れると、大概は加州清光が亀甲の首から上に目をやって、先ほどの言葉を呆れ半分で吐き出すのだ。
今日の穴数は六である。
耳たぶに一つづつ、右耳の横ふちに二つ。左の眉尻に一つ、下唇に一つ。
銀色のシンプルなピアスがてらりと金属質の光を放つ。にこりと加州に朝の挨拶をすれば、唇の傷口がビリリと痺れた。
刀剣男士の傷は自力では回復しない。だから、一晩経つ穴の痛みがなくなることはない。軽傷未満とはいえ、審神者が生存値と呼ぶ何かが削れたままであるのも感じられる。
それでも亀甲は何食わぬ顔で生活をする。今も自分用の座布団を部屋の隅から取り出すと加州の反対側に座し、審神者が起きてくるのを大人しく待つことにした。
加州は図書館から持ち込んだらしい雑誌をけだるげにめくりながらあくびをしていた。起きてこちらへ移動してまだそれほど経っていないのだろう、眠気を残した目元が視線を揺らしている。
亀甲は審神者の私室へと繋がる扉を見遣る。そのまま、じっと見つめ続ける。特に会話もなく四半刻ほど待った後、今度は図書館側の扉から、控え目なノックとともに五虎退が顔を出した。
「あのう、朝餉の準備ができました」
戦装束にふわりと味噌汁の香りを纏わせて告げる姿に、加州が一つ頷いて、主見てくる、と立ち上がる。それを見送りながら五虎退へ手招きすれば、大人しい短刀は恐る恐るお邪魔します、と部屋へ体を滑り込ませて来た。
自分の座布団を譲ってやりながら観察する。彼はどの五虎退だろうか。
他の刀を見ていると、亀甲とは違いみな複数いる刀の見分けが付いているようだったので、それが出来ないと自ら口に出したことはない。
問題になるほどの関わりもないのでまだ誰も気づいていないらしいが、この短刀に関してだけは亀甲も少しややこしいなあと思っている。審神者の傍によくいるのに、同位体が五振りもいるのだ。
眺めなおせば子虎が一頭、彼の背中にへばりついていた。挙動は落ち着いていて、朝餉のメニューを訊ねると小さな声だがどもらずすらすらと返してくれた。ならばおそらく、この子は五振り目だろう。
目星をつけたあたりで、加州が一人で戻ってくる。
「大丈夫っぽいけど、今日は自分で食べるって」
どうやら今朝、審神者が部屋から出てくることはないらしい。食べてこよ、と誘うしぐさの加州に、亀甲はそうだねと応えて立ち上がった。
ふと注がれる視線に目をやれば、五虎退がじいと自分の目元を見上げていた。
銀色の、眉飾り。
にこにこと笑顔を向けるとハッとした顔をされる。気まずげに顔を逸らされた。こてん、と首を傾げて斜め前を行く短刀を見詰める。ああ、もっと見てくれて構わないんだよ、いいだろう?ご主人様がくれたんだ!言いかけて止める。
加州もこちらを見ていた。
「宗三君のきんぴらは残っているかな」
自慢の代わりに雑談を口にすると、大丈夫でしょ、と視線は外れた。
「あんなかっらいの物好きと飲兵衛しか食べないよ」
「そうかい?あの刺激がいいと思うんだけど!」
「ぼ、僕はちょっと...舌が痛くなっちゃうので...」
執務室を出てほど近い図書館の自動ドアを抜ければ、朝餉の用意された大広間はすぐそこにある。この距離だって離れたくはないけれど、審神者の私室に唯一入るのを許可されている初期刀が残留を許さないのだ、仕方ない。
歩くと振動で耳元の輪がチャリチャリと鳴った。亀甲はそれにうっとりと耳を澄ましながら、後ろ手に執務室の扉を閉めた。


しばらくが経った。
