短編①
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※注意※
本作はヒロイン→花宮からヒロイン→古橋になるまでのお話です。
基本的に切甘のつもりで書いていますが、ヒロインが移り気に見えたり、古橋が略奪っぽく見える箇所もあるかもしれません。
それでも大丈夫、な方はどうぞ
《それは狡くて温かな》∶古橋
私は、花宮君が好きだ。
何で好きになったのかとか、あの性格が許せてるかとか、聞かれたらはっきりとは答えられない。
でも。
彼の綺麗な指や爪の形だとか、色素の明るい光彩や、貧血気味なのか若干青白い白眼だとか、しっとりした黒髪だとか、色っぽい口許やそこから発される低い声だとか。
どこが好きかと聞かれれば沢山答えられた。
それに。
「おい、それ片付けとけよ」
『う、うん』
たとえ業務連絡であっても、会話する度、目が合う度、早鐘を打つ心音は。
これが恋だと訴えているようで。
ただ、この恋は叶わないのが歴然としている。
彼の好みである"頭の悪い女"というのは。
素直で単純な扱いやすい人材のことであり、決して馬鹿で働きの悪いものを指してはいない。
仕事はできるけれど、パターンが単純な女が好みなのだ。
私は。
仕事ができたり、気が利くタイプではない。
何もないところで躓いて、どうでもいいことだけ良くできる。しかも、それが常にではない。
花宮君にとって、予測しかねるミスをするし、よかれと思ってやっていることは気付きもされない。
そんな存在だ。
それでも、見ているだけで幸せになれるし、彼の為に何かできるかもしれないと、マネージャーとしてせっせと部活に通っている。
それが崩れだしたのは今日。洗濯に失敗したり、ドリンクが足りなかったり、失敗の連続で。
花宮君が盛大に舌打ちをしたのだ。
(嫌われた)
好きな人の役にたつどころか、迷惑しかかけられない。
皆が帰った後、備品の確認する手を止めてしゃがみこんだ時。
「大丈夫か?」
忘れ物を取りにきた古橋君に話しかけられた。
『うん…大丈夫』
「そうか。いつも必死に仕事してくれて、助かる」
『そ、そんなこと』
「あるだろ。現にこんな時間までやってくれてるんだから」
ありがとな。
そういって頭をぽんぽん、と軽く撫でられて。色々なものが込み上げてくる。
古橋君は、私をよく見ていてくれた。
割と自分勝手な人間の多いこの部活で、私の都合や感情を考えてくれる人は少ない。
山崎君も声をかけてくれたりしてたけど、原君にからかわれるのがめんどくさいらしく、最近はあまり話さなくなった。
その一方、古橋君は私の近くによくいて。
「一緒に帰らないか」とか誘ってくれることもあった。もちろん、いつもはそれとなく断っていたけれど。
「…話、俺でよければ聞くが」
『…ありがとう』
今日はその優しさに甘えたかった。
「…とりあえず、今日の失敗は気にしなくていい。洗濯機にティッシュが入ってるなんてよくあることだし、ドリンクのボトルは勝手に持ち出した奴が悪い」
『でも…私マネージャーだから。ちゃんと確認すればよかったんだよ。…そしたら、花宮君だって……』
「花宮の機嫌なんて、いいことのが稀だ」
『そうだけどね。少しでも、役に立ちたいのに…私いつも失敗するから』
「…健気だな。花宮のこと、好きなのか?」
『……うん。好きだよ。でも、どうこうなりたいわけじゃないの。近くにいれたら、役に立てたらそれでいい』
「イイコちゃんだな」
『はは、もう駄目なの確定だね。でも、私はイイコじゃない。いつも失敗してドジ踏んで…駄目な子なんだよ』
そこまで言ったら、一緒に隣に屈んでいた古橋君に抱き締められた。
『え、ねぇ…』
「できる子、ではないかもしれないが羽影さんはそんなに考えているだろ。駄目じゃない」
『…っ』
「不器用なりに頑張ってる羽影さんは可愛いからな、そのままでいい」
『なによ、それ…』
