Chapter1〜籠の鳥は戻ってくる
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***
――翌日。
「準備はできたか、トワ」
「うん」
エンペラーと、そのご両親との顔合わせのため、私はドレスに着替えて、髪 もメイクも、専属の美容師に整えてもらった。父と母に手招きされ、車に乗り込む。向かう先は、ハイカラシティの某所にある、高級レストランだ。
「いいか、トワ、これからお会いするのは、この先一生付き合っていく相手だ。ジンドウ家の命運は、お前にかかっていると言っても過言ではない。くれぐれも失礼のないようにするんだぞ」
「……うん」
父の言葉の端々から、「絶対にこの結婚を断るな」という圧を感じる。……というより、父は最初から、何がなんでも絶対に私とエンペラーを結婚させて、援助資金を受け取る、という前提でいるようだ。「結婚」というのはもっと、輝かしい人生の門出だと思っていたのに――車内の空気は、どこか重苦しい。
「さあ、着いたぞ」
父に案内されて、車を降り、緊張した足取りでレストランに入る。エントランスでは既に、見知らぬ男女と――エンペラーが待ち構えていた。
「…………」
「……」
エンペラーと、互いに目が合う。一度は顔を合わせていながらも他人であり、それでいて婚約者でもあるという相手。一体どんな距離感で接すればいいのか分からず、口を開くことさえできないまま、なんとなく気まずい空気が流れる。
「この度はありがとうございます、ジンドウ様。さあ、どうぞこちらへ」
そう言って、奥の座席へと向かっていくこの男性が、どうやらエンペラーの父のようだ。テーブルを挟んで、私と両親、エンペラーとその両親が、それぞれ席に着く。
「それではまず、お互いに自己紹介といきましょうか」
父に促され、私は背筋を伸ばして、自らの名を名乗る。
「初めまして、トワと申します。よろしくお願いします」
私が深々とお辞儀をすると、向かい側にいるエンペラーも名前を告げる。
「エンペラーだ。よろしく頼む」
――こうして、両家の顔合わせとなる食事会は始まった。
エンペラーと、互いの両親を交えての会話は、滞りなく進んでいった。趣味、特技、好きなもの、普段の生活――無難な内容の話題を並べながら、時間は進んでいく。けれど、その中で、ナワバリバトルに関する話題だけは、決して触れられることは無かった。
父がナワバリバトルを厳しく禁じていることは、あちらの家は知っているのだろうか。ナワバリ界の頂点に君臨する者、ブキメーカーとも密接な関わりを持つ家。それでありながらまるでナワバリバトル」の概念そのものが、始めから存在しないかのように扱われている。例えるなら、「海老の入っていないエビフライ」と言おうか、あるいは「味噌の入っていない味噌汁」と言おうか――どこかちぐはぐで、違和感が拭えない。そんな空気だった。
幸いにして――いや、これを幸いと呼んで良いのかは、まだ分からないが――どうやらエンペラーは、悪い人ではなさそうだ。いや、むしろ、客観的に見れば、結婚相手としては申し分ないとすら思える。口調こそ高慢であるものの、その中身は紳士的で、言動の数々から育ちの良さをひしひしと感じる。
(ご両親も良い人そうだし、エンペラーとの結婚――悪くはない気がする。でも……)
昨日、兄に言われた言葉が、妙に胸の奥に引っかかる。
『どう考えたってお前に良いことがあるとは思えない』
『お前の人生を父さんの私欲の生贄なんかにしていいのか、よく考えろよ』
父の思うがまま、操り人形のような人生。そう考えれば、この結婚は私にとっては最善の選択ではないのかもしれない。でも、だとしたら――私にとっての「最善」とは、何なのだろうか。
(……私は何をしたい? どんな大人でありたい? どんな人生を歩みたい?)
美味しいご飯もおしゃれな服も、欲しい時に好きなだけ。そんな現状の幸せに、私は満足している。けれど……それは自分の意思で作り上げた生活ではない。ただ他人から与えられたものを、何も考えずに享受しているだけだ。
(――なら、本当に私が求めているものは?)
