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死に節覗き(再録)

同じ屋敷に住むものの殆どが同じように述べる。
『どうしようもない、狂っているのだ』



初めて得た身体、足元には白い玉砂利のごつごつとした感覚があり、視界には広い庭と青い空、どこかちぐはぐな印象の大きな家屋群が入り込む。耳には少しがやがやとした話し声があたり一帯から響き、いきなりの情報過多に頭が一瞬ぼんやりとする。
「いらっしゃい」
迂闊にも呆とした意識を引きつけるように、呼び声がした。それが自分の主、この場をこの場たらしめる審神者のものだと、すぐに気付く。
中背、黒髪。重たそうな身体を丸めて、暗い目がこちらを見ている。
普遍的な人間のようだった。なりの事ではない、そちらはどうもおざなりに見えた。お世辞にもきちんとした、とは形容しがたい。袖も裾も短い、薄手の綿でできた簡易な装い。髪もざんばらといった有様で、頬にかかるほど長い前髪の奥から焦点のずれた揺れる視線が届く。
纏う霊力も強いとか、清いという特色は感じない。可もなく不可もなく、量はこの身の維持を心配するほどではないがそれだけだ。
口上を述べる。
よろしく、と薄く笑まれ、笑顔を返す。
自分を迎えたその瞳は、その言葉は、その態度は、ただの人間に思えた。


最初の違和感は、案内の道中。
「ここのたてものは『図書館』です。いっかいからさんかいまであります、おくじょうはしばふになっていて、かいほうされてますから、またあとでのぼってみるといいですよ!」
初鍛刀だという短刀は、主と並んだ自分を引き連れて、何棟かある建物のうちまず一つだけ趣の違う灰色の四角い建物に向かった。
門の前から庭先に玄関と大広間をざっと見つつ、厨の手前、透明な押し戸と透明な自動扉の向こう。そこには間をとりながらも所狭しと書棚が並び、すべての棚にみっちりと多様な冊子が並べられている。
図書館、なるほど。
姿は書棚の陰になっているのか見えないが、奥の方から短刀と思われる愛らしい声で、小さな話し声が聞こえてきた。お互いにどれが面白い、これはドキドキします、などと好きな本を推薦しあっているようだ。
手前には書棚の合間に洋風な布製の腰かけと、長机が置かれていた。右手が全面透明な窓となっていて、その向こうに広がる庭が見える。位置的に裏庭になるのだろうか。奥のあたりは物干し場らしく、衣装や布がはためいている。窓の反対側、部屋の左手には木製の長広い応対所が設けられていた。
ぐるりと眺め渡していると、並んで立っていた主がほてほてと離れた。応対所の天板に置かれていた本を取り上げ、何やら裏表紙に差されていた厚紙を確認している。自分の隣では、いまだ解説が続いていた。
「あとここはあるじさまのきょじゅうくでもあります、きんじべやもありますが...まあ、とくにせつめいのひつようもないでしょう」
「じゃあ後はよろしく、本が好きならいつでも来てね」
「はい、いや、でいりはかいかんじかんをまもってくださいね」
さりげなく訂正が入れられ、苦笑しながら頷く。どうやら主はここで一度お別れらしいと理解して、また、と挨拶を述べた。案内役はつぎはじしつをえらびにいきましょう!と自分の手を取って引っ張る。男士の居住区はまた離れて設けられているようだ。
主を独占したいなどと思っているわけではないが、顕現直後だからか少し名残惜しい、もう少し話してみたかった、と足を進めながら吐露してみせると、

「あれにはあまりかかわらないほうが、たのしくせいかつできますよ」

とごく当然のように返された。


次の違和感は、生活の中。
案内や部屋決め、顔合わせ、規則の説明、必要品の買い出し。ばたばたと慌ただしく日常を日常たらしめようとしているうちに、あっという間に一週間が経っていた。
初日から真剣必殺という自分でも思いもよらない一撃をこなせるまで一人での出陣を繰り返し、それを身が覚えれば隊列の中、一人ではなくなったとはいえ矢張りひたすら特に上がるまで戦場を引きずりまわされて、精根尽き果てたのは大変堪えた。
でもこの本丸ではそれが新入りが来た際の恒例行事のようで、みんな懐かしそうに笑って見守るだけ。疲労困憊で夕飯の席にへたりこんだ時、自分が改めて何と自己紹介したのかをいまだに思い出せないが、三日もすれば気にしまいと思えた。いくらか失敗していようが問題はない。皆は優しく、ここは自分の本丸なのだから。
「ああ...どうだ、慣れたか」
ようやく暇というものを感じられるようになり、なんとなく玄関にある掲示板をのぞきに行けば、張り紙の交換をしていたらしい打刀と鉢合った。おかげさまで、と作業の邪魔にならないよう横からお知らせを眺めながら答える。
「色々引っ張り回されているだろう。ここはどいつもこいつもなかなかに身勝手だからな、まあ適当に気負わず励めばいい。何かあれば俺も力になる」
テキパキと手を動かしながら気遣ってくれる背中は、さすがここの事務処理を主だって担う刀だけはある。とはいえ辛辣な言い草をあながち否定もできず苦笑で返せば、貼り変えが終わったのか鋲の入った箱をじゃらりと鳴らして、打刀は掲示板から離れた。
「悪いが、これを捨てておいてくれ」
数枚の古い用紙を渡されたので是と返した。部屋に戻る前に給湯室にでも捨てればいい。それとも短刀へ落書き用紙に渡そうか。
まだ何か仕事が残っているのか、頼んだ本人は靴を履き替えて玄関を出ようとしている。
「...今日は、主を見かけたか?」
尋ねられて、はたと思い返す。
一昨日は手入れを受けた。昨日の昼には通りすがった図書館にいた気がする。そのあとの夕餉と今日の朝餉には来ていないようだった。先ほど図書館を訪ねた時に、応対所にいたのは短刀だった。その他で。
「そうか」
思い返す様を見て、会っていないと分かったのか相槌が返る。

