天空色
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《天空色》∶花宮
‐8周年記念 フリリク‐ 紅葉様
*****
『羽影雨月です。2年生からよろしくお願いします』
4月の頭、教壇の上で彼女はそう言ってペコリと頭を下げた。
その後すぐ、このクラスに同じ苗字の羽影がもう1人いることが伝えられて。
『き、気軽に雨月と呼んでください』
と、挨拶を添える。
高校で転校する…というのは中々難しい。
まず、入りたい学校に枠があるかどうかから始まるし、あったとしても、一人か二人の空席に対する倍率はかなり高い。
進学校である霧崎第一に転校する、編入する、となれば。入学以上の学力が必要なわけで。
(それなりに、勉強はできんだろうな)
そんなことを思いつつ、親の転勤に伴って転校した旨を聞き流していたのに。
「じゃあ、席は空いてる後ろのとこね」
彼女が指定された席は、俺の横。
『よろしくお願いします』
「…よろしく」
別に、隣の席だ…ってだけだ。
小学生みたいに転校生の周りに人だかりができる訳でもないし。
最初の感情は、無関心。
(…なんだこいつ)
それが、鼻につく…になったのは1ヶ月も経たないうちのことだ。
『おはようございます、花宮さん』
「…おはよう」
男女問わず、どころか年齢も厭わず全ての人を“~さん”と彼女は呼んでいた。
呼び方だけではない。
『あの、今日の日直なのですが、お昼の連絡事項を先生に聞くの、お願いしてもよろしいですか?委員会の会議がお昼休みでして…』
「いいけど」
『ありがとうございます!あ、日誌は私が書きますので、放課後はお任せください』
「ああ、うん、ありがとう」
万人に対して、且つ、何時でも彼女は敬語で話した。
敬語…というか、丁寧語と美化語か。
流石に謙譲語は教師にしか使ってないような、気がする。
(…めんどくせぇ、まどろっこしい)
親しくなったグループのメンバーにすら、その口調は乱れない。
「もっと気楽に話してよ」なんて笑われていたが、曖昧に笑って『…すみません』なんて言うから。
誰も深く追及しなかった。
それから、彼女は困っている人間を放って置けないタイプのようで。
日直じゃないのに黒板を消していたり、係りでもないのにプリントを配っていたり。
“そういうやつ”である。
そりゃあ、鼻につくわ。
(嫌いなんだよ、イイコチャン)
彼女に学級日誌を渡しながら、心の中で舌打ちをした。
関わらないで済めばいいのに、なんて思いながら。
(…そういうのが、フラグなんだよな)
関わりたくない、と思うと縁は寄ってくる。
掃除当番、修学旅行の班、調理実習のグループ。
『よく一緒になりますね』
そんなこと言われたって、愛想笑いしか返せない。
嫌いなんだ、その、此方を伺うような笑顔が。
なんで誰も、気づかないんだ。
彼女は会話の節々で視線を泳がす。
意見を求められれば短く息を吸い、息を一度止めてから、選ぶように紡いでいく言葉。
いつも、人の顔色を見て、本心なんて解ったものじゃないのに。
(…類は友を呼ぶってか?)
(だったら素顔みせてみろよ)
転校してきた時の印象通り、彼女は頭がよかった。
それが、俺の嫌いな努力の上に成り立つものだと、嫌でも知っている。
隣の席を覗いてみれば、夥しい量の演習問題と、ぎっしり書き込まれた授業ノート。
(…ほんっと、なんなんだよ、こいつ)
中間テストの順位で彼女の成績は、俺、瀬戸に続く3位。女子1位とも言う。
(なんで、いま、無表情なんだよ)
いつも、馬鹿みたいに笑っている癖に。
『学年3位 824/900点』その紙っぺらを一瞬見つめて、口を引き結び、瞬き1つせずに鞄に突っ込んだのだ。
ちなみに、瀬戸が2位 839/900点。俺は、871/900点。別に、いつも満点である必要もねぇし。
『…』
「放課後、調理実習の準備なんだけど」
『ええ、そうですね。早めに行って早く終わらせましょう。花宮さん、部活あるでしょう?』
「多少遅れてもいいよ。部員は把握してるから」
きらいで、キライで。
けど、その素顔を暴いてやりたいとも思って。
『……他の人、来ませんね』
調理実習の他の面子にサボられたのは、ある意味好機だった。
『……調理器具の点検、終了です』
「うん、食材もグループごとに分けたよ」
時間がかかった準備に、彼女は愚痴1つ溢さなかった。
だから。
「他のメンバーは、忘れちゃったのかなぁ?」
『きっと、そうですね』
「…本当にそう思う?昼休みに、わざわざ家庭科の先生から連絡あったのに」
促してみる。
調理実習は6人のグループで、俺達のグループが今回の準備当番。
ひとりくらい、居なくても。そう思うのが人間の性。
『言われても、忘れるものは忘れますからね。私だって、朝まで覚えてたのに、玄関に傘を忘れてきました。今日、夕方から雨ですよ』
「…」
へらりと、薄く笑った彼女が、ムカついた。
『花宮さん?』
「…僕は、わざと忘れたと思ったけど」
だから、同じように、薄っぺらく嗤ってやる。
「誰かやればいい、その程度に考えてるのかなって」
彼女はどうする?いつも、顔色を見て意見をするお前だ。ここにいないその他の顔色で擁護するのか?
