Chapter2〜籠の鳥は地べたを歩く
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「あら、急にどうしたの? 弟子だなんてぇ」
おばちゃんはニコニコ笑顔のまま、首を傾げている。
「それが……私にも色々と事情がありまして。今まで周囲の力だけで生きてきたのですが、自立しなければいけない状況になったのです。なので、とある方の先例に倣って……ここで働きたいのです」
「なるほどねぇ、ここでアルバイトしながら学びたいってのかい? それなら大歓迎よぉ、入って入って」
彼女は早速扉を開けて、スタッフルームへと案内する。
「トワちゃん、って言うのかい? まずはこのエプロンを着けて、それからしっかり手を洗ってねぇ」
言われた通り、エプロンに着替えてから手を洗う。こんなことをするのなんて……学校の家庭科の授業以来だ。
「じゃあ、トワちゃんには早速、マキアミロールの作り方を覚えてもらうよ」
おばちゃんはそう言うと、テキパキと調理器具と野菜をキッチンを並べていく。
「まずはこのキュウリを、こんな風に細く切って」
壁に貼られた、作り方の手順の紙を指しながら、彼女はまな板の上にキュウリと包丁を並べていく。
「こ、こう……ですか? どうすれば……」
恐る恐る包丁を手に取って、この辺りか、と思われる場所にそっと刃を入れる。さく、と音を立てて、ぎこちない切れ目が顕になるのを見ながら、私は昔のことを思い出していた。――かつて、学校で家庭科の調理実習をやったら、「うちの娘に刃物を持たせるとは何事だ!」と、父がクレームを入れに来たらしいと聞いたこと。それ以来、授業でも怖くて包丁など触れず、班内の他の子に任せっきりだったことを。
「あらあら、その持ち方は危ないよ。左手はこうやって……そう! そんな感じよ」
さく、さく、と、静かにゆっくり、慎重にキュウリを切っていく。やがて、半分は切れただろうかという所で、ふいにおばちゃんがカウンターの方を振り返る。
「あら、お客さんだわ! 残りはあたしがやっておくから、トワちゃんは接客を頼めるかい?」
「は、はいっ!」
私は包丁を置くと、急いでカウンターの方へと駆け出していく。
「いらっしゃいませ、ご注文をお伺いします」
こんな感じで良かったのだろうか、と思いながら、客からフードチケットを受け取る。
「アゲバサミサンドが1つですね、少々お待ちください」
そう言って、既に棚に並べられているアゲバサミサンドを一つ、トングで掴んで持っていく。
「お待たせしました、こちら……」
「トワちゃん! 言うのを忘れていたよ、包み紙がその横にあるから、それに入れて渡してちょうだい」
「は、はいっ! すみません」
慌てて棚の横を確認し、アゲバサミサンド用の包み紙を確認して取り出すと、恐る恐る包み紙にアゲバサミサンドを移して、カウンター越しに受け渡した。
「ありがとうございました!」
何も言わずに、アゲバサミサンドを片手に去っていく客の後ろ姿を見送りながら、これで良かったのだろうか、と不安になる。
一先ず、野菜を切る作業に戻らなければ。そう思い、おばちゃんがいるキッチンに向かうと――彼女は、私の何倍、いや何十倍もあろうかという速さで、トントントントン、とリズミカルに、野菜を切っていた。
「ごめんねぇ、急に任せちゃって。初めてにしては上々よ」
そう言う彼女の後ろで、私は既に殆どの野菜が切り終えられた状態で乗っているまな板の上を見ながら、唖然としていた。
(普通の人は……こんなにも素早く、出来るものなのかな。それに比べたら私は、全然――)
「それじゃあ、他の野菜はもう準備できてるから、これを生地の上に順番に乗せていってねぇ」
そう言うと彼女は、「お手本」と称して、広げた生地の上に素早く野菜と、サーモンの切り身を乗せていって、最後にくるりと巻いて包むと、あっという間にマキアミロール360°が完成した。
「わ、私も……」