珍しく、連日でお誘いがかかる。
普段ならば次の出陣前に手入れされるまでそのままにされることが多いのに、今回はどうしたことかと、亀甲は少し驚きながらも上気した頬を緩ませて是と返す。
「拡張してみていいかな」
「もちろんいいよ、ご主人様!!」
次ぐ言葉にも考える前に同意する。
行為の詳細が解るわけではなかった。まして意図などわかるはずもない。
それが何の問題になるものか。審神者は亀甲を呼んでいる。
それだけで湧き立つような歓喜に脳が溺れていくのを感じる。差し出された手を取る。冷えた指先と蒸れた手のひらのアンバランスな温度。握れば握り返された。そのまま、引かれてついていく。
閉館した図書館の中、執務室に入り向かい合って座れば、いつもの卓袱台にいつもとは少し違う器具が並べられていく。見慣れた針やコルクはない。少しづつ太さの違う、細長い円錐状の、槍の穂先にも似た何か。先端はさほど鋭くなかった。
今日はこれを入れてくれるのか、それにしては刺さりそうにない鈍らさだ、ああでもこれを刺そうとするなら、これで穿とうとするのなら、きっととても、とても痛いだろう...。
きちりと正座したまま期待の眼差しでそれを眺めていると、これエキスパンダー...拡張器っていうんだよ、と審神者が告げた。
拡張器。
並べられているのはその円錐棒のほかにいつもの軟膏、ちり紙、消毒薬と。いつもより少し大きく見える、ピアス。
なんとなく、受ける仕打ちが見えて亀甲は昂りをこらえきれずに嗚呼、と歓喜の声を漏らした。
物の準備は終わったのか、審神者の手が昨日開けた耳の穴へと伸びる。まる一日放置され、みっちりと肉の絡んで、じんじんと痛む異物は、指が触れるとより鮮明に痛みをもたらした。摘んで揺らされ、巻き込んだ肉が剥がれれば血がにじむ感覚がする。
本当ならホールが完成してからの方がいいんだけど。審神者はひとりごち、亀甲はそれを聞いて、日を置かずに呼ばれた理由に思い至る。
審神者の言う通りに段階を踏めればいいのだろうが、刀剣男士に関してそれは無理なことだ。亀甲の傷は自然に閉じることがない。時間経過で出血が減り、痛みに慣れることはあっても、皮が張り肉が戻り、穿孔が塞がることは一切ない。
ならば、いつ弄ろうと同じこと。
「痛いと思うけどごめんね」
ピアスを揺すっていた指が留め具になっていた部品を外し、輪になった部分がくるりと動かされる。
肉から金属が外れ、圧迫感と重さが消えた。熱を持った傷口があらわになり、空気がいやに冷たく感じられて浮かれていた心を掻き乱す。
「ご主人様」
僅かな焦燥を込めて、亀甲は正座の正面、膝立ちになって暴かれた耳をなぞる主を見上げた。日頃も出陣前には手入れで治されていたし、通常は当然着けていない異物を、けれど今取り上げられてさみしいと、その心地の名は知らなくともひしひしと感じていた。
審神者はそんな亀甲を見下ろして、普段からどろりと淀んだ自身の目を撓めた。瞳の端々に、ふつふつと澱の沸え滾る揺らぎが覗いている。
並んだ拡張器の一つが、審神者の手で取り上げられる。
「っっ......!!」
ゆるゆると縮もうとしていた穴が、ぐっと押し拡げられて。中に溜まっていた体液が後ろから押し出され、重力に従い伝っていくのが分かる。細い先端は難無く奥へと滑りこんでいき、だんだん太まる胴体が穴を隙間なく埋めていく。
器具の固く冷たい側面が断ち切れてむき出しの神経をなぶる。しとどに血を漏らす生肉を引き攣らせる。鋭くて、鈍くて、深々と抉るような、痛切。
