今日は大事な大事なグラスの誕生日。
　──だというのに。
「くちゅん！」
　背筋がゾクゾクして寒いのに、体は熱くて頭はぼーっとする。
　普段から風邪を引きやすいのはグラスだというのに、なんでアタシ、こんな大切な日に風邪引いちゃったんだろう。
　元々寒い季節だけども、風邪を引いてるせいかいつもより寒い。アタシは寒さには弱いのだ。こんなの気持ちまで弱っちゃう。
　情けない。
「エル、具合はどうですか？」
　一番情けないのは、誕生日の主役にアタシの世話をさせていること。
『エルエルは一人でも大丈夫！　グラスは誰かの部屋に泊まってくださーい！！　グラスはすぐに風邪引いちゃいますからね！！』
　精一杯の空元気を出したのに、グラスは一言嫌ですと言って、そのあとの無言の重圧にアタシは負けて今に至る。
「朝よりはマシデスけど、まだちょっと寒いかな。汗ベチョベチョで気持ち悪いデス……」
「食欲は？」
「お腹はペコペコデスよ」
「それなら汗を拭いて着替えてからご飯にしましょうか。そのままでは風邪が悪化してしまいますから」
　よく風邪を引くから知ってるんですよと言わんばかりの手際で、ぽんぽんとグラスは決めていく。
「エル、自分でやります」
「ダメですよ。普段から私にやらせないのは誰ですか？」
「うぅ……」
　問答無用。その言葉が似合う目の前のヒト。
　グラスがこういうとき譲らないことを知ってる。
　誕生日なのに手を煩わせるのは嫌だけど、押し問答になっても体力を使うばかりで無駄だということはわかりきっていた。
「エル、冷たくない？」
「ん、あったかいデス」
　温かいタオルが肌の上を滑っていく。前くらいはって言おうと思ったけど、アタシも抵抗するグラスを宥めて全身を拭くから抵抗しない。
　グラスはアタシに着替えを渡してくれるとおかゆを取りに部屋から出てった。
　着替えて、グラスが戻ってくるのを待ちながら、思う。
（本当なら、二人でお祝いしてたのに）
　今日の夕御飯だってヒシアマ先輩がグラスのためにちょっと豪華なご飯にしてくれるはずだったのに、グラスはそれを断ってきたらしい。皆に囲まれてお祝いされたあとに、アタシと二人でまた細やかなお祝いをしてたはずだった。
　なのに、誕生日の主役のグラスにアタシのお世話をさせて、迷惑をかけてる。
　こんなんじゃ、ダメ。
　誕生日は年に一度の特別な日なんだから。
　そうだ、グラスは今からでもスペちゃんのところに行けばいい。そうすればエルの風邪がグラスに伝染る心配は減るし、大事な友だちの一人のスペちゃんと少しでも楽しい時間を過ごしてほしい。
「エル、おかゆですよ」
　グラスが戻ってきた。
　さあ、言わなきゃ。
「グラス、ありがと」
　もう大丈夫だからって。
「あのね、あとは自分で出来るから、グラスは──」
　スペちゃんのところに、行って、いいよって。
　言おうと思ってるのに、言わなきゃいけないのに。
「エル？」
「っ」
　なのに、言葉が詰まって、出てこなくて。
　代わりに出てきたのは、瞳からこぼれ落ちる涙。
「エル、どうしたの？　具合、悪いですか？」
「あ、いや、これはちがくて」
「……もう。エルのおバカさん」
　グラスが何かを察したような顔して、苦笑いしてる。おかゆがサイドテーブルに置かれて、そしたら、グラスの手がアタシの頭の上に伸びてきて、ぽんぽんって優しく撫でられてる。
「グラス……？」
「エル、自分のお世話はもうしなくていいって言おうとしてますね？」
「んぐぅ……」
「まったく。エルは私が風邪を引いたら、私が大丈夫と言っても離れてはくれないでしょう？　なのに自分は遠ざけようとして、ズルいですよ」
「うぅ……」
　見透かされちゃった。
　本当はグラスにそばにいてほしい。
　今一人になるのは心細い。
　グラスはアタシのことをズルいって言ったけど、ズルいのはグラスの方。
「グラス、おかゆ、ください」
「どうぞ」
　パンッて勢い良く手を合わせて、程よく暖められたおかゆを一心不乱にかき込んだ。グラスが「慌てて食べなくても」って言ってるけど、聞こえないふり。
　だって、今、口の中ごはんでいっぱいにでもしなくちゃ、弱音がいっぱい出てきてしまいそうだったから。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした。片付けてきますね」
　薬飲んでおいてくださいねと渡されて、グラスは片付けのために部屋から出ていった。
　苦い粉薬は苦手だけど我慢して一気飲み。粒の薬も飲むの苦手だけど頑張った。
（あ、そうだ）
　グラスがそばにいるのなら、せめて。
　まだダルくて重い体を頑張って動かして、机の中をガサゴソ漁る。
　出したのはキレイにラッピングされた小さな箱。中身はもちろん、グラスへのバースデープレゼントだ。
　アタシがベッドに戻ると同時にグラスが部屋に戻ってきて、アタシの方を見ると驚いたのかほんのちょっと目が丸くなった。
「エル、それは……」
「ふふーん。グラスへのバースデープレゼントデスよ！　風邪が治ったらちゃんとパーティやりますからね！」
「……これだけで満足なのに。これ以上なんて、贅沢すぎます」
「普段が控えめなのはグラスの美徳なのかもデスけど、誕生日くらい贅沢になってくださいデース」
「ふふっ。ありがとう、エル」
　きゅって箱を持つ手に力がこもって、小さな花たちが満開に咲くみたいな笑顔。綻んだ優しい顔。
（良かった……。プレゼント、喜んでくれて）
　ほっとしたら急にやってきた眠気に、自分が病人だったことを体が思い出した。
　くあっと出てきたあくびをグラスは見逃してくれなくて「ほら、今日はもう寝てください」ってベッドに寝かしつけられてしまった。
「グラス。明日、風邪が治ってたら、お出かけしましょうね」
「病み上がりだから駄目です」
「んー……ダメデスかぁ……」
　うつら、うつら、瞼が落ちていく。熱が下がってれば、エルエルには病み上がりなんて関係ないのに。
「その代わり、エルが元気になったら一日お出かけに付き合ってください」
「クラーロ……、モチロン、デェス」
　眠たくってなんだか声がとろんってしてきた。
「エル、おやすみなさい」
「おやすみ……ぐらぁす……」


　　　※　　　※　　　※


　まだ頬は赤いし熱いけど、寝息は苦しくなさそうなエルに安堵のため息。おでこのシートを貼り替えて、そっとエルのそばを離れた。
（そういえば）
　エルがくれたプレゼントの中身は一体なんだろう。
　きっとエルのことだから色々と考えて、彼女なりのシチュエーションを整えて渡してくれるつもりだったのだろう。
　声は精一杯の元気だったのに、ぺたんと下がってた正直な耳を思い出して思わず小さく笑みが漏れる。
　可愛いラッピングを解いて、中から出てきたのは桜の香りの練り香水と──。
（これは、たんぽぽの押し花……）
　栞へと加工されたたんぽぽの押し花。押し花とはいえまだたんぽぽの季節には早くて、色々なお店を見て回ってくれたことは想像に容易い。
　エルに大切に思われているんだと、これでもかってくらいに、解らせられる。
　眠るエルの方に視線をもう一度。
「来月は楽しみにしていてくださいね、エル」