抱き締める腕を、解くことができなかった。
押し付けられる胸板を、押し返すこともできなかった。
単純に、求められることも認められることも嬉しかったから。
ただ、頭に浮かぶ"花宮君"という名前に罪悪感が沸々と沸いてくる。
「そのままの意味だ。可愛いし、癒される」
『古橋君って、変わってるね』
「よく言われるが…俺が可愛いと思ったんだから、それでいいだろ」
それでも、自分を許容してくれる温もりが心地よくて。心の中で"ごめんね"と呟いて自分も彼に腕を回した。
「どうした?…寂しいのか?」
『…そうかも』
お互い顔が見えないままいれば。前髪、というか前頭部に何か触れた気がして。
顔をあげれば疑問符を浮かべた古橋君の顔。
『…今』
「?何かあったか?」
『いや…気のせいかな』
再び顔を伏せる。
きっと、自意識過剰なのだ。
前髪にキスされたなんていうのは。
そう思いながら、頭を撫でる手を享受する。
小さい子を誉めるような、慈しむようなそれは。何においてもあまり秀でていない私にとっては随分昔の記憶にあるもので。
(なんか、涙出そうだ)
そんな気がした。
そしてまた、前髪に何か触れて。びくっ、と肩をゆらしてしまう。
「ああ…キスのことか」
『…じゃあ、さっきも』
「ついな」
『つい…』
「可愛いし、いい匂いがしたから。…駄目だったか?」
『ぅ…駄目、じゃないけど……、古橋君狡い』
「初めて言われたな」
耳に吐息がかかるように喋るのは、きっとわざとなんだろう。
そうとわかっても、暫くそのまま動かなかった。
好きな人に認められない寂しさも、劣等感も。今だけは埋まるような気がしたから。
……
自分が何をしていたか、はっきり自覚したのは翌日になってからだった。
あの後は何もなく、暗くなる前に帰ろうとかでただ帰って。
どこか満たされた気持ちでいたのに。
「おはよう」
『っ、おはよう』
朝練ですれ違った古橋君と、その匂いで。
昨日の感覚がフラッシュバックした。
付き合ってるわけでも、告白されたわけでもない人と、長時間ハグをした。
前髪だったけどキスされた。
それを駄目じゃないといった私。
なにやってんだろう。
花宮君にも古橋君にも、失礼なことをしたんじゃないか。
そう思うと背筋が寒くなる。
古橋君が視界にはいるとソワソワと落ち着かない。
決定的におかしかったのは。
「おい。これ、放課後までにコピーしとけ」
『了解、やっとくね』
花宮君を見ても話しても、動悸が起こらなくなっていたこと。
平常通りに話し、特にミスもせずに1日を終えて。
「今日はよくできたな」
『う、うん』
古橋君と話した途端、リズムを乱す脈拍に。
頭を抱えたくなった。
(単純すぎるよ、私)
あの温もりが忘れられなくなってしまったのだ。
私を認めてくれた言葉が、私を求めてくれた腕が、恋しくて仕方ない。
………
「……一緒に帰らないか?」
『…うん。もう少しで終わるから、待っててくれる?』
「ああ。じゃあ、裏門で」
それから暫く何もなかったのに。
彼はまた、ふいに私を誘う。
私は、僅かに作業の手が速まるのを感じた。
『…お待たせ』
「大丈夫だ。さあ」
『…?』
「?…繋がないのか?」
そして、裏門にいた古橋君に近付けば。当然のように手を差し出された。
『どうして…?』
「繋ぎたいから、だが?」
さも、真っ当なことを言っている。という雰囲気に押された。
…それに、繋ぎたくないわけじゃなかったから。
『……』
「…。いこう」
その手をとって歩き出した。
冷たい手。外で私を待っていてくれたその手を、ぎゅっと掴む。
「…まだ、寂しいのか?」
『……うん。私は、いつも寂しい』
ちらりと見上げた古橋君の表情からは何も読み取れない。
でも、冷たいその手に温もりを感じるほど。私は寂しがりで寒がりだ。
「……」
『…?…ぅ!?』
「…寂しいの、埋まればと思ったんだが…」
『…唐突なんだよ、古橋君は』
