リクエスト4
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《花朝》バレンタインネタ
マドンナ。
彼女はひっそりそう呼ばれていた。
綾里法律事務所の頃からのパラリーガルで、なんなら僕より法律知識があるんじゃないかとすら思う。
僕は、成歩堂龍一。
彼女は、羽影雨月。
同い年だけど、17歳からアルバイトで事務所に通い、事務所歴は先輩。
………なんでマドンナかって?
『おはようございます、龍一君』
「おはよう、雨月ちゃん」
鈴みたいな可愛い声と、朗らかな笑みを絶やさない人だからだ。
誰にでも優しく、誰からも好かれる。
不平不満を言うこともなく、度々訪れる厄介な依頼人なんかの愚痴を溢すこともなく『困った人ねぇ』なんて眉を下げて笑うだけ。
けれど、他人の話はよく聞いてくれる。
それこそ、他愛ない下らない話から、吐き出しても収まらないような愚痴、はたまた人生相談にも似た自身や身内の話。
どれも静かに頷いて聞いてくれる上に、楽しい話なら本当に楽しそうにしてくれ、悲しい話なら一緒に悲しんでくれた。
だから、雨月ちゃんと話しているとついつい喋り過ぎてしまう。
それは、僕や真宵ちゃんに限らず、依頼人だった矢張や捜査で出会う糸鋸刑事にとってもそうだ。
最近なんか御剣までメロメロ。
仕事に対する姿勢、法に関する考え方が真っ直ぐなところを含め、彼女は人を惹き付けて止まない。
「雨月くん、成歩堂のところは辞めて私のところで働かないか?給料は倍違うだろうし、毎日休憩には美味しい紅茶をご馳走しよう」
なんて、御剣に引き抜かれそうになるくらい。
勘弁してくれ、薄給の弁護士事務所の貴重なオアシスを奪わないでくれよ。
と、僕が言わなくたって
『怜侍君、お誘い嬉しいけど、私はあの事務所が好きなの。ごめんなさい。でも、怜侍君の紅茶は大好き、今度、お茶菓子持ってお邪魔してもいい?』
微笑んで断ってくれる。
その真っ直ぐさは結局、僕にも御剣にも好印象。
あの矢張にすら優しくしてやるもんだから
「俺と付き合ってくれよ雨月ちゃん!」
なんて、まとわり着かれもする。
『ごめんなさい、お気持ちには応えられないの。けど、矢張さん一途だから、きっと運命の人に会えるよ。その人を大切にしてあげて。ね?』
泣きつかれてるのに、唯はにかむだけで嫌な顔一つせず返事をするあたり、それも凄い。
語り出すと切りがないのだけど、そういう人なんだ。
マドンナ、なんて言われるだけあって。
そんな彼女が、数日前に真宵ちゃんとチョコレートを買いに行った。
時は2月14日、バレンタインと呼ばれる日。
ハロウィンすらお菓子を配ってくれた雨月ちゃんだから、チョコを貰えるんじゃないかと思ってた。
いや、勿論義理で。
そりゃあ、本命がいいけど、そんな夢は見てなかった。
けど
(…これは、もらえないパターン?)
現在17時。
何もなければ事務所を閉めて帰ろうと思う頃合い。
真宵ちゃんは雪のせいで電車に乗れないとかで、今日は来なかった。
雨月ちゃんは、午後イチで次の量刑裁判の資料をまとめに裁判所へ行ったきり戻ってこない。
とどのつまり、未だチョコレートを一つも貰えていないのだ。
(………まあ、ほら。戻ってきてから…とか)
それでも、僅かに期待しつつ、そわそわと事務所を閉める用意をしていれば。
♪~♪~
電話が鳴った。
「もしもし?」
『もしもし、龍一君。資料まとめ終わらなそうなので、先に施錠して帰ってください』
「え、そうなの?」
『はい。私は荷物持って来てるので、終わり次第直帰します』
「あ…そうなんだ」
『ええ、では、お疲れ様でした』
ピ。という音で途切れた通話。
僕の期待は儚くも散った。
(……絶対もらえると思ってたのに)
(いやでもほら、義理チョコ配らない主義とか)
(………じゃあ、真宵ちゃんと買いに行ったチョコはなんだ?)
(真宵ちゃんの分を、つきそいで…)
(いやいや、雨月ちゃんも買うって言ってたぞ)
逡巡しても思いの外ショックだった心は癒えなくて。
寧ろ、
(本命に渡すチョコを買いに行ったから…本命にだけ渡した………?)
最悪な答えを導き出してしまった。
(嘘だろ…誰だよ相手)
(片思いの告白だよな?)
