短編①
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《貴方に花を》:古橋
……古橋視点……
彼女は小さな時から人気者だった。そんな、優しくて明るくて可愛らしい彼女は隣の家に住んでいて。
昔から花が大好きだった。
最初の記憶は幼稚園の年中、俺は5歳で秋も終わる頃。
「雨月ちゃん、今日お誕生日なんだよね?おめでとう!」
『うん!ありがとう!』
「じゃあねぇ、好きなものあげる!何がいい?」
『私、お花が好き』
そんなやりとりをクラスの端から聞いていた。
最初に言った通り、秋も終わる頃だ。その辺に花なんて咲いてなくて、取り巻いていたクラスメイトは折り紙やら絵やらで花を作って渡していく。
彼女は受けとる度に、
『ありがとう!』
と、嬉しそうに笑った。
俺はといえばその輪に入ることこそ出来なかったが、あんなに喜ぶのなら何か渡したいと思った。
結局幼稚園では何も渡せず、帰りのバスを一緒に降りたところで彼女を引き留める。
「雨月ちゃん、そこで待ってて」
『こうじろう君?』
「…まってて」
俺は、折り紙も絵も得意じゃなかったけど、この季節でも庭に花が咲いているのを知っていた。
いくつかある色の中から一番きれいなのを選んで、手折る。
「これ…おたんじょうび、おめでとう」
『っ!ありがとう!!』
今思えば大分ぶっきらぼうに渡したのに、彼女は随分喜んで受け取った。
その時はそんな言葉を知らなかったけれど、彼女の笑顔の方が花より綺麗に咲いていたと思う。
それから半年、今度は俺の誕生日がやってきた。
幼稚園では部屋の隅にいて、友達と呼べるような相手はいなかったから。彼女のようにはならなかった。
でも、
『こうじろう君、そこで待ってて』
「雨月ちゃん?」
『まっててね?』
帰りのバスを降りたら、いつかしたことのあるやりとりがあって。
一度入った玄関から急いで飛び出してきた彼女の手には、小さな包みがあった。
『これ。おたんじょうび、おめでとう!』
「…ありがとう」
まさか、知っていてくれるとは思わなくて。小さな包みを大事に抱えた。
『また明日ね!こうじろう君!』
そう言って今度こそ家に帰っていった彼女を見送って、自分も家に入る。
そして、包みを破かないように丁寧に、たどたどしくほどいた。
中に入っていたのは瓶詰めのジャム。
その時イチゴジャムしか知らなかった俺は、綺麗な黄色が入っているようにしか見えなかった。
ただ、透き通るようにきらきらしていて、よく見るとオレンジの皮が入っている。
そして、僅かに香る甘くて爽やかな香りに胸が高鳴るのを感じていた。
「あら康次郎、プレゼント貰ったの?おいしそうなマーマレードね」
「マーマレード?」
「オレンジの皮で作るジャムよ。パンにつけて食べようね」
眺めていた母がそう言ったのを聞いて、それがマーマレードというジャムだと知った。
「雨月ちゃん、康次郎がパンが好きだって聞いて、お母さんと手作りしたんだって。よかったね」
更に、お礼の電話をした母がそんなこともいうものだから。
「…!康次郎、もっかい笑ってごらん?」
「…?」
気づかないうちに喜びが一瞬、顔に出たようだった。
.