それとも、ここにいる俺一人に、意見を寄せるのか?
『…それは、この人はやってくれるだろう、という信頼ではないですか?』
…斜め上。いや、下だな。
「それを信頼とは呼ばない。甘えだ」
『花宮さんは、皆さんが来ると信じていましたか?』
「……」
『他の方が来ないのを、好ましく思えないのは。来ると信頼していたのに、裏切られたからですか?』
こいつ、嫌いだ。
「……それが、君の意見?」
『え…そう、ですね。私も、来て下さると信じていたのですが、忘れてしまうのも、人です。人は、普段から勝手に、かんたんに、人を信じますし、勝手に、かんたんに、裏切ります』
ただ、今の方が好感がもてる。
「じゃあ、僕達は信頼に応えた者同士ってこと?」
『そうですね。花宮さんは、裏切らないでいてくれました。優しい人です』
「それは、……どうも」
前言撤回。
(優しいとか、バカじゃねぇの!!)
コイツが、どうやっても理解できないことが解った。
好感とか、そんなものは無かったんだ。
.
「羽影雨月は、今日欠席だ」
翌日の朝のホームルームで、担任はそう言った。
(…風邪でもひいたか、あの馬鹿)
思い当たる節がある。
昨日、調理実習の用意を終えた後。
俺は部活で体育館に向かったが、帰宅部の彼女は昇降口に向かっていった。
『夕方、雨予報でしたよね?傘を忘れたので、降らないうちに帰ります』
そんなようなことを言っていたが、部活を始める頃には土砂降りで。
慌てて閉めた体育館の大扉の向こうに、傘も差さずに駆けていく彼女の背中を見たのだった。
家がどこかは知らないが、あの雨の中をずぶ濡れで帰れば…風邪くらいひく。
(……馬鹿)
空っぽの隣の席を一瞥して、心の中でまた呟いた。
アイツのいない調理実習を終えて、一人で掃除をして、放課後になる。
「……」
1日が、長かった。
昼休みに、誰もへ相槌をうつ彼女を眺めることもなく。
授業間に黒板を消す姿もなく、当然、授業中にノートを取る姿もなく。
何もしないで、1日が終わったような感覚だった。
(そんなの、まるで)
脳裏に浮かんだ、感情の名前。幾つか候補のあるそれを、全て振り払う。
ただ、絶対に抱くと思っていた“アイツを見なくて清々する”という感情は見当たらなくて。
その疑問だけ抱えて、その日は帰宅した。
『おはようございます、花宮さん』
翌日、僅かに鼻声の彼女が登校してくる。
「おはよう。風邪、もういいの?」
『ええ。それに、授業休みたくないですから』
病み上がりそのものの癖に、ノートを開けばいつも通りの予習。
昨日の分だけ、抜けている。
「……………ノート、貸そうか?」
『そんな、申し訳ないです!』
「でも、友達に借りるか先生に聞きに行くんでしょ?全教科の担当教師を回るのは、時間かかるよ」
『…しかし』
「………君のノートは、友達のノートを借りたくらいじゃ完成しないと思うけど。気が変わったら声かけてね」
チラリと、昨日取ったノートを見せた。
彼女のノート仕様の、事細かに書き込んだノート。
昨日、ふと思い立ったのだ。「ノートを見せるという口実なら、彼女の本性に近づく会話ができるんじゃないか」と。
『…!』
案の定、目を輝かせたのを見逃さなかった。その表情が見れただけでも収穫というもの。
流石に断って直ぐ『貸して』とは言えなかったようだが、放課後になってから。
『…あの、花宮さん、ノートを貸して頂けないでしょうか?』
申し訳無さそうに頭を下げてきた。
「最初から貸すって言ってるだろう?ほら、」
『ありがとうございます!明日には必ず』
「そんなに急がないよ。僕、ノート無くても問題ないから」
ノートを渡せば、一瞬ギクシャクした動きを見せて。
それから、再び感謝を述べて帰って行った。
(あの感じは、テストの時と似てんな)
(…成績にコンプレックスでもあんのか?)
