Chapter2〜籠の鳥は地べたを歩く
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***
「お試し同居」が始まる当日――兄も含めた私たち家族は、ハイカラシティの外れに位置する、エンペラーの家の別邸へと招待された。
車を降りて視界に入ったのは、私の家とそう変わらないぐらいの広さの、広い庭と立派な屋敷だった。今日からここが、私とエンペラーの仮住まいになるらしい。
使用人たちが慌ただしく荷物を運び、その間に両家の挨拶やら何やらを済ませ――忙しない一日の中、外ではあっという間に陽が傾き始めていた。
「エンペラー、トワ」
引っ越し作業も終わったかという頃、エンペラーと私は、エンペラーの父に呼び止められた。
「今までと変わらない暮らしができるように、うちの執事やメイド達を、この家に呼んでおいたからな。困ったときは、いつでも頼りなさい」
「はい、ありがとうございます!」
エンペラーの父と、その後ろに並ぶ使用人たちに、私は深々と頭を下げた。
「それでは、私たちはそろそろ帰るとしよう」
「繰り返すが、くれぐれもエンペラーやそのご家族に失礼のないようにな、トワ」
引っ越しと挨拶、今後のことについての話などが終わり、帰っていくそれぞれの家族を門の前で見送ると、私もエンペラーも玄関へと戻っていった。
先ほどまで様々な会話が飛び交い、賑わっていた室内も、今はただ静けさだけが際立つ。互いに靴からスリッパに履き替え、ただどこに向かうわけでもなく、玄関ホールの前に私とエンペラーの二人が並び立つ。――小さな足音だけがそっと響くこの空間が、なんとなく気まずい。
「あ、えっと、その……改めて、よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく」
なんということはない、ただ普通の畏まった挨拶だ。それ以上は一体どうすれば良いのだろうか。まるで霧に包まれたようで測れないふたりの距離感。困り事からは逃げたいと願う本能が、私の中で動き出す。
「その、私……家の中、いろいろ見てきていいですか」
「ああ、それなら、オレもついて行こう」
逃げ腰になっている私を、捕らえて離さないかのように、エンペラーは一歩、また一歩と、少しずつ距離を詰めてくる。
「――お二人とも、家の中でしたら、私がご案内しますよ」
どこからともなく現れたメイドさんのその声が、まるで助け舟を出されたかのように思えた。
***
「最後に、こちらが寝室でございます。――夕食の準備が整うまで、もう少しお時間を頂きますので、それまではご自由にくつろいでいらしてください」
家の中を一通り案内し終えたメイドさんは、私とエンペラーを寝室に案内すると、廊下の向こうへと去っていった。
「ほう、良さそうな部屋ではないか」
寝室に足を踏み入れたエンペラーは、早速部屋の中の家具を物色している。私もそれに続くように、アンティーク調の豪華な調度品に囲まれた部屋の中をぐるりと見渡す。
(あ……ベッド、別々なんだ)
部屋の奥には、見るからに高級そうなシングルベッドが二つ、並んで置かれている。私を知らないボーイといきなり同じベッドで寝かせるような酷なことは、流石に誰もしなかったようだ。
「ベッドが気になるのか? 窓側はお前に譲ろう。疲れているならそこで休め」
「え? ああ……はい」
エンペラーに促されて、遠慮がちに窓側のベッドの淵に腰掛けると、急にどっと一日分の疲れが染み出して、布団へと吸い込まれていくような気がした。どうやらここ数日のドタバタで、思った以上に疲れが溜まっていたらしい。そんな私をよそに、エンペラーは部屋を歩き回りながら家具の物色を続けている。
「ほう、こんな物まで用意してあるとは。ここで一生を過ごすのも、悪くはないな」
彼は、これからよく知りもしないガールと一つ屋根の下で暮らすという事実を、どう受け止めているのだろうか。不安も緊張も微塵も感じられない王の背中に、私は恐る恐る尋ねてみる。
「……あの」
「何だ?」
「エンペラーさんは……どうして今回の同居を承諾したのですか?」
彼は少し考え込むような素振りを見せた後、振り返って私に尋ねてくる。
「逆に聞こう。トワは何故、今回の件を断らなかったのか」
「え? えっと、それは……」
父の元を離れるのが目的だなんて、本当のことを言ったらきっと失礼にあたるだろう。何しろ、私利私欲のためにただエンペラーを利用しているだけなのだから。
「…………ふむ」
ぐるぐる、ふらふら、と視線を泳がせる私の瞳をじっと覗き込んでいたエンペラーは、やがて何かを感じ取ったように、独り頷く。
「……その目を見るに、やはり積極的な理由ではないのだろうな。大方、金目当ての親に逆らえないか、自分を縛り付ける存在から少しでも離れたいか、といったところだろう」