……ヒロイン視点……
初めて本物の花を貰ったのは幼稚園に通っていた頃、5歳の誕生日の時だった。
私は寒くなる季節に生まれたから、友達は皆折り紙や絵で花をくれた。
勿論、それはそれで嬉しかったのだけど
(どうして私の誕生日には、お花が咲いてないんだろう)
少し寂しかったのは事実で。
隣の家に住んでいる男の子がぶっきらぼうに差し出した本物の花に、とても喜んだものだった。
ただ、本物の花は生きているから。花瓶に挿していても花弁が散っていく。
その様を見て涙ぐむ私に、母は押し花を教えてくれた。
今でもその押し花は大切にとってあるし、その花は大好きな花になった。
余りに嬉しくて、その男の子の誕生日には母と一緒にジャムを手作りして送った。
彼がパンが好きだとは知っていたけど、パンは難しくて作れなかったから。せめて好きなパンがもっと美味しく食べれるようにと作ったのがマーマレードだった。
彼も喜んでくれたらしく、次の私の誕生日にはまた同じ花をくれた。
私は益々その花が好きになり、来年も同じ花が欲しいとねだりもしたし、彼にもマーマレードをねだられた。
小学校に上がってもその関係は続き、その花の名前やどういう時に使う花なのかも知った。
それでも生まれて初めてもらったその花は大好きで、貰えるのがとても嬉しかった。
だから、私も毎年彼にジャムを送った。彼もマーマレードが気に入ったようで、一度だけ「また、これくれる?」と聞いてきたことがあって。それからマーマレードが定番になった。
しかし、その関係に突如亀裂が入った。
中学校にあがり、お互いに呼び捨てしあうくらい気軽な友達になって。
今まで通り彼にマーマレードを送り、彼から花を受けとる。
部活や塾の時間などで、直接会うのは難しかったから、今回彼からの花は玄関に置いてあったのだけど。
翌日のことだ。
「雨月ちゃんって、古橋君と仲悪いの?」
『康次郎?なんで?』
「昨日、雨月ちゃんの家に菊の花を置いてるの見ちゃったんだよね。誕生日にわざわざその花を送るって、嫌がらせかなって思った」
『…どういうこと?』
「菊ってお墓に飾る花じゃん?古橋君も雨月なんて名前で呼んでて仲良さげだけど、本当はどうなの?」
『康次郎は、私が花を好きだって知ってるからくれただけだよ』
「えー、古橋君って表情に出ないからわかんないじゃん。案外死んでくれとかだったらどうする?」
確かに、私に送られる花は菊だ。仏花と呼ばれるそれは死者へ送られることが多いけれど、そんなこと考えもしなかった。
だって、私が好きだと言ったからその花をくれるのだと信じていたから。
「そもそも付き合ってもないのに、名前で呼んじゃうとかうざいのかもね。古橋君、そういうの嫌いそうじゃん。」
雨月ちゃんも嫌じゃないの?クラスの男子、古橋君が彼氏だと思って告白できないでいるって聞いたけど。
そう、続けた友人の声は殆んど入って来なかった。
―康次郎に、うざいと思われていたのだろうか。
彼は確かに大人びている。いつからか、私がいつまでも子どものように名前で呼ぶのを嫌がっていたのだろうか。
それを、あの花に託していたというんだろうか。
また欲しいと言ってくれたジャムも、本当はもう要らないんだろうか。
頭を回る疑問が衝撃的すぎて、友人が帰っていったのにすら気づかず曖昧な返事をしていた。
.
