アニメ12 話前に執筆したものになります。


　置いていかれる夢を見た。
　どんなに手を伸ばしても、彼女たちは僕のことを置いて先へ先へと走り去ってしまう。
　キタさん、ダイヤさん、そして──クラウンさん。
　誰に置いて行かれても、いつもなら「仕方ないかも」って諦められる。
　でも、クラウンさんには、クラウンさんに置いていかれるのは心が苦しくて仕方がない。
「っ、また、置いてかれる夢……」
　ただ夢を見ていただけだというのに、走ったあとみたいに息が苦しい。じっとりと嫌な汗をかいていることに気がついて、不快な気持ちが募る。
「……着替えよ」
　最近、この夢を見る頻度が上がったように思う。
　原因は、なんとなくわかってる。
　仲の良い皆が順調に勝利を手に入れていること、かな。
　この間クラウンさんも海外でG1タイトルを掴みとった。友だちとして、僕に贈れる最大限の賛美を贈って、その祝福の気持ちは心からのものだというのに。
「僕だけが、まだ……」
　最高峰のレースでの一着という栄冠は未だ、無い。重賞での一着も、G1での入着もまた栄誉なことだとわかっているけれど、足りないのだ。
　ウマ娘として生まれたのなら、G1での勝利をが欲しい。
　誰かの記憶に残るような、その勝利が誰かの心を動かせるような、偉大なウマ娘に、なりたい。
「駄目、だな」
　気持ちばかりが焦って、体が追いついてこない。
　今日はオフだから、少しでも心と体を休めなくちゃ、勝利なんてまだまだ遠い。
　私服に袖を通す。何も予定はないし、釣りか、はたまたバッティングセンターか。
（心を落ち着けたい気持ちのほうが強いから、釣りにしよう）
　クローゼットにしまってある釣り道具一式を取り出して肩にかける。
　部屋を出ようとした瞬間、コンコンと控えめに扉をノックする音がした。
「はい」
　時刻は朝の五時くらい。
　まだ日も昇っていない時間に誰だろう。
「おはよう、シュヴァル」
「クラウンさん」
　扉を開けた先にいたのは、僕と同じく私服姿のクラウンさんだった。よく見ると僕の持っているものと似た荷物を持ってる。
「今日はオフでしょ？　もしかしたらシュヴァルが釣りに行くかなって思って。ご一緒してもいいかしら？」
「……えっと、それはかまわないけど」
　夢のこともあり、少し考えてしまったけどクラウンさんと朝釣りに行くことにした。クラウンさんは僕の言葉に生じた戸惑いには触れない。何かを感じ取ってたりしてたら、ちょっと困るな。
　釣りに向かう前にコンビニで朝ごはんを買っていく。僕はばくだんおにぎりを七個とお茶、クラウンさんはサンドイッチと僕と同じくお茶。
「風が冷たいわね」
「そうだね。ここ最近は暖かかったけど、ようやく冬らしくなってきたかも」
　マフラーを巻いてはいるけれど、少し鼻がツンとするような冷たい空気だ。走っていればそこまで気にならないけど、釣りはじっとしている時間が長いからだいぶ寒さを感じやすいだろう。
「クラウンさん、これ使って。待ってる最中はだいぶ寒いだろうから」
「ありがとう」
　コンビニで買っておいたカイロをクラウンさんへ。ありがとうという言葉が、くすぐったいけど嬉しい。
　釣り場に到着すると先客が数人いて、どの人も顔見知りだった。目があった人とは軽く会釈をして、僕たちは良さそうな場所で釣り糸を垂らした。
　魚が逃げるといけないから会話は基本ない。
　僕が時々餌を取られてないか教えてあげるくらいで、無言の時間がほとんど。
　無理に話す必要はないので、僕はぼんやりと海を眺めていた。もうすぐ朝日昇りそうだ。海から顔を出す太陽を眺めることもまた釣りの楽しみ。
（あっ）
　ゆっくりと、朝日が昇ってくる。真っ暗な海を陽の光が明るくしていって、海が静かに煌めきだす。
　ふと隣のクラウンさんを見ると、目の前の美しい景色に僕と同じように見とれているように見えた。
（綺麗だな。朝日も、クラウンさんも）
　そんな気持ちを秘めて、僕はもうしばらく釣りの時間を楽しんだ。
　釣果は僕が一匹、クラウンさんも一匹。ボウズよりはいいかな。
「あの……、楽しかった？　そんなに釣れたとは言えないけど」
「もちろんよ！　釣りもだけれど日の出が美しくて、来てよかった」
「それなら、よかった」
　楽しんでくれていたのなら何より。せっかく付いてきてくれたのに、つまらないだけで終わるのは申し訳ない。
「この魚はどうしましょうか？」
「一匹ずつだけだし、僕がお昼に捌くよ。あ、他に食べたい食べ方ある？」
「いいえ、お刺身がいいわ」
　釣り場から少し移動した先で、コンビニで買ったものを食べながら話す。
　近くにあった自販機で温かい飲み物を買い直した。ほっと落ち着き息を吐き出すと、白くなった吐息がより目立つ。
「ねえシュヴァル？　私がついてきて、息抜きになったかしら？」
「……え？」
　今の、クラウンさんの聞き方、なんだろう。
「本当は一人にしてあげた方が、良かったのかもしれないのだけれど」
「えっと……」
　まるで、僕の心を見透かしているような、言葉。
「最近のシュヴァルは、ちょっと一人にしておきたくなかったというか。焦りすぎて、一人にするのが不安だったのよ」
「……」
　全部、わかってたんだ、クラウンさんは。
　恥ずかしくて、帽子を深く被り直す。きっと今の僕は顔を見せられないくらい赤くしてるから。
「私にも、覚えがあるわ。勝利への渇望が、身を焼き焦がす苦しみには」
「……うん」
　それは知ってる。苦しそうな顔を見たわけではないけど、クラウンさんの身を焦がすその火は、僕にまで移ってしまいそうなくらい熱かった。
「焦らないでとは、言わないわ。私は待ってる。シュヴァルが勝利を手に入れる瞬間を、すぐ隣で」
　すぐ隣。
　その言葉が僕の心にじんわりと広がっていく。
　置いていかれる夢ばかり見ていたから、隣にいてくれるというその言葉が、僕のことをすくい上げてくれる。
「……ありがとう、クラウンさん。その言葉が……、今の僕には、必要だったみたいだ」
　同じレースに出ることが多いから、また夢のように置いていかれることもあるかもしれない。
　でも僕は、クラウンさんの今の言葉のおかげで、諦めず、置いていかれることなく、逆に置いていくくらいの気持ちでいられそうだ。
「僕は、君に勝ちたい。君と、勝ちたい」
「……ふふっ、楽しみだわ」
　恥ずかしくて、顔から火が出そうだったけど、最後だけはちゃんとクラウンさんのことを見て伝えた。
　勝ちたい。
　自分のため。
　僕の隣にいてくれると言ってくれたクラウンさんのためにも。
（今度こそは、勝利をこの手に）
　僕はこの日、大切なヒトの隣で、改めて胸に決意を刻んだ。