感じた違和感は、期末テストで確信する。
ああ、ノートは当然のように翌日には戻ってきた。
1学期末テストの結果、前回と同じく5教科9科目のそれは900点満点で。
俺の成績は1位:875/900点。
横目に見た彼女の成績評価シートは、3位:832/900点。
きっと、2位は変わらず瀬戸が続いているんだろう。
中間より点数は伸びているし、得点群を見る限り800点代は3人だけだから、かなり好成績と見ていいはず。
けれど。
彼女の表情は硬直して、成績表は無造作に鞄へ押し込まれる。
(……がり勉か?真面目すぎんのか?)
夏休みに入って、補習の間も彼女は変わらなかった。休みの前半は補習なのだが、希望補習にも関わらず彼女は全てに出席している。
挙げ句、後半も朝から夕方まで自習室と図書館を往復するだけ。…なんで知ってるかって、部活に来るときに正門で見かけて、帰る時には玄関で一緒になるからだ。
だから、休みだってのに毎日毎日顔を合わせた。
『おはようございます、花宮さん』
「おはよう」
『今日も熱いですから、熱中症には気をつけてくださいね』
なんて。
(夏休みもあと1週間まできて、未だにコイツの裏側が見えねぇなんて)
(マジのイイコチャンか?)
(いや、だったらあんな、人を伺うような、寧ろ怯えたような眼をするだろうか)
休憩中に、自販機でスポドリを買っていた。
熱中症対策でまめに休憩を入れなければならないのと、茹だる熱さのせいでドリンクがすぐになくなるから。
おかげで、体育館前の自販は空っぽ。
離れた教室棟の渡り廊下まで足を伸ばしてきたのだ。
そしたら
『…花宮さん?』
「…、ああ、雨月さん。休憩?」
『ええ。冷房に当たりすぎてしまったので、少し体を暖めに』
「はは、逆だね。僕は涼みに来たのに」
朝も顔を合わせた雨月が通りかかった。
『この気温でスポーツは大変ですよね。それに、バスケは練習がハードだとお聞きしました』
「それなりだよ。雨月さんだって、毎日朝から晩まで自習でしょ?大変じゃない?」
『大変、ではないです。私は勉強しかすることがありませんから…』
他愛ない挨拶をしながら、彼女の腕に抱えられるノートが目に入る。
「先生に質問にいくの?」
『はい。この古文の訳仕方、文脈に沿わない気がしまして…』
「……。それはその時代の掛け合いだからだ。英語のジョークを上手く和訳出来ないのと同じで、そのやり取りは直訳しても意訳しても違和感が残る。間を取るとそうなるんだ」
徐に開いたページと指差すマーカー部分を見て、解説を挟んだ。
彼女は暫くパチパチと瞬いて。
『…なるほど、時代背景があったのですね。花宮さんに聞けて良かったです』
嬉しそうに笑った。
「練習の後で良ければ、一緒に勉強しようか」
それを見て、俺は、頭で考える前にそう口にした。
それはもう、脊髄反射で。
『よろしいのですか?実は、花宮さんのノートをお借りしてから、一緒に勉強会がしたくて』
「……ああ、うん、いいよ。……部活、5時までだから、その後でよければ」
『あ…でも学校の図書館も5時で閉館してしまいます』
「図書館じゃ声出せないから外で。場所は帰りに落ち合ってから考えようか、じゃあ、帰りに玄関で」
その反射を取り戻すようにゆっくり話した後は、取り付けた約束の急さに急かされるような早口だった。
自動販売機を駆け足で去った後は、よく覚えていない。
ただ、部活と部活の後はどこで勉強をすればいいのか。どちらも考えていて目が回りそうだったのだ。
あっという間に夕方は来て、玄関には、彼女。
『お疲れ様です、花宮さん。さようなら』
いつも、そうやって別れていくのに。
『お疲れ様です、今日は、お願いします』
はにかんだ彼女が、妙に眩しかった。
多分、夕日の逆光のせい。きっと。
「…おつかれ。どうする?ファミレスとかカフェでもいいなら幾つかあるけど」
結局、何も思い付かなかった俺は。
学校から少し離れたファミレスへ彼女をつれていった。
ドリンクバーを2つ頼もうと思ったが、彼女の性格上オレのグラスが空になる度に中座しそうだからやめる。
「アイスコーヒー1つ」
『アイスティー1つお願いします』
それから、彼女はノートを広げて。
『花宮さん、部活だったからノートないですよね…』
と、そこで初めて気づいたらしい。
「ふはっ!だから、俺はノート要らないって」
その、間抜けた言葉と顔に、思わず普段の嗤い方をすれば。
彼女は驚きもせず、楽しそうにクスリと笑う。
『本当に頭がいいんですね。では、お言葉に甘えて、ご教授お願いします』
ノートには何色かの付箋。
青い付箋のページを開いては俺に質問を投げ掛ける。
英文法、数学ⅡB、漢文、化学、地理、世界史。
どれも、まあ、重箱の隅をつついたような質問だったけれど。着眼点はいい。
「…こんなもんか?」
『ええ。本当にありがとうございます!とても解りやすくて助かりました』
途中で双方飲み物の追加をして、7時前。彼女は満足そうにノートを綴じる。
「そりゃ良かった」
少し、名残惜しい。
(名残惜しい?なんで?)