……古橋視点………
『久しぶりだね、一緒に帰るの』
「俺は部活が遅いからな」
『私も塾で早く帰っちゃうもんね』
ぎこちない会話だった。
俺はもとからこんなものだが、彼女も不自然だった。
…それはそうだろうな、あんな会話をしたらぎこちないのは無理もない。
俺は偶々教室の前を通りかかり、彼女とその友人の会話を聞いてしまった。
もとよりその友人というやつはブラックジョークが激しく、ひがみっぽい性格で俺は好かなかったが。彼女はどうやら真に受けたらしい。
俺までぎこちないのは、
"雨月ちゃんも嫌じゃないの?名前で呼ばれるの"
その問いに、彼女が答えなかったから。
無言は肯定なのだろうか。それとも悩んでいたのだろうか。まあ、悩む時点でそれは肯定と同義だ。
『こう…っ、花…ありがとうね』
「…ああ」
康次郎、と。いつもなら呼び掛けるのに、それを押し殺した彼女に確信してしまった。
『あのさ、
「なあ」…』
だからつい、言葉を遮った。
いつかは崩れるものだと解っていたけれど、切り出されるとなると、嫌なものだ。
「…そろそろ、名前で呼ぶのを止めないか」
『…っ、そう、だよね。もう、子どもじゃない、もんね』
彼女に突き放されるなんて、俺は多分耐えられないから。
自分から捨ててしまえばいいんだ。
今壊してしまえば、優しくて明るい彼女の揺れる瞳も、その顔も、少し震えた声も。今だけは俺のものになる。
じくりと痛んだ胸の底で、そんなことを考えた。
それくらい、彼女に抱いている感情は特別なものになっていたのに。
このままでもいいと甘んじて享受していた関係は、脆くも崩れていったのだ。
彼女の名前を呼ばなくなって
彼女から名前を呼ばれなくなって
彼女に花を送らなくなって
彼女からジャムも届かなくなって
4年目。高校2年になった。
彼女とは意図せず同じ高校になり、言葉を交わすことはないが、視界の端にいつも見ていた。
うちの高校には園芸部がなく、彼女は合唱部に入ったらしい。人数が足りないからとか、そんな理由だったがそこそこ楽しんでいるようだ。
俺はといえば。
「ガーデニングが趣味とか、似合わねぇな」
「似合ってはいるだろ。意外っちゃ意外だが」
花を送らなくなってから、花を育てるようになった。
部活が忙しいから大した量や質にはならないが、花を見ていると彼女が隣にいた頃に浸れるような気がした。
自分から捨てたはずなのに、未練がましくて可笑しな話だ。
.
……ヒロイン視点………
彼の名前を呼べなくなった
彼に名前を呼ばれなくなった
彼にジャムを贈れなくなった
彼から花が届かなくなった
なのに。
彼は高校に入ってガーデニングを始めた。
私の家には庭がなくて、いくら花が好きでも育てるのは精々観葉植物だった…のはまあいいとして。
彼の庭の小さなスペースに咲く、色とりどりの花。秋には菊もあった。
もしかしたら、また、あの頃のように…と思ったけれど。その花が私に届くことはなかった。
最後に花を貰ったのは、13歳の誕生日。明日、花を貰えなくなって4回目の誕生日がくる。
私に届くことはない、あの庭の花は。誰に渡す花なのだろう。
彼に貰う花が初めてで、最期に貰う花も彼からがよかった。
それくらい、好きだったんだ。
あの時、名前を呼ぶのを止めないか、と言われて。
理由を聞けなかった。
嫌われているのかもしれないなんて、突き付けられたくなかったから。"子どもじゃないから"と、自分から逃げたのに。
今では、呼ばれないのがこんなに寂しいなんて。
呼べないのがこんなに歯痒いなんて。
馬鹿みたいだ。
そして今日。17歳の誕生日。
特別な理由もなく入った合唱部だけど、屋上でこっそり練習することもある。
その時、珍しく外周を走るバスケ部を見かけて。その中に彼をみつけてしまった。
もう、見てるだけなんて苦しい。
…これで届かなければ、諦めよう。
そう思って、即興で短いフレーズを歌い出した。
………古橋視点………
