このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

羽登本丸

非番の日は一日鍛錬場に籠もることにしている。
朝、日が昇り始めた頃にとりあえずの走り込みを終え、ほぐしついでに柔軟でもするかと顔を洗っていたら、桶と手提げ籠を手にした加州と行き合った。
「あれおはよ。早いね?」
「俺はいつでもこのくらいだ」
「そうだっけ」
「お前こそどうした、いつもならまだ寝てんだろ」
「んー……ん。一文の得?」
「はァ?」
それを言うなら三文じゃねえのかよ、と言う前に、奴はパタパタと慌ただしく駆け去っていた。

腹筋、背筋、腕立て、素振り、型くらいまでざっとやったら集まってきている同類の暇人どもと手合わせをする。
敷地内に鍛錬場はいくつかあるが、ここは大抵が非番のやつらがたむろするのに使われている。いつだかそう使い始めたのはお前が最初だろと突っ込まれたことがあるが、そうしてんのが俺だけじゃねえからそうなったんだろう、俺の責任じゃないはずだ。
気ままにそうして遊んでいれば、途中でちらっと覗いていったこまいのが、いつの間にやら大皿に山盛りの握り飯を置いていってくれるので、交代の合間に各々あさめしとする。
本格的に食いたい奴は勝手に食堂に行けばいい。料理自慢の道楽者どもや、厨用の妖精なんかがなんかしら拵えてくれるだろう。

日が木立の頭を超えたあたりで、俺は一旦汗むさい空間から出てストレッチをすることにした。
ちっとおかしいが誠実な主のおかげか、ここの本丸空間は常に快適だ。季節の移り変わりは穏やかで、天候も安定しておおよそ晴れ、肉の身に支障が出ない程度の心地好い温度と湿度が保たれ、爽やかな風がそよぐ。
『俺に合わせて管理できるのにそうしないなんて、意味が分からないだろ?』とか言っていたか。すぐに一部から自然とは雅とはとか詰め寄られていたから、そっと退避してのち詳しくは聞いちゃいねえ。
ぐいと腕を上げて体を横に倒し、脇腹を伸ばしていたら渡り廊下を敷布を抱え早足に行く加州が目に入った。
「あれ、今から洗濯かあ?もう今日の分は干しちまったぞ」
やっと手が空いたと物干し場の方からのたのたやってきた今日の洗濯係は、俺と同じ方向を眺めてのんびりぼやく。追加で手をかけてやる気はないらしい。
「アイツなら自分で洗うだろ、テメェと違って綺麗好きだしな」
「うええ、俺もちゃんと敷布換えてるぞ?」
「脇差に言われる前にやれ」
万年床なのはお互い様だが、俺と違って遊びに潜り込んでくる奴らに臭いを突っ込まれて泣くのはこいつだけだ。共用のリネン類は籠に入れときゃ洗ってもらえるんだから、毎日の風呂の時にでも出しゃあいいだろと指摘するのも、片手の数を超えた頃に止めた。

昼もいつの間にか置いてあった握り飯とつまめる惣菜で済ませ、手合わせを続ける。ときおり顔ぶれは入れ替わるが、やることは同じだ。その明快さがいい。
ただ、物足りなさは当然あった。俺は日が傾き始めた頃に一度執務室へ顔を出すことにした。
「おう、今いいか?」
「うん、どうぞー」
「うわ汗臭」
「今日も鍛錬かね、精が出るね」
何やら話し込んでいたようだが、障子は開けっ放しだったので気にせず割り込んだ。気安い主と朝尊に反して、加州は俺が連れてきた臭いにくしゃりと顔を歪める。
「なあ主、今日の資源はどうだ」
「ん?ああ今日は正国非番なんだっけ」
おう、と頷くとわかった、どれどれと端末を確認し始めるから話が早くていい。俺は加州に部屋の隅から取ってきた霧吹きで消臭されながら返答を待つ。朝尊が少し触れてもいいかねと訊くので、左腕だけ貸してやった。
「ああうん、余裕あるから、使ってもいいよ真剣」
「そうか!」
「うん、程よく張っているが凝っても固まってもいないし熱も籠もっていない、いい具合だね」
朝尊の触り方は少しねちっこいが、目利きではある。コンディションも悪くないとお墨付きを貰ったのは有難い。主の許可も出たし、まだ余力は十分だ。今からやれば晩飯を食堂で食うにのもいいだろう。
「明日は出陣だからほどほどにね」
「手入れ札も融通してくれたらな」
「手加減する気ゼロじゃん、ねえ主」
揉まれていた左腕を取り返し、呆れた表情の加州を無視して主があははわかったいいよと安請け合いするのを確かめて部屋を出る。何を話していたのか知らねえが、あの面子に肥前がいない時は流れへの抵抗は控え目に、とっとと退散するに限った。