(ああ、そう、まだ、彼女の裏を暴いてないからだ)
(きっと、多分、絶対に)
『今日はお時間を頂いてすみません。では、お気をつけて』
その台詞は、男が言う側だろ。
なんて口にすることもなく。彼女はバス停に向かって歩き、俺は駅に向かって進む。
また、何も解らないで1日が過ぎた。
翌日、夏休み、後6日。
俺はまた、渡り廊下の自販機にいた。
…体育館の自販機が補充されてないから。
『花宮さん、今日もお疲れ様です』
「…そっちもな」
朝の時点で“昨日はありがとうございました”のやり取りをした後だ。
これと言って話題もない、のに。
「それ、昨日の世界史だろ。まだなんかあったか」
『あ、これは昨日の分野ではなくて…この時代の政策について聞きたくて』
「…それなら、図書館に文庫がある。確か、隣国との比較も書いていたから、時間があるならそっちを薦めるが」
『読みたいです!タイトルを教えて頂ければ』
「いや…題名なんだったか…背表紙見りゃ解る。図書館いくぞ」
『でも!部活は』
「探すだけなら5分で終わるだろ」
自分で話題を作ってしまった。
休憩に指定したのは15分だが、間に合うだろ。間に合わなくてもいい。
図書館の歴史の区画。
思い出せる背表紙と、作者を見つける。
「これだな」
『ありがとうございます、早速読みますね』
棚から出して渡せば、ニコニコと嬉しそうに笑った。
(…部活戻るか)
彼女を助けたいわけじゃない。
ただ、そのイイコの裏が知りたいだけ。
だから。
「今日も、勉強会するか?」
帰りにまた、玄関で顔を合わせて。
さりげなく誘ってみる。
『いいんですか?』
「お前次第」
『是非!』
想像以上の食い付きで、若干戸惑う。
俺の口調が変わっていることや、お前呼びには特に関心を持たないようだ。
ただ、あの、人を伺うような視線は向けてこない。
(もう、一押しか?)
「アイスコーヒー1つ」
『アイスティー1つお願いします』
昨日と同じ注文。開かれるのはノートの青い付箋。昨日のページには緑の付箋。
『えっと、早速いいですか?』
英文、生物、世界史。
昨日よりは少ないが、また、教科書には収まらない質問ばかり。
「…勉強が好きなのか?それとも、テストのため?」
全て答え終わって、満足そうな彼女に1つ。こちらから質問。
『えっと…どちらも、です。私は、勉強しかできませんので…テスト以外に認めて貰えるものも、自分を認めるものもありませんから』
すると、調理実習ぶりの、へらりとした薄い笑顔。
「でも、勉強好きなんだろ?」
『今は、ですけど。勉強って、覚えることが全てでしたので、ちょっと苦痛でした。でも、花宮さんがノートを貸してくれたときに、好きになれたんです』
「…は?」
『昨日教えて頂いた時もですが、花宮さんの言葉はスッと胸に落ちるんです。単調に覚えるのではなく、何かを理解して知っていく感覚が、今はとても楽しくて』
それは、唐突に。
恍惚とした、眩しいものを見るかのような表情に変貌した。
『花宮さん、ありがとうございます。また、お時間の許すときに、沢山、教えてください』
勉強が楽しくて?知ることが楽しくて?
そんなイイコいてたまるかバァカ!!
さっきの、薄い笑顔の感じ。
成績がアイデンティティーなのは確かだろうが…それは、あの、人を探る目線に関わりあんのか?
