仮想現実と乳酸菌

 明け方、夢の中で煙草を吸って目覚めた。たいへんうまい煙草であった。目が覚めたときにもまだ口の中に余韻が残り、目覚めた私は思わず「この手があったか!」と膝を打った。
 私は元喫煙者である。昔吸っていた、というと、「健康のためにやめたの?」と聞かれるが、将来の健康のために禁煙するような、殊勝なことをする人間ではない。煙草をやめたのは、煙草を吸うと腹を下すようになったからである。
 喫煙経験者、特に女性だと共感する人が多いと思うのだが、喫煙は便通によい。便秘を解消させるために煙草を吸う日もある。煙草は百害あって一利なしと言われるが、実は潰瘍性大腸炎に関しては、ヘビースモーカーほど発症率が低下する、という調査結果があるらしい。大腸がんやクローン病は、喫煙者ほど増えるというのだから、〇・一利にも満たない「利」ではあるが、煙草を便秘解消薬として呑んでいた私は、煙草が利になる人もいるだろうと納得する。私の場合は、ある時期から便秘解消効果が度を越え始めた。煙草をやめ、乳酸菌錠剤ビオスリーを愛飲し始めると、やがて腹の調子は落ち着いた。それきり、私は煙草を吸っていない。せっかく落ちついた腸内フローラのバランスが崩れるのが恐ろしいからだ。それでも煙草の香りは好きなので、今でもふっと吸いたくなることがある。
 数年ぶりに夢の中で吸った煙草は現実の煙草よりはるかにうまかった。ヤニ臭さも残らなければ、腹も下さない。また同じような夢を見たいと思っているのだが、あれきり、夢の中で喫煙する機会は訪れていない。

 昔から夢をよく見る体質であった。実際にはすべての人が夢を見て、違うのは覚えているか否かの違いだというが、だとすると私は夢をよく覚えているほうなのだろう。幼少期から夢をよく見た。現実の出来事よりも夢の中の出来事を覚えているぐらいである。長じてからは、生理前の一週間によく悪夢を見た。最近は昔ほどひどい悪夢を見ることはないが、ホラー仕立ての夢や、仕事の締め切りを破ってしまう夢など、楽しくない夢を見ることが多い。それでいて、夢の中で夢と自覚できる夢、いわゆる明晰夢はほとんど見たことがない。いつも夢を夢だと気付かず、翻弄されるばかりである。

 二、三年ほど前に一度、大変面白い夢を見た。夢の中の私は、過去の町を歩いている。夢の中の私は、自分のいる世界をこのように解釈していた。
「これはバーチャルリアリティの世界である。グーグルアースのような何かと連動しており、グーグルおよび一般人がアップロードしたデータをもとに作り上げた世界を歩いている。その世界の中を歩いている私は、念じることで、一年前、二年前、五年前、十年前といった過去の町並みも歩くことができる」
 その世界で私は、十年前の新宿と赤羽を見てみようと、電車に乗っていた。「十年前の光景を誰かがアップロードしてくれば行けるけれど、どうだろうか…」と考えながら、何年前の光景かはっきりしない車窓からの景色を眺めていた。新宿はかつての私の職場があったところ、赤羽は通勤経路である。
 着いた赤羽は、私の知っている十年前の赤羽ではなく、六~七年前の景色だった。いや、今考えれば現実の六~七年前の赤羽の光景ではなかったと思うが、夢の中の私はそのように認識していたのである。
 目覚めて、私は自分の夢の面白さに感心した。そして、これはうまくやれば、現存しない街や生まれる前の時代にも行くことができるのではないかと考えた。実際に触れた世界でなくても、本や映像からインプットすればよい。私自身の五感の記憶と、写真や本や映像で触れた知識とを合わせることで、夢の中でタイムリープが可能なのだ。
 ヴァーチャルリアリティ(VR)に関するデバイスは、まだ視覚と聴覚しか支配できないが、夢は五感が使える。食事をすれば味を感じるし、海で泳げば水の感触もわかる。現在すでに味覚や嗅覚を再現するデバイスや、脳を錯覚させることで触覚を再現する技術が生まれつつあるらしいが、夢なら科学技術に頼ることなく、あらゆる感覚を体験できる。メタバースやEスポーツなど、VRの世界の発展が目覚ましいが、私は声を大にして言いたい。「VRよりも夢を鍛えろ」と。