住宅街の路地裏。
街灯の陰で、また抱き締められた。
息を吸えば彼の香が胸に入ってくる。それは、確かに寂しさを埋めた。
だけど、
(…苦しい)
もどかしい、歯痒い、身悶えたくなる程のこの焦燥感はなんなんだろう。
「…。羽影さんはいつも泣きそうだな」
『古橋君は、いつもなに考えてるか解んないよ』
見上げる顔は、やはり無表情なのだ。
背中に回された緩まない腕の意味も、私の寂しさを埋めたい意味も、何も解らない。
「…そうか。俺は今、羽影さんが笑えばいいのに、と思ってる」
『え…』
「部活中…特に花宮の前では、一生懸命笑ってるだろ?ああじゃなくて…自然に笑ってるところが見たい。俺は、泣きそうな顔しか知らないし、そういう顔をされると抱き締めたくなる。…俺にも笑ってほしいんだ」
古橋君の表情が、一瞬困ったように眉を寄せた気がした。
『……なんで、そんな風に私を思うの…』
「羽影さんと同じだな。ただ、好きなんだ。どうこうなりたいより、羽影さんの、泣きそうな顔を見たくない。それじゃ、納得しないか?」
そして、眼差しに温もりが宿ったのが解る。
『…っ、狡い。狡いよ…』
「いつかも言われたな、それ」
『だって…このままじゃ、私、古橋君を好きになっちゃうじゃない…』
「そうか。なら、早く好きになってくれ。胸が苦しくて、俺まで泣きそうなんだ」
押し付けられる胸板。
彼の心臓の音は速く、絞り出した声は本当に震えていたから。
『…好きになって、いいんだよね?私は…古橋君に堕ちるよ』
「!」
抱き締め返すように、背中に腕を回す。
私の声も負けず劣らず震えているし、脈だって速い。
それでも、今浮かべているのは、自然に出た笑顔のはずだ。
ちょっとだけ見開かれた古橋君の目。
そして、もっとちょっとだけ、微笑んだ気がした。
「ああ。どこまでも堕ちてきてくれ。…絶対に受け止めるから」
―それは狡くて温かな
手と
眼差しと
言葉と
心に
絆された―
(お願い、いつもいつまでも)
(私を、俺を、満たし続けて)
Fin.
本作はヒロイン→花宮からヒロイン→古橋になるまでのお話です。
基本的に切甘のつもりで書いていますが、ヒロインが移り気に見えたり、古橋が略奪っぽく見える箇所もあるかもしれません。
それでも大丈夫、な方はどうぞ
《それは狡くて温かな》∶古橋
私は、花宮君が好きだ。
何で好きになったのかとか、あの性格が許せてるかとか、聞かれたらはっきりとは答えられない。
でも。
彼の綺麗な指や爪の形だとか、色素の明るい光彩や、貧血気味なのか若干青白い白眼だとか、しっとりした黒髪だとか、色っぽい口許やそこから発される低い声だとか。
どこが好きかと聞かれれば沢山答えられた。
それに。
「おい、それ片付けとけよ」
『う、うん』
たとえ業務連絡であっても、会話する度、目が合う度、早鐘を打つ心音は。
これが恋だと訴えているようで。
ただ、この恋は叶わないのが歴然としている。
彼の好みである"頭の悪い女"というのは。
素直で単純な扱いやすい人材のことであり、決して馬鹿で働きの悪いものを指してはいない。
仕事はできるけれど、パターンが単純な女が好みなのだ。
私は。
仕事ができたり、気が利くタイプではない。
何もないところで躓いて、どうでもいいことだけ良くできる。しかも、それが常にではない。
花宮君にとって、予測しかねるミスをするし、よかれと思ってやっていることは気付きもされない。
そんな存在だ。
それでも、見ているだけで幸せになれるし、彼の為に何かできるかもしれないと、マネージャーとしてせっせと部活に通っている。
それが崩れだしたのは今日。洗濯に失敗したり、ドリンクが足りなかったり、失敗の連続で。
花宮君が盛大に舌打ちをしたのだ。
(嫌われた)
好きな人の役にたつどころか、迷惑しかかけられない。
皆が帰った後、備品の確認する手を止めてしゃがみこんだ時。
「大丈夫か?」
