ゴドーの日
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《苦いやつ》
今日は小春日和。
長閑な陽射しが南向きの窓から注いでいる。
『ゴドー検事、資料お持ちしました』
「ありがとな。それと、そんなに畏まらなくていいぜ」
『そうおっしゃいましても…』
彼は年上だし、仕事もできる。尊敬するし、憧憬の念も抱いている。
そして、淡い恋心も。
『尊敬する方に敬語を使うのは当然ではないでしょうか』
「確かに礼儀は大事だが…堅すぎじゃねぇか?」
受け取った資料をデスクに置いて、コーヒーをいれながら彼は笑って言った。
『…』
「まあ、習慣なら仕方ねぇな。コネコちゃんも飲むかい?ゴドーブレンド」
『ありがとうございます。でも、私ブラック飲めないので…』
「構わねぇさ。コネコちゃん用にミルクもシロップも置いてある」
こういうところが素敵なのだ。
自分はブラックしか飲まないのに、一度ブラックが飲めないと伝えただけで用意してくれている。
何度となくときめかされて、その度に…彼が検事局にいる理由を思い出す。
…他でもない彼女の為。
『頂きます…』
「ところで、あれは一体なんの資料なんだ?」
『局全体で行われる健康診断の案内です』
「…」
検事事務官の私にも届いている通知。ガン検診、血液検査、生活習慣チェックなど、健康に関わることは一通り検査して貰える。
『受けて頂かないと…最近お忙しいから心配です』
彼は熱いコーヒーを飲み干して、デスクに置いた封書を開ける。
一通り目を通すと、そのままごみ箱へ放り込んだ。
『なっ…』
慌てて拾い上げる。
不思議に思って彼の顔を覗き込めば、苦々しそうな口元を隠すように煙草に火をつけていた。
「ひっかかるのは目に見えてるからな」
『…?』
「煙草に肺は焼かれ、酒に肝臓は溺れ、熱いブラックコーヒーは食道を焦がしながら胃壁を蝕む…なかなかだろ?」
『…』
その言葉は、胸がつかえるような重さだった。
まるで、鉛を咀嚼するような。
何か言おうにも言葉がつまる。
「まあ、長生きする気なんざねぇから好きにやらせてもらうがな」
最後の言葉が、更に胸を締め付けた。彼が生きている目的、それを果たしたらどうでもいいというのだろうか。
彼の人生は彼のもの。
私が口を挟む余地なんてないし、私にそんな権利は端からない。
『…』
「おっと…泣かないでくれるかい?コネコちゃん」
『え…』
目元を彼の指が通って、堪えていた筈の涙が溢れたのに気づいた。
「涙は大事な時の為にとっておくもの…だぜ?」
『ゴドー検事が、そんなこというからです』
「…」
堰を切ったように、とはこういう事をいうのだろう。
涙と共に言葉が込み上げて来る。
『コーヒーを飲む姿も煙草を吸う姿も素敵です、止めるつもりはありません。でも、お願いです、長生きする気が無くても構いませんから、…自分のことをどうでもいい風に言わないで下さい』
はっとなって口を噤む。
差し出がましいことを言った。
彼を困らせるだけ。
『すみません…』
「……コネコちゃんの頼みだ、今回は受けるか」
『えっ』
「礼儀正しいアンタがまくし立てるんだ。真摯に受け止めなきゃ男が廃るぜ」
煙草を揉み消して資料をデスクに戻す。その口元から苦々しさは消え、愉しげに口角をあげていた。
『煙草もお酒もブラックも、お止めにならないんですよね?』
「ああ。それは譲れねぇな」
少し笑えた。
ゴドー検事はゴドー検事らしく。
そんな気がしたのだ。
「アンタが俺を心配してくれるのは、仕事の上司だからかい?」
やや間を置いて投げ掛けられた質問。答えにくい、そう思ったのは"仕事の…"ではないから。
「おいおい、沈黙で期待させないでくれ。答えろ、雨月」
『…っ』
焦燥の混じった声で呼ばれた名前に、背中が粟立った。
『確かに、仕事のパートナーとしても心配しています。でも、それ以上に…』
そこで声は途切れた。
彼の唇が吸い取ってしまったのだ。
一気にコーヒーと煙草の苦みで支配された口内。
苦手な筈の苦さに彼の存在を強く感じさせられて。
その苦みとは裏腹に甘い感覚に浸りきっていた。
「続きが見え見えだったぜ?」
唇を離されて第一声。
背中に腕を回しながら彼はそう言った。
『なら答えさせないで下さい』
「その返事は肯定ととっていいのかい?」
『ご自由にどうぞ。私は困りません』
私の答えに"クッ"と喉をならした彼。また愉しそうに笑っている。
「上等だ。楽しい女は好きだぜ、雨月」
『っ…』
期待していいの?
"彼女"は?
頭の中を疑問が飛び交った。
でも、それは強く抱きしめられた温もりに掻き消されて。
『私はゴドー検事が好きですよ』
真っ向勝負に出た。
「…クッ」
再び彼は喉をならして、私の耳元で囁いた。
「俺は愛してるぜ?雨月」
甘いひと時、苦い唇。
(ああ、まだ口の中が苦い)
Fin.
(コネコちゃん、シロップいれすぎじゃないかい?)
(ゴドー検事のキスが苦いからです)
(じゃあ、これからは多めに準備しとかねぇとな)
Fin.
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