そう言いながら私を見下ろす彼の眼差しは、まるでそれが正解だと信じて疑わないような、揺るぎない自信に満ちていた。
「ど、どうして分かって……」
「ふん、簡単なことだ」
心の中を読まれたかのように、本当の理由をぴたりと言い当てられ、私はただ戸惑う他なかった。そんな私の隣に、エンペラーはどっかりと腰掛ける。
「あの日――オレとお前が対戦した「バンカラ杯」の日、オレは事の顛末を全て見ていたのだ。……お前が父親に連れていかれる所を、全て」
「…………!」
「オレはあの後、お前がどうなったのか心配していた。そんな中、父さんから見合い話を持ちかけられ――偶然にもその相手が、お前だったというわけだ」
「そうだったんですか……」
告げられた事実に、開いた口が塞がらない。
あの日、激昂する父の姿をエンペラーが見ていたのなら、「父に逆らえずにいる」「父から離れたいと思っている」と推測されるのも、納得がいく。
「オレが同居を承諾した理由……それは、「お前を守りたい」からだ」
「……! 私、を……?」
「そうだ。お前はきっと今も、あの父親の元で抑圧されているに違いない――そう考えたら、放っておくことなどできなかった。だから、お前をあの家から引き離す必要があった――そのための同居なのだ」
……どうやら最初から、私の考えは全てお見通しだったらしい。それどころかエンペラーは、私の目的のために手を貸すこと、それこそを目的としているようである。
「でも、どうして私なんかのために」
「フッ。民を守るのは、王として当然の役目だ」
彼は腕と足を組んだまま、誇らしげにそう告げる。
「ありがとうございます、本当に何とお礼をしたら良いものか……」
兎にも角にも、赤の他人である私を守るために同居を受け入れてくれたエンペラーにはしっかりと感謝を伝えなければ。そう思い、私は深々と頭を下げる。だが、エンペラーはどこか苦い顔をしていた。
「……そのような堅苦しい態度はやめにしろ。自ら息苦しい空気を作りに行くような真似はするな」
「えっ、でも……」
「重荷に思う必要はない。お前はこれから王と共に暮らすのだ。光栄に思え」
エンペラーはベッドから立ち上がると、自らの存在を誇示するかのように、堂々と胸を張ってみせる。そんな彼の尊大な態度とは裏腹に、不思議とどこか、思いやりや気遣いのような温かさが感じられる気がした。
「う、うん……」
その時丁度、部屋の外からメイドさんの呼ぶ声が聞こえてきた。
「夕食ができたようだな。行くぞ」
「……うん!」
――先行きの見えぬ二人の生活は、こうして幕開けを告げたのだった。
「お試し同居」が始まる当日――兄も含めた私たち家族は、ハイカラシティの外れに位置する、エンペラーの家の別邸へと招待された。
車を降りて視界に入ったのは、私の家とそう変わらないぐらいの広さの、広い庭と立派な屋敷だった。今日からここが、私とエンペラーの仮住まいになるらしい。
使用人たちが慌ただしく荷物を運び、その間に両家の挨拶やら何やらを済ませ――忙しない一日の中、外ではあっという間に陽が傾き始めていた。
「エンペラー、トワ」
引っ越し作業も終わったかという頃、エンペラーと私は、エンペラーの父に呼び止められた。
「今までと変わらない暮らしができるように、うちの執事やメイド達を、この家に呼んでおいたからな。困ったときは、いつでも頼りなさい」
「はい、ありがとうございます!」
エンペラーの父と、その後ろに並ぶ使用人たちに、私は深々と頭を下げた。
「それでは、私たちはそろそろ帰るとしよう」
「繰り返すが、くれぐれもエンペラーやそのご家族に失礼のないようにな、トワ」
引っ越しと挨拶、今後のことについての話などが終わり、帰っていくそれぞれの家族を門の前で見送ると、私もエンペラーも玄関へと戻っていった。
先ほどまで様々な会話が飛び交い、賑わっていた室内も、今はただ静けさだけが際立つ。互いに靴からスリッパに履き替え、ただどこに向かうわけでもなく、玄関ホールの前に私とエンペラーの二人が並び立つ。――小さな足音だけがそっと響くこの空間が、なんとなく気まずい。
「あ、えっと、その……改めて、よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく」
なんということはない、ただ普通の畏まった挨拶だ。それ以上は一体どうすれば良いのだろうか。まるで霧に包まれたようで測れないふたりの距離感。困り事からは逃げたいと願う本能が、私の中で動き出す。
「その、私……家の中、いろいろ見てきていいですか」
「ああ、それなら、オレもついて行こう」
逃げ腰になっている私を、捕らえて離さないかのように、エンペラーは一歩、また一歩と、少しずつ距離を詰めてくる。
「――お二人とも、家の中でしたら、私がご案内しますよ」
どこからともなく現れたメイドさんのその声が、まるで助け舟を出されたかのように思えた。
