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御花本丸

主の隣にはいつも陸奥守がいて、反対隣には愛染を筆頭に、短刀たちが集っていた。
俺が鍛刀されたのは主の最初の仕込みだったけど、顕現されたのは七番目。挨拶の時に主にまとわりついた短刀達の、沢山の下から突き刺さる視線に少し動揺したのは、今まで誰にも秘密にしてきた。
契約を交わして、ふんわりと握られた手の温かさ。それがずっと、大切で、忘れられずにいた。

「ちょっとー!?誰、朝餉の器そのままにしてんの!」
賑やかになったこの本丸で、朝から声を荒げずに済む日はない。洗面所が水浸しだとか、トイレが詰まっただとか、そういう報告は大概俺に上がってくるからだ。
「すまん、わしじゃ!ちいと主に呼ばれちゅう!」
肩を竦めながら、片手を立てて顔の前に掲げる陸奥に仕方ないと溜め息を吐く。きっとまた、昨日の書類に不備でもあったんだろう。
仕方ないなあもーいいよと、どこか抜けたところの治らない初期刀様を追い立てて、俺が代理で片付ける。
「んあー……もう朝餉、残ってねえ?」
食器洗い当番を手伝っていれば、今日一番の寝坊助がのそのそ厨に現れて、俺の背中にのしかかってきた。
「ちょっと重い。止めろよ」
「なあ加州~、腹減った……」
「自業自得。白飯なら残ってるから好きに食えば?」
「ええ~……だって夕べはアンタが無茶させたんだろぉ……」
なあなあ、と背後に侍ってこちらのつむじへグリグリ顔を押し付けてくる馬鹿に、食器洗い当番たちがクスクス笑っている。その上、どういう気を使われたのかこちらは大丈夫ですから、と告げてくる。
「はあ……目玉焼きと漬け物、あと冷や奴くらいしか出せないけど!?」
「お、やったー!いいいい、全然いい!ありがとなあ!」
仕方なく、冷蔵庫の中身を思い出しつつメニューを組んだ。漸く男は俺から剥がれる。現金な笑顔が眩くて、憎みきれないのが悔しい。それでも甘やかすのは良くないと、腰元を叩いてやって釘を差す。
「一緒に『遊んだ』俺は起きてんだから、ちゃんと起きれなかったのを人のせいにすんな。いい?」
こっくり頷かれたので、卵を二個、冷蔵庫から持ってくるよう言いつけた。


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本丸で、主に一番頼られるのは陸奥。
陸奥が一番気兼ねせずに付き合えるのは愛染。
一人と二振りが気を揉まないでいいように、うまく皆を取り回しておくのが俺。
打刀が俺と陸奥だけ、あとは全振短刀だった初期に何となくそうなって、それからずっと、俺は皆に囲まれて忙しい日々を過ごしている。
朝は布団と身の回りの始末をしたら、低血圧な主と、そこだけ主に似て顕現した陸奥をどうにか揺さぶり起こして、似たもの主従の目が開ききるまでの間に、当番表へ張り出されていた奴らも寝坊していないか部屋を回って確認する。
在籍が六十振を超えたこの本丸だと、明け六つを過ぎればもうかなりの騒がしさが満ちている。
この時間帯で一番大事なのは朝餉の準備だ。
材料の用意、竈の火付け、献立と器も確認する。集まってくる食事当番は持ち回り、自由参加の手伝いを含めてもたまに放っておけない組み合わせな事があるから、顔ぶれの確認が欠かせない。
米が炊ける頃に空気は一気に慌ただしさを増し、四半刻もしないうちに朝餉、主はここに参加しないので、緊急の内示があれば陸奥が伝える。食事が終わると各々、出陣、遠征、内番だ。
このあたりでもし何かしら役目交代の申し出がある時は、その調整も俺の仕事。陸奥が、こんのすけとの朝食会議を終えた主に会いに行っているからだ。
内密な話もあるからと頼まれている以上、しばらくは、執務室に誰かを近付ける訳にはいかない。

雑事を済ませればすぐ朝四つになる。そろそろ昼餉の準備が必要だ。総員の半分程が出払っているため、昼は基本的に各自自由に摂ることとしているが、料理が不得手なものもいる。なので米と漬物は用意する決まりになっていた。
さすがにこの準備を失敗する奴は少ない(いなかった、とは言わないが)ので、厨には顔出しついでに、当番たちへ本丸に残っている人数と、上げ時な漬物の伝達だけして任せておく。
この頃には、執務室にも立ち入れるようになる。俺は毎日、休憩用のお茶を用意して朝の報告に向かう。
進軍指示を出しながら書類を捌く主と、その補佐をする陸奥は常に忙しい。飛び交う略語は俺の理解が及ばないもので、それを遮って一休みしたら、と声をかける。
そうすれば、うちの似た者主従は真面目な顔をパッと緩めて歓迎してくれるのだ。つくづく、人がいいなと思う。
長くても10分ほど、俺はそこに割り込ませてもらう。あまり長居しても仕事の邪魔だ。軽い申し送りをして二人の湯飲みに二杯目を足したらお暇する。
早いときはこの頃から遠征組や内番組が屋敷に戻ってくる。出迎えと首尾の聴取、午後に向けて軽く指示を出して、ものによっては湯浴みや手入れ部屋へ追い立てる。
俺は昼餉を食べない派。代わりに主と陸奥と、あとは運良く作り始めに声をかけてこれたやつの分だけ、簡単に飯のおかずを拵える。ま、汁物と焼物くらいだけど。