どこかの部が体育館を30分貸して欲しいと言ったために、30分外周をするはめになった。
彼女は希に屋上で練習しているから、少しでも聞けたらいい。なんて、実は満更でもない。
暫くすると、微かに声が聞こえてきて。ラッキーだな、なんて思ったのに。喧噪の隙間に歌詞が聞き取れて、足が止まりそうになった。
名前なんていらないよ
君が呼んでくれないなら
名前なんていらないよ
君が呼んでくれないなら
名前なんていらないよ
君が答えてくれないなら
最後に花を貰ったのはいつだろう
最後に花を贈るのは誰だろう
練習、というよりは。
叫ぶような歌い方で。
既に止まっていた足にも気づかず、屋上に目を向けていた。
足を止めた俺に、花宮が怪訝そうに寄ってきたが、顔を見るなり舌打ちをして。
「今日は帰れ。そんな顔で練習くんな」
と、踵を返した。
どんな顔だというのか。と、頬に手をやれば。瞬きの度に水滴が触れた。
………ヒロイン視点………
塾を終えて、暗くなった帰路についていれば。
自宅の前に人影が見えて、息をのんだ。
見間違えるわけない。
彼が…
「……」
『…あ』
「誕生日、おめでとう」
『…っ!』
彼が、菊の花を8本持って立っていた。
リボンで束ねられたそれを、少しぶっきらぼうにつきだすのは、5歳の時と変わらない。
変わったのは、彼の顔が随分上にあること。
『あ、ありが、とう』
「4歳までの分と、14歳からの4年分だ」
『…』
「来年も、この花でいいだろうか」
『っ、うん。この花がいい』
「そうか」
見上げた顔は、表情豊かではないけれど。変わらない、落ち着いた表情に安心するのは昔からで。
「なあ、菊の花言葉を知っているか」
『…知っててこの花がいい…って言ったら?』
「……雨月、とまた呼ばせて欲しい」
『私も、康次郎って呼んでいいなら』
「ああ」
その、喜びをめったに表さない表情が少し緩んだ。
「雨月」
『康次郎、』
私は、彼に呼ばれることで私でいられる。
彼の名前も、私が呼んで、彼が答えることで存在する。
これからも、彼から花を受け取って。貰った花を今まで通り押し花にして、歳の数だけ頁が増えていく。…考えるだけで幸せだ。
そう思ったらつい、笑みが溢れた。
「…やっぱり、花より雨月の笑顔の方が、咲くという動詞が似合うな」
『康次郎、どこでそんな口説き文句覚えたの』
「雨月を見て素直にそう思っただけだ。口説く、というのは間違いないが」
『…もう、散々誕生日の度に口説いてたのに』
「好きな相手にくらい素直に言ってもいいだろう」
『…、嬉しいよ、康次郎。私も好きだから』
菊の花言葉は、愛。
彼女の好きな花は、死んでも贈られ続ける。
Fin
貴方に花を/私に歌を
……古橋視点……
彼女は小さな時から人気者だった。そんな、優しくて明るくて可愛らしい彼女は隣の家に住んでいて。
昔から花が大好きだった。
最初の記憶は幼稚園の年中、俺は5歳で秋も終わる頃。
「雨月ちゃん、今日お誕生日なんだよね?おめでとう!」
『うん!ありがとう!』
「じゃあねぇ、好きなものあげる!何がいい?」
『私、お花が好き』
そんなやりとりをクラスの端から聞いていた。
最初に言った通り、秋も終わる頃だ。その辺に花なんて咲いてなくて、取り巻いていたクラスメイトは折り紙やら絵やらで花を作って渡していく。
彼女は受けとる度に、
『ありがとう!』
と、嬉しそうに笑った。
俺はといえばその輪に入ることこそ出来なかったが、あんなに喜ぶのなら何か渡したいと思った。
結局幼稚園では何も渡せず、帰りのバスを一緒に降りたところで彼女を引き留める。
「雨月ちゃん、そこで待ってて」
『こうじろう君?』
「…まってて」
俺は、折り紙も絵も得意じゃなかったけど、この季節でも庭に花が咲いているのを知っていた。
いくつかある色の中から一番きれいなのを選んで、手折る。
「これ…おたんじょうび、おめでとう」
『っ!ありがとう!!』
