29(短編)
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その日の空は薄い鈍色で、時折雲の間から澄んだ青い空が見えた。
私は自分が何を考えているのかも分からなくて、無意識にひたすら前に向かって歩き続けていたんだ。
吹く風が草を、髪をなびかせる。目に溜まった涙も乾かしてくれれば良いなって思ったけど、こんな時に限って風は弱く力になってくれなかった。
車の音も人の声も聞こえないくらい寂れた場所、周りにあるのは草だけ。
でもそれで良い。何処だって構わない、ひとりになりたかった。
「ッ...」
ひとりになりたかったのに、目元を拭いながら歩いていたら誰かにぶつかった。足音も気配も無かったはずなのに。
「...すまない、怪我は?」
「いえ...私がよそ見してたから...すみません。」
顔を上げ最初に飛び込んだのはマスク。次に見えたのは迷彩服。とても筋肉質な男の人だった。
こんな何も無い草原に何故こんな人が...?そう思いたかったがそれどころでは無いと、私は男の人を横切ろうと歩き始めた。
「何故こんな場所に?」
横切る瞬間、彼は私が聞きたかったことを尋ねてきた。顔を上げ彼を見る。マスクから覗く目はとても綺麗だった。
「...ひとりになりたかった。」
「この辺りは夜になると冷える、今のうちに帰った方が良いだろう。」
「ひとりになりたいって...言ってるじゃないですか。」
そう言った瞬間、見知らぬ人に冷たく当たってしまったことを後悔する。いつもこうだ、いつもこうだったから...。
「...ごめんなさい。」
「何かあったのか?」
泣き腫らした目でもう一度彼を見た。目元しか見えないけど優しい目。傍から見ればきっと...変わった人、だけど今の私にはそうは見えなかった。
「...俺で良ければ聞こう。どんな些細なことでも構わない、だから早まるな。」
「...別に自殺はしませんよ。」
何だか話していると気分が楽になった気がして、私は軽く深呼吸をした。
「...恋人と別れたんです。」
青空が雲に隠れ、辺りが薄暗くなる。
まるで私を煽るかのように風が強く吹き、草は激しく揺れていた。
思い出すだけでも胸が苦しくなり、涙が自然と溢れてくる。
「浮気でした...。何となく気付いてたんです。最近はデートに誘っても何かとはぐらかしたり、女の子と歩いてたところも何度か見たことがありましたから...。」
そして今日、久々に会ったと思ったら突然別れを切り出された。結局何も言い返せずに別れ人混みの中を朦朧と歩き、気付けばこんなところまで来ていたのだ。
「...別れて正解だったと、俺は思うが。」
「...私が悪いんです。もっと彼に応えるべきでした。もっと...沢山好きって伝えていれば...。」
涙が零れる前に手で拭った。
しかし何度拭っても涙は溢れ、俯きながら目元を拭い続ける。
不意に、頭に触れられた気がして顔を上げた。
風に靡く髪を整えるように、彼は私の頭を撫でていた。本当に優しい手つきで...。
だから余計に涙が出て、ボロボロと涙が零れ落ちる顔を間近に見られてしまった。
「ッ......すまない...嫌だったか?」
「.........こんなに優しく撫でられたこと...一度も無かった......」
いつの間にか雲の隙間から青い空が覗いている。
草は静かに揺れ、周りの音は何も聞こえなかった。
「...名前を聞いても良いか?」
「......Name。」
「Name...か、良い名前だ。」
良い名前、その言葉に思わずはにかんでしまう。
あんなことがあったばかりなのに、私の心は平穏を取り戻そうとしていた。
「...あの、貴方の...名前は...」
「...俺はアタルだ。」
「あ...アタ...ル、アタルですね。素敵な名前。」
雲が徐々に太陽を見せ始め、辺りは明るくなった。
彼の瞳は陽の光を浴びるとより一層綺麗で、空と同じく澄んだ青だった。
思わず見入ってしまう、それくらい綺麗な...。
「...また会えないか?Name。」
「...私も、また会いたいです。」
今日貴方に会えて、救われた気がする。アタルさん。
こんなこと言ったら気が早いって言われるかもしれないけど、貴方のことが好きになってしまった。
そう伝える勇気は流石にまだ無かった。
「......この場所で、明日。...また...。」
恥ずかしさに俯きながら呟いた。
連絡先とか、もっと分かりやすい待ち合わせ場所だって沢山あるのに。
何故かここじゃなきゃ駄目だめだってそんな気がした。
「ああ、ここで待っている。次はもっとお前の笑顔が見たい。」
「...ありがとう...。」
まだ少し涙の痕が残る顔で私は微笑んだ。
次会う時は涙で腫れた目も治して、辛くても絶対会いに行こうって...そう決めた。
あの日から数ヶ月。
髪を風に靡かせながら。
私は今日もあの場所に、彼に逢いに行く。
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