ちくわぶの野望
米粉のちくわぶが商品化されるには何が必要だろうか。いや、米粉でなくても、大豆や芋、大麦でもよい。要するに小麦不使用のちくわぶが欲しいのである。
実家で両親とおでんの鍋をつついていると、思わず「ちくわぶ」と呟いてしまう。すると、「これで我慢しなさい」と、母が竹輪を皿にのせてくる。竹輪の代用品として生まれたという説もあるちくわぶだが、ちくわぶを竹輪と思い込むには並々ならぬイマジネーションが必要だと思うし、逆もまた然りである。
ちくわぶが、もとい小麦製品がアレルゲンだと判明したのは、一年前のゴールデンウィークのことだった。神奈川に住む両親といっしょに小田原まで出かけたのだが、駅から徒歩二十分の御幸の浜海岸に着いたところでじんましんが現れた。しばらく海岸で休んでいたが、じんましんは全身に広がり、一向におさまる気配がない。服を脱いで体を冷やしたいが、海岸で脱ぐわけにもいかないし、近くにある公衆トイレは小さくてあまりきれいでもない。駅ビルのトイレで体を冷やそうと駅へと急いだところ、症状が悪化して意識喪失、救急搬送。日帰り旅行のつもりが、私だけ一泊旅行になってしまった。医者や看護師から住所を聞かれて「東京です」と答えるのが大変気まずい、コロナ禍での入院であった。
ついた診断は「食物依存性運動誘発アナフィラキシー」。アレルゲンを摂取したあとで運動をするとアナフィラキシーショックを起こすアレルギーで、私の場合は小麦のグルテンを構成するω5(オメガファイブ)グリアジンが原因だと判明した。このアレルギー、食後二時間運動しなければ基本的には大丈夫なのだが、入浴で発症することもあるらしい。私の場合はウォーキング程度で発症するので、基本的に出かける前や外食では小麦を食べることができない。寝る前になら食べられないこともないが、もし万が一地震でも起きれば避難の途中でショック死しかねない。そう思うと、食べたい気持ちも引っ込んでしまう。
いや、正直に書こう。実はときどき食べていた。なんか喉が痒くなるんだよな、とか思いながら食べていた。そしてまたアナフィラキシーショックをやらかした。幸い、エピペンを使うことも救急車のお世話になることもなくじんましんは引いたのだが、さすがに反省し、今はおとなしくグルテンフリー生活を送っている。なおエピペンとは、アナフィラキシーショックを起こした際に自分で打つ注射であり、それ自体が劇薬なので、打った場合はすみやかに救急車を呼ばなくてはならない。命に関わるなら打つべきだが、自然におさまるのなら極力打たずに済ませたいという、つきあい方の難しい薬である。
さて、こうして私の食生活は一変した。主食はパンからオートミールに、間食はクッキーから煎餅に、出先でお腹が空けば大豆タンパクのプロテインバーをかじり、カレーはいなばのタイカレーを常備するようになった。米もときどき食べるが、炊飯器を持っていないのでパックご飯かおにぎりを買っている。
親しい友人たちには小麦製品が食えなくなったことを話した。気を遣わせるのは申し訳ないが、一緒に食事をしたりお土産のやりとりのある仲だと、伝えておく必要がある。友人たちは驚き、大変ですね、と言う。反射的に、そうでもないですよ、米粉パンとかあるし、と答えるが、実際には結構困っている。もともと米よりもパンや焼き菓子やケーキを好んで食べる人間だということは友人たちも知っているし、なんならお菓子を主食に生きていたことまでばれている。気の毒がられる。気まずい。そこで口をついて出た言葉が「ちくわぶが食えなくなったんですよ」だった。
その真っ白な見た目ともちもちの食感から、ともすれば餅や団子の仲間のように思われがちだが、あれは小麦製品である。ふだん生活している中で、原材料が何であるか知らないものは結構多い。ちくわぶが小麦だというのは、知ってはいたがアレルギーになってから初めて意識をするようになったし、逆に小麦製品と区別なく食べていたものが、米やトウモロコシ、馬鈴薯澱粉などからできていたことに気づき、驚くこともあった。グラノーラは食べられないが、コーンフレークは食べられる、そばボーロは食べられないが、たまごボーロは食べられる。竹輪は食べられるが、ちくわぶは食べられない。そう、ちくわぶは食べられない。
「ちくわぶが食えなくなったんですよ」と言うと、だいたい「えっ、あれって小麦でしたっけ?」という反応が返ってくる。「そうなんですよ、やつは餅みたいな顔してるけれど、あのもちもちは小麦グルテンなんです」というところから始まり、材料としては、きりたんぽの仲間ではなく、すいとんの仲間であること、おでんの具はだいたい食べられるのに、ちくわぶだけが食べられないこと、日本全国でちくわぶの知名度が低すぎることが解せない、東京神奈川から日本全国にちくわぶを広めなければならないということ……というように、どんどんちくわぶの話があさっての方向に発展していく。アレルギーだということを知ってもらいつつ、適当なインパクトと笑いを引き出す素材として、ちくわぶはちょうどよかったのだ。