昼九つ。膳に用意したそれを昼餉に寄ってきた短刀の誰かに託して、午後の準備。午前の成果で編成が予定と変わることが多いから、ここからが雑務役の腕の見せ所だ。
部隊員の調整、内番の進捗確認、手が足りなそうなところへ俺の名前を紛れ込ませつつ、仮予定を書き出しておく。膳を下げるついでに主と陸奥に確認をとり、午前と同じようにまた皆を見送ったり俺も精を出したりしながら、あとは暮六つまで仕事をこなす。
そうそう、忘れずに執務室の午後休憩も差配する。この時は、30分ほどゆっくりできるようにお菓子を添えて、余り主と話せていなかったり何か伝えることがある奴にお運び役を頼むのだ。
主と少人数で話せる時間は意外と少ない。少しは工夫してやらないと、この大所帯ではままならないことが多いから。

陽が落ち始める頃、風呂の準備と夕餉の準備が始まる。夕餉には主も顔を出すから、この時ばかりは持ち回りの当番と別枠で、何人か料理上手が常駐を任命されている。だから俺が手出しする必要はない。風呂掃除を優先する。
夕方までは適宜戦埃を落とすのに使われるから、この時間の洗い場は砂と泥がそこかしこに残っている。それを綺麗に落として、湯船に湯を張る。脱衣所も整理整頓、そのまま当番達と贅沢なことに一番風呂を頂いて、出た頃には良い頃合い。優雅に夕餉へ向かう。
俺の席は主の隣、の陸奥の隣。話題はもっぱら午後の申し送りと明日の相談。たまにその日の部隊長や当番頭も乱入して、報告書についても話し合う。翌日の当番表もこの時に固めて、主から下知してもらう。
食事の後から、皆は自由時間となる。飲み会に突入するもの、風呂に向かうもの、小規模に集まって映像鑑賞や読書をする会もあるらしい。
俺は皿洗いが終わったら、夕餉の時に決めた翌日の当番を書き出して持ち、一度執務室に赴くことにしている。

夜の執務室にも、大抵主と陸奥がいる。
主がその日の仕事に追い込みをかける横で、俺は陸奥と書類の片付けに明日の割り当ての確認、その日の帳簿などを間違いなく記録につけておく。先を見据えた計算で陸奥の横に出るものなどはいないが、細々したところを実際に見ているのはおおよそ俺だ。
夜戦がある日なら、この時間帯が更に忙しい。夕餉の前に見送りが入り、戻りが今時分。一部隊分だけだから、身繕いや食事の世話は俺が一人ですることにしている。
〆の仕事からは外れるが、本当はもとより俺がいなくても構わない部分だから、問題ない。
夜四つ、大抵の日は、このくらいで陸奥も俺も部屋に下がる。短刀脇差で組まれたその日の夜警番がやってきて、主と挨拶をする。
陸奥の部屋は執務室、控えの間を挟んで、主の部屋の三つ隣。俺は何かと出入りが多いから、動線が便利なよう、広間の先で皆が居室としている辺りの角に、他より少し広めの部屋を貰っている。

夜の廊下は暗くて冷たい。ぽつんぽつんと常夜灯が点ってはいるけれど、交わす言葉もなければ肌に触れる熱もない。日中聞こえるさざめきはどこも閉め切られた扉の奥へ遮られ、励む物事も尽きている。
息をつきつき、部屋にかえる。仕事は仕舞い、もうあとは休むだけ。誰から声が掛かることもない。
これは気遣いだ。皆忙しい俺を知っている。気にかけてくれる。いつの間にか布団を干してくれていたり、机に差し入れの菓子がそっと置かれていることもある。誰かはわからない。俺に気を遣わせたくないのだろう。
だから誰も。
俺は薄ぼやけたどこかのざわめきを聞きながらひたひたと廊下を歩く。明日やるべきこと。今日やりのこしたこと。ひとつひとつを浚いながら、部屋にかえる。

