大阪文学学校提出の短編色々

 新大阪駅のコンコースにある文楽人形を見て思い出すのは、実家の隣家の小屋である。
 四畳半にも満たない木造の小屋の壁には、作りかけの人形の頭(かしら)がずらりとかかっていた。素彫りの文七、白塗の女形、開眼を待つ鬼の顔。小屋の主は「人形のじいちゃん」。若い頃は下駄や正月飾りなどを作っていたそうだが、私が生まれた頃にはすでに隠居し、人形の頭を作っていた。「人形のじいちゃん」は母が言うのをそのまま受け取ったもので、地元の老人たちは「まあちゃん」と呼ぶ。
 近所では「相模人形浄瑠璃」と呼ばれていたが、インターネットで調べてみると、浄瑠璃とは違う流れの人形芝居で、芝居一座のサイトには「相模人形芝居」とある。浄瑠璃と比べて頭が小さい。芝居はほとんど見たことがないのに、新大阪の静御前を大きく感じたのは、幼い頃の記憶のせいだったのだろう。
 小屋に入り浸っていたのは学齢前。木と塗料の匂いと、窓の外で猫たちがねこまんまをガツガツと食べる姿ばかり覚えていて、何を話していたのかは思い出せない。
 小学校の頃、「浄瑠璃クラブ」の友人と小屋を訪ねた。好々爺然としたじいちゃんは、人形の首から垂れる紐を引き、女を鬼に化けさせた。首の角度が文楽よりも大きいのだと話してくれたのを覚えている。
 じいちゃんは数年前に鬼籍に入った。小屋で生まれた人形たちは、神奈川の各地で今も生き続けている。
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