(恋人いないって、言ってたはず)
悶々と、携帯を片手に持ったまま立ち尽くす。
(僕の知ってる人?)
(百歩譲っても矢張はないだろ、それだけはない)
(あんな滅茶苦茶で、騙され易くて、馬鹿で、事件の影にやっぱり矢張なアイツは………)
(…でもなぁ、雨月ちゃんは優しくて面倒見いいから…もしかするかもしれない)
(それでいったら糸鋸刑事なんかもっと面倒見がいあるんじゃないか?)
(三食そうめんなんて可哀想…みたいな)
(いやいやいやいや、雨月ちゃんは同情と愛情を履き違えたりしない)
(とすると…御剣か?)
(アイツは確かにカッコいい、金もある、仕事もできる……勝ち目ないぞ)
思い浮かんでは消えていく知り合いの顔。
ふと、得意気に笑う、ヒラヒラの付いた赤いスーツの男が脳裏に残った。
(今日、彼女は裁判所へ行ってる)
(直帰できるよう、荷物も全部持って…)
(彼女のトートバッグに、御剣へのチョコが…?)
(それって、直帰どころか今現在デートしてるんじゃ………!)
考えうる最悪のパターンだ。
ハッと我に帰れば、時刻は17時20分。
駆け出した足は、検事局へ向かっていた。
「御剣!」
駆け込んだ、上級検事室。
御剣はデスクで書面を広げたまま、眉間にヒビを入れてこちらを睨んでいた。
「…成歩堂か。どうした」
「あ、いや…雨月ちゃん来なかったかなって」
「来ていないが…連絡が取れないのか?」
「う、うん、そうじゃないんだけど」
「はあ…一体何をしにきたのだ貴様は…」
そして、その険しい顔のまま、席を離れてツカツカと僕に歩み寄る。
「油を売ってる余裕があるのだな。次の量刑裁判、前例が少なくて苦戦していると思ったが」
「そうでもないよ」
「ふん、得意の はったり だな。せいぜい足掻きたまえ」
(ぐぅっ!その通りだけど!)
御剣は、法廷で見せる得意気な表情に戻ると、小さく嗤って。
そのまま僕を見送ろうと席を立つ。
そうしたら見えた。
御剣の席の後ろ、山積みの袋と箱。
僕でもわかる、チョコの山だ。
「…御剣………その、チョコ」
「ああ、これな。殆んどはオバチャンからなのだが」
「オバチャン凄いな……」
「係官やら刑事やら清掃スタッフまでくれるものだからな。当分茶菓子には困らん。…お返しは骨が折れるが」
御剣は、そのチョコの山を眺めて溜め息をついた。
「…………これだけあっても、本命から貰えないのでは虚しいな」
「本命?」
「成歩堂もそうだろう?雨月くんから、貰いたかった。…義理でもな」
「本当にね。本命じゃなくても、貰いたかった。………誰にあげたんだろ」
「!?誰かに作ったのか!?」
そして、血相を変えて僕の話に食らいつく。
あれ?ということは、
「御剣も、貰ってないの?」
「…………」
無言の肯定に、僕も思わず沈黙した。
自分だけが貰ってない訳じゃない安堵、御剣が本命の可能性が減っただけで心が軽い。
一方、コイツ以外に本命がいるとしたら…という不安。
全部が胸の中でざわめいて言葉が出ない。
「…………彼女の本命、に作ったのだろうな」
「………………やめろよ、それ考えないようにしてたのに」
「無理を言うな。私か、100歩譲って貴様が本命なら文句もないが…ろくでもない奴だったらと思うと」
「でも、あと僕らが知ってて親しいのは…」
僕も御剣も知らない第三者なら、もう夢も潰えるのだけど。
「「矢張だけは…な」」
思い浮かべるのは、同じ顔。
いや、確かにお調子者で、後先考えてなくて、トラブルメーカーだけれども。
………根はいい奴だ。
ユーモアがあって、一途で、見ていて飽きない憎めない奴。
「………」
「………」
御剣と顔を見合わせた。
そんなことになったらどうしよう、と。青ざめる僕と、想像もしたくないのか眉間に深いヒビを刻む御剣。
そこへ。
ピリリリ、と、携帯の着信。
表示されているのは今まで話していた男の名前。………矢張。
「もしもし…」
「聞いてくれよ成歩堂!!」
通話ボタンを押せば、耳をつんざくような悲鳴じみた訴え。
「雨月ちゃんからチョコもらえなかった!!」
「………おう」
「なんだよ!反応薄いな!どうせお前は貰ってんだろ、あの、真宵ちゃんとかからも!!御剣だってそうだ、今もバカみたいな量もらってるに決まってる!みんなして俺を笑って楽しいかよ!!あーーっ、雨月ちゃんはくれるって信じてたのに!」
その辺で、通話を切った。
欲しい情報を吐くだけ吐いてもらったから、もう聞かなくてもいいだろう。
「……最悪の事態は免れたな」
「そうだね。………となると、」
「私たちの知らない誰か、か。今度紹介願おう」
「……僕は、まだ暫く知らないでいたいな」
そのあとは、再び鳴る着信音を無視して帰路についた。
翌日、
「はい、成歩堂君!真宵ちゃん特性のトノサマンチョコだよ。1日遅れだけど」
「あ、ありがとう」
「ポイントはね、トノサマンチョコを1回溶かして、もう1度トノサマンに作り直したところ!」
(それは………無駄というんじゃ…?)
