花と蝶 番外
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《幸せのほとり》※花宮の祖母が死ぬ話
俺の婆さんが亡くなったのは大学3年の冬、正月も明けてテストもレポートも締めた春休み直前の朝。
母からの電話で、都外にある婆さんの家まで雨月と新幹線で向かった。
荷物は礼服と数日分の着替え。
親族が少なく手がかかるのは見えていたから、入念な戸締まりもして。
雨月は動揺しまくりで、携帯で俺と母さんが打ち合わせを続けているのを伝えても、心此処に在らずといった感じ。
まあ…人が死ぬのなんて慣れないもんだ。
俺だって葬式をするのはおろか行ったこともない。
彼女は小学生の時祖父の葬式に出たらしいが、棺に花をいれてお経を聞いた記憶しかないという。
「雨月…今は、しっかりしろよ。婆さんの家族は俺達しかいないんだ」
『…っ、大丈夫。花宮を名乗るんだもの…役割は果たすよ』
「……頼んだ」
彼女は、一度きつく目を閉じて。
それから母さんと俺のやり取りを再確認していく。
通夜と葬儀の時間と服装、お斎の席や忌中、御霊前のお返しや受付の担当。
先も言ったが婆さんの親族は一人娘である俺の母、俺、俺の妻の雨月。
その3人だけだ。
婆さんも母さんも一人っ子で、爺さんも父さんもとっくに亡くなっててそちらの親族とはご無沙汰。
そんな折りだ、喪主は母さん、受付や案内は必然的に俺と雨月の役割。
親族は少ないが人脈の広い婆さんのことだ、二人じゃ骨が折れるだろう。
勿論彼女の両親とは連絡が取れない。
ただ、彼女の婆さんからは生花を一対出すという連絡を受けて。雪で交通手段が無く直接来れないからと電報まで寄越してくれるあたり。
こんなときに、雨月の優しさは婆さん譲りだとしみじみしてしまった。
「よく来てくれたね、まずは…お顔見てあげて」
婆さんの家に着いたのは夕方も近い頃。
婆さんの広い屋敷の、一際広い客間に寝かされた婆さんは。
「寝てるみたいだな」
『…おばあさん、お正月は、元気だったのに…』
息をしていないのが不思議なくらい、穏やかな顔だった。
朝、起きて来ない婆さんを母さんが見に行って気づいたらしいが、心不全で診断されたらしい。…心不全なんて、老衰じゃねぇか。
手を合わせて一呼吸したところから、慌ただしく明日の通夜の打ち合わせが始まる。
場所はこの家だし、用意するものも多く、作業は夜中までかかった。
翌日早朝。
婆さんは死化粧をして、母さんは電報や電話の対応。雨月は通夜食の用意。俺は届く枕花や生花の運搬と記録。
各々にドタバタとして、葬儀屋が祭壇や焼香台をセットしに来た午後3時。やっと一息つけた。
「今のうちに着替えて来なさい」
母さんの言葉で俺と雨月は礼服に着替える。
『真君、ネクタイできた?』
「ああ。お前は?ファスナー…は前だったな。ネックレスは?」
『ん…ネックレスだけまだ』
「後ろ向け、やってやるから」
黒いフォーマルドレス、黒いストッキング、長い黒髪は黒いゴムで一つに束ねられた彼女。
黒真珠のネックレスを首に回し、束ねた髪を前に避けて留め金を繋ぐ。
『んっ…ありがとう』
ネックレスが冷たかったのだろう、一瞬身を固くした雨月。
でも、首を後ろに少し捩って小さく微笑んだ。
「……」
『真君?』
「いや…婆さんのセンスは間違ってなかったと思ってよ」
このフォーマルを買ってくれたのは婆さんだ。
成人したなら持っていなさい、不謹慎とかじゃなく、死は誰にでも平等に訪れる、正装を持っていないなんて失礼なことだから。と。
雨月はまだ若いからと、胸元に控えめなリボンのついたワンピース。
俺は普通に黒のスーツに黒ネクタイ。
明日雨月が着る家紋付きの着物もそう。
婆さんが年功序列で自分が最初に逝くだろうから、雨月が婆さんの着物を着ればいい。と譲ったもの。
その時は気が早いと言ったが、婆さんがこの着物を着るのは、母さんか俺か雨月が死ぬとき。そんな場面が起こってはいけない…と頑なに意見を変えなかった。