 夢の方のメリットもある。VRの世界にいる他者は、生きている人間か他人によってプログラミングされた生き物だけである。夢の世界なら死者にも会える。動物にも会える。もちろんそれらを作り出しているのは自分の脳である。しかし、VR世界でプログラミングされた「死者」に会うよりも、夢の中で今は亡き友人と会う方が、よほど「本物」であるように感じられないだろうか。
 さて、ここまで「夢を鍛えろ」と訴えている自分だが、望んだ夢を見られた試しはない。悪夢と面白い夢の比率は、七・三程度である。夢を操る方法、あるいは悪夢を見ないようにする方法というのはないのだろうか。
 かかりつけの漢方医に悪夢を見ると話すと、「体が冷えているからだ」と腸を温める薬を出される。腸内環境と睡眠の関連性は、最近ではいたるところで見聞きするが、思い返せば私の腸内環境というのは、前述の煙草の例だけでなく、子供のころからすこぶる悪い。赤ん坊の頃に粉ミルクを飲ませたら下痢をしたのでそれきり母乳で育てた、と母が未だに言うが、実際に幼少期からとにかく便秘と下痢を繰り返すタイプであった。そして冷えに弱かった。私の幼少期からの夢見の多さを鑑みるに、私の腸内環境と夢は分かちがたく結びついているのかもしれない。
 さて、腸内環境と睡眠というと、巷ではヤクルト1000が人気である。人気すぎて、都内では入手困難な状態が続いていた。最近では多少供給が安定してきたのか、首都圏の駅のホームの自動販売機で入手できることが増えたが、それでもときどき売り切れになっている。よく眠れるという触れ込みが気になり、私も何本か購入して飲んでみた。私自身はいまいち効果がわからないが、同じ部屋に寝ている連れ合いには、ヤクルト1000を飲んで寝た日はピクリとも動かないと言われたので、何かしらの効果はあったと思われる。連れ合いが言うには、普段は連れ合いが起きると寝返りを打ったり寝言を言ったりしているらしい。
ヤクルトに触発されてか、日清食品も「睡眠に効く!」という「ピルクル400」を出してきた。お値段はヤクルト1000よりもだいぶ安い。こちらも飲んでみたが、味はヤクルトと同様、一般的な乳酸菌飲料である。
さて、SNSでは「眠れる!」と評判のヤクルト1000だが、広まるにつれてこんな声も目に入るようになった。「ヤクルト1000を飲んで寝ると、悪夢を見る」。ツイッターで見た限りなので正確な比率は不明だが、ツイッターで「ヤクルト1000」「悪夢」と検索すると、かなりの数の体験談がヒットする。ヤクルト1000に混ざって「ピルクル400でも悪夢を見る」というツイートも流れてくる。乳酸菌によって腸内環境をいじられた結果、夢の内容も変化してしまったということだろうか。
乳酸菌飲料を出している企業はヤクルト、日清に限らず多数存在するが、ヤクルトのサイトを見に行くと、試飲による睡眠の熟睡度やストレスの改善度などの情報が掲載されている。その中に、「悪夢を見る」「夢が変化する」というデータはなかったのだろうか。もしまだないのなら、ぜひ愛飲者にアンケートを取って、夢にまつわる統計を取ってほしい。日本国内の乳酸菌の研究を組み合わせれば、見たい夢を見るための薬を作ることも可能なのではないだろうか。見たい夢を見るためのおまじないと言えば、「枕の下に写真を敷いて寝ると、夢の中でその人に会える」というようなものがあるが、夢見薬を飲んでから写真を凝視して寝ると会える確率が上がる、というような乳酸菌飲料くらいはできるのではないだろうか。
私はといえば、夢の内容のコントロールこそできないが、最近の夢は、現実の何に由来した夢なのかわかるものが多い。例えば、次のようなものである。