元気に遊びに来た真宵ちゃんが、「3倍返しだからね!」とチョコレートを置いて行った。
そう、朝イチで来て、置くだけ置いて。「トノサマンの再放送見るから帰るね」と、飛び出して行ったのだ。
(嵐のような子だな…)
(チョコは鞄に仕舞って…と)
(僕も量刑裁判のやり方、復習しとかなきゃ)
それから暫くして、雨月ちゃんが出勤してくる。
「おはよう、雨月ちゃん」
努めて明るく言った。
『私、矢張君と付き合うことになりました』とか言われたらどうしようかと冷々しながら。
けど、それは杞憂で。
『おはようございます、龍一君』
彼女は変わらず、朗らかに笑った。
そして。
『1日遅れでごめんなさい。どうぞ、バレンタインチョコです』
そう、可愛い包みを差し出した。
「…え、僕に?」
『はい。龍一君に、』
「あ…ありがとう」
これは、予期してなかった。
まさか、翌日貰えるなんて。
(あ………もしかして)
そこで、はたと気づいた。
(チョコ、作れなかった…?)
確かに、次の裁判は難しい。
量刑裁判は、前例に基づいて刑を決めるから。事例が少ない今回は難易度が高い。
利点は、慣例に従う可能性が低いことだけど、同時に慣例を覆そうと思うとそれなりの実力が必要になる。
雨月ちゃんの資料づくりが難航するくらいだから、今回は相当だ。
そんなことも思いつかなかったなんて。
「…資料作りながらなんて、大変だったでしょ?ごめんね、任せっきりで」
『大丈夫。…っていっても、資料のことしか考えてなかったから、すっかり忘れてたんだけど』
珍しく苦笑する彼女の手から、包みを受けとる。
両手の平くらいのそれは、見た目より重かった。
「結構ずっしりしてるね」
『チョコケーキだから』
「凄い!開けてもいい?」
義理でもケーキとか焼くんだ、流石だなあ、とか思いつつ、包みのリボンに手を掛ければ。
『お家でゆっくり食べてよ。ね?』
と、その手を制した。
「食べるのは家でだけどさ、見るだけ」
『それも、お楽しみでしょ?』
「えー、昨日からずっと楽しみにしてたんだよ。ちょっとだけ」
『だーめ。そんなに言うなら夕方までお預け!先に作った裁判の資料見てからにして』
「そんなぁ…」
しかも、そのままチョコは没収されてしまう。
『……そんなにチョコ欲しかったの?』
「うん。わりとすごく」
『甘いもの、好きだっけ?』
「まあ、人並みには」
『………ふーん』
「え、今のはくれる流れでしょ?」
『開けないなら渡すよ』
「…うぐぅ」
結局、チョコは夕方までお預けのまま。
『家で食べてね。絶対よ』
何故か最後まで念を押されて。
(…なんであんなに頑ななんだろう)
(ああ見えて、料理下手とか?)
(それはそれで可愛いけど)
その約束通り、家に着いて。
直ぐにお湯を沸かして、夕飯の前だったけど、コーヒーとチョコケーキでお茶の時間にしようと思った。マグにインスタントコーヒーを入れて、お湯を注いで。
ローテーブルにチョコの包みと一緒に並べる。
煎餅布団に座って、心待ちにしていた包みを開けた。
透明で、可愛い柄のラップにくるまれたパウンドケーキの切れが3つ。
それから、メッセージカード。
(丁寧だなぁ、メッセージ添えてくれるんだ)
二つ折りのカードを、微笑ましく開いて。
『龍一君へ
本命です。受け取ってください。
雨月』
絶句した。
(返事はホワイトデーまで待たなくていいんだよな?)
(明日、事務所で)
(ダメだ、明日なんて待てない!)
思わず手にした携帯で、長いコール音の後。
僕は声を張り上げる。
「雨月ちゃん!僕も、君が本命なんだっ!!」
fin.