実際ちくわぶは、私の好きなおでんの具ランキングで卵とならぶツートップである。私にとってのちくわぶは、関西の人にとっての牛すじみたいなものではないだろうか。牛すじを豚で代用できないように、ちくわぶをきりたんぽや団子で代用するのは困難だと思う。上新粉でそれっぽいものを作ることはできそうだが、舌触りや歯ごたえまでは再現できまい。
米粉パンは小麦パンとは明らかに味も食感も違うのだが、なぜかパンに関してはもともと多種多様だからなのか、ある程度許せてしまう。トッピングでごまかせることもあってか、米粉パンや米粉ベーグルは代替品として受け入れられる。米粉クッキーとなると、私の舌ではほとんど小麦製品と区別がつかない。しかし、和のものとなると、わずかな違いで別物として認識されてしまう。白玉と団子は別物だし、餅と五平餅も別物だし、桜餅の長命寺と道明寺も別物である。どちらかがあれば十分ということはなく、それはもう別物として、両方並べて食べ比べたい。ちなみに、関東風桜餅長明寺は小麦製品である。気づいてからは長明寺を避けるようになったが、関西風桜餅道明寺が関東に普及していなければ、私は三月にもアナフィラキシーショックを起こしていたかもしれない。
自分がアレルギーになって初めてグルテンフリー食品の情報を調べたが、ありがたいことに、多くの小麦製品に対して小麦不使用の代替品が存在する。パンやクッキー、ケーキ類はもちろん、うどん、パスタ、餃子の皮からピザ生地、パン粉に至るまで、米粉や豆、芋などを原材料にした製品が開発されている。値段は小麦製品の3~5倍ほどしてしまうが、それでも一般庶民にも手の届く値段である。
これだけさまざまな製品が発売されているのなら、ちくわぶもあるのではないだろうか。私は素直にそう考えた。ところが、インターネットで調べた限りでは、二〇二二年四月現在、グルテンフリーのちくわぶはまだ商品化されていないらしいのだ。唯一、クックパッドの米粉で作ったちくわぶのレシピがヒットするのみである。米粉を使った自作――グルテンフリーのちくわぶを食べるには、これしか方法がないのだろうか。
実家で両親とおでんの鍋をつついていると、思わず「ちくわぶ」と呟いてしまう。すると、「これで我慢しなさい」と、母が竹輪を皿にのせてくる。竹輪の代用品として生まれたという説もあるちくわぶだが、ちくわぶを竹輪と思い込むには並々ならぬイマジネーションが必要だと思うし、逆もまた然りである。
ちくわぶが、もとい小麦製品がアレルゲンだと判明したのは、一年前のゴールデンウィークのことだった。神奈川に住む両親といっしょに小田原まで出かけたのだが、駅から徒歩二十分の御幸の浜海岸に着いたところでじんましんが現れた。しばらく海岸で休んでいたが、じんましんは全身に広がり、一向におさまる気配がない。服を脱いで体を冷やしたいが、海岸で脱ぐわけにもいかないし、近くにある公衆トイレは小さくてあまりきれいでもない。駅ビルのトイレで体を冷やそうと駅へと急いだところ、症状が悪化して意識喪失、救急搬送。日帰り旅行のつもりが、私だけ一泊旅行になってしまった。医者や看護師から住所を聞かれて「東京です」と答えるのが大変気まずい、コロナ禍での入院であった。
ついた診断は「食物依存性運動誘発アナフィラキシー」。アレルゲンを摂取したあとで運動をするとアナフィラキシーショックを起こすアレルギーで、私の場合は小麦のグルテンを構成するω5(オメガファイブ)グリアジンが原因だと判明した。このアレルギー、食後二時間運動しなければ基本的には大丈夫なのだが、入浴で発症することもあるらしい。私の場合はウォーキング程度で発症するので、基本的に出かける前や外食では小麦を食べることができない。寝る前になら食べられないこともないが、もし万が一地震でも起きれば避難の途中でショック死しかねない。そう思うと、食べたい気持ちも引っ込んでしまう。
いや、正直に書こう。実はときどき食べていた。なんか喉が痒くなるんだよな、とか思いながら食べていた。そしてまたアナフィラキシーショックをやらかした。幸い、エピペンを使うことも救急車のお世話になることもなくじんましんは引いたのだが、さすがに反省し、今はおとなしくグルテンフリー生活を送っている。なおエピペンとは、アナフィラキシーショックを起こした際に自分で打つ注射であり、それ自体が劇薬なので、打った場合はすみやかに救急車を呼ばなくてはならない。命に関わるなら打つべきだが、自然におさまるのなら極力打たずに済ませたいという、つきあい方の難しい薬である。