たとえ「ジンドウ家の者」という重荷を背負うことになろうとも、衣食住全てにおいて恵まれた生活に身を沈め続けるのか。それとも、兄の言う通り、誰かの掌の上で踊らされるだけの生活に異を唱えるのか。
……何も分からない。胸の中をぐるぐる巡る考えの、どこまでが他人の意見で、どこまでが自分の意思なのか。自分はどんな意見を持って、何を望んでいるのか。自分で自分が、分からないのだ。
「……さて、ジンドウさん。今後のことに関してですが、一つ提案があります」
食事会もそろそろお開きかという頃、エンペラーの父が、唐突にそう告げた。
「突然このような縁談を組まれて、お嬢様もまだ気持ちの整理が付いていないことでしょう。そこで、もしお嬢様が望むのであれば、一ヶ月ほどお試しで、エンペラーと同居して頂きたいのです」
「……ふむ」
(えっ……同居……!?)
訳も分からず固まったままの私と、真剣に話を聞いている父とを交互に見ながら、エンペラーの父は続ける。
「ハイカラシティの郊外にうちの別邸がありますので、そこをお貸しします。そこで同居生活を実際に送って、相性を確かめて頂くのです。こういう改まった場で話すだけよりも、実際に一緒に過ごした方が、お互いを理解できてより絆が深まるでしょうし、合わないと感じたなら、いつでも止めて頂いて結構ですので」
そう自信ありげに話すエンペラーの父を前にして、私の父は少し考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「ふむ……急には決め難いことでしょうから、家でトワと話し合ってから決めることにします。近いうちにまた連絡しますので」
(あ……)
私が返事を一生懸命に考えている間に、父に先を越されてしまった。……とはいえ、同居だなんてこれまた急な話、この場で考え込んでも、きっと良い答えは出なかっただろう。
――こうして、先行きは不透明なまま、顔合わせはひとまずお開きとなったのだった。
***
「……それで、結局どうなったんだ?」
家に帰り、自室に戻ろうと2階への階段を登るなり、待ち構えていたようにそこに立っていた兄から、開口一番そう聞かれた。
「結局、どうなるのか分からないままだけど、今のところは……」
私は今日あったことをありのまま、兄に伝えた。自分の意思が分からないということも。エンペラーの父から「お試し同居」を提案されたということも。
そして――父はその「お試し同居」への返事を保留としておきながらも、帰りの車の中で「何がどうであれ、この結婚を絶対に断るな」ということを暗に、しつこいほどに伝えられたということも。
「ふーん、なるほどな。しかしあっちの親も太っ腹だな、結構デカい家を一軒丸ごと、一ヶ月も貸してくれるなんて……」
そう言って、兄は腕を組んでしばらく何やら考え込んだ後、ぱっと顔を上げた。
「……考えが変わった。お前、そのお試し同居とやらを、とりあえず承諾してみるのはどうだ?」
「……え?」
昨日はあれだけ反対していたのに、どうして――そう尋ねようとする前に、畳み掛けるように兄は続ける。
「別邸に二人で住まわせてくれるってことは……父さんから離れて暮らせるってことだろ? 一ヶ月間、父さんから離れた所で生活して、頭を冷やすっていうのはどうだ? エンペラーとの結婚は、同居期間が終わった後で、合わなかったとか何とか適当な理由付けて断ればいい」
「なるほど、そういう考え方が……」
「父さんの呪縛がない生活を、お前も一回体験しておくといい。きっとすぐに、その快適さに気付けるはずだ」
兄はそう告げると、「ま、最終的な判断は、お前に任せるけどな。くれぐれも後悔のないようにしろよ」と言い残して、部屋へと入っていった。
(そうか、エンペラーと一緒に暮らすってことは、この家を離れて、自由になれるってこと……)
「結婚」を受け入れるのかどうか、未だ自分の中では答えを出せずにいる。だけど、最も大切な決断を先延ばしにして、何が最善なのかをゆっくり考えられる時間を得られるのであれば、利用しない手はないだろう。
(よし――決めた)
私は階段を降りてリビングに戻ると、ソファに腰掛ける父の元へと向かう。