***
「最後に、こちらが寝室でございます。――夕食の準備が整うまで、もう少しお時間を頂きますので、それまではご自由にくつろいでいらしてください」
家の中を一通り案内し終えたメイドさんは、私とエンペラーを寝室に案内すると、廊下の向こうへと去っていった。
「ほう、良さそうな部屋ではないか」
寝室に足を踏み入れたエンペラーは、早速部屋の中の家具を物色している。私もそれに続くように、アンティーク調の豪華な調度品に囲まれた部屋の中をぐるりと見渡す。
(あ……ベッド、別々なんだ)
部屋の奥には、見るからに高級そうなシングルベッドが二つ、並んで置かれている。私を知らないボーイといきなり同じベッドで寝かせるような酷なことは、流石に誰もしなかったようだ。
「ベッドが気になるのか? 窓側はお前に譲ろう。疲れているならそこで休め」
「え? ああ……はい」
エンペラーに促されて、遠慮がちに窓側のベッドの淵に腰掛けると、急にどっと一日分の疲れが染み出して、布団へと吸い込まれていくような気がした。どうやらここ数日のドタバタで、思った以上に疲れが溜まっていたらしい。そんな私をよそに、エンペラーは部屋を歩き回りながら家具の物色を続けている。
「ほう、こんな物まで用意してあるとは。ここで一生を過ごすのも、悪くはないな」
彼は、これからよく知りもしないガールと一つ屋根の下で暮らすという事実を、どう受け止めているのだろうか。不安も緊張も微塵も感じられない王の背中に、私は恐る恐る尋ねてみる。
「……あの」
「何だ?」
「エンペラーさんは……どうして今回の同居を承諾したのですか?」
彼は少し考え込むような素振りを見せた後、振り返って私に尋ねてくる。
「逆に聞こう。トワは何故、今回の件を断らなかったのか」
「え? えっと、それは……」
父の元を離れるのが目的だなんて、本当のことを言ったらきっと失礼にあたるだろう。何しろ、私利私欲のためにただエンペラーを利用しているだけなのだから。
「…………ふむ」
ぐるぐる、ふらふら、と視線を泳がせる私の瞳をじっと覗き込んでいたエンペラーは、やがて何かを感じ取ったように、独り頷く。
「……その目を見るに、やはり積極的な理由ではないのだろうな。大方、金目当ての親に逆らえないか、自分を縛り付ける存在から少しでも離れたいか、といったところだろう」
そう言いながら私を見下ろす彼の眼差しは、まるでそれが正解だと信じて疑わないような、揺るぎない自信に満ちていた。
「ど、どうして分かって……」
「ふん、簡単なことだ」
心の中を読まれたかのように、本当の理由をぴたりと言い当てられ、私はただ戸惑う他なかった。そんな私の隣に、エンペラーはどっかりと腰掛ける。
「あの日――オレとお前が対戦した「バンカラ杯」の日、オレは事の顛末を全て見ていたのだ。……お前が父親に連れていかれる所を、全て」
「…………!」
「オレはあの後、お前がどうなったのか心配していた。そんな中、父さんから見合い話を持ちかけられ――偶然にもその相手が、お前だったというわけだ」
「そうだったんですか……」
告げられた事実に、開いた口が塞がらない。
あの日、激昂する父の姿をエンペラーが見ていたのなら、「父に逆らえずにいる」「父から離れたいと思っている」と推測されるのも、納得がいく。
「オレが同居を承諾した理由……それは、「お前を守りたい」からだ」
「……! 私、を……?」
「そうだ。お前はきっと今も、あの父親の元で抑圧されているに違いない――そう考えたら、放っておくことなどできなかった。だから、お前をあの家から引き離す必要があった――そのための同居なのだ」
……どうやら最初から、私の考えは全てお見通しだったらしい。それどころかエンペラーは、私の目的のために手を貸すこと、それこそを目的としているようである。
「でも、どうして私なんかのために」
「フッ。民を守るのは、王として当然の役目だ」
彼は腕と足を組んだまま、誇らしげにそう告げる。
「ありがとうございます、本当に何とお礼をしたら良いものか……」
兎にも角にも、赤の他人である私を守るために同居を受け入れてくれたエンペラーにはしっかりと感謝を伝えなければ。そう思い、私は深々と頭を下げる。だが、エンペラーはどこか苦い顔をしていた。
「……そのような堅苦しい態度はやめにしろ。自ら息苦しい空気を作りに行くような真似はするな」
「えっ、でも……」
「重荷に思う必要はない。お前はこれから王と共に暮らすのだ。光栄に思え」
エンペラーはベッドから立ち上がると、自らの存在を誇示するかのように、堂々と胸を張ってみせる。そんな彼の尊大な態度とは裏腹に、不思議とどこか、思いやりや気遣いのような温かさが感じられる気がした。
「う、うん……」
その時丁度、部屋の外からメイドさんの呼ぶ声が聞こえてきた。
「夕食ができたようだな。行くぞ」
「……うん!」
――先行きの見えぬ二人の生活は、こうして幕開けを告げたのだった。