Chapter2〜籠の鳥は地べたを歩く
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***
――そして、すっかり火傷も治った数日後。
カーテンの隙間から射し込む陽の光で、私はゆっくりと目を覚ます。サンカクスでの今日の「修行」は午後からで良い、とのことなので、午前中は家で過ごす事になる。時計を確認して、もう少し寝ていても良いか、と再び目を閉じようとする。
だが、隣のベッドからは、既にエンペラーが起き上がる音が聞こえる。そのまま何処かに行ったかと思えば、以前のバンカラ杯で着ていたのと同じ、あの純白のコートと、ブキを持って戻ってきた。
「あれ、もう出かける支度?」
「ああ、今月末にハイカラシティで大会があるからな、その練習で忙しいのだ」
「なるほど……頑張ってね」
その後、二人で朝食を食べ終え、チーム練習に向かうエンペラーを見送ってから、再び私は寝室に戻る。
(さてと……午後まで暇だな。折角だから、何かしなきゃ)
エンペラーの居ない、一人だけの寝室は、やけに静かで広く感じられる。このまま何もせずに過ごすのも落ち着かない。
(そういえば、お兄ちゃんは「一人で生活できるだけの力を身につけなければいけない」って、言ってたよね。料理はサンカクスでの修行で良いとして……後は、掃除と洗濯?)
そこまで考えて、私はあることを思いつき、1階へと駆け出して行った。
「掃除の手伝いがしたい、ですか? お嬢様、急にどうされたのでしょう?」
1階に降りてきた私は、丁度浴室の掃除をしていたメイドさんに、手伝いがしたいと頼み込んだ。
「その……私、恥ずかしながら、掃除のその字も今まで自分でやった事がなくて……私も大人ですから、働くということが何なのか、生活を維持するということが何なのか、自らの身をもって知りたいと思ったのです」
「そうですか……お嬢様の生活を支えるのは、私たちメイドの役目ですが……そこまでお嬢様が仰るのならば、一緒に掃除をしてみましょうか」
「はい、お願いします!」
「それでは、こちらのスポンジと洗剤で、浴槽を洗っていきましょう」
言われるがまま、私は洗剤をつけたスポンジで、浴槽の中を擦る。
ここは別邸とはいえ、それでも浴槽は私の家にあるものより広い。普段から丁寧に掃除されているのか、どこに汚れがあるのかも分からずただ適当に擦り続けているだけ。それでも、この大きさの浴槽全体を洗うのは、想像以上に大変だ。
「ふぅ……結構身体を使うんですね」
そう言いながら、今度はどこを洗おうかと、浴槽を出て歩き出す。
「お嬢様、滑りやすいのでお気をつけて……ああっ!」
一歩踏み出した次の瞬間、洗剤まみれの床で足を滑らせて、私は派手に転んでしまう。
「あいたっ!」
「お嬢様! ご無事でしょうか!?」
「大丈夫ですよ、さ、続けましょう」
元々インクリングというのは、骨が無く柔らかい身体で衝撃を受け流せるようになっている。転んで床に身体を打ち付けた程度なら、大したことはない。……それにしても、先日のエンペラーといい、この家の人達は、何かと大袈裟で心配性なのだろうか。
***
「ふぅ、やっと終わった……部屋一つ掃除するだけでも、結構な大仕事なのね」
何度か転びかけながらもようやく浴室全体の掃除を終える頃には、身体にうっすらと汗が浮かんでいるのを感じていた。これだけのことを毎日、それもこの広い家の中全てで続けていけるなんて。今まで如何に自分が甘えた生活を送っていたのかということを思い知らされる。
「あの……いつもこんなに大変な仕事をされていたのですね。いつもありがとうございます」
「ふふ、どういたしまして。お嬢様が快適にすごせる場を整えるのは、私達の役目です。お困りのことがございましたら、いつでもお申し付けくださいね」
掃除道具を片付けて、メイドさんにお礼を伝える。――こんなに私達のために尽くしてくださっているメイドさん達も、いずれは裏切らなければいけないのだと思うと、胸が苦しい。けれど、それも私にとっては必要なことなのだ。
(私も……色々と、頑張らないと)
気を引き締めて、私は午後の「修行」の支度に取り掛かった。
***
「上達してるねぇ、トワちゃん。その調子だよぉ」
生地の上に、野菜とサーモンの切り身を乗せて、くるりと巻いて、マキアミロール360°が出来上がる。
おばちゃんが作った物に比べれば、まだ少し形は歪だが、それでも初日に比べれば、客に出してもぎりぎり問題なさそうな形にはなったかもしれない。
「それじゃあ、次はアゲバサミサンドの具材の用意をお願いねぇ」
「分かりました!」
今度はもう、火傷などしないように。慎重にエビフライを揚げていく。
「ふぅ、何とか良い感じに揚げられたかな……って、あれ?」
ふと、カウンターの方を見ると、列の最後尾に、見慣れた純白のコートとサンイエローの髪 ――が4人。
(あれって……エンペラーチーム!)