彼女の見せてくれたお手本と、壁に書かれたメモの手順を見ながら、私も見よう見まねで、野菜を乗せていく。だが、ただ綺麗に食材を並べるというだけでも、難しいものだ。手順通りに乗せているはずなのに、どうにも綺麗に並べられない。結局、お手本より何倍も時間がかかってしまったにも関わらず、出来たものはどこか歪な形の、マキアミロールのような何かにすぎない物であった。
***
「それじゃあ、次は目玉焼きを作ってくれるかい」
「焼きそばも作ってちょうだいねぇ」
「ビッグマザーマウンテンの盛り付け、手伝ってもらえるかい? 崩さないように気を付けてねぇ」
「お客さんにドリンクを出してきてくれるかい?」
……
………
慣れない事だらけで、何もかもがうまくいかない修行は続く。
気づけば、時刻はもう夕方になっていた。
「それじゃあ、これが今日の最後の仕事だよ。アゲアゲバサミサンド用の、エビフライを揚げてもらえるかい」
「わかりました!」
私はお手本を見ながら、見よう見まねでエビに衣を付け、熱した油へと――
「トワちゃん、ストップ! そんなに一度にたくさん入れたら――」
「えっ!?」
おばちゃんが憔悴しながら制止する声が聞こえる。だが、もう遅かった。
「――!! あっつ!!」
大量のエビフライが、一気に油に滑り落ちていき――大きく跳ねた油が、ばしゃん、と私の右腕にかかったのだ。
「大丈夫かい!? すぐに水で冷やして!」
おばちゃんに言われた通り、油を被った部分を流しの水で冷やす。
「ちょっと腕を見せてくれるかい?」
救急箱を持って駆けつけたおばちゃんに、右腕を見せる。油を被った部分は、見るからに赤く腫れていた。自身の指でそっと振れると、腫れた部分がひりひりと痛む。
「これでもう大丈夫だからねぇ」
十分に冷やした腕をタオルで優しく拭いて、おばちゃんはせっせと包帯を巻いていく。
「すみません、こんなことになってしまって……」
私は何度も何度も、ぺこぺこと頭を下げる。
「良いんだよ、初めてにしてはよく頑張ってたじゃない。初めから上手くできる人なんて、誰もいないのよ。失敗を少しずつ積み重ねて、成功へと繋げていく。それがトワちゃんの思う、修行じゃないのかい?」
「っ、うぅ……」
何もかもが上手くいかないことだらけなのに、こんなにも優しくしてもらって。家にいた頃とはまるで大違いで――涙が出そうだ。
「それじゃあ、今日のお仕事はそろそろお終いだよ。片付けはできそうかい?」
「はい、勿論です!」
「無理はしなくて良いからねぇ」
それから私たちは、散らかったキッチンの片付けを終えて――閉店時間よりも少し早めに、私は帰らせてもらえることになった。
「まさかあたしにも、こんなに可愛くてしっかり者の弟子ができるなんてねぇ。また、明日からも来てくれるかい?」
「はい! 是非とも……よろしくお願いします!」
おばちゃんに何度も頭を下げて、私はサンカクスを後にした。
「……トワ? そこにいたのか」
「!? ……エンペラー!」
店に戻っていくおばちゃんと入れ違いになるように、どこからともなく姿を現したのは――エンペラーだった。純白のコートに身を包み、ブキを持っている姿からして、どうやら試合の帰りらしい。彼の後ろには、お揃いのギアのチームメイトたちの姿も見える。
「いつからここに……っと、どうしたんだ、その腕は!?」
エンペラーは私の右腕に巻かれた包帯を見るなり、突然目を大きく剥きながら迫り来る。
「え? いやこれは、その、訳あって火傷してしまって…」
「火傷だと!? 一体何があったんだ。話してみろ!」
「お、落ち着いてエンペラー!」
まるで私に生命の危機でもあったかのように、憔悴しきった表情で詰め寄る彼を必死に宥めつつ、私は早口で事情を説明した。
「なるほど、修行の一環として……か。軽傷で済んだのは不幸中の幸いと言うべきか……。しかし、応急処置だけでは治りも遅かろう。専属の医者を呼んでおく。家に帰る頃には到着しているだろう」
「え、いや別にそこまでしなくたって」
「良いから診てもらえ。そうとなれば早く帰るぞ」
「え、えーっと……?」
その後、私はエンペラーと共に、執事の運転する車で家へと帰ってきたのだが――その夜、そして翌朝も、家にやって来た医者とエンペラーに、数時間おきに火傷の様子を確認されては、あまりにも大袈裟に、甲斐甲斐しく手当てをされ続けたのだった。