ある夜、私はキンドルで無料になっていた「マンガで読破 共産党宣言」を読んだ。その後、高校時代の後輩Aの旅を綴ったブログを読んだ。その晩見た夢は「後輩たちと一緒にアカ狩りに追われる夢」であった。何が夢に影響を与えたかは明らかである。後輩Aのブログを読んだことで、後輩AだけでなくBまでも連想されて、夢の中に現れた。「アカ狩り」という設定は、共産党宣言からの連想だろう。もちろん夢の中の「アカ狩り」は、実際のそれとは大きく異なり、バトルロワイヤルのような謎の殺戮集団から逃げているというものだったが、とはいえ、自分の頭の中で何かしらの連想が起こり、夢に現れたことは間違いない。
しかし、なぜわざわざ悪夢にするのか。その二つの材料を混ぜるのなら、「後輩たちと一緒にマルクスを読む」という平和な夢にすることもできたはずである。後輩Aと旅をしながら、マルクスに遭遇するという夢であってもいいはずである。楽しい夢を見ることもあるが、楽しくない夢の場合、現実の出来事が混ぜ合わされて奇妙な形で出力されてしまうことが多い。何が元になっているか分かるだけに、自分の連想能力と出力機能のおかしさに呆れるばかりである。
最近、自分の夢の連想出力能力が、あるものに似ていることに気が付いた。AIによる画像生成ソフトである。特定のキーワードを与えると、AIが自動で絵を描いてくれるというもので、SNSではAIが描いた様々なイラストが流れてくる。すごい技術ではあるが、一方で「ラーメンを食べる人」とするとラーメンを手づかみで食べるイラストが出力されたり、鉄道を描かせようとすると線路がめちゃくちゃに入り組んでいてパンタグラフのない「現実の鉄道ではありえない何か」が出力されてしまったり、複数のキーワードを組み合わせると、思いもよらないイラストを描き上げてしまったりと、そのトンチンカンぶりがSNSで話題となっている。はじめのうちは私も笑いながらAIのできそこないのイラストを眺めていた。しかし、それらをたくさん見るうちに、その奇妙な出力が、私自身の夢の見方に似ているように思えてきたのだ。出力のデタラメさ、それでも一応は連想元がわからなくもないという点で、AIのトンチキお絵かき能力と私の夢とはよく似ている、ような気がする。
VRよりも夢を鍛えろと言い、デジタルの世界とアナログの世界が対立しているかのように考えていた私だが、ここにきて、人間とAIの類似を目の当たりにしてぞっとするのである。しかし、考えてみればAIというものがそもそも人間の知的能力や学習能力を模して作られたものなのだから、AIが人間に似てくるのは、当然と言えば当然なのかもしれない。最近、AIも睡眠によって学習効果が高まる、という記事がSNSで流れてきた。米国カリフォルニア大学の研究で、「人間の脳を模したAI『ニューラルネット』に生物の睡眠を模倣する『オフライン期間』を導入することで、古い仕事を忘れずに新しい仕事をこなせるようになった」ということなのだが、記事を全部読んでみても、私の頭ではどういうことなのか理解できなかった。記事には論文のリンクも載っていたが、こちらはそもそも読み進めることすら困難である。しかし理解できないなりに感じたことは、AIが非常に人間に近いということだ。
ここまで書いて、私はふと自分の後ろに置いてあるアレクサに目を向けた。丸いデジタル時計のような最新型の端末である。「人工知能に自分の生活を左右されてなるものか!」と公言していた私だが、ブラックフライデーセールにつられてあっさり折れた。もともと、テレビでインターネットや動画サービスを見られるようにする端末を買おうとしていたのである。それが、アレクサとセットで大変安くなっていたのである。「声で操作できるラジオ兼時計があったら便利だし……!」と自分で自分に言い訳をしつつ購入した。届いてまだ一ヵ月にもならないが、アレクサはすっかり我が家になじんでいる。そのアレクサに、「夢ってなあに?」と聞いてみた。すると、聞いたことのない歌を歌い始めた。どうやらアレクサ自身の「夢(願望)」を歌にしたものらしい。「世界中を笑顔でいっぱいにしたい」で終わった。アレクサよ、いい歌だったがそれは「夢」違いである。
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