握るならやっぱり真剣だな、と手入れを受けて鍛錬場の血も掃除し、食堂で飯を頬張りながら考える。竹刀や木刀じゃどこか身が締まらねえし、殺気に欠ける。非番だとして、一度も本身を握らず仕舞いでは一日が終わった気がしねえ。
「ここいい?」
「んあ」
応える前に椅子に掛けたのは加州だった。なんだか今日はよく見ることだ。
皿の上には俺と同じ定食が乗っていた。揚げ物だ。プリンと濃厚なカキフライに、甘じょっぱいしゃびしゃびのソースと玉子で黄色くもったり重いタルタルソース。
立派な粒へがぶりと大口を開けて食らいつく顔は、小さい造りに対して男らしい。
じゃくじゃくと衣を噛み砕き、喉をごくりと上下させ飲み下して、ぺろ、と口の端についた黄身のかけらを舐めながら、加州はねーたぬき、と飯を掻き込む俺に話しかけてくる。
「則さんになんかした?」
きろんと紅い目に戦場の血飛沫を見る。
味噌汁を抱えた俺に、そういう剣呑な目を向けるんじゃねえ。今日の具は玉ねぎとなめこだ。異なる食感が歯と舌で混じり合い、赤味噌のしょっぱさが染みた。
「いいや。手入れ部屋で入れ違いになっただけだ。こっちは重傷だったしろくに目も合っちゃいねえよ」
「ふうん、そっか」
じゃあなんだろ、恥ずかしかっただけかな。呟く合間に、じゃくじゃくと二つ目のカキフライが加州の口に消えていく。俺と違って茶碗に盛られているのはカラフルな飯だ。わざわざ粟や稗を食いたがる気持ちは理解出来ねえ。白い飯をたらふく食えるなら、俺はそっちを優先する。
ゼリー部分がたっぷりとした瑞々しいトマトを食らって、数枚のキュウリをかじり、最後に敷物のキャベツを片付けていると皿にポイッと茶色い楕円が放り込まれた。
「あげる。もっとゆっくり食べなよ」
「いいのか?お前こそコレ食っといた方が、精がつくんじゃねえの」
「俺はたぬきと違ってたっぷり休んでたからいーの」
「ふうん、じゃあ貰っとくけどよ」
「それに、早く戻んないと部屋で則さん待ってるだろうしね」
にんまり笑って席から離れていく加州に、俺はあてられた気分で醤油を手に取った。白菜の漬け物に垂らし、ついでに擂り胡麻もたっぷり足して飯に載せる。貰い物へ手を付ける前に、わざわざ押し付けられたうざったい惚気をサッパリさせたかった。ああ、米が足りねえ。
「海のミルクより刀のミルクですか」
「おいそこの狐」
食堂は下ネタでどっと湧いた。
カキフライは美味いが、運動後のすっきり感はなんだか急激に損なわれた。今日はもう止めだと思っていたが、後で一戦、俺も爺をシメてやりたい気分だ。


write2021/6/23
3/4ページ