Chapter1〜籠の鳥は戻ってくる
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初めて父の言葉に逆らおうと思ったのは――いつのことだったか。
「いいかい、ナワバリバトルというのは、溺れれば溺れるほどに人格を破壊していくものなんだよ。どれだけ試合を重ねても飽くなき勝利に固執し、負ければ味方を罵り、やがては誰も信用できなくなってしまう。……あの褐色肌のボーイなんかは、まさにその主たる例だな」
まだ私がヒト型になっていない年頃から、父がしきりに言っていた言葉。その一つ一つは今でも私の胸に刻まれている。
「いいかい、これはね、トワを守るためなんだよ。トワがあんな風になって、壊れてしまわぬように。そうやってジンドウ家の者として相応しい振る舞いを保っていれば、必ず幸せになって、良いところにお嫁に行くことだってできるのだからね」
そうやって、父は甘い言葉と共に、私がナワバリバトルに参加することを厳しく禁じてきたのだ。
『ナワバリバトルに溺れれば、不幸を生む』――それが、父の口癖だった。
ジンドウ家の者として、大企業の社長である父の娘として、生まれてからの十数年間、私は父の言いつけを受け入れ、守り続けてきた。ナワバリバトルの世界に足を踏み入れ、ブキを手にしてしまえば、やがては不幸に飲まれてしまう。何も知らない私は、それを疑いもせず信じていた。
けれど、やはりインクリングの本能には逆らえないものなんだろうか。私の生まれ育った街、ハイカラシティで毎日のように開催されるナワバリバトル。イカホの画面越しにその試合風景を見る度、いつしか胸の内に滾る小さな欲が芽生え始めていることに気付いた。欲はやがて炎となり、今まで自分自身を包み込んできた何かを壊そうとするような、強い強い衝動へと変貌を遂げていった。
――私も、ナワバリバトルをやってみたい。
口には出さなくとも、魂がそう叫んでいるような気がしたのだ。
(お父さんは、ナワバリバトルは不幸を生むって言ってた。でも、一回だけ……本当に一回だけなら、大丈夫だよね……?)
私は熱く滾る欲望に逆らえず、父や使用人たちの目を盗んでこっそり家を抜け出し、ハイカラシティのロビーへと向かった。
見よう見まねで選手登録をして、支給されたわかばシューターで初めてのナワバリバトルに挑んだ。抑圧されていた本能、未だ殻を破ることの無かった情熱の炎。自分自身でも見えていなかった、私の中の意思。それら全てをインクに込めて、撒き散らし、ぶつけていく感覚。自分が今までの自分ではない何かに変わっていくような感覚。まるで別世界に誘われるような、渇望と快楽がそこには確かにあった。
――それが、私が生まれて初めて、父の言いつけを破った瞬間であった。
それからも私は欲に逆らうことはできず、時折父の目を盗んではハイカラシティでナワバリバトルに挑んだ。何度かの試合を経て手に入れたブキチライセンス3枚をマメブキチとツブブキチの店に持っていき、ずっと使ってみたかったブキ、パラシェルターソレーラを手に入れた。
同時に、父の言っていたことの幾つかは、事実と食い違っているということも分かった。
「誰も信用できなくなった主たる例」と父が言っていた褐色肌のボーイは、味方を守るために自ら連携を取り合っていた。「勝利だけに固執する冷酷なイカ」と言われていた軍服風のボーイは、空腹で倒れかけていた私にカレーを振る舞ってくれた。「他人の願いを見下し否定する者」と言われていたマッシュヘアのボーイが、ムツゴ楼で絵馬をかけている所も目撃してしまった。
「勝てば驕り、負ければ罵る」と言われていた味方達は、勝っても負けても、私を笑顔で励ましてくれたのだ。
だが、それでも私は、心の奥底のどこかで父の言うことを盲信していた。ウデマエC-の私とマッチングするのは皆初心者ばかりだが、上位帯になると父の言う通り「バトルに溺れ、人格を破壊された」者がいるのかもしれない。S+に到達する程にのめり込んでしまうと、「不幸に飲まれてしまう」のかもしれない。そんな考えも、未だ拭いきれずにいた。
それに――私は、「父のおかげで、恵まれた境遇にいる」ということも少しずつ理解していた。ナワバリバトルで出会った者たちと話していくうちに、自分の生活がいかに世間の「普通」とかけ離れているかを知っていった。どうやら普通のイカは家にメイドや料理人なんていないらしいし、ピアノとバイオリンとバレエとその他諸々を同時に習ったりはできないらしいし、一ヶ月間毎日違う服を着たりもしないらしいし、働かないとお金は入ってこないらしい。普通のイカの家にはグランドピアノもエレベーターもないらしいし、そもそも大きさ自体が私の家の半分もないらしい。
望んだ物は何でも手に入る、恵まれた生活。そしてそれは、父の存在があってこそ成り立つもの。父を裏切ってしまえば、この生き方に終わりが来てしまうかもしれない。けれど、やはりナワバリバトルをしたいという情熱は止められない――その二律背反に苦しみながら、いつしか私は成人になっていたのだった。