そこまで頭を駆け巡って。
「…お前の“楽しい”に付き合うんだから、俺の“楽しい”も付き合ってくれんだろうな?」
『ええ、私にできることならいくらでも』
「そ。部活が無ければ大体他の用事はねえから、勉強会自体はいくらでも付き合ってやるよ」
なんか、変なことを口走った。
『ありがとうございます!花宮さんの楽しいは、何ですか?』
「……。夜、時間ある日あるか?9時くらいまで」
『ええ、明日なら』
「なら明日付き合えよ。ここで勉強して、飯食ってから行く。あ、制服じゃないの着てこいよ」
『??はい』
んで、変な約束を取り付けてしまった。
あくまで、彼女のイイコの裏を…
いや、多分、裏なんて、コイツにはない
けど、そんな、真面目なだけなんて、虫酸が走るだろ
なら、教えてやればいい。
‐8周年記念 フリリク‐ 紅葉様
*****
『羽影雨月です。2年生からよろしくお願いします』
4月の頭、教壇の上で彼女はそう言ってペコリと頭を下げた。
その後すぐ、このクラスに同じ苗字の羽影がもう1人いることが伝えられて。
『き、気軽に雨月と呼んでください』
と、挨拶を添える。
高校で転校する…というのは中々難しい。
まず、入りたい学校に枠があるかどうかから始まるし、あったとしても、一人か二人の空席に対する倍率はかなり高い。
進学校である霧崎第一に転校する、編入する、となれば。入学以上の学力が必要なわけで。
(それなりに、勉強はできんだろうな)
そんなことを思いつつ、親の転勤に伴って転校した旨を聞き流していたのに。
「じゃあ、席は空いてる後ろのとこね」
彼女が指定された席は、俺の横。
『よろしくお願いします』
「…よろしく」
別に、隣の席だ…ってだけだ。
小学生みたいに転校生の周りに人だかりができる訳でもないし。
最初の感情は、無関心。
(…なんだこいつ)
それが、鼻につく…になったのは1ヶ月も経たないうちのことだ。
『おはようございます、花宮さん』
「…おはよう」
男女問わず、どころか年齢も厭わず全ての人を“~さん”と彼女は呼んでいた。
呼び方だけではない。
『あの、今日の日直なのですが、お昼の連絡事項を先生に聞くの、お願いしてもよろしいですか?委員会の会議がお昼休みでして…』
「いいけど」
『ありがとうございます!あ、日誌は私が書きますので、放課後はお任せください』
「ああ、うん、ありがとう」
万人に対して、且つ、何時でも彼女は敬語で話した。
敬語…というか、丁寧語と美化語か。
流石に謙譲語は教師にしか使ってないような、気がする。
(…めんどくせぇ、まどろっこしい)
親しくなったグループのメンバーにすら、その口調は乱れない。
「もっと気楽に話してよ」なんて笑われていたが、曖昧に笑って『…すみません』なんて言うから。
誰も深く追及しなかった。
それから、彼女は困っている人間を放って置けないタイプのようで。
日直じゃないのに黒板を消していたり、係りでもないのにプリントを配っていたり。
“そういうやつ”である。
そりゃあ、鼻につくわ。
(嫌いなんだよ、イイコチャン)
彼女に学級日誌を渡しながら、心の中で舌打ちをした。
関わらないで済めばいいのに、なんて思いながら。
(…そういうのが、フラグなんだよな)
関わりたくない、と思うと縁は寄ってくる。
掃除当番、修学旅行の班、調理実習のグループ。
『よく一緒になりますね』
そんなこと言われたって、愛想笑いしか返せない。
嫌いなんだ、その、此方を伺うような笑顔が。
なんで誰も、気づかないんだ。
彼女は会話の節々で視線を泳がす。
意見を求められれば短く息を吸い、息を一度止めてから、選ぶように紡いでいく言葉。
いつも、人の顔色を見て、本心なんて解ったものじゃないのに。
(…類は友を呼ぶってか?)
(だったら素顔みせてみろよ)
転校してきた時の印象通り、彼女は頭がよかった。
それが、俺の嫌いな努力の上に成り立つものだと、嫌でも知っている。
隣の席を覗いてみれば、夥しい量の演習問題と、ぎっしり書き込まれた授業ノート。
(…ほんっと、なんなんだよ、こいつ)
中間テストの順位で彼女の成績は、俺、瀬戸に続く3位。女子1位とも言う。
(なんで、いま、無表情なんだよ)
いつも、馬鹿みたいに笑っている癖に。
『学年3位 824/900点』その紙っぺらを一瞬見つめて、口を引き結び、瞬き1つせずに鞄に突っ込んだのだ。
ちなみに、瀬戸が2位 839/900点。俺は、871/900点。別に、いつも満点である必要もねぇし。
『…』
「放課後、調理実習の準備なんだけど」
『ええ、そうですね。早めに行って早く終わらせましょう。花宮さん、部活あるでしょう?』
「多少遅れてもいいよ。部員は把握してるから」
きらいで、キライで。
けど、その素顔を暴いてやりたいとも思って。
『……他の人、来ませんね』
調理実習の他の面子にサボられたのは、ある意味好機だった。
『……調理器具の点検、終了です』
「うん、食材もグループごとに分けたよ」
時間がかかった準備に、彼女は愚痴1つ溢さなかった。
だから。
「他のメンバーは、忘れちゃったのかなぁ?」
『きっと、そうですね』
「…本当にそう思う?昼休みに、わざわざ家庭科の先生から連絡あったのに」
促してみる。
調理実習は6人のグループで、俺達のグループが今回の準備当番。
ひとりくらい、居なくても。そう思うのが人間の性。
『言われても、忘れるものは忘れますからね。私だって、朝まで覚えてたのに、玄関に傘を忘れてきました。今日、夕方から雨ですよ』
「…」
へらりと、薄く笑った彼女が、ムカついた。
『花宮さん?』
「…僕は、わざと忘れたと思ったけど」
だから、同じように、薄っぺらく嗤ってやる。
「誰かやればいい、その程度に考えてるのかなって」
彼女はどうする?いつも、顔色を見て意見をするお前だ。ここにいないその他の顔色で擁護するのか?