「お父さん! エンペラーのことだけど……とりあえず、同居の話、受け入れることにするよ」
「よし、分かった。ではあちらにもそう伝えておこう。近いうちに引っ越しをするだろうから、あらかじめ荷物をまとめておくように」
「はーい」
こうして私は、自由、最善、幸せ――私が本当に望んでいるものを探すための「お試し同居」をすることに決まったのだった。
――翌日。
「準備はできたか、トワ」
「うん」
エンペラーと、そのご両親との顔合わせのため、私はドレスに着替えて、
「いいか、トワ、これからお会いするのは、この先一生付き合っていく相手だ。ジンドウ家の命運は、お前にかかっていると言っても過言ではない。くれぐれも失礼のないようにするんだぞ」
「……うん」
父の言葉の端々から、「絶対にこの結婚を断るな」という圧を感じる。……というより、父は最初から、何がなんでも絶対に私とエンペラーを結婚させて、援助資金を受け取る、という前提でいるようだ。「結婚」というのはもっと、輝かしい人生の門出だと思っていたのに――車内の空気は、どこか重苦しい。
「さあ、着いたぞ」
父に案内されて、車を降り、緊張した足取りでレストランに入る。エントランスでは既に、見知らぬ男女と――エンペラーが待ち構えていた。
「…………」
「……」
エンペラーと、互いに目が合う。一度は顔を合わせていながらも他人であり、それでいて婚約者でもあるという相手。一体どんな距離感で接すればいいのか分からず、口を開くことさえできないまま、なんとなく気まずい空気が流れる。
「この度はありがとうございます、ジンドウ様。さあ、どうぞこちらへ」
そう言って、奥の座席へと向かっていくこの男性が、どうやらエンペラーの父のようだ。テーブルを挟んで、私と両親、エンペラーとその両親が、それぞれ席に着く。
「それではまず、お互いに自己紹介といきましょうか」
父に促され、私は背筋を伸ばして、自らの名を名乗る。
「初めまして、トワと申します。よろしくお願いします」
私が深々とお辞儀をすると、向かい側にいるエンペラーも名前を告げる。
「エンペラーだ。よろしく頼む」
――こうして、両家の顔合わせとなる食事会は始まった。
エンペラーと、互いの両親を交えての会話は、滞りなく進んでいった。趣味、特技、好きなもの、普段の生活――無難な内容の話題を並べながら、時間は進んでいく。けれど、その中で、ナワバリバトルに関する話題だけは、決して触れられることは無かった。
父がナワバリバトルを厳しく禁じていることは、あちらの家は知っているのだろうか。ナワバリ界の頂点に君臨する者、ブキメーカーとも密接な関わりを持つ家。それでありながらまるでナワバリバトル」の概念そのものが、始めから存在しないかのように扱われている。例えるなら、「海老の入っていないエビフライ」と言おうか、あるいは「味噌の入っていない味噌汁」と言おうか――どこかちぐはぐで、違和感が拭えない。そんな空気だった。
幸いにして――いや、これを幸いと呼んで良いのかは、まだ分からないが――どうやらエンペラーは、悪い人ではなさそうだ。いや、むしろ、客観的に見れば、結婚相手としては申し分ないとすら思える。口調こそ高慢であるものの、その中身は紳士的で、言動の数々から育ちの良さをひしひしと感じる。
(ご両親も良い人そうだし、エンペラーとの結婚――悪くはない気がする。でも……)
昨日、兄に言われた言葉が、妙に胸の奥に引っかかる。
『どう考えたってお前に良いことがあるとは思えない』
『お前の人生を父さんの私欲の生贄なんかにしていいのか、よく考えろよ』
父の思うがまま、操り人形のような人生。そう考えれば、この結婚は私にとっては最善の選択ではないのかもしれない。でも、だとしたら――私にとっての「最善」とは、何なのだろうか。
(……私は何をしたい? どんな大人でありたい? どんな人生を歩みたい?)
美味しいご飯もおしゃれな服も、欲しい時に好きなだけ。そんな現状の幸せに、私は満足している。けれど……それは自分の意思で作り上げた生活ではない。ただ他人から与えられたものを、何も考えずに享受しているだけだ。
(――なら、本当に私が求めているものは?)