『…おばあさんも、このワンピース気に入ってたものね』
「自分が若い頃はこんないいのなかったってな」
『そうそう』
つい、この前の話だというのに。
こんなに遠い事のように思えるなんて。
そんな感傷に浸れたのは一瞬。
通夜の列は長く、ひたすら頭を下げてはお返しを渡すの繰り返し。母さんが挨拶受け、俺が返礼、雨月が案内。
いい加減捌けたと思って枕経を始めたら、それからもそこそこにやって来て。
喪主は動けないから雨月が挨拶受けをする。
それも終わって納棺をして。
寺に飯を持たせて解散。
本来は会食らしいが、人数が人数だから帰ってもらった。
「真、雨月ちゃん、疲れたでしょ。婆ちゃんに挨拶したら早く休みなさい」
「母さんも着付けで朝早いだろ。片付けはするから、」
「いいの。私は…もうちょっとお母さんと居たいから」
「……」
母さんの言葉に返す言葉もなく、おとなしく俺達に用意された部屋へ戻った。
『……』
「疲れたろ、知らない奴相手の挨拶ばっかで」
『うん、少しね。でも、おかげでおばあさんがどれだけ色んな人から思われてたかわかったよ』
「…そうか、」
疲れた目元で、うっすら笑った彼女。
寒さで青白い肌と、普段は下ろしている髪を束ねた為に見えるうなじ。
黒いワンピースと黒いストッキング。
(やっぱり、俺はひねくれてるな)
今の彼女は、今まで見た中で一番美しい。
きっと、明日見る着物の彼女も。
『…っ、真君?』
着る機会はそうないだろう。と、後ろから抱き寄せれば戸惑った声がした。
「………」
『真君も、疲れたよね。明日もあるし、早く寝よっか』
無言を返せば、甘えたとでも捉えてくれたのか。そんな言葉を返してくれる。
欲情した、なんて。言えるわけないが。
翌日、予定通り着物を着て出棺、火葬、告別式を終えて。寺を交えたお斎の席は形だけ。
それでも丸一日かかったから、3人とも疲弊している。中でも、喪主をしていた母さんはフラフラで。
「このあとの事は俺らでやるから、先に着替えて休んでろよ」
「でも…」
『私達は大丈夫です、お母さんしか出来ない仕事も明日からはありますし…今だけでも』
「ありがとう、じゃあ、先に着替えてくるわね」
母さんを着替え部屋に送り、二人で祭壇を見る。
『……私は真君より先に死ねないわ』
「俺もお前を置いて死ぬつもりは無いんだが」
ふと呟いた彼女に即答すれば、彼女は首を強く横に振る。
『駄目。棺におにぎり入れたでしょ?私が作ったのじゃなきゃ食べれないんだから。それとも、違う人に作って貰うつもり?』
「…それは、確かに勘弁だが…」
『でしょ?それに、私が先に死んじゃったら、真君の死因は餓死だよ?何も美味しくない状態で生きるの嫌じゃない』
「……なら、お前は寝れない夜を過ごして過労死すると」
『私が眠る時は真君と会える時だよ、そう思えば…思い出に埋もれて起きてるのも悪くない』
…俺達は多分、どちらかが死んだらどちらかも長くは無いだろう。
遅かれ早かれ、その時はやってくる。
「……俺は直ぐに迎えにいっちまいそうだな。現世で永く…なんて言えそうにない」
『私も自分から会いにいっちゃいそう』
「…無理に追いかけて来なくていいからな」
『それは私が先に逝っても同じだからね?』
考えたくないが、俺を看取るとすれば彼女がいいし、彼女を看取るとすれば俺以外にないから。必然だし当然だ。
彼女を棺に納めて見送る時が来るのなら。
顔の周りは彼女が好きな花で埋め尽くして、彼女に送った服と、靴を入れて。
どんなに不恰好でも、俺が作った飯を少し持たせて。
写真と手紙もいれようか。
送ったアクセサリーは、燃えないから骨壺に一緒に入れよう。
俺が持ってても意味ないし、全部彼女のものだ。
『もし、私が先にいっちゃったら、きっと一人じゃ寝れないし…真君の服も1枚入れてね』
「……ユニフォームとジャージ入れてやる」
『…ありがとう。真君は…』
彼女が俺の棺に入れようと思った物も俺と変わらず。
『指輪も持たせるからね?あっちで私がいくまでの虫除け』