それとも、ここにいる俺一人に、意見を寄せるのか?
『…それは、この人はやってくれるだろう、という信頼ではないですか?』
…斜め上。いや、下だな。
「それを信頼とは呼ばない。甘えだ」
『花宮さんは、皆さんが来ると信じていましたか?』
「……」
『他の方が来ないのを、好ましく思えないのは。来ると信頼していたのに、裏切られたからですか?』
こいつ、嫌いだ。
「……それが、君の意見?」
『え…そう、ですね。私も、来て下さると信じていたのですが、忘れてしまうのも、人です。人は、普段から勝手に、かんたんに、人を信じますし、勝手に、かんたんに、裏切ります』
ただ、今の方が好感がもてる。
「じゃあ、僕達は信頼に応えた者同士ってこと?」
『そうですね。花宮さんは、裏切らないでいてくれました。優しい人です』
「それは、……どうも」
前言撤回。
(優しいとか、バカじゃねぇの!!)
コイツが、どうやっても理解できないことが解った。
好感とか、そんなものは無かったんだ。
.
「羽影雨月は、今日欠席だ」
翌日の朝のホームルームで、担任はそう言った。
(…風邪でもひいたか、あの馬鹿)
思い当たる節がある。
昨日、調理実習の用意を終えた後。
俺は部活で体育館に向かったが、帰宅部の彼女は昇降口に向かっていった。
『夕方、雨予報でしたよね?傘を忘れたので、降らないうちに帰ります』
そんなようなことを言っていたが、部活を始める頃には土砂降りで。
慌てて閉めた体育館の大扉の向こうに、傘も差さずに駆けていく彼女の背中を見たのだった。
家がどこかは知らないが、あの雨の中をずぶ濡れで帰れば…風邪くらいひく。
(……馬鹿)
空っぽの隣の席を一瞥して、心の中でまた呟いた。
アイツのいない調理実習を終えて、一人で掃除をして、放課後になる。
「……」
1日が、長かった。
昼休みに、誰もへ相槌をうつ彼女を眺めることもなく。
授業間に黒板を消す姿もなく、当然、授業中にノートを取る姿もなく。
何もしないで、1日が終わったような感覚だった。
(そんなの、まるで)
脳裏に浮かんだ、感情の名前。幾つか候補のあるそれを、全て振り払う。
ただ、絶対に抱くと思っていた“アイツを見なくて清々する”という感情は見当たらなくて。
その疑問だけ抱えて、その日は帰宅した。
『おはようございます、花宮さん』
翌日、僅かに鼻声の彼女が登校してくる。
「おはよう。風邪、もういいの?」
『ええ。それに、授業休みたくないですから』
病み上がりそのものの癖に、ノートを開けばいつも通りの予習。
昨日の分だけ、抜けている。
「……………ノート、貸そうか?」
『そんな、申し訳ないです!』
「でも、友達に借りるか先生に聞きに行くんでしょ?全教科の担当教師を回るのは、時間かかるよ」
『…しかし』
「………君のノートは、友達のノートを借りたくらいじゃ完成しないと思うけど。気が変わったら声かけてね」
チラリと、昨日取ったノートを見せた。
彼女のノート仕様の、事細かに書き込んだノート。
昨日、ふと思い立ったのだ。「ノートを見せるという口実なら、彼女の本性に近づく会話ができるんじゃないか」と。
『…!』
案の定、目を輝かせたのを見逃さなかった。その表情が見れただけでも収穫というもの。
流石に断って直ぐ『貸して』とは言えなかったようだが、放課後になってから。
『…あの、花宮さん、ノートを貸して頂けないでしょうか?』
申し訳無さそうに頭を下げてきた。
「最初から貸すって言ってるだろう?ほら、」
『ありがとうございます!明日には必ず』
「そんなに急がないよ。僕、ノート無くても問題ないから」
ノートを渡せば、一瞬ギクシャクした動きを見せて。
それから、再び感謝を述べて帰って行った。
(あの感じは、テストの時と似てんな)
(…成績にコンプレックスでもあんのか?)
