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死に節覗き(再録)



俺には悪い程じゃない。他の奴らにはーーーー


泥に木漏れ日


俺がこの本丸に来た時には、もうここには多くの刀がいた。主は審神者になってもう数年経っているらしかった。俺を顕現させた時にも落ち着いて挨拶を述べ、昔馴染みの大倶利伽羅を呼んでくれて、俺と一緒に顕現させたらしい不動と、やっぱり不動の紹介に呼ばれていた他の刀にも併せて紹介してくれた。
そこまで広くない鍛刀部屋は、人いきれがするほど狭かったと覚えている。みんな嬉しそうだったし、俺だってなんの気負いもなく、ただ胸をワクワクさせていた。
本丸を案内してくれたのは初鍛刀だっていう今剣で、すごく元気で明るくて、俺達はすぐに仲良くなって、今度一緒に遊ぶ約束をした。不動も巻き込んだ。見て回る間にもいろんな奴と挨拶を交わした。どいつも穏やかで、俺たち新入りに「何かあったら声をかけてくれ」って言ってくれる。
いいところだと思った。俺はこの本丸で存分に腕を揮えるんだと、疑い無く思った。
でも大体本丸を回り切って、俺がふとみっちゃんと鶴さんの事を聞くと、審神者と先達組は動きを止めた。審神者が、「会いたい?」とこもって乾いた声で聞く。俺はのんびりしていた空気がどこか重くなったことに躊躇いながら頷いた。なんとなくだけどみっちゃんは居ておかしくないってわかっていたし、鶴さんだってもし居るなら会いたかった。
少しの沈黙があって、大倶利伽羅が連れて行ってやると言った。手を差し出されて、喜んで握り返す。頭を逆の手でくしゃりとやられて、ニッと笑って見せた。今だったら大倶利伽羅にしてはちょっと変わった行動だってわかるけど、その時の俺にそれはわからなかった。
その場に残る今剣と審神者、他の奴らに手を振って、二人で廊下を歩く。なんだ、やっぱ居るんだな!どこにいるんだ?そうだ部屋、やっぱ二人とも近いところに変えてもらえるかなあ?喋りかけるけど、大倶利伽羅は答えない。
連れて行かれたのは母屋からだいぶ離れた部屋で、ここにいるのか?と聞いた俺にやっぱり大倶利伽羅は答えないまま、でも繋いでいた手をぎゅっと握ってきた。
「みっちゃん!」
障子を片手であける。
部屋の中には押入れの前に姿勢よく正座で座布団に座って、どことなく青白い顔色で、どこを見ているのか、呼ばれたことに気づいているのかもわからない、人形みたいなみっちゃんがいた。
「...みっちゃん?」
まだお互い知ってるわけもなかったけど、でもおかしいのはわかった。みっちゃんならもっと、多分俺を見れば『貞ちゃん!』って喜んでくれて、でもきっとかっこいい挨拶をしてくれて、歓迎のお祝いをしてくれて、そういうのだと、思ってたのに。
びっくりしすぎてどうすればいいのか分からない。左手で握っていた大倶利伽羅の手を縋るように両手で握り直して、体を寄せる。部屋に入るか躊躇った。俺たちは開いた障子の前にずっと立っていて、いくらなんでも気付かないわけないのに何の反応もない。俺がうろたえていても、開かれた目は瞬きもしない、呼吸で胸や肩が揺れることもない。
ものだ、と感じた。顕現しているのに、肉を得ているのに、為ってもいない、降りてもいない、ただの無機物みたいだと。
体の芯が冷えたみたいだった。ああ、日はまだ高いのに、影になっている部屋の奥もなんだか寒そうだ。
「よおーう!貞坊じゃないか!!」
戸惑っていた俺の背後からいきなり声が降ってきて、驚いて振り返ると誰かがむぎゅうっと俺を抱きしめてきた。ねちゃっ。触れあった頬や体から気色の悪い感触が伝わり、全身の皮膚が粟立つ。血だ。一瞬で感づく。鉄のにおい。
むわりと籠った酸化しきっている赤の臭い。悲鳴も出ず息を詰めると、びしゃんという音がはじける。痛いじゃないか、そこは傷口だぞ!とぶうぶういう声がすぐ首元で聞こえた。
「離せ」
「ははははは驚いたか!?」
抱いていた俺の肩を握って身体から剥がしたそいつは鶴さんで、俺はまたびっくりして固まった。鶴さんの額から、頭のてっぺんにかけてがぱっくり裂けている。割れた肉、白い骨、ざんばらになった髪。そこから今も流れている血が、真っ赤にその体を染め上げていて、「...!!!」
思わず肩の手をはねのけて、大倶利伽羅の後ろに隠れてしまった。ほっぺたについた血が伝い落ちる感覚がする、髪の毛も張り付いてくる、衣装が濡れた感じがする、冷や汗が出る。わけがわからない。折角かっこよくしてたのに、台無しになってる気がする。見たくない。自分を見下ろしたくなくて、鶴さんを見つめる。にやにや。だらだら。なんだよ。なんだよ。
「チッ」
大倶利伽羅が俺を背中に庇い直して、後ろ手で撫でてくれた。どん、と突き飛ばす音とどたん、と尻もちをつく音。
「おいおい加羅坊ずいぶん乱暴だな、酷いじゃないか!」
「行くぞ」
ケタケタ笑う声を無視して、大倶利伽羅が俺を押して歩き出す。
がちがちになった体は思ったより簡単に動いて、俺たちはみっちゃんの部屋から離れていく。
後ろからはまだけたけたと笑う鶴さんの声が聞こえている。
「なあ...」
「後で説明してやる」
「うん...」
腰巻を引っ張ったらまた頭をなでてくれた。ちょっとだけほっとして、ほっぺたを目の前の腹にぐりぐり押しつけてみる。大倶利伽羅の服も汚れてしまった。ごめん。ああ、なんなんだよ。なんだこれ。俺が顕現したばっかりだから、わからないんだろうか。