おばちゃんはニコニコ笑顔のまま、首を傾げている。
「それが……私にも色々と事情がありまして。今まで周囲の力だけで生きてきたのですが、自立しなければいけない状況になったのです。なので、とある方の先例に倣って……ここで働きたいのです」
「なるほどねぇ、ここでアルバイトしながら学びたいってのかい? それなら大歓迎よぉ、入って入って」
彼女は早速扉を開けて、スタッフルームへと案内する。
「トワちゃん、って言うのかい? まずはこのエプロンを着けて、それからしっかり手を洗ってねぇ」
言われた通り、エプロンに着替えてから手を洗う。こんなことをするのなんて……学校の家庭科の授業以来だ。
「じゃあ、トワちゃんには早速、マキアミロールの作り方を覚えてもらうよ」
おばちゃんはそう言うと、テキパキと調理器具と野菜をキッチンを並べていく。
「まずはこのキュウリを、こんな風に細く切って」
壁に貼られた、作り方の手順の紙を指しながら、彼女はまな板の上にキュウリと包丁を並べていく。
「こ、こう……ですか? どうすれば……」
恐る恐る包丁を手に取って、この辺りか、と思われる場所にそっと刃を入れる。さく、と音を立てて、ぎこちない切れ目が顕になるのを見ながら、私は昔のことを思い出していた。――かつて、学校で家庭科の調理実習をやったら、「うちの娘に刃物を持たせるとは何事だ!」と、父がクレームを入れに来たらしいと聞いたこと。それ以来、授業でも怖くて包丁など触れず、班内の他の子に任せっきりだったことを。
「あらあら、その持ち方は危ないよ。左手はこうやって……そう! そんな感じよ」
さく、さく、と、静かにゆっくり、慎重にキュウリを切っていく。やがて、半分は切れただろうかという所で、ふいにおばちゃんがカウンターの方を振り返る。
「あら、お客さんだわ! 残りはあたしがやっておくから、トワちゃんは接客を頼めるかい?」
「は、はいっ!」
私は包丁を置くと、急いでカウンターの方へと駆け出していく。
「いらっしゃいませ、ご注文をお伺いします」
こんな感じで良かったのだろうか、と思いながら、客からフードチケットを受け取る。
「アゲバサミサンドが1つですね、少々お待ちください」
そう言って、既に棚に並べられているアゲバサミサンドを一つ、トングで掴んで持っていく。
「お待たせしました、こちら……」
「トワちゃん! 言うのを忘れていたよ、包み紙がその横にあるから、それに入れて渡してちょうだい」
「は、はいっ! すみません」
慌てて棚の横を確認し、アゲバサミサンド用の包み紙を確認して取り出すと、恐る恐る包み紙にアゲバサミサンドを移して、カウンター越しに受け渡した。
「ありがとうございました!」
何も言わずに、アゲバサミサンドを片手に去っていく客の後ろ姿を見送りながら、これで良かったのだろうか、と不安になる。
一先ず、野菜を切る作業に戻らなければ。そう思い、おばちゃんがいるキッチンに向かうと――彼女は、私の何倍、いや何十倍もあろうかという速さで、トントントントン、とリズミカルに、野菜を切っていた。
「ごめんねぇ、急に任せちゃって。初めてにしては上々よ」
そう言う彼女の後ろで、私は既に殆どの野菜が切り終えられた状態で乗っているまな板の上を見ながら、唖然としていた。
(普通の人は……こんなにも素早く、出来るものなのかな。それに比べたら私は、全然――)
「それじゃあ、他の野菜はもう準備できてるから、これを生地の上に順番に乗せていってねぇ」
そう言うと彼女は、「お手本」と称して、広げた生地の上に素早く野菜と、サーモンの切り身を乗せていって、最後にくるりと巻いて包むと、あっという間にマキアミロール360°が完成した。
「わ、私も……」
彼女の見せてくれたお手本と、壁に書かれたメモの手順を見ながら、私も見よう見まねで、野菜を乗せていく。だが、ただ綺麗に食材を並べるというだけでも、難しいものだ。手順通りに乗せているはずなのに、どうにも綺麗に並べられない。結局、お手本より何倍も時間がかかってしまったにも関わらず、出来たものはどこか歪な形の、マキアミロールのような何かにすぎない物であった。