感じた違和感は、期末テストで確信する。
ああ、ノートは当然のように翌日には戻ってきた。
1学期末テストの結果、前回と同じく5教科9科目のそれは900点満点で。
俺の成績は1位:875/900点。
横目に見た彼女の成績評価シートは、3位:832/900点。
きっと、2位は変わらず瀬戸が続いているんだろう。
中間より点数は伸びているし、得点群を見る限り800点代は3人だけだから、かなり好成績と見ていいはず。
けれど。
彼女の表情は硬直して、成績表は無造作に鞄へ押し込まれる。
(……がり勉か?真面目すぎんのか?)
夏休みに入って、補習の間も彼女は変わらなかった。休みの前半は補習なのだが、希望補習にも関わらず彼女は全てに出席している。
挙げ句、後半も朝から夕方まで自習室と図書館を往復するだけ。…なんで知ってるかって、部活に来るときに正門で見かけて、帰る時には玄関で一緒になるからだ。
だから、休みだってのに毎日毎日顔を合わせた。
『おはようございます、花宮さん』
「おはよう」
『今日も熱いですから、熱中症には気をつけてくださいね』
なんて。
(夏休みもあと1週間まできて、未だにコイツの裏側が見えねぇなんて)
(マジのイイコチャンか?)
(いや、だったらあんな、人を伺うような、寧ろ怯えたような眼をするだろうか)
休憩中に、自販機でスポドリを買っていた。
熱中症対策でまめに休憩を入れなければならないのと、茹だる熱さのせいでドリンクがすぐになくなるから。
おかげで、体育館前の自販は空っぽ。
離れた教室棟の渡り廊下まで足を伸ばしてきたのだ。
そしたら
『…花宮さん?』
「…、ああ、雨月さん。休憩?」
『ええ。冷房に当たりすぎてしまったので、少し体を暖めに』
「はは、逆だね。僕は涼みに来たのに」
朝も顔を合わせた雨月が通りかかった。
『この気温でスポーツは大変ですよね。それに、バスケは練習がハードだとお聞きしました』
「それなりだよ。雨月さんだって、毎日朝から晩まで自習でしょ?大変じゃない?」
『大変、ではないです。私は勉強しかすることがありませんから…』
他愛ない挨拶をしながら、彼女の腕に抱えられるノートが目に入る。
「先生に質問にいくの?」
『はい。この古文の訳仕方、文脈に沿わない気がしまして…』
「……。それはその時代の掛け合いだからだ。英語のジョークを上手く和訳出来ないのと同じで、そのやり取りは直訳しても意訳しても違和感が残る。間を取るとそうなるんだ」
徐に開いたページと指差すマーカー部分を見て、解説を挟んだ。
彼女は暫くパチパチと瞬いて。
『…なるほど、時代背景があったのですね。花宮さんに聞けて良かったです』
嬉しそうに笑った。
「練習の後で良ければ、一緒に勉強しようか」
それを見て、俺は、頭で考える前にそう口にした。
それはもう、脊髄反射で。
『よろしいのですか?実は、花宮さんのノートをお借りしてから、一緒に勉強会がしたくて』
「……ああ、うん、いいよ。……部活、5時までだから、その後でよければ」
『あ…でも学校の図書館も5時で閉館してしまいます』
「図書館じゃ声出せないから外で。場所は帰りに落ち合ってから考えようか、じゃあ、帰りに玄関で」
その反射を取り戻すようにゆっくり話した後は、取り付けた約束の急さに急かされるような早口だった。
自動販売機を駆け足で去った後は、よく覚えていない。
ただ、部活と部活の後はどこで勉強をすればいいのか。どちらも考えていて目が回りそうだったのだ。
あっという間に夕方は来て、玄関には、彼女。
『お疲れ様です、花宮さん。さようなら』
いつも、そうやって別れていくのに。
『お疲れ様です、今日は、お願いします』
はにかんだ彼女が、妙に眩しかった。
多分、夕日の逆光のせい。きっと。
「…おつかれ。どうする?ファミレスとかカフェでもいいなら幾つかあるけど」
結局、何も思い付かなかった俺は。
学校から少し離れたファミレスへ彼女をつれていった。
ドリンクバーを2つ頼もうと思ったが、彼女の性格上オレのグラスが空になる度に中座しそうだからやめる。
「アイスコーヒー1つ」
『アイスティー1つお願いします』
それから、彼女はノートを広げて。
『花宮さん、部活だったからノートないですよね…』
と、そこで初めて気づいたらしい。
「ふはっ!だから、俺はノート要らないって」
その、間抜けた言葉と顔に、思わず普段の嗤い方をすれば。
彼女は驚きもせず、楽しそうにクスリと笑う。
『本当に頭がいいんですね。では、お言葉に甘えて、ご教授お願いします』
ノートには何色かの付箋。
青い付箋のページを開いては俺に質問を投げ掛ける。
英文法、数学ⅡB、漢文、化学、地理、世界史。
どれも、まあ、重箱の隅をつついたような質問だったけれど。着眼点はいい。
「…こんなもんか?」
『ええ。本当にありがとうございます!とても解りやすくて助かりました』
途中で双方飲み物の追加をして、7時前。彼女は満足そうにノートを綴じる。
「そりゃ良かった」
少し、名残惜しい。
(名残惜しい?なんで?)