「あいつらは審神者と折り合いが悪くておかしくなった」
風呂に入って内番着に着替えたら、大倶利伽羅の部屋に連れてこられた。一人部屋らしい室内には物が少ない。さっき見せられた空室の様子とほとんど変わらなかった。
あんまり使ってない感じのする座布団を勧められて、ちゃぶ台の前に座る。掌を出せ、といわれて素直に出したら、どさどさとどこから出したのかお菓子を盛られた。いや、せめて机の上に出せよ。
「光忠は格好に口出ししすぎて駄目だった。鶴丸は驚かせようとして怪我をさせた」
机上にこぼれていた小さいもなかをもくもく頬張りながら説明してくれる。お菓子を手に盛られたまま首をかしげれば、食え、と四角くて小さいものを改めて渡された。ちょこだ。ちょこ?菓子だ。そこは見りゃわかるよ。知らないやつだけど。
「審神者はあいつらを避けた。あいつらはしばらく踏ん張っていたが、そのうち諦めて、ゆっくりおかしくなった。
悪いのはあいつらと、お互いの相性だから誰も止めなかった。勧められても刀解も破壊も望まなかったからあのままになってる。わかったか」
わかんねーよ。
くしゃんと眉をしかめて見せるとはあ、と浅く溜息を吐かれた。そうしたいのは俺だからな。
「詳しくは俺も知らない。とにかく、あいつらは今お前の相手が出来るような状態じゃない」
まあ、そりゃそうだろうな。
手にしていたちょこの包みをほどいて口に入れる。びっくりするほど甘くて、渋いような、でもいいにおいとまったりした味が広がってゆく。知らない味だ。ちょこ。
「うまい」
「そうか」
ちょこはすぐに口の中で溶けて消えた。甘い香りと後味が残る。貞、呼ばれて俯いていたのに気付く。
なんとなく息が詰まって、顔の中が痛い。胸が苦しくて血が煮える。こんなにうまいのに毒だったんだろうかとか考えたけど、大倶利伽羅が泣くな、ともう一つちょこをくれて、俺は今泣いてるんだな、と気付いた。