今思えば大分ぶっきらぼうに渡したのに、彼女は随分喜んで受け取った。
その時はそんな言葉を知らなかったけれど、彼女の笑顔の方が花より綺麗に咲いていたと思う。
それから半年、今度は俺の誕生日がやってきた。
幼稚園では部屋の隅にいて、友達と呼べるような相手はいなかったから。彼女のようにはならなかった。
でも、
『こうじろう君、そこで待ってて』
「雨月ちゃん?」
『まっててね?』
帰りのバスを降りたら、いつかしたことのあるやりとりがあって。
一度入った玄関から急いで飛び出してきた彼女の手には、小さな包みがあった。
『これ。おたんじょうび、おめでとう!』
「…ありがとう」
まさか、知っていてくれるとは思わなくて。小さな包みを大事に抱えた。
『また明日ね!こうじろう君!』
そう言って今度こそ家に帰っていった彼女を見送って、自分も家に入る。
そして、包みを破かないように丁寧に、たどたどしくほどいた。
中に入っていたのは瓶詰めのジャム。
その時イチゴジャムしか知らなかった俺は、綺麗な黄色が入っているようにしか見えなかった。
ただ、透き通るようにきらきらしていて、よく見るとオレンジの皮が入っている。
そして、僅かに香る甘くて爽やかな香りに胸が高鳴るのを感じていた。
「あら康次郎、プレゼント貰ったの?おいしそうなマーマレードね」
「マーマレード?」
「オレンジの皮で作るジャムよ。パンにつけて食べようね」
眺めていた母がそう言ったのを聞いて、それがマーマレードというジャムだと知った。
「雨月ちゃん、康次郎がパンが好きだって聞いて、お母さんと手作りしたんだって。よかったね」
更に、お礼の電話をした母がそんなこともいうものだから。
「…!康次郎、もっかい笑ってごらん?」
「…?」
気づかないうちに喜びが一瞬、顔に出たようだった。
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……ヒロイン視点……
初めて本物の花を貰ったのは幼稚園に通っていた頃、5歳の誕生日の時だった。
私は寒くなる季節に生まれたから、友達は皆折り紙や絵で花をくれた。
勿論、それはそれで嬉しかったのだけど
(どうして私の誕生日には、お花が咲いてないんだろう)
少し寂しかったのは事実で。
隣の家に住んでいる男の子がぶっきらぼうに差し出した本物の花に、とても喜んだものだった。
ただ、本物の花は生きているから。花瓶に挿していても花弁が散っていく。
その様を見て涙ぐむ私に、母は押し花を教えてくれた。
今でもその押し花は大切にとってあるし、その花は大好きな花になった。
余りに嬉しくて、その男の子の誕生日には母と一緒にジャムを手作りして送った。
彼がパンが好きだとは知っていたけど、パンは難しくて作れなかったから。せめて好きなパンがもっと美味しく食べれるようにと作ったのがマーマレードだった。
彼も喜んでくれたらしく、次の私の誕生日にはまた同じ花をくれた。
私は益々その花が好きになり、来年も同じ花が欲しいとねだりもしたし、彼にもマーマレードをねだられた。
小学校に上がってもその関係は続き、その花の名前やどういう時に使う花なのかも知った。
それでも生まれて初めてもらったその花は大好きで、貰えるのがとても嬉しかった。
だから、私も毎年彼にジャムを送った。彼もマーマレードが気に入ったようで、一度だけ「また、これくれる?」と聞いてきたことがあって。それからマーマレードが定番になった。
しかし、その関係に突如亀裂が入った。
中学校にあがり、お互いに呼び捨てしあうくらい気軽な友達になって。
今まで通り彼にマーマレードを送り、彼から花を受けとる。
部活や塾の時間などで、直接会うのは難しかったから、今回彼からの花は玄関に置いてあったのだけど。
翌日のことだ。
「雨月ちゃんって、古橋君と仲悪いの?」
『康次郎?なんで?』
