「健全なマゾヒズムを知ってる？」
「健全な……マゾヒズム……？」
　はて、いきなり何を言い出すのだろう。マゾヒズムといえば、痛いのが好きってことだと覚えてる。今ブロワイエが発した健全なマゾヒズムとは、一体なんのことか。
　アタシが眉を潜めてブロワイエを見ると、くすりと目の前の麗しいヒトは笑う。ほんと、見た目はいいんだから。
「普通ヒトというものは危険を嫌う。命の危険を忌避する。しかし、もし安全に危険を味わう術があったとしたら？」
「……安全な危険なんて、それはもう危険でもなんでもないデスよ」
　くだらない。
　安全な危険なんて矛盾も甚だしい。そんなものあり得はしない。
　聞く価値なんてないと、目の前にあるアタシの大好きな辛いソースがたっぷりかかった料理を一口ぱくり。
　刺激的な味が舌を刺激して、頭がぶわーってする。それから料理の味。エルはちゃんと元の料理を味わっているんデス。そんな料理の味が不味くなるような、意味不明なお話はノーセンキュー。
　目の前のブロワイエは不敵に笑ってこっちを見るばかり。あっ、この笑い方、何か企んでるときの笑い方。
「辛味とは痛み、痛覚で感じるものなんだよ。通常、辛すぎるものを人は遠ざける。危険なものだと。食べられないからね。しかしキミはどうだろう、エルコンドルパサー」
「アタシは辛いもの大好きデスけど……さっきから何を言いたいの？　さっさと言えデース」
「ふふっ。そうだね。キミは痛みを好んで享受する。安全な危険を楽しんでいる」
「安全な危険……っ！！」
　気がついた。目の前のコイツが何を言いたいのか察してしまった。
「ぶ、ぶ、ブロワイエぇッ！！」
「そんなに可愛く威嚇して、怖い怖い」
「エルが！エルが……っ！！」
　マゾヒストだと言いたいんデスか！？
　しかしこの言葉を言ってしまえば相手の思うツボで、ぐっと抑え込んでどうにか嚥下する。飲み込みきる。飲み込み、飲み込み──。
「ブロワイエのアホ！　アンポンタン！　知らない！」
　切れなかった。
　代わりに精一杯の罵倒が出てきて、そんなアタシの言葉をニコニコと嬉しそうに受け取るばかりのブロワイエに益々腹が立つ。
「ねえ、エルコンドルパサー。今度キミに痛みの快楽を与えてあげようか？」
「ふざっけんなデェェェェス！！！！！」
　思うツボだとわかっていても、アタシはブロワイエに言葉を投げつけるのを止められなかった。