(ああ、そう、まだ、彼女の裏を暴いてないからだ)
(きっと、多分、絶対に)
『今日はお時間を頂いてすみません。では、お気をつけて』
その台詞は、男が言う側だろ。
なんて口にすることもなく。彼女はバス停に向かって歩き、俺は駅に向かって進む。
また、何も解らないで1日が過ぎた。
翌日、夏休み、後6日。
俺はまた、渡り廊下の自販機にいた。
…体育館の自販機が補充されてないから。
『花宮さん、今日もお疲れ様です』
「…そっちもな」
朝の時点で“昨日はありがとうございました”のやり取りをした後だ。
これと言って話題もない、のに。
「それ、昨日の世界史だろ。まだなんかあったか」
『あ、これは昨日の分野ではなくて…この時代の政策について聞きたくて』
「…それなら、図書館に文庫がある。確か、隣国との比較も書いていたから、時間があるならそっちを薦めるが」
『読みたいです!タイトルを教えて頂ければ』
「いや…題名なんだったか…背表紙見りゃ解る。図書館いくぞ」
『でも!部活は』
「探すだけなら5分で終わるだろ」
自分で話題を作ってしまった。
休憩に指定したのは15分だが、間に合うだろ。間に合わなくてもいい。
図書館の歴史の区画。
思い出せる背表紙と、作者を見つける。
「これだな」
『ありがとうございます、早速読みますね』
棚から出して渡せば、ニコニコと嬉しそうに笑った。
(…部活戻るか)
彼女を助けたいわけじゃない。
ただ、そのイイコの裏が知りたいだけ。
だから。
「今日も、勉強会するか?」
帰りにまた、玄関で顔を合わせて。
さりげなく誘ってみる。
『いいんですか?』
「お前次第」
『是非!』
想像以上の食い付きで、若干戸惑う。
俺の口調が変わっていることや、お前呼びには特に関心を持たないようだ。
ただ、あの、人を伺うような視線は向けてこない。
(もう、一押しか?)
「アイスコーヒー1つ」
『アイスティー1つお願いします』
昨日と同じ注文。開かれるのはノートの青い付箋。昨日のページには緑の付箋。
『えっと、早速いいですか?』
英文、生物、世界史。
昨日よりは少ないが、また、教科書には収まらない質問ばかり。
「…勉強が好きなのか?それとも、テストのため?」
全て答え終わって、満足そうな彼女に1つ。こちらから質問。
『えっと…どちらも、です。私は、勉強しかできませんので…テスト以外に認めて貰えるものも、自分を認めるものもありませんから』
すると、調理実習ぶりの、へらりとした薄い笑顔。
「でも、勉強好きなんだろ?」
『今は、ですけど。勉強って、覚えることが全てでしたので、ちょっと苦痛でした。でも、花宮さんがノートを貸してくれたときに、好きになれたんです』
「…は?」
『昨日教えて頂いた時もですが、花宮さんの言葉はスッと胸に落ちるんです。単調に覚えるのではなく、何かを理解して知っていく感覚が、今はとても楽しくて』
それは、唐突に。
恍惚とした、眩しいものを見るかのような表情に変貌した。
『花宮さん、ありがとうございます。また、お時間の許すときに、沢山、教えてください』
勉強が楽しくて?知ることが楽しくて?
そんなイイコいてたまるかバァカ!!
さっきの、薄い笑顔の感じ。
成績がアイデンティティーなのは確かだろうが…それは、あの、人を探る目線に関わりあんのか?
そこまで頭を駆け巡って。
「…お前の“楽しい”に付き合うんだから、俺の“楽しい”も付き合ってくれんだろうな?」
『ええ、私にできることならいくらでも』
「そ。部活が無ければ大体他の用事はねえから、勉強会自体はいくらでも付き合ってやるよ」
なんか、変なことを口走った。
『ありがとうございます!花宮さんの楽しいは、何ですか?』
「……。夜、時間ある日あるか?9時くらいまで」
『ええ、明日なら』
「なら明日付き合えよ。ここで勉強して、飯食ってから行く。あ、制服じゃないの着てこいよ」
『??はい』
んで、変な約束を取り付けてしまった。
あくまで、彼女のイイコの裏を…
いや、多分、裏なんて、コイツにはない
けど、そんな、真面目なだけなんて、虫酸が走るだろ
なら、教えてやればいい。