***
「それじゃあ、次は目玉焼きを作ってくれるかい」
「焼きそばも作ってちょうだいねぇ」
「ビッグマザーマウンテンの盛り付け、手伝ってもらえるかい? 崩さないように気を付けてねぇ」
「お客さんにドリンクを出してきてくれるかい?」
……
………
慣れない事だらけで、何もかもがうまくいかない修行は続く。
気づけば、時刻はもう夕方になっていた。
「それじゃあ、これが今日の最後の仕事だよ。アゲアゲバサミサンド用の、エビフライを揚げてもらえるかい」
「わかりました!」
私はお手本を見ながら、見よう見まねでエビに衣を付け、熱した油へと――
「トワちゃん、ストップ! そんなに一度にたくさん入れたら――」
「えっ!?」
おばちゃんが憔悴しながら制止する声が聞こえる。だが、もう遅かった。
「――!! あっつ!!」
大量のエビフライが、一気に油に滑り落ちていき――大きく跳ねた油が、ばしゃん、と私の右腕にかかったのだ。
「大丈夫かい!? すぐに水で冷やして!」
おばちゃんに言われた通り、油を被った部分を流しの水で冷やす。
「ちょっと腕を見せてくれるかい?」
救急箱を持って駆けつけたおばちゃんに、右腕を見せる。油を被った部分は、見るからに赤く腫れていた。自身の指でそっと振れると、腫れた部分がひりひりと痛む。
「これでもう大丈夫だからねぇ」
十分に冷やした腕をタオルで優しく拭いて、おばちゃんはせっせと包帯を巻いていく。
「すみません、こんなことになってしまって……」
私は何度も何度も、ぺこぺこと頭を下げる。
「良いんだよ、初めてにしてはよく頑張ってたじゃない。初めから上手くできる人なんて、誰もいないのよ。失敗を少しずつ積み重ねて、成功へと繋げていく。それがトワちゃんの思う、修行じゃないのかい?」
「っ、うぅ……」
何もかもが上手くいかないことだらけなのに、こんなにも優しくしてもらって。家にいた頃とはまるで大違いで――涙が出そうだ。
「それじゃあ、今日のお仕事はそろそろお終いだよ。片付けはできそうかい?」
「はい、勿論です!」
「無理はしなくて良いからねぇ」
それから私たちは、散らかったキッチンの片付けを終えて――閉店時間よりも少し早めに、私は帰らせてもらえることになった。
「まさかあたしにも、こんなに可愛くてしっかり者の弟子ができるなんてねぇ。また、明日からも来てくれるかい?」
「はい! 是非とも……よろしくお願いします!」
おばちゃんに何度も頭を下げて、私はサンカクスを後にした。
「……トワ? そこにいたのか」
「!? ……エンペラー!」
店に戻っていくおばちゃんと入れ違いになるように、どこからともなく姿を現したのは――エンペラーだった。純白のコートに身を包み、ブキを持っている姿からして、どうやら試合の帰りらしい。彼の後ろには、お揃いのギアのチームメイトたちの姿も見える。
「いつからここに……っと、どうしたんだ、その腕は!?」
エンペラーは私の右腕に巻かれた包帯を見るなり、突然目を大きく剥きながら迫り来る。
「え? いやこれは、その、訳あって火傷してしまって…」
「火傷だと!? 一体何があったんだ。話してみろ!」
「お、落ち着いてエンペラー!」
まるで私に生命の危機でもあったかのように、憔悴しきった表情で詰め寄る彼を必死に宥めつつ、私は早口で事情を説明した。
「なるほど、修行の一環として……か。軽傷で済んだのは不幸中の幸いと言うべきか……。しかし、応急処置だけでは治りも遅かろう。専属の医者を呼んでおく。家に帰る頃には到着しているだろう」
「え、いや別にそこまでしなくたって」
「良いから診てもらえ。そうとなれば早く帰るぞ」
「え、えーっと……?」
その後、私はエンペラーと共に、執事の運転する車で家へと帰ってきたのだが――その夜、そして翌朝も、家にやって来た医者とエンペラーに、数時間おきに火傷の様子を確認されては、あまりにも大袈裟に、甲斐甲斐しく手当てをされ続けたのだった。