そういえば今日は、チーム練習をすると言っていたんだった。丁度、休憩に来ているのかもしれない。
やがて、列は進み、カウンターの前にエンペラーとチームメイト達がやって来た。
「修行の調子はどうだ、トワ。折角の機会だ、成果を試してやろう」
そう言いながら、エンペラーはカウンター越しにフードチケットを差し出す。その後ろからもう一人、私に声をかけてくるボーイがいる。
「トワさんも修行だなんて、凄いですね! 応援しています」
笑顔でそう声をかけてきたのは、エンペラーの弟、プリンツくんだ。
「そのフードチケットは……ビッグマザーマウンテンだねぇ。トワちゃん、頼めるかい? 初めてだけど、マニュアル通りに具材を積んでいけば大丈夫だからねぇ」
チケットを、そしてエンペラーの意図を受け取ったおばちゃんが、私に期待の眼差しを向けてくる。……どうやら私が、ビッグマザーマウンテンを作ることになるらしい。
エンペラーの家族、そしてチームメイトの手前、期待を裏切らない為にも、心配をかけない為にも、失敗は許されない。
「よし……頑張る!」
私は気合いを入れて、食材を準備していく。ポテト、卵、海老、サーモン……必要なものを準備したら、後は積み上げていくだけだ。……だが、それが難しい。
土台から順番に、崩れないようにバランスを保ちつつ、けれど見栄えするように。慎重に慎重に、震える手で一つずつ食材を乗せていく。
(エンペラーも……こういうこと、やってたのかな)
あの華やかな姿、立ち居振る舞いの裏で、彼もこんな地道な努力を積み重ねてきたのだろうか。……そう考えると、少しだけ彼に親近感が湧いてくる気もする。
……と、そんなことを考えている場合ではない。完成間近、最後まで気を抜けない作業だ。積み上がった食材の山の頂上に、こぼれないように慎重にポテトサラダを盛って、パセリを乗せて、最後にソースをたっぷりとかけて――
「できた!……お待たせしました、ビッグマザーマウンテンです!」
出来上がったものをお手本の写真と比べてみる。崩れそうな気配はない。……我ながら良くできたのではないのだろうか。果たしてどんな反応をしてくれるのか、じっとエンペラーの方を見つめる。
「……美味そうだ。良く出来ているではないか、トワ」
「……! あ、ありがとう……」
ぽうっと顔が赤くなるのを感じる。エンペラーに褒められた――それだけで、頑張った甲斐があったものだ。
「あ、あの! 練習、頑張って!」
「ああ、お前もな」
私が手を振ると、エンペラーも手を振り返して、満足げにビッグマザーマウンテンの大皿を持ってロッカールームへと姿を消した。
――そして、すっかり火傷も治った数日後。
カーテンの隙間から射し込む陽の光で、私はゆっくりと目を覚ます。サンカクスでの今日の「修行」は午後からで良い、とのことなので、午前中は家で過ごす事になる。時計を確認して、もう少し寝ていても良いか、と再び目を閉じようとする。
だが、隣のベッドからは、既にエンペラーが起き上がる音が聞こえる。そのまま何処かに行ったかと思えば、以前のバンカラ杯で着ていたのと同じ、あの純白のコートと、ブキを持って戻ってきた。
「あれ、もう出かける支度?」
「ああ、今月末にハイカラシティで大会があるからな、その練習で忙しいのだ」
「なるほど……頑張ってね」
その後、二人で朝食を食べ終え、チーム練習に向かうエンペラーを見送ってから、再び私は寝室に戻る。
(さてと……午後まで暇だな。折角だから、何かしなきゃ)
エンペラーの居ない、一人だけの寝室は、やけに静かで広く感じられる。このまま何もせずに過ごすのも落ち着かない。
(そういえば、お兄ちゃんは「一人で生活できるだけの力を身につけなければいけない」って、言ってたよね。料理はサンカクスでの修行で良いとして……後は、掃除と洗濯?)