顕現初日は、そのまま大倶利伽羅のところで過ごした。周りの廊下から足音や話し声は時々聞こえたけど、誰も部屋の中までは来なかったし、大倶利伽羅も何も言わなかった。俺は大倶利伽羅に渡されるままにちょこをいくつか食べて、大倶利伽羅に抱き込まれてうとうとして、大倶利伽羅が持ってきてくれた夕飯を食べて、一緒に一つの布団にもぐりこんで寝た。
次の日は大倶利伽羅に起こされて、広間に行ったらみんないて、主もいて、改めて紹介されたり、あいさつしたり。前の日の事はみんなは何も聞かなかったから、俺も話さなかったし、大倶利伽羅も黙っていたみたいだ。戦場にも出させてもらって、というか出されまくって、その日のうちに特も付いた。忙しかったし、疲れたし。頭にはまだ二人の事があったけど、どう考えればいいかわからなくて、そのままになった。
だんだん仲のいい奴もできて、練度も上がって、イベントにも連れて行ってもらって。
刀のやつらだけじゃなくって、主だって、俺には優しかったし、なんかの冗談なんじゃないかって。思ったけど。
「よーお、いいもの食べてるじゃないか?チョコレートだろ?うまいか?」
「!」
「やだー鶴丸さん、血が垂れちゃうじゃん!向こう行ってよ!」
やっぱり鶴さんはいつも怪我したままケラケラ徘徊してて、あの会いに行った日以来みっちゃんは見かけることすらない。それに俺は別の刀にも同じような奴がいるって気づいていた。
隣で一緒におやつを食べている乱ちゃんがそうだ。


俺が乱ちゃんの事に気付いたのは、ここの『短刀は最低限練度五十を超えさせる』っていう方針に従って、イベントに駆り出されている最中だった。
部隊の半分は俺を含めて練度の低い奴で、残り半分はもうすぐ上限、っていう形。その上限間近組の中に二振り目の次郎太刀がいて、彼の後ろに乱ちゃんがくっついていたのを見つけた。
乱ちゃんは内番服を着ていたから、粟田口だってすぐ分かった。でも思い返しても、一緒に遊んだ記憶がない。俺と粟田口はそれなりに仲がいいし、あいつらは身内ですごく仲がいいから、おかしいと思った。こんなかわいい子、俺が見逃すはずないのにな?と、次郎の着物をぎゅうぎゅうに握りしめて顔をしかめている乱ちゃんの顔を覗き込んでみる。そしたら彼はすごくびっくりして、次郎を盾に俺から隠れようとした。
「乱」
「次郎ちゃん、」
「みだれ?えーと、みだれ、ちゃん?粟田口だよな?だったら藤四郎?俺、太鼓鐘貞宗っていうんだ、よろしくな!」
泣きそうな声と、困りながら諌める声。挨拶してみると、ちょっとしてから少しだけ顔を見せてくれた。
「乱...藤四郎。粟田口...、乱れ刃だから、乱、だよ...」
四振目の五虎退みたいにおどおどしながら、でも自己紹介してくれた。次郎さんが上の方でほっと息をつく。俺も仲良くなれそうで嬉しい。
「そっか!粟田口の乱れ刃って珍しいな、今度見せてくれる?」
「...うん」
今度は身体を半分くらい見せて頷いてくれた。だから俺は、イベントの後からよく乱ちゃんとお茶を飲んでいる。