つい先ほどまでの圧迫を体感から思い出してすぐ、それ以上の体積が奥へ入ろうと続くのに気付く。拡張、そうか、そういう。
ぎち、ぎち、ぎち。
身に響くものが、一段上の痛みに移る。
軟膏も血も未だぬめっているが、それでも器具の進みが悪くなる。
物理抵抗など関係ないと。あまねく従えと命じるように。
ぎち、ぎち、ぎち。
耳が千切れそうな、息が止まりそうな、無理矢理な行為だった。
加わる力に体が傾ぎかけ、伸ばした背筋と握る手に力を入れ直す。
押し入れる審神者の方も苦戦しているのか、時々手の力が緩んでは器具が押し戻されて、緩急絶えぬ痛みが長引いていく。支え代わりに穴に添わされた指の爪も、ぎゅうと深々立てられていてまた鈍く痛む。頭が動かないよう頬を抑える手のひらは熱をはらんでいやに湿気っている。
びき、と音が、嫌な悲鳴がしそうなほど。
力づくで、じわじわと押し込まれて、みちみちと、砕くよりも柔らかく、融かすよりもあからさまに、打つよりも深々と、満たして、侵して、壊されていく。ごしゅじんさま。ぶつりと。
「入った」
目を閉じて口を閉じて、集中していた意識に上ずった声が届いた。固く落としていた瞼を上げれば審神者がニヤニヤと亀甲を見下ろしている。
喰い込んでいた爪が耳の裏から離れる。途端電流のような鮮痛が走る。柔らかいはずの指の腹がそうっと耳のふちを撫でるだけで、考えられないほどのビリビリした感覚が襲う。
びいん、ぎいん、と物理的に響くような痛みが、絶えず触れられ続けてひどく熱い耳からくまなく全身へ叩きつけられている。終わったのかい?詰めていた息をけほりと吐くと、その動作でも痛みが頭の芯を貫いた。
ああ。
「お疲れ様」
審神者は満足したらしい。頬に張り付いていた支えの手が剥がれ、今度はゆっくりと頭から頬をひと撫で。ぼうとそれを甘受した。鼓動に合わせて強弱する圧迫感が、麻痺した思考を笑うようだ。
いたい。きもちいい。うれしい。いたい。たのしい?うれしい、いたい。
いたい、いたい。とても、いたい。ひどい、たのしい、うれしい、いたい。
ああ、いたい、いたいよ、ごしゅじんさま。
ゆっくりゆっくり、審神者の手が往復して亀甲の頭を滑る。
手つきはどこまでも優しいのに、僅かの振動も昂った神経を刺激する。
軽傷になっちゃったねえ。
高揚を隠さない声がする。
後で、手入れしちゃおうねえ。
もったいないけど、軽傷は嫌だよねえ。
ああ、でも。
でも、かわいい。
似合うよ、すごい。
かわいいよ。
とても、かわいい。
かわいい。
何度も何度も。じっくりと眺め下ろす目とニヤニヤだらしない口元と。
撫でられる髪と頬。痛みが身に馴染み、緩く室内に漂う血の匂いが分かるようになるころには、痺れ果てた頭のぼんやりした思考も少し、ましになる。
「本当はもうひとつも拡張したかったんだけど、今日は止めておこうね。中傷になっちゃう。落ち着いた?手入れ部屋行く?」
まだ手は優しく亀甲を撫でていた。ごしゅじんさま。亀甲がかすれた小さな声でささやく。ごしゅじんさま。
もっと。もっと。もっと。

もっと。




無理に拡げられた患部は昨日よりもひどく腫れて、血が滞ってきもちわるい。痛みがずっとこどうに合わせて響き、息をするたびにきしむようにささる。ぢりぢりとしんけいが壊れて、聞こえるおともぼやんとばかになる。しびれた様な感覚は鬱陶しいし、重いいわかんはみみを落としたくなる。