忘れ物を取りにきた古橋君に話しかけられた。
『うん…大丈夫』
「そうか。いつも必死に仕事してくれて、助かる」
『そ、そんなこと』
「あるだろ。現にこんな時間までやってくれてるんだから」
ありがとな。
そういって頭をぽんぽん、と軽く撫でられて。色々なものが込み上げてくる。
古橋君は、私をよく見ていてくれた。
割と自分勝手な人間の多いこの部活で、私の都合や感情を考えてくれる人は少ない。
山崎君も声をかけてくれたりしてたけど、原君にからかわれるのがめんどくさいらしく、最近はあまり話さなくなった。
その一方、古橋君は私の近くによくいて。
「一緒に帰らないか」とか誘ってくれることもあった。もちろん、いつもはそれとなく断っていたけれど。
「…話、俺でよければ聞くが」
『…ありがとう』
今日はその優しさに甘えたかった。
「…とりあえず、今日の失敗は気にしなくていい。洗濯機にティッシュが入ってるなんてよくあることだし、ドリンクのボトルは勝手に持ち出した奴が悪い」
『でも…私マネージャーだから。ちゃんと確認すればよかったんだよ。…そしたら、花宮君だって……』
「花宮の機嫌なんて、いいことのが稀だ」
『そうだけどね。少しでも、役に立ちたいのに…私いつも失敗するから』
「…健気だな。花宮のこと、好きなのか?」
『……うん。好きだよ。でも、どうこうなりたいわけじゃないの。近くにいれたら、役に立てたらそれでいい』
「イイコちゃんだな」
『はは、もう駄目なの確定だね。でも、私はイイコじゃない。いつも失敗してドジ踏んで…駄目な子なんだよ』
そこまで言ったら、一緒に隣に屈んでいた古橋君に抱き締められた。
『え、ねぇ…』
「できる子、ではないかもしれないが羽影さんはそんなに考えているだろ。駄目じゃない」
『…っ』
「不器用なりに頑張ってる羽影さんは可愛いからな、そのままでいい」
『なによ、それ…』
抱き締める腕を、解くことができなかった。
押し付けられる胸板を、押し返すこともできなかった。
単純に、求められることも認められることも嬉しかったから。
ただ、頭に浮かぶ"花宮君"という名前に罪悪感が沸々と沸いてくる。
「そのままの意味だ。可愛いし、癒される」
『古橋君って、変わってるね』
「よく言われるが…俺が可愛いと思ったんだから、それでいいだろ」
それでも、自分を許容してくれる温もりが心地よくて。心の中で"ごめんね"と呟いて自分も彼に腕を回した。
「どうした?…寂しいのか?」
『…そうかも』
お互い顔が見えないままいれば。前髪、というか前頭部に何か触れた気がして。
顔をあげれば疑問符を浮かべた古橋君の顔。
『…今』
「?何かあったか?」
『いや…気のせいかな』
再び顔を伏せる。
きっと、自意識過剰なのだ。
前髪にキスされたなんていうのは。
そう思いながら、頭を撫でる手を享受する。
小さい子を誉めるような、慈しむようなそれは。何においてもあまり秀でていない私にとっては随分昔の記憶にあるもので。
(なんか、涙出そうだ)
そんな気がした。
そしてまた、前髪に何か触れて。びくっ、と肩をゆらしてしまう。
「ああ…キスのことか」
『…じゃあ、さっきも』
「ついな」
『つい…』
「可愛いし、いい匂いがしたから。…駄目だったか?」
『ぅ…駄目、じゃないけど……、古橋君狡い』
「初めて言われたな」
耳に吐息がかかるように喋るのは、きっとわざとなんだろう。
そうとわかっても、暫くそのまま動かなかった。
好きな人に認められない寂しさも、劣等感も。今だけは埋まるような気がしたから。
……
自分が何をしていたか、はっきり自覚したのは翌日になってからだった。
あの後は何もなく、暗くなる前に帰ろうとかでただ帰って。
どこか満たされた気持ちでいたのに。
「おはよう」
『っ、おはよう』
朝練ですれ違った古橋君と、その匂いで。
昨日の感覚がフラッシュバックした。
付き合ってるわけでも、告白されたわけでもない人と、長時間ハグをした。