乱ちゃんはもうずっと戦に出ていないという。乱ちゃんは、二振り目らしい。乱ちゃんは遅くに来たらしい。
どれかならまだある話だけど、全部盛りだと聞いて少し驚いた。
本当ならこの本丸に三番目に来た一振り目の乱ちゃんは、主がどうしても一緒にいるのに耐えられなくて、謝罪の上に同意を以てその身を解かれた。今の乱ちゃんは、そのあとしばらく経ってから改めて顕現された、二振り目。
「それだけならかねさんも一緒なのに、...ボクはまた嫌われちゃった」
うなだれて呟く顔は泣きそうで、俺はぎゅっと固い彼のこぶしを上から覆い握った。ありがと、と震える声がお礼を言う。
「主さんはボクを見ると嫌そうな顔をするから...多分、本当はいない方がいいと思うんだ、ボクなんか。でも...ここには兄弟も、みんなも、いて...主さんだって、ひどいことをするわけじゃない...ボクにも、ちゃんとおやつだって、ご褒美だって、くれる、から...だから...」
それにきっと、
乱ちゃんは一段と小さく言う。
ボクが頑張らないと、きっともう乱藤四郎は喚んでもらえない。

乱ちゃんはいつも、二振り目の次郎さんと一緒にいた。乱ちゃんの少し後に降ろされた次郎さんは、理由はわからなくても一人ポツンとしていがちな乱ちゃんを放っておけなかったらしい。
「なんだか可哀そうでねえ」
こんなこと本人にはいっちゃいけないけどさ。
乱ちゃんと仲良くなってしばらくしてから、月見酒に誘われて、ぽつぽつと聞いた言葉だ。
「一振り目のアタシ曰く、主だって大層悩んで、解くのも喚ぶのも決めたらしいし?前のあの子への態度と比べたら今はだいぶ頑張ってるらしいけど。でも二振り目なアタシはそんなの知らないだろ?
アタシがわかるのは、乱が古参で主にも好かれてる他の刀、兄弟にすら混ざりきれず、でも踏ん切りがつくほど冷たくもされず、中途半端で辛そうだってことだけ。」
「だからなんとなく声をかけたんだけど、あの子口を開くなり『ごめんなさい』って言ってねえ、初めて話したっていうのに。
それ聞いて、ああ可哀そうに、って思っちゃった。酷いことだ。」
「あの子は...そこからどうも、アタシから離れなくなった。さみしかったのか、怖かったのか、詳しくは知らない。言わないし、聞かないからね、でもわかるだろ?とにかく、辛かったんだろうって。
なんでもいいけどさ。」
「アタシはあの子が望むなら側にいてやるつもりだけど、でも縁もゆかりもなかったこーんな刀だけじゃ、ねえ。
...アンタみたいな刀がいてくれてアタシも乱もうれしかったから!ま、次郎さんの秘蔵のお酒、飲んでって」
化粧も衣装も解いて、低く落ち着いた声で語る次郎の目が遠くを見ていて、俺は相槌も打てないまま耳を傾ける。
注がれた酒は確かにうまくて、なんだかひどく身にしみた。


色んな衝撃もあったし、気になる点も多いけれど、しばらく過ごしてみてもやっぱりこの本丸はそんなに悪いところじゃないと俺は思っていた。ただ、どこかちぐはぐなのも間違いじゃない。
無人の大倶利伽羅の部屋から一袋チョコを頂戴して、大広間脇の談話室へ向かう。今日は愛染やむつさんとやりかけのゲームを進める約束をしていたのだ。
ちょっと遅くなっちゃったか、と駆け足で向かうと、何やら嫌な雰囲気が談話室から漏れている。そっとふすまを開ける。何かを抱えた主と、ピリピリしているむつさん、困ったような愛染が輪を描くように立っていて、我関せずで蛍と明石がゲームをやっていた。
「あっ、貞!」
愛染が助かった!と言いたげな顔を俺に向けて、手招きをした。なかなかに躊躇ったけど、逃げられる段階じゃない。
腹をくくって部屋へ入って襖を閉める。
「どうしたんだ?」
「いや、陸奥がさあ...」
「出てけ言うとろう」
「...」
俺はびっくりしていた。むつさんのこんなにキツイ態度を初めて見たからだ。手合わせの時も、鯰尾といたずらを仕掛けた時も、事故で私物の衣装を駄目にしてしまった時も、むつさんは明るくて、こんなに冷たく怒ったりしていなかった。
「むつさん...?」
「...貞坊か」
恐る恐る袖を引っ張ると、きろりと鋭い視線が一瞬こちらを向き、ふわっと空気がほどける。胸元で組まれていた手が伸びて、わしわしと俺の頭をなでる。すまんの、と苦笑する顔は、いつものむつさんだ。
「あるじさんありがとー」
ホッと胸をなでおろしていたら、蛍が主に手を振っていた。愛染がさっきまで主が持っていた何かを机の上に並べて、明石がそれを眺めている。新しいゲームソフトか、DVDらしい。
主は蛍に小さく手を振り返して、そのまま部屋を出ようとしていた。
「あ、」
「貞」
思わず追いかけた俺をむつさんの腕が停める。
「えいき」
俺の肩を掴む力は強くて、出て行った主の方をにらむ目は冷たい。俺は何も言えないまま、持ってきたチョコを抱き直した。