部屋の戸を開けると、がらんとした空間が目の前に迫る。今日は安定も来てくれていない。たまに遊びにくるあいつがいる日なら、先に寝ていても行灯の明かりを残しておいてくれてあるのに。
暗い部屋はさむい。
新しく火を入れる気にもならず、小間物箪笥からめぼしい用具だけ取り上げて部屋を出る。
さっき、もどるとちゅうにおもいだしたのだ。今日耳に挟んだ、ある太刀の小さなぼやき。最近何やら疲れがとれないと。確かに最近来たばかりの彼には、少し、練度を上げるために予定を詰めさせていたから。無理をさせるつもりはなかったが、結果そうなっているのなら、よくないことだ。
だから、ちょっと話を聴きに。
日付が変わろうとする時分だが、部屋の明かりはまだ点いていた。声をかければすぐに返事が返る。開いた戸の向こうで、小さく驚いた顔。
「ごめんね遅くに。ちょっと入っていい?」
快い返事があったのでお邪魔する。雑談から徐々に話を寄せていく。疲れがとれないってどのくらい。どのあたり。触れた体は温かい。詳しく聴かせてもらうため、泊まっていくことにする。それに直接さわれば、もっと、すぐに。

朝は暁七つには目を覚ます。借りた布団と汚れたままな俺と誰かの身の回りを整え、生じた芥の始末をしたら、簡単に湯を浴びる。ついでに前の晩の湯船の水を落とし、脱衣所の整理。部屋にそっと遊び道具を戻したら、着替えを済ませにおい消しを振る。
朝一番、主の部屋へ向かう。起こすためだ。主と二人きりになれるのはまずこの時間だけ。まいにち、低血圧な主の寝顔をしばし眺められるのが、俺の特権。揺さぶる為とはいえ、その肌に触れられるのもすこし嬉しい。
上半身を無理やり起こすところまで付き合い、次はそこだけ主に似て顕現した陸奥をどうにか揺さぶり起こして、似た者主従の目が開ききるまでの間に当番表に張り出されていた奴らも寝坊していないか確認する。
朝の本丸は静かだが、光が入って暗くはない。安らかな寝息と、ささやかな今日の務めに入るための言葉だけが交わされる。
飛んでくる挨拶に返事をし、今日の予定を問う声に答える。時には相談事に対応し、その合間にも日程が狂わないよう時間にあわせて仕事をこなす。
本丸で、主に一番頼られるのは陸奥。
陸奥が一番気兼ねせずに付き合えるのは愛染。
一人と二振りが気を揉まないでいいように、うまく皆を取り回しておくのが俺。俺の仕事。


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「お前さん、もう起きるのか」
こっそりと褥を出ようとしたら、腕を引かれた。起こしてしまって悪かったが、まだ寝ていても大丈夫だと告げて布団をかけ直してやる。
「いや……僕も起きる。風呂はもう使えるか?湯だけでも欲しいなあ」
握られた手を離さないまま身を起こして、こちらの頭をぽんぽん撫でるじじいに、遊んだ残骸を片付け始めたのを止める声が遅れた。
夕べ散々鳴かせた筈だが、ケロッとしている。『遊び』の翌朝、後朝じみて甘えてくる刀や夕べの痴態を恥ずかしがる刀はいたが、こんな反応は初めてだ。肌に散った跡さえなければ、あんなに乱れ交えた翌日だとは思えない。
「あ~あ、こりゃあ……新しい敷布がいるな」
じじいがさくさくとごみを纏めて雑に身を拭い、目をやったのは見るも哀れな汚れを呈した敷き布団だ。ああ、そうだ。敷布の予備ならいつでも押し入れに置いてあることを教え、とりあえず今の布は丸めて持つ。
寝間着を引っかけ直し、湯船には浸かれないが湯はあると伝えれば、坊主も行くか?と訪ねてくる。うん、と幼げな返事になってしまったのは何故だろう。
「そうかそうか、なら一緒にゆこう!」
お前さんはもう荷が持てんなと、俺が持ち込んだ道具を勝手に持ち上げたじじいが、俺の空いていた方の手を握る。持てないわけがなかった。だって今握られた手が、それこそ空いていたじゃないか。
俺を捕まえた熱い手はことのほか大きく、剥がすのには苦労しそうだった。一度引っ張ってみても、きゅうと力が強くなるだけで離してくれない。
「清光?」
「……なんでもない」
顔を覗き込まれて決まりが悪くなる。世話役は俺の方な筈なのに。やっぱり隠居なんて嘘だろうと呆れた気持ちすら湧いてくる。
『遊び』の痕跡を酷く残して、二人で本丸の中をゆく。夜はもう明けたのに、昨日がまだ続いている。引っ張られるまま風呂に向かって歩く廊下は、やけに静かで俺達の雑談が耳についた。
そういえば、さっきこいつ、俺を銘で呼んでたな。
どうでもいい事になんとなく気がついた。
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