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秋田が折れた。
夜戦行軍中の、慢心と運で起こった事故だった。
破片を拾って帰ってきた同部隊の兄弟たちはゲートをくぐるなり声を上げて泣きわめき、迎えに立ち会ったものも悲痛な顔を隠さなかった。
ふだん大抵の物事には動じぬ主でさえ、すがりついて謝る短刀を宥める手を震えさせ、誰もが秋田の破壊を悲しんだ。

1ヶ月も経たない内に、二振り目の秋田が顕現された。それは彼の兄弟たちの希望でもあり、また主や初期刀などが話し合った結果でもあった。
二振り目は、秋田よりも少々おとなしいように見えた。
声をかけられればパッと笑顔を咲かせるが、あの誰彼構わず胸元に飛び込んでいくような活発さはなく、気がつけば庭をひとり散策しているようなことも多い。
顕現時に二振り目である理由を聞かされているためか、ただまだ馴染めていないだけか。飛び抜けて低い、という訳でもないが、周りの短刀たちとは練度の部分で差があり部隊が違うのも一因だろうか。
とはいえ、食事や入浴はみなと行っているようであったし、今はまだ慣らし途中で、本格的な育成は大阪城地下探索でと、不定期に開かれているそれを身内共々待ちわびているらしいことも聞いた。
別に問題になるほどでもない。余暇の過ごし方は自由なのだし。彼がそうしたいのならば。無闇に口を出すのも憚られた。

二振り目の彼が、よく南海太郎朝尊と行動をするようになったのは、彼が顕現されて2ヶ月ほど過ぎた頃だった。
一振り目のお下がりか、見覚えのある肩掛け鞄をぱんぱんにして、ひょろりと高い暗色のシルエットの隣、並んで何事か話しながら庭をじっくり練り歩く。
下草しかないようなところに座り込んでみたり。ただの葉っぱを虫眼鏡で覗き込んでみたり。池の縁から水面を眺めてみたり、風に流れる空模様を眺めてみたり。
時には、手を引きつ引かれつしながら、どこかへ小走りに駆けていくこともあった。