「陸奥は審神者が嫌いなんだ」
歌仙さんが差し入れてくれたゼリーを頬張りながら、愛染が説明してくれた。
「理由とかは俺も知らないけど、とにかく気に食わないらしくてさ、鉢合うたびにあんな感じなんだ。知らなかったのか?」
「は、はい、ず、ずっと、あんな感じ...です」
「僕も、顕現してからずっと、あんな感じだったと思い、ます」
同意するのは三振り目と四振目の五虎退で、主にかわいがられているこの二人が言うなら、多分それは間違いないんだろうと思う。
当人むつさんはゲームの途中で安さんに呼ばれて厩に行ってしまった。主が部屋を出てからは、俺が知っているむつさんそのもの、明るくて楽しくて、優しい刀そのもので。
明石と蛍も歌仙さんと一緒に夕餉の準備へ行ってしまったけど、愛染以外の来二人は来るのが遅かったらしいから、聞いてみても同意の数が増えるだけかと考える。
「陸奥守さん、僕たちには、優しくしてくれるんですけど...」
「うん、驚いた」
本当に。
「んー、まあなー。びっくりするよな!そういや二振り目の蜻蛉切もあんな感じだぜ」
「そうなのか!?」
ぽそぽそと話しながら食べる桃のゼリーは、角切りになったコンポートと生の果肉が一緒に入っていて優しい味がした。最後の一口を頬張って、ごちそうさまをして立ち上がる。器片づけてくる、と言伝て、俺は台所の方へ向かった。途中、寄り道をしていくつもりで。


「入っていいか?」
訪ねたのは執務室、と呼ばれている図書館の一角だ。どうぞ、と気軽な返答が戻ったので、ドアを開けて滑り込む。
壁に沿って置かれた文机のところに主、部屋の真ん中のちゃぶ台にきよみっちゃんと一振り目の五虎退。
「どうしたの?」
主が立ちあがって、ちゃぶ台の脇に新しい座布団を用意してくれる。お礼を言いながら座ると、主も俺の隣に座した。
今日の主は血のにおいも薄いし、顔に包帯をしていないから調子がいいはずだと、さっきの騒ぎ中に察していた。だから談話室にも一人で来られたし、誰も呼ばずに一人で帰れたんだろうし。
調子が悪い時は図書館の書架にすら出てこない人だ、ちょうどいいから少し話してみようと思った。
「ちょっと、聞きたいことがあって」
誰の事から聞けばいいのか。