「いいことだ。あれには近付き過ぎない方がいい」

さらりと言い置いて、真っ直ぐに伸びた背中は去って行った。


さらなる違和感は、責務のなさ。
刀の身分で血肉を得て数か月が経ったが、初めの強行軍以降出陣を求められたことが幾度あっただろうか。
期間限定の合戦場をいくつか回った程度、『遠征』と呼ばれる執務に関してはまだ一度も命じられていない。時に血が逸ればみな快く手合わせにつきあってくれるが、彼らから現状に関して文句を言う訳ではない。
剣戟を交わすことのみが戦いではないとわかってはいるが、それでもこの頻度はおかしいのではないか。以前見せてもらった任務表には、日課として出陣も連ねられていたはずだ。
一度主に尋ねてみようと探していると、湯浴み帰りらしい打刀とすれちがう。
「何を探しているんだい?」
呼び止められて立ち止まった。いつでも雅やかな雰囲気だが、全体的にしっとりとした今は余計にそう感じる。
主を、と告げると、その朗らかだった表情が苦々しく変わった。なぜ?
「あれを探しているのか」
あれ。
そうだ。案内をしてくれた短刀も、忙しくしていた打刀も。
主を『あれ』と呼んでいた。
「...何か聞きたいことがあるなら僕が答えよう、どうしたんだい」
有無を言わさないような。
ーーーー出陣頻度のことで、と端的に述べると、ああ、と一つ頷きが返る。
「もっと出たい、ということかい。それならもうすぐまた新しい『いべんと』があるそうだよ。君はまだ練度も伸びる、第一部隊に入れてもらうよう言っておこう。勤勉で何よりだ」
それだけではない、日課の点で、
「日課?...ああ、よく覚えていたねえ。そう何度も見るようなものでもないだろう?あれは絶対といったものではないからね、ただの目安さ。
ここはどこの戦場も一度ならず踏破しているし、刀も資材も足りている。闇雲に出陣する必要がない。
逆に『いべんと』の間は休みなしで駆け擦り回っているんだ、休めるのは今のうちだよ。もし時間をもてあますなら何か趣味を作るといい。
この時間なら、ああ、まだみな談話室で溜まっているんじゃあないかな。聞いてみたまえ、それぞれどうにも多才だから」
だが、自分たちの使命は、
「...いいかい」

「あれにまともさを求めるな」

痛いほどにこちらの手首を握りしめて訓戒し、湯冷めた身は遠ざかった。


ーーーー三日ぶりに見た主に、思わず手にしていた朝餉の盆を放って近寄る。
「...何?」
楽しげにその人と話していた打刀が、表情を削いでこちらを向いた。主に話があると告げてより近づこうとするが、軽く胸を押されて阻まれる。
「俺が話してるんだけど」
ぴり、と殺気立つ気配。先ほどまで談笑していた和やかさはない。彼と反対側に立っていた短刀が手を繋いでいた主の腕に縋り付く。そういえば、いつもこの二振りは主と一緒にいる。普段見ないことが多い主のそばに。いつも。ずっと。
「...何」
低く問い詰める声。何?何だった?ああ、ここは、ここが何かおかしいと、おかしいだろうと、どうしてかと、なぜなのかと、どうなっているのかと、
「退け」
聞こうと、思って。





「全く...」
「ばかですねえ、あれにかかわるなといったでしょう」
「俺達に尋ねればよかったものを、どうして貴様はあれに直接突っ込んだんだ」
「まあこちらももう少し説明すればよかったか、悪かったね。いいかい新入り、『あれ』はね、少し気が触れているんだ。いや、まともではないが、悪い人間でもない。それなりに仕事もしているし、こちらに不都合なことを強いるわけでもない。
こちらも好きにやらせてもらっているし、基本的にはおとなしく引きこもっているだけだから、放っておいてやってくれ」
「そうそう。あ、しゅつじんについてはぼくからきをみてつたえましょう!あれのちょうしがよければきいてくれますよ。きちがいでもきにいってるかたなには、けっこうあまいですからね」
「どうしても耐えられんようなら二振り目があれば、まあ溶かすなり折るなりしてもらえるだろう。俺としてはまともな刀が減るのは惜しいが...」
「...そうだな、男士の方でも少々問題のあるものがいるが、まあそちらもあの初期刀殿よりは危なくない。どいつかわかるかい?君を切り捨てた彼さ。あれも主と頭が揃いだからねえ」
「そうだな。ああ、短刀の方は大丈夫だ。ただ中継ぎの期待はしない方がいい。四振ともだ」
「なにかあったらこえをかけるのはぼくらにしてくださいね、ひとりでへたをうって、あのふたたちのようにまたくるわれてはこまります」
「さて、改めてにはなるが」
ようこそ、我等が楽しい本丸へ。
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