さて、こうして私の食生活は一変した。主食はパンからオートミールに、間食はクッキーから煎餅に、出先でお腹が空けば大豆タンパクのプロテインバーをかじり、カレーはいなばのタイカレーを常備するようになった。米もときどき食べるが、炊飯器を持っていないのでパックご飯かおにぎりを買っている。
親しい友人たちには小麦製品が食えなくなったことを話した。気を遣わせるのは申し訳ないが、一緒に食事をしたりお土産のやりとりのある仲だと、伝えておく必要がある。友人たちは驚き、大変ですね、と言う。反射的に、そうでもないですよ、米粉パンとかあるし、と答えるが、実際には結構困っている。もともと米よりもパンや焼き菓子やケーキを好んで食べる人間だということは友人たちも知っているし、なんならお菓子を主食に生きていたことまでばれている。気の毒がられる。気まずい。そこで口をついて出た言葉が「ちくわぶが食えなくなったんですよ」だった。
その真っ白な見た目ともちもちの食感から、ともすれば餅や団子の仲間のように思われがちだが、あれは小麦製品である。ふだん生活している中で、原材料が何であるか知らないものは結構多い。ちくわぶが小麦だというのは、知ってはいたがアレルギーになってから初めて意識をするようになったし、逆に小麦製品と区別なく食べていたものが、米やトウモロコシ、馬鈴薯澱粉などからできていたことに気づき、驚くこともあった。グラノーラは食べられないが、コーンフレークは食べられる、そばボーロは食べられないが、たまごボーロは食べられる。竹輪は食べられるが、ちくわぶは食べられない。そう、ちくわぶは食べられない。
「ちくわぶが食えなくなったんですよ」と言うと、だいたい「えっ、あれって小麦でしたっけ?」という反応が返ってくる。「そうなんですよ、やつは餅みたいな顔してるけれど、あのもちもちは小麦グルテンなんです」というところから始まり、材料としては、きりたんぽの仲間ではなく、すいとんの仲間であること、おでんの具はだいたい食べられるのに、ちくわぶだけが食べられないこと、日本全国でちくわぶの知名度が低すぎることが解せない、東京神奈川から日本全国にちくわぶを広めなければならないということ……というように、どんどんちくわぶの話があさっての方向に発展していく。アレルギーだということを知ってもらいつつ、適当なインパクトと笑いを引き出す素材として、ちくわぶはちょうどよかったのだ。
実際ちくわぶは、私の好きなおでんの具ランキングで卵とならぶツートップである。私にとってのちくわぶは、関西の人にとっての牛すじみたいなものではないだろうか。牛すじを豚で代用できないように、ちくわぶをきりたんぽや団子で代用するのは困難だと思う。上新粉でそれっぽいものを作ることはできそうだが、舌触りや歯ごたえまでは再現できまい。
米粉パンは小麦パンとは明らかに味も食感も違うのだが、なぜかパンに関してはもともと多種多様だからなのか、ある程度許せてしまう。トッピングでごまかせることもあってか、米粉パンや米粉ベーグルは代替品として受け入れられる。米粉クッキーとなると、私の舌ではほとんど小麦製品と区別がつかない。しかし、和のものとなると、わずかな違いで別物として認識されてしまう。白玉と団子は別物だし、餅と五平餅も別物だし、桜餅の長命寺と道明寺も別物である。どちらかがあれば十分ということはなく、それはもう別物として、両方並べて食べ比べたい。ちなみに、関東風桜餅長明寺は小麦製品である。気づいてからは長明寺を避けるようになったが、関西風桜餅道明寺が関東に普及していなければ、私は三月にもアナフィラキシーショックを起こしていたかもしれない。
自分がアレルギーになって初めてグルテンフリー食品の情報を調べたが、ありがたいことに、多くの小麦製品に対して小麦不使用の代替品が存在する。パンやクッキー、ケーキ類はもちろん、うどん、パスタ、餃子の皮からピザ生地、パン粉に至るまで、米粉や豆、芋などを原材料にした製品が開発されている。値段は小麦製品の3~5倍ほどしてしまうが、それでも一般庶民にも手の届く値段である。
これだけさまざまな製品が発売されているのなら、ちくわぶもあるのではないだろうか。私は素直にそう考えた。ところが、インターネットで調べた限りでは、二〇二二年四月現在、グルテンフリーのちくわぶはまだ商品化されていないらしいのだ。唯一、クックパッドの米粉で作ったちくわぶのレシピがヒットするのみである。米粉を使った自作――グルテンフリーのちくわぶを食べるには、これしか方法がないのだろうか。
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