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私がこの本丸で目覚めたのは、まだ主様と初期刀様と、他にどなたかがいらっしゃるかいらっしゃらないかの時でしたでしょうか。不思議なものでこの身体は、目覚めた時には既に様々な事を成せるように形作られておりまして、頂いた役割につきましてもはっきりと理解しておりました。
この本丸の審神者様はまだ年若く、初期刀様と同じ年ごろに見えました。二人並んで迎えていただいたことに恐縮する私に、暖かくご挨拶下さったことは今でも忘れられません。
伸ばされたふたつの手をこわごわ握ったのも懐かしい、いい思い出です。
それからのしばらくは、そうですね、おそらく他の本丸とさほど違ったものでもないかと思います。なにしろ私も他の本丸をよく知るわけではございませんので、耳に挟んだ話からの推測ではありますが、おおむねよい日々だったと思います。
主様はとても朗らかなお人柄で、初期刀様は時にそれに気を揉みながらもよく仕えておられましたし、ほかの皆さまも審神者様の気質を受け継いで、どこか万年春の陽気の窺わせる刀剣男士でありました。
ああ、あまり刀の集まりはよくなかったのかもしれません。割と長いこと、大ぶりな刀と長物は来ませんでした。それもまあ、主様が初期刀様の親ほどの見目になるくらいには一通り揃っておりましたから、特に問題ではなかったでしょう。出陣帰りにどたばたと走り来る音がするのは良い知らせ、新入りを抱えた満面の自慢顔、それを待つ楽しみが長く得られたのだと思えばいいよと、審神者様もいつだか仰っておりました。
ええ、そうですね、私も同じように思っておりました。主様のためにと日々戦場で目を皿にして一喜一憂する刀たちも、遅参になってと慌てる刀たちも、愛らしいことこの上なかった。久しくともに過ごせることのなんと有難いことか。
いいえもちろん私も頑張っておりましたよ。そうですね、三条の大きいのや、長船の何振かは、私の手柄といってもいいのではないでしょうか。
ともあれこの本丸は、日だまりのように温かでした。

私たちの本丸に、異変が起こりましたのは、ちょうど三日ほど前の昼餉時でしたでしょうか。
近頃は審神者様の御身体もすっかり弱られて、初期刀様と並ばれる時も手を借りる必要があるほどで。しかしそれでも主様は男士と食事は共にすることを欠かしませんでしたので、皆で揃って食堂におりました。
審神者様は年を召されましたが相変わらずのお人柄で、茄子の煮びたしをしわしわで自分にそっくりだと笑うような有様で。あの日も和気藹藹と、当番の丹精籠った食事を頂くところでしたが。
初めに踏み込んできたのは、ええ、足もないものに踏み込むとはおかしな表現ではありますが、何振もの短刀たちのようでした。それらは即座に極めておりました我が本丸の短刀たちが討ち果たし、それはもう見事に砕いて見せたものですが、問題はそこではございません。
この本丸という土地が、凶敵に攻め込まれている。誰もが即座に理解いたしました。
次のときには初期刀様が主様を抱え上げ、周りを古参の短刀と脇差が固めて移動に入りました。長い生活の中で、そういう仮想訓練も行っていましたので手筈通りです。
続いて押し入ってきたのは脇差だったようですが、そこからの攻防の詳しくは残念ながら。審神者様は近場の籠城支度のある部屋に飛び込まれ、そこに私も置かれておりましたので。
他に部屋へ残られたのは、短刀と打刀の男士が一振りづつ。あとは主様が部屋の中にきちんと入られたのを見るや否や、助太刀にと部屋を飛び出して行かれました。
この本丸は、とても仲が良かった。情も深かった。なによりお互いを理解し敬っておりましたから、そうしたのだって誰も折れるつもりでなどはなかったでしょう。
審神者様の結界は長年のつとめの賜物で強固でしたので、心配なのは刀の皆のことばかりでした。