前髪だったけどキスされた。
それを駄目じゃないといった私。
なにやってんだろう。
花宮君にも古橋君にも、失礼なことをしたんじゃないか。
そう思うと背筋が寒くなる。
古橋君が視界にはいるとソワソワと落ち着かない。
決定的におかしかったのは。
「おい。これ、放課後までにコピーしとけ」
『了解、やっとくね』
花宮君を見ても話しても、動悸が起こらなくなっていたこと。
平常通りに話し、特にミスもせずに1日を終えて。
「今日はよくできたな」
『う、うん』
古橋君と話した途端、リズムを乱す脈拍に。
頭を抱えたくなった。
(単純すぎるよ、私)
あの温もりが忘れられなくなってしまったのだ。
私を認めてくれた言葉が、私を求めてくれた腕が、恋しくて仕方ない。
………
「……一緒に帰らないか?」
『…うん。もう少しで終わるから、待っててくれる?』
「ああ。じゃあ、裏門で」
それから暫く何もなかったのに。
彼はまた、ふいに私を誘う。
私は、僅かに作業の手が速まるのを感じた。
『…お待たせ』
「大丈夫だ。さあ」
『…?』
「?…繋がないのか?」
そして、裏門にいた古橋君に近付けば。当然のように手を差し出された。
『どうして…?』
「繋ぎたいから、だが?」
さも、真っ当なことを言っている。という雰囲気に押された。
…それに、繋ぎたくないわけじゃなかったから。
『……』
「…。いこう」
その手をとって歩き出した。
冷たい手。外で私を待っていてくれたその手を、ぎゅっと掴む。
「…まだ、寂しいのか?」
『……うん。私は、いつも寂しい』
ちらりと見上げた古橋君の表情からは何も読み取れない。
でも、冷たいその手に温もりを感じるほど。私は寂しがりで寒がりだ。
「……」
『…?…ぅ!?』
「…寂しいの、埋まればと思ったんだが…」
『…唐突なんだよ、古橋君は』
住宅街の路地裏。
街灯の陰で、また抱き締められた。
息を吸えば彼の香が胸に入ってくる。それは、確かに寂しさを埋めた。
だけど、
(…苦しい)
もどかしい、歯痒い、身悶えたくなる程のこの焦燥感はなんなんだろう。
「…。羽影さんはいつも泣きそうだな」
『古橋君は、いつもなに考えてるか解んないよ』
見上げる顔は、やはり無表情なのだ。
背中に回された緩まない腕の意味も、私の寂しさを埋めたい意味も、何も解らない。
「…そうか。俺は今、羽影さんが笑えばいいのに、と思ってる」
『え…』
「部活中…特に花宮の前では、一生懸命笑ってるだろ?ああじゃなくて…自然に笑ってるところが見たい。俺は、泣きそうな顔しか知らないし、そういう顔をされると抱き締めたくなる。…俺にも笑ってほしいんだ」
古橋君の表情が、一瞬困ったように眉を寄せた気がした。
『……なんで、そんな風に私を思うの…』
「羽影さんと同じだな。ただ、好きなんだ。どうこうなりたいより、羽影さんの、泣きそうな顔を見たくない。それじゃ、納得しないか?」
そして、眼差しに温もりが宿ったのが解る。
『…っ、狡い。狡いよ…』
「いつかも言われたな、それ」
『だって…このままじゃ、私、古橋君を好きになっちゃうじゃない…』
「そうか。なら、早く好きになってくれ。胸が苦しくて、俺まで泣きそうなんだ」
押し付けられる胸板。
彼の心臓の音は速く、絞り出した声は本当に震えていたから。
『…好きになって、いいんだよね?私は…古橋君に堕ちるよ』
「!」
抱き締め返すように、背中に腕を回す。
私の声も負けず劣らず震えているし、脈だって速い。
それでも、今浮かべているのは、自然に出た笑顔のはずだ。
ちょっとだけ見開かれた古橋君の目。
そして、もっとちょっとだけ、微笑んだ気がした。
「ああ。どこまでも堕ちてきてくれ。…絶対に受け止めるから」
―それは狡くて温かな
手と
眼差しと
言葉と
心に
絆された―
(お願い、いつもいつまでも)
(私を、俺を、満たし続けて)
Fin.