「…その頃には爺さんになってるだろ」
『それでも』
いつ死ぬかなんて、わかったもんじゃない。
でも、それはずっとずっと未来のことであればいいと思う。
「……ああ、あれ、入れてくれ」
『?』
「お前の髪」
『髪?』
「来世でも雨月を見つけられるように」
『……わかった。絶対見つけてね?』
告別式の会場になった和室を片付けて。
婆さんの祭壇はこぢんまりした客室に移す。
49日を過ぎたら、居間にある仏壇とひとまず一緒にする予定だ。
…どうせ新盆だ一年忌だってすぐに祭壇も出すんだろうが。
『おばあ…さん』
「……慌ただしかったな。暫くゆっくりしてもいいだろ。ほら、哀しむなら今だ」
着物が崩れないよう正面から緩く抱き寄せれば、彼女はこくりと頷いて。
俺の服に涙を吸わせていく。
何もかも終わってからでなければ、身内の死を悼む暇もないのが日本の葬儀だ。
(やっぱり、俺はこいつより先には逝けないな)
いくら彼女にとって家族が大切なものとはいえ、婆さんに会った回数は両手の指で足りる。
盆正月の宿泊を思っても、過ごした時間は1ヶ月に満たない。
…にも拘らず、彼女の嗚咽は噛み殺し切れない程。
ならば。
突然、俺が先立つようなことがあったら…
彼女は耐えられるだろうか
いや、無理だろうな。
(…俺だって、耐えられない)
彼女を置いてなんて、死んでも死にきれないし。
彼女が突然居なくなるのだって、耐えられないし。
……そんな思いを。
雨月にさせたくはないから。
『私も、着替えようかな』
一息ついた彼女の喪服姿を見下ろして、やっぱり綺麗だと思う。
「少し、待てよ」
束ねた髪をまとめあげて、晒された首筋の白さ。後れ毛が出ているところも、目元に隈が出来ているのも、悩ましい。
未亡人が魅力的ってのは、こういう雰囲気だろうな。
『ん?』
「……、当分見れないから良く見とこうと思って」
『…バカ。そう簡単に見る機会があったら困るよ』
「わかってる。が…ああ、不謹慎ってのは理解してるんだ、怒るなよ?…綺麗だ」
『…』
彼女は複雑な表情を浮かべて目を逸らした。
けど、視線を外したまま小さな声で呟く。
『…真君の黒ネクタイも、格好いい』
「なんだ、似た者同士だな」
『流石に欲情はしないけどね』
「ふは、バレてたか」
抱き締めた腕を緩めて頬を撫でれば。
やはり複雑そうに、こちらに視線を向ける。
『…49日、過ぎてからね。おばあさん見てるから』
「おま…2ヶ月あるぞ」
『うん』
「…自信無ぇ」
目尻に唇を寄せれば、彼女は困ったようにはにかんだ。
『我慢した分、天国見れるかもよ?』
そんな冗談言えるくらいには落ち着いたのか。
なら、大丈夫だろ。
「言ったな?覚悟しとけ」
冗談にしてやる気は、更々ないが。
『え、あ、あのね』
「心配すんな、お前にも天国見せてやる。いくときは一緒だ」
まだモゴモゴと言いたげな彼女を解放し、襟元を撫でて笑う。
「さ、着替えて来い。これ以上は目の毒だ」
彼女はさっと顔を赤くして、慌てて着替えに行った。
(本当に49日か…7週間だろ?)
その背中を見送って、祭壇の遺影をみやる。
厳格な婆さんのことだ、目くじら立てるにちがいない。
(でもまさか、葬儀の日にこんな話されるとは思わなかったろうな)
その、凛とした遺影に手を合わせて。
目を閉じた。
(そっちでは、少しゆっくり過ごせばいい。何も責任を感じる必要もないし、育児も人付き合いも好きなようにしたらいい。…ああ、こんな孫どもだが、気が向いたら見守ってくれ。あと、母さんも)
(…なんて、らしくないか、)
『終わったよ、真君も着替えて休もう?』
「ああ、すぐ着替える。布団出しといてくれ」
貴女とのお別れを惜しんで
君とのお別れに想いを馳せて
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今ある日々は 永久には続かないのだから
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Fin.