大阪文学学校提出の短編色々

 入学申込時に「私が作品を完成させるには、仲間と締切が必要だ!」と書いた。とにかく作品を完成させること。それが目下の目標である。が、何をどう書いたらいいのかわからない。書きたいことがないわけではない。断片だけなら溢れかえっている、のだがしかし。
「事務所の二階がお座敷になってて、そこで役人に女の人をあてがって入札の話を聞き出したりねえ……」
 なんて話がいきなり始まったりするから、現実は本当に油断できない。戦後の土建屋に嫁いで社長夫人として生きてきた祖母の話は土建屋と政治屋の癒着にはじまり、戦中の女学校に遡り、「米軍さんかっこよくない?」と色めき立つ終戦直後の女学校の生徒たちと、同じく終戦直後のアメ横の景色が立て続けに流れてきて想像が追いつかなくなる。唐突に現れた「逃げるようにブラジルに行った元軍人」の話から地球と時間をぐるりと回って、振り込め詐欺のあったお隣さんのいる現代に戻る。中上健次好きの私は、おこがましくもオリュウノオバを思い出し、なんとか整理していつか書かねばと何度目かの決意を胸に秘めたりするのだが、とはいえ、録音してネットに上げれば、味のある上州弁をそのまま世界中に発信できる現代である。
 休日昼間のファミレスで、ドリンクバーの女子会をすれば、酒など一滴も入らなくても男だ介護だ子育てだの話は尽きない。ストーカーに追われて警察の世話になりました一件、あら奇遇私も空き巣で警察に一件、それはどう考えても強姦ですけど今更起訴はできないんでしょう数件、臓器を移植するために婚姻届を出すことに一件、病気の親きょうだいが病院に行ってくれないのですがせめて腕力があれば担いででも行けるのでしょうか等々。
 刺激的な話もためになる話も、インターネットで検索すれば当事者の生の声でありのままの現実が読めてしまう昨今。祖母の話も女子会も、現実を発信したいだけならツイッターで十分で、世界を相手にするのだったら英語のほうがよほど合理的で、「百聞は一見に如かず」を「百見すら経験に如かず」と言い換えねばならないほどに、言葉に依存しないメディアは増えて、それらは容易に言語の壁を越えていくのに、それでも「日本語で」「小説で」書きたいと思う自分がいるのだ。
 やりたいことをやればいいと友人に言われた。楽しめればいいのかと訊いたら楽しくなくてもいいと言う。書くことが楽しいかと言われればよくわからない。「小説で」書きたいという気持ちだけはある。なんで小説なんだろうなと、思いながら書いている。
 完成させて初めてわかるものもある。これまでがそうだった。読み返してぎょっとする、あのかんじをまた取り戻したい。現実は音速を超えるジャンボジェット機のように私の妄想を追い越していくのだがそれでも。
 なんで書くのかはあとから考える。ひとまず一本、できれば二本。「完成させること」を目標に、一年間、小説に向き合っていきたい。
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