「最初はねー、キミの事も苦手だったんだよ」
主の言葉に面食らった。
「パリピというかコミュ強というかリア充というかさ。コミュ力が高くてグイグイ来て、自分のことを悪いと思ってないやつは怖いじゃん。ましてやイケメンでスパダリ名高い伊達組と来られたらマジで無理だわ」
主は笑いながら続ける。聞きなれない単語もあって、うまく頭に入ってこない。え、俺の事も苦手だったの?乱ちゃんの泣きそうな顔や、動かないみっちゃん、真っ赤な鶴さんが頭に浮かぶ。
『主、苦手な刀いる?』って聞いただけなのに、思わぬダメージを食らってしまった。
「自分が嫌なことを相手にしない、っていう有名な標語?があるけど、それの逆でさ、自分がうれしいことを全部相手が喜ぶってわけじゃないのがわからないやつが嫌いなんだよね」
たとえば、
主が続ける。
燭台切さんは、自分がかっこいいことが自慢だったんでしょ。だから俺にもカッコ良くしてほしいって、カッコ良くなれば嬉しいでしょうって思ってたんだと思う。だけど俺はそういうのを求めてなかった。好きな格好をして、好きに過ごしたかった。カッコ良くなくていいし、何がかっこいいかだって、きっとお互い違った。
何回も言ったんだよ、「自分はこのままでいい」「放っておいてくれ」って。でも彼は何度も、色んなやり方で自分を変えるように訴えた。善意で促し続けた。
重かった。自分にとってそれは否定でしかなかった。だけど燭台切さんが悪い人ではないのはわかってたから、避けることにしたんだ。
それでも。仲良くできないと自分は判断して、彼はそう思わなかった。自分が避けても彼は何度も訴えてきた。頻度を下げて、戸惑うみたいに、困ったように控えめに。
そのうち、どんどん気が狂っていって。...あっちがじゃなくて、こっちが。今日は責められないだろうか。今日は嫌がられないだろうか。燭台切さんがいるんじゃないかって部屋が出られなくなって、燭台切さんが作ったのかもと思うとご飯に手がつけられなくなった。外に出なくても、ここにいる間も「カッコ良くない人」だと思われているんじゃないかと吐き気がして、ほかのみんなもそう思ってるんじゃないかと思うと誰とも会えなくなった。
それで、見かねた加州が燭台切さんに聞いてくれた。「刀解されてくれないか」って。
その日から、燭台切さんは部屋にこもりがちになった。
一ヶ月くらいで、俺はどうにか部屋から出られるようになって、もう何週間かして、燭台切さんに会いに行った。加州へ答えてもらえなかった問いを、もう一度自分でした。
「あなたが悪い訳じゃない、あなたを否定したいわけでもない。でもお互い解り合えないことがあるのをわかってもらえないなら、どうしてもお互いに近付くことを求めるなら、自分はあなたを刀解したい」
燭台切さんはうなだれて、ごめんなさい、といったまま、刀解については答えてくれなかった。それから、どんどん今度は彼がおかしくなった。
鶴丸さんも流れはそんなに違わない。彼が来てすぐ、自分は彼が作った落とし穴に落ちた。運が悪かったのは、自分が高所恐怖症...この場合はそれだとわかりにくいか。落下恐怖症だったこと。
落ちた穴の中で、自分は動けなくなった。そのまま頭がおかしくなって、しばらく部屋から出られなくなった。鶴丸さんは知らなかったし、ただ驚かせようと思ったんだとは思う。何度も謝ろうとしてくれたし、お見舞いに来てくれた。でももう鶴丸さん自体がトラウマの一端を担ってしまっていて、自分は彼に会うと体調が悪くなった。
だから加州は聞いた。燭台切さんと同じ質問。彼はショックを受けて、でもそのときは嫌だと答えた。
そこから、自分も避けていたし、正直鶴丸さんに関してはなんでああなったのかがいまいちわからない。

「貞ちゃんが、二人と違うなと思ったのはこっちに押し付けてこなかったところ」
主がひたりと俺を見ていた。嫌いじゃないよ。どっちかっていうと好き。君はすごく相手を見て、気持ちのいい対応をしてくれるなあと思ってる。自分の信念はあるけど、人に求めはしない。ありがとうね。俺の頭をなでる手に、ちょっと安心して、ちょっと後ろめたくなる。
心当たりが良くも悪くもさっぱりなかった。俺だってかっこよくしていることや、楽しいことが大好きなのに、自分がやりたいようにしているだけだったのに、何が違うのか。
俺が二人みたいになる可能性だってあったのに。まともだったころの二人を俺は知らないから、比べることもできない。
俺ができて、二人ができなかったこと。二人がしてしまって、俺はしなかったこと。
さっきまで聞いていた話が、頭から抜けそうになる。俺自身のことで、二人の事が考えられなくなりそうで。

