エル×グラス

 乙女たちが浮足立つイベントが今年もやってきた。女子しかいないトレセン学園も例外ではなく、大抵は友チョコ交換であるが中には本命も混ざっていたりするとかしないとか。
 美浦寮に所属するアメリカ育ちの帰国子女、グラスワンダー。同じくアメリカ育ちの怪鳥こと、エルコンドルパサー。この二人も例外ではなかった。
 エルコンドルパサーは朝からそわそわとしていた。そんなエルコンドルパサーの様子にグラスワンダーが気が付かないわけがなく、くすりと笑みを小さくこぼす。ご褒美を待つ小さな子どものような彼女に、グラスワンダーは可愛さと愛しさを感じていた。
「ねえねえ、グラス? 今日はなんの日?」
 そわそわとしながらグラスワンダーの蒼色の瞳を覗き込む様は、まるで主人の言葉を待つ犬のよう。ゆらゆら落ち着かなく揺れる尻尾が益々その雰囲気を強めていく。
 グラスワンダーは犬みたいだという感想を笑顔の下に隠して、エルコンドルパサーの質問に答えた。
「ローマ皇帝のクラウディウスが結婚を禁止したのに反抗したヴァレンチノ司祭が処刑された日、ですよね〜」
「ガッテム!! 何故デスか!? 何故そんな物騒なことが真っ先に出てくるんデェスカッ!! アタシたちは花も恥じらう乙女なのデスヨ!?」
「事実ですから〜」
「ノーーーーー!!!!! グラス赤点!! 乙女として赤点通り越して、ゼロ点ですよ!!」
 エルコンドルパサーにとって全く予期していなかった回答に、興奮した様子でグラスワンダーに詰め寄る。今にも肩を掴んでがくがくと揺らしそうな勢いだった。
 さて、可愛らしい子は十分に揶揄ったと種明かしの合図にグラスワンダーはくすくすと鈴を転がす。
「もう。わかってますよ。今日がどんな日かなんて」
「グラス……!!」
「今日はエルの好きなものを作りますから、お夕飯は食堂で食べないでくださいね?」
「スィ!」
 グラスワンダーの手料理が食べられることがわかり、エルコンドルパサーは上機嫌。今にも踊りだしそうな軽快なステップで、ランニングのために部屋を出ていった。
「……ん? 待って? チョコは?」
 ステップを踏むこと十歩目程のこと。
 てっきりチョコレートをくれるのだとばかり思って、心の準備は前日から万端だったというのに出鼻をくじかれたような、拍子抜けのような感覚にエルコンドルパサーは陥るのだった。