そこまで考えて、私はあることを思いつき、1階へと駆け出して行った。
「掃除の手伝いがしたい、ですか? お嬢様、急にどうされたのでしょう?」
1階に降りてきた私は、丁度浴室の掃除をしていたメイドさんに、手伝いがしたいと頼み込んだ。
「その……私、恥ずかしながら、掃除のその字も今まで自分でやった事がなくて……私も大人ですから、働くということが何なのか、生活を維持するということが何なのか、自らの身をもって知りたいと思ったのです」
「そうですか……お嬢様の生活を支えるのは、私たちメイドの役目ですが……そこまでお嬢様が仰るのならば、一緒に掃除をしてみましょうか」
「はい、お願いします!」
「それでは、こちらのスポンジと洗剤で、浴槽を洗っていきましょう」
言われるがまま、私は洗剤をつけたスポンジで、浴槽の中を擦る。
ここは別邸とはいえ、それでも浴槽は私の家にあるものより広い。普段から丁寧に掃除されているのか、どこに汚れがあるのかも分からずただ適当に擦り続けているだけ。それでも、この大きさの浴槽全体を洗うのは、想像以上に大変だ。
「ふぅ……結構身体を使うんですね」
そう言いながら、今度はどこを洗おうかと、浴槽を出て歩き出す。
「お嬢様、滑りやすいのでお気をつけて……ああっ!」
一歩踏み出した次の瞬間、洗剤まみれの床で足を滑らせて、私は派手に転んでしまう。
「あいたっ!」
「お嬢様! ご無事でしょうか!?」
「大丈夫ですよ、さ、続けましょう」
元々インクリングというのは、骨が無く柔らかい身体で衝撃を受け流せるようになっている。転んで床に身体を打ち付けた程度なら、大したことはない。……それにしても、先日のエンペラーといい、この家の人達は、何かと大袈裟で心配性なのだろうか。
***
「ふぅ、やっと終わった……部屋一つ掃除するだけでも、結構な大仕事なのね」
何度か転びかけながらもようやく浴室全体の掃除を終える頃には、身体にうっすらと汗が浮かんでいるのを感じていた。これだけのことを毎日、それもこの広い家の中全てで続けていけるなんて。今まで如何に自分が甘えた生活を送っていたのかということを思い知らされる。
「あの……いつもこんなに大変な仕事をされていたのですね。いつもありがとうございます」
「ふふ、どういたしまして。お嬢様が快適にすごせる場を整えるのは、私達の役目です。お困りのことがございましたら、いつでもお申し付けくださいね」
掃除道具を片付けて、メイドさんにお礼を伝える。――こんなに私達のために尽くしてくださっているメイドさん達も、いずれは裏切らなければいけないのだと思うと、胸が苦しい。けれど、それも私にとっては必要なことなのだ。
(私も……色々と、頑張らないと)
気を引き締めて、私は午後の「修行」の支度に取り掛かった。
***
「上達してるねぇ、トワちゃん。その調子だよぉ」
生地の上に、野菜とサーモンの切り身を乗せて、くるりと巻いて、マキアミロール360°が出来上がる。
おばちゃんが作った物に比べれば、まだ少し形は歪だが、それでも初日に比べれば、客に出してもぎりぎり問題なさそうな形にはなったかもしれない。
「それじゃあ、次はアゲバサミサンドの具材の用意をお願いねぇ」
「分かりました!」
今度はもう、火傷などしないように。慎重にエビフライを揚げていく。
「ふぅ、何とか良い感じに揚げられたかな……って、あれ?」
ふと、カウンターの方を見ると、列の最後尾に、見慣れた純白のコートとサンイエローの
(あれって……エンペラーチーム!)
そういえば今日は、チーム練習をすると言っていたんだった。丁度、休憩に来ているのかもしれない。
やがて、列は進み、カウンターの前にエンペラーとチームメイト達がやって来た。
「修行の調子はどうだ、トワ。折角の機会だ、成果を試してやろう」
そう言いながら、エンペラーはカウンター越しにフードチケットを差し出す。その後ろからもう一人、私に声をかけてくるボーイがいる。
「トワさんも修行だなんて、凄いですね! 応援しています」
笑顔でそう声をかけてきたのは、エンペラーの弟、プリンツくんだ。
「そのフードチケットは……ビッグマザーマウンテンだねぇ。トワちゃん、頼めるかい? 初めてだけど、マニュアル通りに具材を積んでいけば大丈夫だからねぇ」
チケットを、そしてエンペラーの意図を受け取ったおばちゃんが、私に期待の眼差しを向けてくる。……どうやら私が、ビッグマザーマウンテンを作ることになるらしい。
エンペラーの家族、そしてチームメイトの手前、期待を裏切らない為にも、心配をかけない為にも、失敗は許されない。
「よし……頑張る!」
私は気合いを入れて、食材を準備していく。ポテト、卵、海老、サーモン……必要なものを準備したら、後は積み上げていくだけだ。……だが、それが難しい。
土台から順番に、崩れないようにバランスを保ちつつ、けれど見栄えするように。慎重に慎重に、震える手で一つずつ食材を乗せていく。
(エンペラーも……こういうこと、やってたのかな)
あの華やかな姿、立ち居振る舞いの裏で、彼もこんな地道な努力を積み重ねてきたのだろうか。……そう考えると、少しだけ彼に親近感が湧いてくる気もする。
……と、そんなことを考えている場合ではない。完成間近、最後まで気を抜けない作業だ。積み上がった食材の山の頂上に、こぼれないように慎重にポテトサラダを盛って、パセリを乗せて、最後にソースをたっぷりとかけて――
「できた!……お待たせしました、ビッグマザーマウンテンです!」
出来上がったものをお手本の写真と比べてみる。崩れそうな気配はない。……我ながら良くできたのではないのだろうか。果たしてどんな反応をしてくれるのか、じっとエンペラーの方を見つめる。
「……美味そうだ。良く出来ているではないか、トワ」
「……! あ、ありがとう……」
ぽうっと顔が赤くなるのを感じる。エンペラーに褒められた――それだけで、頑張った甲斐があったものだ。
「あ、あの! 練習、頑張って!」
「ああ、お前もな」
私が手を振ると、エンペラーも手を振り返して、満足げにビッグマザーマウンテンの大皿を持ってロッカールームへと姿を消した。
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