「昨日、雨月ちゃんの家に菊の花を置いてるの見ちゃったんだよね。誕生日にわざわざその花を送るって、嫌がらせかなって思った」
『…どういうこと?』
「菊ってお墓に飾る花じゃん?古橋君も雨月なんて名前で呼んでて仲良さげだけど、本当はどうなの?」
『康次郎は、私が花を好きだって知ってるからくれただけだよ』
「えー、古橋君って表情に出ないからわかんないじゃん。案外死んでくれとかだったらどうする?」
確かに、私に送られる花は菊だ。仏花と呼ばれるそれは死者へ送られることが多いけれど、そんなこと考えもしなかった。
だって、私が好きだと言ったからその花をくれるのだと信じていたから。
「そもそも付き合ってもないのに、名前で呼んじゃうとかうざいのかもね。古橋君、そういうの嫌いそうじゃん。」
雨月ちゃんも嫌じゃないの?クラスの男子、古橋君が彼氏だと思って告白できないでいるって聞いたけど。
そう、続けた友人の声は殆んど入って来なかった。
―康次郎に、うざいと思われていたのだろうか。
彼は確かに大人びている。いつからか、私がいつまでも子どものように名前で呼ぶのを嫌がっていたのだろうか。
それを、あの花に託していたというんだろうか。
また欲しいと言ってくれたジャムも、本当はもう要らないんだろうか。
頭を回る疑問が衝撃的すぎて、友人が帰っていったのにすら気づかず曖昧な返事をしていた。
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……古橋視点………
『久しぶりだね、一緒に帰るの』
「俺は部活が遅いからな」
『私も塾で早く帰っちゃうもんね』
ぎこちない会話だった。
俺はもとからこんなものだが、彼女も不自然だった。
…それはそうだろうな、あんな会話をしたらぎこちないのは無理もない。
俺は偶々教室の前を通りかかり、彼女とその友人の会話を聞いてしまった。
もとよりその友人というやつはブラックジョークが激しく、ひがみっぽい性格で俺は好かなかったが。彼女はどうやら真に受けたらしい。
俺までぎこちないのは、
"雨月ちゃんも嫌じゃないの?名前で呼ばれるの"
その問いに、彼女が答えなかったから。
無言は肯定なのだろうか。それとも悩んでいたのだろうか。まあ、悩む時点でそれは肯定と同義だ。
『こう…っ、花…ありがとうね』
「…ああ」
康次郎、と。いつもなら呼び掛けるのに、それを押し殺した彼女に確信してしまった。
『あのさ、
「なあ」…』
だからつい、言葉を遮った。
いつかは崩れるものだと解っていたけれど、切り出されるとなると、嫌なものだ。
「…そろそろ、名前で呼ぶのを止めないか」
『…っ、そう、だよね。もう、子どもじゃない、もんね』
彼女に突き放されるなんて、俺は多分耐えられないから。
自分から捨ててしまえばいいんだ。
今壊してしまえば、優しくて明るい彼女の揺れる瞳も、その顔も、少し震えた声も。今だけは俺のものになる。
じくりと痛んだ胸の底で、そんなことを考えた。
それくらい、彼女に抱いている感情は特別なものになっていたのに。
このままでもいいと甘んじて享受していた関係は、脆くも崩れていったのだ。
彼女の名前を呼ばなくなって
彼女から名前を呼ばれなくなって
彼女に花を送らなくなって
彼女からジャムも届かなくなって
4年目。高校2年になった。
彼女とは意図せず同じ高校になり、言葉を交わすことはないが、視界の端にいつも見ていた。
うちの高校には園芸部がなく、彼女は合唱部に入ったらしい。人数が足りないからとか、そんな理由だったがそこそこ楽しんでいるようだ。
俺はといえば。
「ガーデニングが趣味とか、似合わねぇな」
「似合ってはいるだろ。意外っちゃ意外だが」
花を送らなくなってから、花を育てるようになった。
部活が忙しいから大した量や質にはならないが、花を見ていると彼女が隣にいた頃に浸れるような気がした。
自分から捨てたはずなのに、未練がましくて可笑しな話だ。
.