   ※   ※   ※


 それから一日、エルコンドルパサーはグラスワンダーがいつチョコを自分にくれるのだろうと、ずっとそわそわして過ごした。トレーニングをしていても身が入らず、瓦を腕ではなく己の額で割った程には身が入っていなかった。
 幸い瓦を割った額に外傷も内傷もない。しばらく頭がぐわんぐわんとしたくらいだ。
 今日はもう上がるようにとトレーナーに言われ、念の為にと額に冷却シートを貼る少しは間抜けな姿を晒しながら、エルコンドルパサーは寮へと帰宅する。
 先に帰ったグラスワンダーは部屋にはいない。寮にある台所か、はたまた食堂のキッチンを借りているのか。
「食堂で食べないでって言ってましたし、部屋で待ってればいいんデスかね?」
 ちゃんと聞いておけば良かったと思うも時すでに遅し。部屋で待ってれば呼びに来てくれるだろうと、ベッドの上でゴロゴロしながらグラスワンダーを待つ。
(それにしても、今の今までチョコを貰えないなんて)
 朝、教室に行くとグラスワンダーは仲良しの同期に几帳面にラッピングされたチョコレートを配り、そしてまたお返しにとプレゼントの箱等を受け取っていた。
 エルコンドルパサーが甘いものが嫌だということを知ってるクラスメイトたちには、激辛スナックだったりをチョコの代わりに渡され、ホワイトデーを楽しみにしていてくださいね! と人懐こい笑みを浮かべてエルコンドルパサーは袋いっぱいにお菓子を持ち帰ってきた。
「グラスぅ……」
 ぎゅっとベッドの上のクッションを抱きしめる。こみ上げて来る寂しさを押し込むように。
 そんな風にしているエルコンドルパサーの耳に、コンコンと扉をノックする音が入り込んできた。
「はい」
「エル、戻ってます? ちょっと一緒に来てもらいたいのですが」
「OK。今行きマース!」
 扉をノックしたのはずっとずっと想っていたグラスワンダー本人。待たせてはいけないとエルコンドルパサーは勢い良く起き上がり、部屋を出る。
 すみれ色のエプロン姿のグラスワンダーと合流して、連れられるまま歩く。
「グラス、何作ってくれたの?」
「それは見てからのお楽しみですよ〜」
「んー、サプライズデスか」
 好きなものを作ってくれると言っていたが、一体何を作ってくれたのか。ワクワクとしながら連れられた先は、共有スペースのキッチン。そのすぐそばに置いてあるテーブルの上に乗ったものに、エルコンドルパサーはみるみるうちに瞳をキラキラと輝かせた。
「ファンタスティカ! タコスにワカモーレ! トルティーヤチップスもちゃんとありますね! パエージャにこれは……?」
 エルコンドルパサーにとって馴染み深いホットソースによく合う料理の中、鶏肉の唐揚げと大量の唐辛子が炒められたと思われるものが目に入った。これは知らないと首を傾げ指を指す。
「これは四川料理の辣子鶏です。たまには違う辛いものをと思いまして。十分に辛くしてありますから、そのままで食べてください」
「ラーズーチー! へぇー、グラスは物知りですね!」
「どうぞ、召し上がれ」
「グラシアス!! いただきます!!」
 グラスワンダーが腕によりをかけて、自分のために作ってくれた料理に手を付ける。エルコンドルパサーが真っ先に手を伸ばしたのはタコスで、食べ慣れた味に舌が喜んだ。ワカモーレの爽やかな味。大好きなホットソースを沢山かけて食べるパエリア。初めて食べる辣子鶏も痺れるような辛さで、普段味わう辛さとはまた違う辛さに大満足だ。
 どれを食べても美味しくて、エルコンドルパサーは満面の笑顔で食していく。その笑顔がグラスワンダーへの最高の答えであり「美味しいですか?」と聞く必要はなかった。
「ふぅ……ご馳走様でした」
「お粗末さまでした〜」
 二人で食べるには多いくらいの料理は綺麗に平らげられ、空になった皿がテーブルの上に満足気に鎮座している。
「グラス、グラシアス! こんなに美味しいご飯を食べられて、アタシ幸せデェェス!!」
「もう、エルったら大袈裟ですよ」
「ううん! 大袈裟なんかじゃない! すっごくすっごく幸せデスよ? 大好きな親友がアタシのためにアタシの大好きなものいっぱい作ってくれたんデスからね!!」
「あ、あら〜」
 微笑みは崩さないもののグラスワンダーは照れており、ほんのりと頬が赤く染まっていた。
「ねえ、グラス」
「はい?」
 明るく弾んでいたはずの声がピリッと真剣な声音に変わる。その変化に改めてエルコンドルパサーの顔を見る。グラスワンダーを見つめる空色の瞳は、まっすぐ、真剣だった。
「もう一回、聞きます。今日は、なんの日?」
「……バレンタイン、です」
 真剣さに嘘は吐けず、今度はからかう事なく事実を述べる。
「料理で、おしまい? このおもてなしが、バレンタインチョコなの……? 違います、よね?」
「……」
「アタシ、今日一日、ずっとグラスからのチョコ、待ってました。確かに甘いものはあまりデスけど、恋人から貰えるものは特別、なんデスよ?」
 ねえ、グラス。
 正面に座っていたグラスワンダーの手を、震えそうになるのをこらえながら握る。真摯な瞳がグラスワンダーをとらえ、目を逸らすことを許さない。
 きっとエルコンドルパサーはチョコを自分から貰うまで、手を離さないつもりだ。言葉にされなくてもそれくらいのことはわかった。
(こういうときのエルには、敵いませんね)
 グラスワンダーの耳がぺたんと垂れる。普段は主導権なんて握り放題だというのに、隠している心を見透かしたときのエルコンドルパサーは恐ろしく強い。強引でありながらも、優しく誘導する彼女にグラスワンダーは勝てた試しがない。
 グラスワンダーは恥ずかしかったのだ。彼女も花も恥じらう乙女。恋仲となって初めて、改めて渡す特別なチョコレート。恋仲となる前から友達以上の関係だったエルコンドルパサーだったから、必要以上に照れてしまった。すくんでしまった。
 そんなグラスワンダーをエルコンドルパサーは導いてみせた。
「エル、取ってきますから手を離してください」
「スィ」
 手が離れ、グラスワンダーは冷蔵庫で冷やしていた小さな箱を取り出した。その箱は本当に小さく、一口サイズのものが一個だけ入るようなもの。
「エル。このひと粒に、私の想いのすべてを込めてあります。受け取って、くれますか?」
「ポル・スプエスト」
 たったひと粒に込められた全てを、エルコンドルパサーはゆっくりと味わい自分の糧とすることだろう。
 グラスワンダーの愛に満たされた心と身体で、彼女を抱きしめ眠るのはもうすぐだ。
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