君の
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《君の腕》
偶然見てしまった目を背けたい事実。
なのに体は言うことを聞かず、目を逸らすことはできない。
なんで どうして
目まぐるしく頭を駆け巡る言葉に息をするのも忘れそうで。
むしろ忘れてしまいたいのは今見ている現実。
ああ、猛烈に吐き出しそうだ。
実際胃の中は空っぽで、吐き出せるのは空気か言葉くらいなのだけど。
それすら叶わない。
頭が急激に冷めた後、漸く動くようになった体で無理やり駆け出した。
ここに長くいてはいけない。
これ以上見続けたら私は死ぬ。
死ななくても、きっと生きていられない。
『かはっ…は……』
行く当てもなく辿り着いたのは屋上。
久しぶりに吐き出した二酸化炭素と、同時に流れ込んでくる酸素に頭がクラクラした。
それだけが理由じゃない事なんて、嫌でも解っている。
『裏切り者』
罵った言葉は私に突き刺さった。
人のことは言えない。私だって、れっきとした裏切り者だ。
『……ごめんなさい』
「お前、ふざけて…!」
『ううん、本気…さようなら』
まさか自分が、正義を捨ててこちらに付くことになるとは思わなかった。
潜入先の幹部に本気で恋をしてしまうなんて。
それを振り切るだけの強さも持ち合わせてなかったなんて。
今まで繋がっていた携帯電話を真ん中でへし折って海に沈めた。
切れたのは電話だけではない。少なからず仕事を共にした人達さえ裏切って。
「――いいのか?切っちまって」
『…うん。あそこに私の居場所はないもの』
どこにいってもうだつの上がらない私は、ビユロウになれたところで何も変わらなかった。
対人関係も狭い範囲で、仕事は並にできる程度。ミスは少ないけど同時に大きな成果を上げることはない。
その平凡さで潜入捜査の補佐に抜擢されたのに、最初から幹部に目をつけられた私はただの囮にすぎなくなって。
尤も、さっきまで電話で繋がっていたペアは頭が切れるから、端から私の力なんていらないだろう。
この仕事が成功したら、評価されるのは彼だけで。失敗したら、評価されるのは私だけ。
「――そうだ。お前は此処にいればいい」
そんな劣等感や孤独感に埋もれていた私を、この人がくれる囁きは麻薬のように侵蝕していった。
「此処が、お前の居場所だ」
私を抱きしめながら繰り返された言葉が、たとえ嘘でもいいと思えるほどに。
でも、やっぱり現実は違った。近づけば近づくほど彼に溺れていって。
嘘でもいいなんて思えなくなった。
私が裏切り者だと知っているのは彼だけで、誰にも告げられないまま元ペアの任務は失敗して。
私は何事もなかったように組織にいる。
やっぱり大した仕事はできないのに、彼の隣に置いてもらえる。
己惚れていたのかも知れない。私が生かされているのは、彼も私を想ってくれているからだと。
愛による行動のひとつだと思っていた。
だから、耐えきれない。ほんの少し、珍しく開いていた彼の部屋のドアの向こうに。
彼に迫るきれいな女性がいて。
その背に彼女の腕が回されて。
彼の腕がそれに応えて。
顔がどんどん近づいて行って。
唇が触れる寸前で駆け出した。
苦しくて、苦しくて。でも同じ空気を吸いたくなくて。
辿り着いた屋上。酸素が脳に入りだして、やっと雨が降っていることに気付いた。
頭からつま先まで冷たくなって、心の中まで冷えてくる。
手先が冷たいのは、昨日から何も食べていないからかもしれない。
彼が長期の任務にいって、留守番の時はいつもそうだ。段々と食べ物が喉を通らなくなる。
そして今日、帰ってきた彼に会いに行こうとしたら、私は雨の中立ち尽くすことになってしまった。
「――こんなところで何してやがる」
涙が零れそうになった瞬間、低い声が鼓膜を揺さぶる。
振り返れば、屋上の入り口。真っ黒なコートと長い銀色を纏った男が立っていた。
私に居場所をくれた、大好きなひとで。
今私が死にそうな程苦しい思いをしている原因。
「泣いてたのか」
『今から泣くところ』
「…、じゃあ中で泣け。雨は冷えるし、俺は好きじゃない」
一歩こちらへ近づいた彼、二歩後ろへ下がる私。
『私は雨好きだから。ジンは中にいればいいよ』
そう言えば、彼は怪訝な顔をした。
私が反抗したことは今までなかったし、普段なら呼ばれれば喜んでついていくから。
今だって本当は、泣いている間傍にいてくれるであろう彼に飛びつきたいくらいだ。
10日ぶりに会って嬉しいはずなのに、自分の中で蠢くどす黒い何かを制御することはできない。
「――おい、」
『っ!』
「……」
きっと、私を抱きしめようとしてくれた彼の腕。
大好きなその腕を思わず振り払えば、彼は珍しく驚いた表情を浮かべた。
好きじゃない筈の雨の中に伸ばされた腕はどんどん濡れて行って。
その腕を下げながら彼自身も雨の中へ歩み出た。
『………ちゃった』
「…?」
『私の居場所、とられちゃった…っ』
頬を流れていく温い水は雨と同化して地面に落ちた。
足元には水溜りができている。
「…何の話だ」
『それとも最初から、私の場所じゃなかったの?』
「雨月…」
『私には貴方しか、ジンしか居場所がないんだよ…っ』
もう涙なのか雨なのか解らなかった。
ただ言い終える頃には無理矢理腕の中に閉じ込められていて。
抵抗すればするほど力強く抱きしめてくる腕になす術もなかった。
「見てたのか」
『本当は、見たくなかった』
「見せねぇつもりだったんだ」
『…』
「――あの女は始末した。今はお前の携帯同様、海の底だろうな」
『…どういう事?』
彼の言葉に抵抗を止めた。
暫しの沈黙に、雨がアスファルトに叩き付けられる音が響く。
「あの女、どうやって調べたか知らねえが、お前が元FBIだと突き止めてきてな」
『じゃあ…』
「だが生憎、此処をお前以外にやるつもりなんてねぇよ」
"だから何を言われても気にするな"
組織に居たってうだつの上がらない私。そんな女が彼の隣にいるのを快く思わない人だっている。
あの人は私を引き剥がす為の情報を持ってきて、その過去の事実ごと海に沈められたんだ。
「まあ、俺を脅そうなんて100年早ぇって事だ」
見上げた顔は悪戯に笑っていて。
私の額に張り付いた前髪を避けながら、彼はそこに口づけた。
『ジン…ごめんなさい…』
「前から思っていたが、つくづく馬鹿な女だな、お前」
小さな悪態に添えられているのは、楽しそうな小さな笑み。
つられて笑えば、濡れた頭をくしゃりと撫でられた。
「気が済んだんなら入るぞ、雨は好きじゃねぇんだ」
緩んだ腕の力に少し寂しさを覚えれば、それすらも見透かしたように彼は笑う。
「シャワーでも浴びてその酷い顔どうにかして来い、その後で好きなだけ構ってやる」
『…、約束ね?』
「フン、10日間お預け食らってんのはお前だけじゃねぇんだ。…逃げるなよ」
『逃げないよ』
だって、君の腕の中は私の居場所
(私は貴方の腕の中でしか)
(自分の存在を確認できない)
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