そのすべてを、ごしゅじんさまがぼくにくれた。
ぼくにだけあたえられる、あい。
「ごしゅじんさま」
「手入れしようね」
にっこりと笑って、爽やかに命じて、審神者は亀甲の汗でふやけた手を取った。
手入れをすれば、全部なかったことになる。
手入れをすれば、全て元通りに消えていく。
何度も何度も、繰り返し穿たれる穴は、もう二人の記憶にしか残らない。



「きみ、また無駄遣いをしたね」
鉢合った保管室の中、渋い顔で声を掛けてきた歌仙兼定に亀甲はきょとんとした顔で無言を返した。
また無駄に資材を使っただろう。噛み砕かれた言葉でようやくそれが一昨日、拡張後のことを指すのだと気が付く。あの日はあの後、手入れをされておしまいだった。もう一度穿ってもらえるかと思っていたのに残念だったな、と思い返す。今は一つも穴がない。ああそうだ、まあ、確かに少しとはいえ手入れで資材は減っただろう。
「アレに好きで付き合うのはいいが、他に類が及ぶ行為なら少しは諫めたまえよ。こちらも管理があるんだから。
あんな遊びは控えてほしいね、第一身に響く。雅じゃない。
あれは触れているんだからこちらが気を使わなければ。君だって一応従者だろう」
歌仙は小言を繰り出しながら胸元にしまっていた半紙を取り差し出す。手入れで減った資材は自分で賄え、今日は遠征に行って来い、と編成書きを渡されたのだ。
亀甲は素直に頷いた。特に反省も後悔もしてはいないが、確かに自身のために物が減っているのだから、その分稼ぐのは道理が通る。こういうことについて、この本丸の歌仙兼定は大概正しい。
「まったく君は、黙って大人しくしていれば実に雅なのに勿体ない」
ため息はいささか深く、亀甲はきょとんとさせたままの表情で首をかしげた。
「ご主人様に望まれたなら喜んで身を捧げるのは当然じゃないのかい?」
心底不思議そうな声は、歌仙の眉間のしわをぐっと増させる。まったく、これだからアレの気に入りはどうしようもない。ぶつぶつと唱えられた嘆きは、亀甲のあどけない瞬きに相殺されて消えた。
再び、深いため息が放たれる。わざとらしいその行動でも亀甲の心は揺らがない。
「ともあれ、その編成表だ。主にはまだ見せていないものだからついでに提出しておいてくれ」
この短い間にいささか疲れた様子で歌仙が任ずると、亀甲は途端に美しく笑顔を咲かせ、わかったよ!!とコクコク首肯した。今しがた苦言を受けたとは微塵も思えない良い反応だ。
返事だけはいいねえ...。歌仙はあきれ顔を隠さずにこめかみを揉む。もう何も言うまい。速やかに自分の棚から本来の目当てだったのだろう花器を取り出して、頼んだよ、と踵を返す。にこにことそれを見送って、亀甲も執務室に向かって歩き出した。

資材のことなどあまり意中になかったが、改めようと亀甲は思う。
こんなつまらないことでせっかくの秘密がまろび出てしまうなら、もらったまま使い道のない給金を充ててもらおう。確か万屋で資材も買えると聞いたことがある。与えられる全てをこの身だけのものにしておくなら、そうするのが一番いい。審神者と離れなくてはいけない遠征にも行かなくてよくなるから、尚更いい案だと思った。
歌仙の言うことは大体正しいけれど、亀甲ではよくわからないこともしばしばある。今回もそうだ。亀甲が購入を思いついたからもう大丈夫だけれど、審神者が望んで行うことを拒絶しろとは意味がわからない。なぜ異を唱える必要があるのだろう?