たとえ「ジンドウ家の者」という重荷を背負うことになろうとも、衣食住全てにおいて恵まれた生活に身を沈め続けるのか。それとも、兄の言う通り、誰かの掌の上で踊らされるだけの生活に異を唱えるのか。
……何も分からない。胸の中をぐるぐる巡る考えの、どこまでが他人の意見で、どこまでが自分の意思なのか。自分はどんな意見を持って、何を望んでいるのか。自分で自分が、分からないのだ。
「……さて、ジンドウさん。今後のことに関してですが、一つ提案があります」
食事会もそろそろお開きかという頃、エンペラーの父が、唐突にそう告げた。
「突然このような縁談を組まれて、お嬢様もまだ気持ちの整理が付いていないことでしょう。そこで、もしお嬢様が望むのであれば、一ヶ月ほどお試しで、エンペラーと同居して頂きたいのです」
「……ふむ」
(えっ……同居……!?)
訳も分からず固まったままの私と、真剣に話を聞いている父とを交互に見ながら、エンペラーの父は続ける。
「ハイカラシティの郊外にうちの別邸がありますので、そこをお貸しします。そこで同居生活を実際に送って、相性を確かめて頂くのです。こういう改まった場で話すだけよりも、実際に一緒に過ごした方が、お互いを理解できてより絆が深まるでしょうし、合わないと感じたなら、いつでも止めて頂いて結構ですので」
そう自信ありげに話すエンペラーの父を前にして、私の父は少し考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「ふむ……急には決め難いことでしょうから、家でトワと話し合ってから決めることにします。近いうちにまた連絡しますので」
(あ……)
私が返事を一生懸命に考えている間に、父に先を越されてしまった。……とはいえ、同居だなんてこれまた急な話、この場で考え込んでも、きっと良い答えは出なかっただろう。
――こうして、先行きは不透明なまま、顔合わせはひとまずお開きとなったのだった。
***
「……それで、結局どうなったんだ?」
家に帰り、自室に戻ろうと2階への階段を登るなり、待ち構えていたようにそこに立っていた兄から、開口一番そう聞かれた。
「結局、どうなるのか分からないままだけど、今のところは……」
私は今日あったことをありのまま、兄に伝えた。自分の意思が分からないということも。エンペラーの父から「お試し同居」を提案されたということも。
そして――父はその「お試し同居」への返事を保留としておきながらも、帰りの車の中で「何がどうであれ、この結婚を絶対に断るな」ということを暗に、しつこいほどに伝えられたということも。
「ふーん、なるほどな。しかしあっちの親も太っ腹だな、結構デカい家を一軒丸ごと、一ヶ月も貸してくれるなんて……」
そう言って、兄は腕を組んでしばらく何やら考え込んだ後、ぱっと顔を上げた。
「……考えが変わった。お前、そのお試し同居とやらを、とりあえず承諾してみるのはどうだ?」
「……え?」
昨日はあれだけ反対していたのに、どうして――そう尋ねようとする前に、畳み掛けるように兄は続ける。
「別邸に二人で住まわせてくれるってことは……父さんから離れて暮らせるってことだろ? 一ヶ月間、父さんから離れた所で生活して、頭を冷やすっていうのはどうだ? エンペラーとの結婚は、同居期間が終わった後で、合わなかったとか何とか適当な理由付けて断ればいい」
「なるほど、そういう考え方が……」
「父さんの呪縛がない生活を、お前も一回体験しておくといい。きっとすぐに、その快適さに気付けるはずだ」
兄はそう告げると、「ま、最終的な判断は、お前に任せるけどな。くれぐれも後悔のないようにしろよ」と言い残して、部屋へと入っていった。
(そうか、エンペラーと一緒に暮らすってことは、この家を離れて、自由になれるってこと……)
「結婚」を受け入れるのかどうか、未だ自分の中では答えを出せずにいる。だけど、最も大切な決断を先延ばしにして、何が最善なのかをゆっくり考えられる時間を得られるのであれば、利用しない手はないだろう。
(よし――決めた)
私は階段を降りてリビングに戻ると、ソファに腰掛ける父の元へと向かう。
「お父さん! エンペラーのことだけど……とりあえず、同居の話、受け入れることにするよ」
「よし、分かった。ではあちらにもそう伝えておこう。近いうちに引っ越しをするだろうから、あらかじめ荷物をまとめておくように」
「はーい」
こうして私は、自由、最善、幸せ――私が本当に望んでいるものを探すための「お試し同居」をすることに決まったのだった。