「乱ちゃんと、ついでに和泉守に関しては、完全に自分が悪いんだけど」
苦手で怖かったんだと主は呟いた。
女性とか、大きい声とかが駄目なんだよね。声音が苦々しくて、本気なのがわかる。
世の中では、初期刀と、こんのすけと打った、いわゆるチュートリアル刀ではない、三本目の刀を初鍛刀と呼ぶこともあるらしいけど。そんなことも知らない時期に、自分はもうその三本目だった乱ちゃんを熔かしてた。スカートとか、「女の子であること」を前面に出した明るさとか、そういうのが受け付けなくて、どうしても。
「かわいいのに?」
「かわいいからだよ」
思わず口を挟んだやり取りに、きよみっちゃんの眼だけがこちらを向いて、また手元に落ちる。赤い爪紅。かわいいを大事にしてるきよみっちゃんは、いつだって主のそばにいる。
「かわいくすることで愛されたがるのと、かわいいから愛されると疑いもしないのはちがうでしょ」
だから自信満々で、自分を疑わない和泉守も苦手だった。ついでに、その和泉守を全肯定する堀川くんも。
二人には、刀解をほぼ決定の形で伝えた。堀川君には返答次第でそうするって言った。
一振り目の乱ちゃんは、厳しい顔をして。でもわかった、と言ってくれた。
「ボクは刀解されても大丈夫。だから、乱藤四郎すべてを、否定しないで」
かっこいいなと思った。
和泉守は、納得いかなそうに、渋い顔で、堀川君を見やって。堀川君はうつむいたまま。少し二人で話したいと言われて、先に乱ちゃんを熔かして。
鍛刀部屋を出ようとしたらそこに二人がいて、「国広は残る」って言われた。
堀川君は本当に泣きたそうな顔で、でも何も言わなくて、和泉守が解かれるところまで、じっと同伴してて。
二振り目の顕現を決めたのは、本当になんとなく、というか。時間が経ってうちの本丸も安定して、他の本丸の二振りの話をいろいろ聞いて、付き合えるかもしれないと思ったから。
先に兼さん、あとから乱ちゃん。
兼さんは一振り目との個体差がすごくて、気が抜けるほど平気だったよね。和泉守は確かにうるさかったけど、精神年齢が少し高かったとしみじみ思う。昨日兼さんくんダンゴムシBB弾代わりにしようとしてたんだけどどうなってんの?むっちゃん銃貸してたけどいいのアレ?ダンゴムシ粉々なるで?ていか審神者狙うのやめろし?いいけどいやよくないけどもういいけど。
…で、正直に言って、乱ちゃんはやっぱりまだあまり得意じゃない。ただ、めっぽう嫌いってほどでもない。そもそもかかわりが殆どないから。
事情は二振りとも顕現した時に話してあるし、嫌ならその場で解くことも、あとから言ってくれてもかまわないと言ってある。
それをとがめられるなら、嫌がられるならやっぱり自分は彼を熔かすと思う。
自分の仕事はそういうものだから。喚んだ以上、望まれるなら自分が還すし、扱えないなら自分が始末をつける。
「あとむっちゃんはわからん、最初っから濃縮塩1200%だった。でも自分以外に迷惑がかかるわけじゃないし、本人が解かれたがってるわけじゃない、からいいと思ってる。
二振り目の蜻蛉さんは...これは俺が悪かったから、まあ置いといてほしい。どうにかしたいとは思ってるから」
で、こんな感じかな。
主はふう、と話し疲れた様子で息を吐いて、すっかり冷めたお茶をすすった。一気にいろいろ聞いてしまって、頭がぐるぐるしていた。甘いものが食べたい。俺はそういえば、とポケットに突っこんでいたチョコを取り出して、主に一つ差し出す。
「ありがと」
残りを机の上に置くと、きよみっちゃんが二つとって、五虎退と一つづつ口にしていた。俺も、一つ食べる。バニラ強めのホワイトチョコがかかった、クランチ入りの一口バー。砂糖に頼った甘味だけが強い大衆向けのお菓子だけど、これはこれで嫌いじゃない。
「そういえばね、うちの宗三の話聞いたことある?」
いきなり振られた話題に首を横に振る。織田のピンクの打刀、あのとがったセンスは割と嫌いじゃないけど、直接あんまり関わりはない。
「宗三は逆に、最初が燭台切さんみたいな状態だったんだよ」
え、と思わず声が漏れた。あのいつも気怠げに見えて至極闊達な宗三左文字が?小夜坊のためなら世界一周焼き討ちツアーも辞さないあの刀が?
「宗三は顕現した時からずっとお人形みたいでね。部屋に籠りきりで。でも青江や小夜が通ったり、寄り添ったりしてるうちに、急に眼が覚めたみたいに『普通』になってさ」
じっとこちらを見ながら言う主の、言いたいところは知れていた。さっきの口ぶりから、多分主みずからがみっちゃんを起こそうとすることはないだろう。でもみっちゃんが起きた時に、本人が還ることを望まないなら刀解されることだってないと思った。そして起きる可能性があること、その前例があることを教えてくれている。
「...ありがと!」
「こっちこそありがとう、このチョコおいしいけどどこの?」
「わかんない!大倶利伽羅が俺用に買っといてくれてるやつ!」
えっ、とびっくりする声が後ろで聞こえたけど、俺はもう部屋を出ようとしていた。