その日主が朝尊を執務室に呼び出したのは、何回目かのお説教のためだった。
今回の「やらかし」は大した事態にはならなかったものの、本丸に来てからというもの、ちょくちょくこうして呼び出しをされてしまう探求心旺盛な性質には頭が痛い。
毎度同じことはもうしないと約束はさせるし、確かに同じやらかしはしないのだが……新しい騒動が起きなくなるのが何時のことなのかは、皆目見当がつかなかった。
「……もうしないように」
「分かったとも」
返事は例によって明瞭だ。はあ、と息を吐きこめかみを揉む主の苦労は計り知れない。今回も響いたのかわからない説教だが、またぞろ仕舞いだろう、慰みにお茶と甘味でも取ってこようかと思っていれば、ふと主が言葉を零した。
「秋田藤四郎と、仲がいいようだね」
思わず主を凝視してしまったのは動揺があからさま過ぎただろうか。時すでに遅しと覚りつつ平静を装って視線を外す。入室前から変わらないけろりとした顔のまま、朝尊は「そう見えたかね」と訊ね返した。
表情が歪まないよう気を引き締める必要があった。主は……主も、気まずげな雰囲気を漂わせていて、そんなことを訊ねる気はなかったのだと知れた。「そうだな」と短く濁された答えに、おせっかいかと思いつつも、最近よく一緒に庭にいるだろうと言葉を継ぐ。
「ふむ?そういえばそうかもしれないね」
小首を傾げる姿を見れば、気を使ってそうしている訳ではないのだとわかる。いや、そもそもそんな気回しをする刀だとも思ってはいなかったが。
「うん。旧個体の秋田藤四郎よりは、現行の彼の方が気が合うとは思うよ」
続いた言い草には、なぜか理解が遅れた。
旧個体。もう、旧いもの。
こんどこそ寄せる視線を隠すことが出来なかった。事も無げな朝尊の顔をまじまじと見つめる。不遇に散った秋田の、かつてこの身に向けてくれた笑い顔が頭をよぎる。無機質な物言いだと、胸元につかえた言葉を切り刻んでやりたいような気分がする。落ち着けと思う。しかしやはり飲み下せない語句の響きに、したくもない反芻がなされる。
秋田藤四郎。どちらもそうだ。間違っているわけではないだろう。この身は数多に分かたれたもののひとつ。同位体は、身体・能力・その他の殆どを互換できる。だがあの悲劇、負うた痛みは、もうそんなに、過去へ押しやられてしまっていいようなものごとか。彼は、秋田は、その程度の存在か。
確かに、彼にとってはそれが事実かもしれないが。我等とは違い、親しくもなく、思い入れもないならば仕方ないのかもしれないが。そんなまるで、二振り目がいれば、あの秋田は全くお払い箱のような、言い方をしなくても、
「新しい秋田藤四郎は、前の秋田藤四郎とは違って好奇心だけではなく、研究心も持ち合わせているようでね。僕に解説を求めるにとどまらず、新しい疑問や仮説を次々述べてくれるので実に興味深い」
に、と目を細めて朝尊は笑った。
「個の性格についてまで、あまり思索の手を広げる気はなかったのだが」
胸元から帳面を引きずり出し、これは彼が考えたものなのだけれどね、と何かしらの書き付けを見せようと頁をめくる姿に、主が「その、」と声をかける。
「秋田とも、仲が良かったのか?」
「その秋田とは、折れた秋田藤四郎のことかね?」
「え」
「おや、違ったかい。先ほど今いる秋田藤四郎との仲は答えたので、折れた方のことかと思ったが」
息が詰まる。
「ああ、そう……」
声が震える。
「そう、前の……秋田だ」
涙が。
「もういない、……折れた、あきた、」
ぼろりと、主の眼から涙が落ちた。
きょとりとした朝尊は、開いていた帳面を広げたまま裏返して伏せ、パタパタと懐や袂を確認してからふむ。と膝に手を揃えた。それから、こちらを向き、すまない、懐紙の持ち合わせがないのだが、君はどうだね。と確かめてくる。
どこか呆けていた気分をはっと振り払って手巾を取り出し、顔を伏せる主へ渡すため膝をにじり寄せると、あきた、と小さく呟く声が聞こえた。つられて引き攣れようとする己の喉を、空気を飲み込み抑えつけた。
「折れた彼とは、そこまで親しいとは言い難かったかもしれない」
空気を読まない声がしている。
「彼ともたまに庭で鉢合わせていたが、興味の対象が多すぎるようでね。挨拶やら唐突な一問一答が精々で、あまり長く話したことはなかったかと思うよ。質問に応じれば、元気に礼はくれていたが」
目に浮かぶ、くるくると忙しく本丸中を駆けていた小さな背。分け隔てなく明るく、親しみを込め、何事にも気持ちを惜しまない刀だった。
本丸で一番誰とでも交流していただろう、誰からも愛され、そして惜しまれたに違いない、誰よりも早く本霊へと還ってしまった秋田。
果敢に戦って、戦で折れたのだ。嘆くばかりなどお門違いとは分かっていても、悲しみは深く大きい。いい子だった。いい刀だった。どうして忘れられようか。主が心を痛めるのは当然のことだ。そのつらさ。苦しさ。我がことのように理解できた。
ああ、可哀想なことだ。はらはらと泣き濡れる主の背を思わず抱き寄せる。可哀想に。主も秋田も、皆も可哀想に。
胸にすがり泣く主を撫でて慰めていると、そういえば、と朝尊は先ほどとは別の帳面を懐から取り出した。
「これは僕が最近立て替えたものの一覧なのだが些か数が多くて、そろそろ実験費用を圧迫してきていてね」
「本来は新規顕現個体への支給物品項目に該当しているかと思うのだけど、僕はそのあたりに関わらせては貰えないから正確にはわからなかった」
「ともあれ、記録には残してあるから確認して経費に計上してくれるかね。あとはそうだね、励起済み刀剣男士の同位体を新規顕現する場合の手引きは作っておくべきだと、もし既にあるなら改めて手違いや漏れがないか見直しの必要性があると進言するよ」
彼はつらつらと述べつつ何枚か頁を繰ると何らかの一覧を開いて差し出してくる。
一番上には、秋田藤四郎/歯ブラシと書いてあった。

write2021/10/28
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