「いいかい、ナワバリバトルというのは、溺れれば溺れるほどに人格を破壊していくものなんだよ。どれだけ試合を重ねても飽くなき勝利に固執し、負ければ味方を罵り、やがては誰も信用できなくなってしまう。……あの褐色肌のボーイなんかは、まさにその主たる例だな」
まだ私がヒト型になっていない年頃から、父がしきりに言っていた言葉。その一つ一つは今でも私の胸に刻まれている。
「いいかい、これはね、トワを守るためなんだよ。トワがあんな風になって、壊れてしまわぬように。そうやってジンドウ家の者として相応しい振る舞いを保っていれば、必ず幸せになって、良いところにお嫁に行くことだってできるのだからね」
そうやって、父は甘い言葉と共に、私がナワバリバトルに参加することを厳しく禁じてきたのだ。
『ナワバリバトルに溺れれば、不幸を生む』――それが、父の口癖だった。
ジンドウ家の者として、大企業の社長である父の娘として、生まれてからの十数年間、私は父の言いつけを受け入れ、守り続けてきた。ナワバリバトルの世界に足を踏み入れ、ブキを手にしてしまえば、やがては不幸に飲まれてしまう。何も知らない私は、それを疑いもせず信じていた。
けれど、やはりインクリングの本能には逆らえないものなんだろうか。私の生まれ育った街、ハイカラシティで毎日のように開催されるナワバリバトル。イカホの画面越しにその試合風景を見る度、いつしか胸の内に滾る小さな欲が芽生え始めていることに気付いた。欲はやがて炎となり、今まで自分自身を包み込んできた何かを壊そうとするような、強い強い衝動へと変貌を遂げていった。
――私も、ナワバリバトルをやってみたい。
口には出さなくとも、魂がそう叫んでいるような気がしたのだ。
(お父さんは、ナワバリバトルは不幸を生むって言ってた。でも、一回だけ……本当に一回だけなら、大丈夫だよね……?)
私は熱く滾る欲望に逆らえず、父や使用人たちの目を盗んでこっそり家を抜け出し、ハイカラシティのロビーへと向かった。
見よう見まねで選手登録をして、支給されたわかばシューターで初めてのナワバリバトルに挑んだ。抑圧されていた本能、未だ殻を破ることの無かった情熱の炎。自分自身でも見えていなかった、私の中の意思。それら全てをインクに込めて、撒き散らし、ぶつけていく感覚。自分が今までの自分ではない何かに変わっていくような感覚。まるで別世界に誘われるような、渇望と快楽がそこには確かにあった。
――それが、私が生まれて初めて、父の言いつけを破った瞬間であった。
それからも私は欲に逆らうことはできず、時折父の目を盗んではハイカラシティでナワバリバトルに挑んだ。何度かの試合を経て手に入れたブキチライセンス3枚をマメブキチとツブブキチの店に持っていき、ずっと使ってみたかったブキ、パラシェルターソレーラを手に入れた。
同時に、父の言っていたことの幾つかは、事実と食い違っているということも分かった。
「誰も信用できなくなった主たる例」と父が言っていた褐色肌のボーイは、味方を守るために自ら連携を取り合っていた。「勝利だけに固執する冷酷なイカ」と言われていた軍服風のボーイは、空腹で倒れかけていた私にカレーを振る舞ってくれた。「他人の願いを見下し否定する者」と言われていたマッシュヘアのボーイが、ムツゴ楼で絵馬をかけている所も目撃してしまった。
「勝てば驕り、負ければ罵る」と言われていた味方達は、勝っても負けても、私を笑顔で励ましてくれたのだ。
だが、それでも私は、心の奥底のどこかで父の言うことを盲信していた。ウデマエC-の私とマッチングするのは皆初心者ばかりだが、上位帯になると父の言う通り「バトルに溺れ、人格を破壊された」者がいるのかもしれない。S+に到達する程にのめり込んでしまうと、「不幸に飲まれてしまう」のかもしれない。そんな考えも、未だ拭いきれずにいた。
それに――私は、「父のおかげで、恵まれた境遇にいる」ということも少しずつ理解していた。ナワバリバトルで出会った者たちと話していくうちに、自分の生活がいかに世間の「普通」とかけ離れているかを知っていった。どうやら普通のイカは家にメイドや料理人なんていないらしいし、ピアノとバイオリンとバレエとその他諸々を同時に習ったりはできないらしいし、一ヶ月間毎日違う服を着たりもしないらしいし、働かないとお金は入ってこないらしい。普通のイカの家にはグランドピアノもエレベーターもないらしいし、そもそも大きさ自体が私の家の半分もないらしい。
望んだ物は何でも手に入る、恵まれた生活。そしてそれは、父の存在があってこそ成り立つもの。父を裏切ってしまえば、この生き方に終わりが来てしまうかもしれない。けれど、やはりナワバリバトルをしたいという情熱は止められない――その二律背反に苦しみながら、いつしか私は成人になっていたのだった。