母屋からだいぶ離れた一室の、静かな縁側は午後の明るい日差しがよく入る。
俺は正座したまま微塵も動かないみっちゃんの膝を勝手に借りて昼寝する。小夜坊に聞いたら宗三は手を引けば立ったり歩いたりしてたらしいけど、みっちゃんは本当に微動だにしないから、今日縁側まで引っ張りだすのは鶴さんと伏さんに手伝ってもらった。
青江が言うには、宗三の状態は顕現の時に主の霊力が馴染み切らず、意識のスイッチが入らなかったようなものだったんだろうとのことで、だからうまく循環が起こるように、側にいて神気と霊力を馴染ませてみたんだそうだ。
ただ、最初はきちんと顕現していて、そこからおかしくなったみっちゃんに効くかは分からない。
ちゃんと忠告まで受け取って、それでも俺は試してみることにした。
駄目でもともと、うまくいけば儲けもの。チョコをつまみながら目をつむる。プラリネガナッシュ入りのダークチョコトリュフ。
最近は俺の練度も高くなって、出陣の機会が減っている。暇だからたまに厨係をしたりしている。あと、畑に枝豆ゾーンをもらった。さすがにカカオの木は止められた。
もし目が覚めたら、一緒に厨へ乗り込もう。ずんだもちと、チョコケーキを作ろう。乱ちゃんは甘いものが好きだから、一緒に呼んでお茶をしよう。鶴さんも呼んで、でも乱ちゃんが垂れた血に怒らないように先に手入れを受けてもらおう。
大倶利伽羅も呼ぼう。慣れ合う気はないっていうけど、俺が頼んだら来てくれる気がする。甘いもの好きだし。多分ずんだも好き。
主は呼びたいけど、多分、来てくれない。でも俺たちが厨を占領していても怒らないだろうし、もしかしたらケーキは食べてくれるかもしれない。そうだ、後で図書館にリクエストを出しに行こう。洋菓子のレシピ本がほしい。簡単な奴。
あったかい日差しが眠気を誘う。
ここの主はちょっとおかしいかもしれない。刀も何口かおかしくなっている。でもこの本丸はそこまで悪くないと思う。もっといい本丸にできると思っている。
気兼ねなく意識を手放しながら、出しっぱなしのちょこが溶けちゃうかもしれないなあ、とどうでもいいことを考えた。

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