ぼく達が存在を許されるのは、ぼく達が真実ご主人様の所有物であるからなのに。
否定を欲されたならそう応えるけれど、違うのに。叶えてほしいと願われているのに。肯定してと思われているのに。
刀剣男士は使われるためのもの、与えられたから在るものだ。歌仙も刀なのに、ご主人様のものなのに。
よくわからない。
思うが侭に扱われることこそ、心地いいと思わないのだろうか。
審神者は亀甲のことを気に入ってくれている。審神者は亀甲を求めてくれる。名を呼び触れて使おうとする。そばに控えるのを許してくれる。
何度も、何度も、好き勝手に傷付けては、すべて無意味だと笑ってくれる。
僕を「自分のもの」として、彩って、欲を向けて、放置して、何をされても当然と認めてくれる。
ご主人様に「お前には何をしても大丈夫だろう?」と云われているのだ。
ぼくはそれほど大切で、当たり前で、愛されていて、逃げられない。
それはぼくが「ご主人様のもの」だから。ぼくが「ご主人様の所有物(好きにしていいもの)」に間違いないから。ぼくが「ご主人様に縛ってもらえている」から。
それはとても幸せなことなのに。

亀甲は弾む足取りで執務室に続く扉まで来ると、ノックを三つ、調子よく鳴らした。
「ぼくだよ、ご主人様。歌仙君から編成表を預かったよ」
「んー、入っていいよ」
おざなりな許可の声に幾枚か桜が散る。中に入れば、そこにはいつもと同じように、審神者と加州と五虎退が卓袱台に集まって座っていた。
「ありがとうねー」
手渡された用紙にのんびり目を通しながら、審神者が亀甲に座布団とお茶を勧める。またひらひらと桜を散らしつつ喜んで席に着いた亀甲は、自分の隣で何やら編み物をしているらしい五虎退に目をやった。さて、彼は何振り目、
「んあー、きっこたんその子は一振り目だよ」
横から答えが飛んできて、亀甲は目を見開いた。
「え?」
「今日は待機が一振り目ちゃんで二振り目から五振り目ちゃんが順番に部隊長。三振り目ちゃんが厨手伝いで四振り目ちゃんが厩と畑の手伝いするって言ってて、二振り目ちゃんと五振り目ちゃんは入れ替わりながら出陣レベリング」
どろりと重たい目付きで亀甲を見る審神者が、淀みなく説明する。目を瞬かせる亀甲に、見てればわかるよ、と小さく付け足しがあった。
見てればわかる、?
「あるじきもちわるい」
「んんんんナンデ!!???あるじナンデきもちわるい!!???」
ざっくりと切って捨てる加州の声に視線は横取られ、それ以上の言及はされなかった。けれど多分、審神者がわかっていると告げたのは、そういうことだ。
「......ッッご主人様!!!!」
ぶわあ、と大量の桜が降り頻る。こらえきれなかった。隣の五虎退はきょと、としながらも手を止めない。器用に花弁を払いながら編み棒を動かし続けている。
タブレットを弄っていた加州が審神者のヒンヒンと情けない訴えを無視しながら「亀甲もきもちわるい」と追加する。一段と声が冷たい。
「嬉しいな!ご主人様とおそろいだね!」
「天使か?」
加州は返答を無視したし、亀甲の桜はより増えて、審神者は真顔になった。
ああ、ひとたまりもない。
亀甲は身震いする。息が詰まる。苦しい。幸せであることはこんなにも胸が苦しい。ご主人様はいつだってぼくを苦しめる。手放される気配など毛の一筋分もない。意義も躰も何もかもを与えられて、思考の一つまで手綱のもとに奪い去られている。
錆びてしまいそうなほどぼくを絡め捕り、折れてしまいそうなほどぼくを愛してくれる。
ああ、なんてひどい!!
悦びで体を悶え捩らせる亀甲の頭に、しとった掌が触れる。いつだって触れてくれる掌だ。優しくて、ひどくて、気持ちのいい掌。
見上げれば、いつもと同じ濁った瞳がグツリと笑って亀甲を見ていた。
6/8ページ