……ヒロイン視点………
彼の名前を呼べなくなった
彼に名前を呼ばれなくなった
彼にジャムを贈れなくなった
彼から花が届かなくなった
なのに。
彼は高校に入ってガーデニングを始めた。
私の家には庭がなくて、いくら花が好きでも育てるのは精々観葉植物だった…のはまあいいとして。
彼の庭の小さなスペースに咲く、色とりどりの花。秋には菊もあった。
もしかしたら、また、あの頃のように…と思ったけれど。その花が私に届くことはなかった。
最後に花を貰ったのは、13歳の誕生日。明日、花を貰えなくなって4回目の誕生日がくる。
私に届くことはない、あの庭の花は。誰に渡す花なのだろう。
彼に貰う花が初めてで、最期に貰う花も彼からがよかった。
それくらい、好きだったんだ。
あの時、名前を呼ぶのを止めないか、と言われて。
理由を聞けなかった。
嫌われているのかもしれないなんて、突き付けられたくなかったから。"子どもじゃないから"と、自分から逃げたのに。
今では、呼ばれないのがこんなに寂しいなんて。
呼べないのがこんなに歯痒いなんて。
馬鹿みたいだ。
そして今日。17歳の誕生日。
特別な理由もなく入った合唱部だけど、屋上でこっそり練習することもある。
その時、珍しく外周を走るバスケ部を見かけて。その中に彼をみつけてしまった。
もう、見てるだけなんて苦しい。
…これで届かなければ、諦めよう。
そう思って、即興で短いフレーズを歌い出した。
………古橋視点………
どこかの部が体育館を30分貸して欲しいと言ったために、30分外周をするはめになった。
彼女は希に屋上で練習しているから、少しでも聞けたらいい。なんて、実は満更でもない。
暫くすると、微かに声が聞こえてきて。ラッキーだな、なんて思ったのに。喧噪の隙間に歌詞が聞き取れて、足が止まりそうになった。
名前なんていらないよ
君が呼んでくれないなら
名前なんていらないよ
君が呼んでくれないなら
名前なんていらないよ
君が答えてくれないなら
最後に花を貰ったのはいつだろう
最後に花を贈るのは誰だろう
練習、というよりは。
叫ぶような歌い方で。
既に止まっていた足にも気づかず、屋上に目を向けていた。
足を止めた俺に、花宮が怪訝そうに寄ってきたが、顔を見るなり舌打ちをして。
「今日は帰れ。そんな顔で練習くんな」
と、踵を返した。
どんな顔だというのか。と、頬に手をやれば。瞬きの度に水滴が触れた。
………ヒロイン視点………
塾を終えて、暗くなった帰路についていれば。
自宅の前に人影が見えて、息をのんだ。
見間違えるわけない。
彼が…
「……」
『…あ』
「誕生日、おめでとう」
『…っ!』
彼が、菊の花を8本持って立っていた。
リボンで束ねられたそれを、少しぶっきらぼうにつきだすのは、5歳の時と変わらない。
変わったのは、彼の顔が随分上にあること。
『あ、ありが、とう』
「4歳までの分と、14歳からの4年分だ」
『…』
「来年も、この花でいいだろうか」
『っ、うん。この花がいい』
「そうか」
見上げた顔は、表情豊かではないけれど。変わらない、落ち着いた表情に安心するのは昔からで。
「なあ、菊の花言葉を知っているか」
『…知っててこの花がいい…って言ったら?』
「……雨月、とまた呼ばせて欲しい」
『私も、康次郎って呼んでいいなら』
「ああ」
その、喜びをめったに表さない表情が少し緩んだ。
「雨月」
『康次郎、』
私は、彼に呼ばれることで私でいられる。
彼の名前も、私が呼んで、彼が答えることで存在する。
これからも、彼から花を受け取って。貰った花を今まで通り押し花にして、歳の数だけ頁が増えていく。…考えるだけで幸せだ。
そう思ったらつい、笑みが溢れた。
「…やっぱり、花より雨月の笑顔の方が、咲くという動詞が似合うな」
『康次郎、どこでそんな口説き文句覚えたの』
「雨月を見て素直にそう思っただけだ。口説く、というのは間違いないが」
『…もう、散々誕生日の度に口説いてたのに』
「好きな相手にくらい素直に言ってもいいだろう」
『…、嬉しいよ、康次郎。私も好きだから』
菊の花言葉は、愛。
彼女の好きな花は、死んでも贈られ続ける。
Fin
貴方に花を/私に歌を