剣戟の音は閉じ切った室内まで届いておりました。刀の中には内番着で刀のないものもいましたから、あの子は大丈夫だろうか、この子は大丈夫だろうかと、人の子には痛ましく恐ろしいでしょうに、お優しい主様はじいと耳を澄ませて様子の把握に努められて。
……救難信号は届いておりましたでしょうか。ああ、そうです、ほぼその程の時間の出来ごとでございました。発信者は初期刀様ですね。ええ、彼はしっかりものでしたから、定期的に設備点検もしておりましたし忘れず役目を果たしたのでしょう。
日のあるうちは何の心配もございませんでした。遅参したものが多かったとはいえ、鍛練を怠るものもおりませんでしたので、十分に戦えておりました。ですが、陽が薄らぐにつれ、聞こえてくる争いの音は近付き、諍う声は幼いものに変わり、どんどんと逼迫してゆきました。
籠った部屋が執務室や手入れ部屋ならまだ利もあったでしょうが、生憎とそこは鍛刀部屋、出来るのはこの場で何ができるとも知れぬ、新しい刀を打つことだけ。
豊かな資材や札はありますが、手入れ道具の一つもない。
審神者様は、一時でも結界を解いて重傷者を受け入れようと仰いました。片手の指では利かぬ時間が経ち、外の声は普段でもよほど聞かない苦しさを交え始めていた。しかしそれは、側についていた二振に止められました。
主を守ってこそ、戦ってこその刀だと、たとえ一瞬でも、己のために主を危険に曝すことになれば、この危機を乗り越えたとしてどうして御側に仕えられようかと。
主様はそこで初めて、口惜しそうに顔を歪められました。皺の増えた細い手が、きつく拳を握っておられた。咎めた二人もよく似た表情をしておりました。
大事な仲間を、どうして見捨てたいと思うものでしょうか。……そうです。もうその頃には、全員が無事であるとは室内の誰も思っておりませんでした。
幾度か誰かの名前が悲痛に溢れて叫ばれるのを聞いておりました。審神者様は、縁が千切れる瞬間すら感じておられたでしょう。
そうと口に出すことはありませんでしたが、どれだけ恐ろしい心地だったことか。非常に強い方でした。主様は、本当に、どこまでも審神者として振舞われておりました。

まんじりともせずに、一晩、まだかまだかと待ち続けて、酷く長い夜でございました。
飛び交う声が、一つ、また一つ、減っていくのを、私たちはただその場で堪えて座しておりました。
ぱちぱちと、炉の炎だけがいつもと変わらず熱を吐き、冷えていく皆の体温をどうにか保とうとしているように思えました。

日が昇り、朝に、なるころだったでしょう。審神者様はもはや覚悟を決めておられました。
この魂はどこまでも彼らと共にあるだろうが、血肉が残れば持ち去られるかもしれぬ、そこまで憂いて、あの方はその体を炉にくべることを赦してくれと仰った。
私が、あれほどまでにこの身の小ささを後悔したことはございません。人のような器があれば、身代りに盾になることくらいはできたでしょう。
私が刀匠として、炉を守り、刀を打ち、本丸に尽くしたのは主様を焼くためではなかった。けれどもう私には頷くしかございません。もはや御方の側に残った二振りさえ、寸前のこの時を得るために討って出ていた。
「ここで果てることには変わりがない」
審神者様はそう仰いました。
「皆を残して、この老い耄れだけが現に戻る気はそもそもなかった。だから気に病むことはない。
けれど、このことを伝えるものがいなくなるのは問題だ、だからあなたは」
頼みます、と頭を下げ、何も言えぬ私を見返した主様は、笑っておられました。その頃には剣戟の音など止み切って、私どもにも判るほどの不浄の気配が近づいておりました。
審神者様が身を投げたのはすぐの事にございました。扉の前に気配が迫り、斬り付ける音がし始めても、まだ部屋の結界は作動しておりました。水の爆ぜる音が終わり、舞う火の粉も落ち切ったころ、漸く穢れた刃の戸を吹き飛ばす音が致しました。

私はそこで姿を隠しておりましたが、救援が来られたのはそれからよりもしばらくしてだったと伺っております。
一昼夜、本丸は戦いに沈んでおりました。一昼夜で、私どもの本丸は潰えました。敵の勢力が多大だったこともありましょう。並の戦力であれば落とせる本丸ではなかった自負がございます。ですから致し方ないと思うところもあるのです。
けれどもやはり、遅すぎた。
人ともなく、男士でもない私が、設備の一介でしかない私が。このように願い出るのもおかしいのかもしれません。それでもおめおめと居残ったがゆえに、私は、主様と刀たちの名代として申し上げます。
私どものような本丸が、二つと無い様にしてください。
主一人を残して悔やみゆく刀も、育てた宝が折れるを聞く主も、悲劇に潰える本丸も、今後生まれぬように、差配ください。
数多くの一拠点、人ひとり、分かたれた代わりの利くもの、努々そう思わぬようにしてください。
私は、彼らを長く見ておりました。彼らが在ったことを知っています。彼らが笑い合い、研鑽し、世界に殉じたことを知っています。ですから、どうか願い申し上げる。
私の本丸のような、終わりが二度とないように。
俗世を守る彼らには、他のよるべがないのです。




フォロワー審神者アンソロジー「あをすずめ」より自作再録。とある本丸の話。

提出された録音資料と書き起こしは、数多ある他の案件と共に数度形だけの協議にかけられ、のち適切に処分された。
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