第八話 過去の色
寮の部屋は、誰もいなかった。
机の上には丸い字で『横山の部屋遊びに行ってくる!!』と書かれたメモ帳が置かれていた。
(よくカップルの部屋乱入できるなあ…)
里英ちゃんと横山は同室で、指原たちの隣の部屋。
最近は時々壁越しに里英ちゃんの甘い声が聞こえてきて、その度に耳を塞いでいた。
よく考えたら、二人が同じ部屋で暮らしている時点で、指原の『負け組』としての運命は、決まっていたようなものだった。一緒にいる時間が違いすぎる。
里英ちゃんが横山を選んだのも納得だ。
指原はベッドの隅で膝を抱えて、スマホを触る。
連絡先から『お母さん』の名前を探して、発信ボタンを押した。
5コール鳴って、ようやく電話に出た。
「もしもし?お母さん?私…高校やめることにした」
怒られるのかと思いビクビクしていると返ってきた返事は想定内だった。
『そう。勝手にしなさい』
いつもそうだ。
兄ばかり構って、指原には見向きもしてくれない。
本当は甘えたかった。怒られてみたかった。
指原にとって一番怖いのは嫌われることよりも無関心だ。
「うん。今までお金払ってくれてありがとう。こんなことになってごめんね。たぶん、担任の先生から電話かかってくるはずだから、よろしく」
『それはいいけど…あんた、また逃げるの?この先どうする気なの』
「何も考えてない」
また逃げるの、その言葉が深く胸に突き刺さる。
『はあ…あんたってほんとダメな子ね。大分に帰ってくるの?』
「まさか。それだけは絶対ない。」
あんな居心地の悪い場所など二度とごめんだ。
『じゃあ福岡のおばさんのところへ行きなさい。高校は、近所の公立高校に転校しなさい。おばさんの旦那さん、教育委員会の人だから、コネがあるわ』
『家賃は居候だからいらない。学費は私が出すけど、後のお金は全部自分で稼いでね』
「ありがとう…また連絡する」
そう言い終わる前に、電話はぷつりと切れた。
わかっていたことだ。
最初から助けてくれないことくらい。
新しい場所を用意してくれた時点で、感謝しなければいけないことはわかっている。
それでも、たった一言でもいいから、『つらかったね』と言ってほしかった。
『がんばったね』『無理しなくていいよ』
なんでもいいから、優しくしてほしかったんだ。
しーちゃんが横山の部屋から帰ってくるまで、指原は久しぶりに泣いた。
数日後、前田先生がお母さんと話をつけたらしく、郵送で送られた退学届が、お母さんの署名と捺印つきで送り返されてきた。
終業式の日、改めて退学届を提出しに職員室へと向かった。
指原の希望で、退学することはクラスのみんなには内緒にした。どうせ三学期になったらバレるけど。
「退学届、受理します。」
彼女の声は相変わらず冷たかった。
「今までお世話になりました。ありがとうございました」
頭を下げて、職員室を出て行こうとしたそのとき。
「元気でね、指原」
先生の声がして、振り返る。
前田先生の顔は、ほんの少しだけ寂しそうで。
見たことのないその表情に指原は動揺してなにも言わずに職員室を出て行った。
寮の部屋に戻って、荷物をまとめる。
しーちゃんはみゃおと愛ちゃんたちと放課後遊びに行くと言っていたし、里英ちゃんと横山はどうせデートだ。
誰もいないこの時間に、さっさと出て行ってしまうことにした。
大きなボストンバックをもって、扉の前に立つ。
部屋を出る前に、一度振り返って指原の荷物だけがなくなったこの空間を一望した。
(よくここで、地方組のみんなで遊んだりしたっけ)
仲良くなってすぐのころは、寮生活が修学旅行のように楽しくて消灯時間ギリギリまでしゃべったりしていた。
いつからだったのだろう、居心地のいい寮ですら息苦しくなったのは。
「…また、ダメだったな」
ぽつりと出たつぶやきは、指原にしか聞こえていなかった。
机の上には丸い字で『横山の部屋遊びに行ってくる!!』と書かれたメモ帳が置かれていた。
(よくカップルの部屋乱入できるなあ…)
里英ちゃんと横山は同室で、指原たちの隣の部屋。
最近は時々壁越しに里英ちゃんの甘い声が聞こえてきて、その度に耳を塞いでいた。
よく考えたら、二人が同じ部屋で暮らしている時点で、指原の『負け組』としての運命は、決まっていたようなものだった。一緒にいる時間が違いすぎる。
里英ちゃんが横山を選んだのも納得だ。
指原はベッドの隅で膝を抱えて、スマホを触る。
連絡先から『お母さん』の名前を探して、発信ボタンを押した。
5コール鳴って、ようやく電話に出た。
「もしもし?お母さん?私…高校やめることにした」
怒られるのかと思いビクビクしていると返ってきた返事は想定内だった。
『そう。勝手にしなさい』
いつもそうだ。
兄ばかり構って、指原には見向きもしてくれない。
本当は甘えたかった。怒られてみたかった。
指原にとって一番怖いのは嫌われることよりも無関心だ。
「うん。今までお金払ってくれてありがとう。こんなことになってごめんね。たぶん、担任の先生から電話かかってくるはずだから、よろしく」
『それはいいけど…あんた、また逃げるの?この先どうする気なの』
「何も考えてない」
また逃げるの、その言葉が深く胸に突き刺さる。
『はあ…あんたってほんとダメな子ね。大分に帰ってくるの?』
「まさか。それだけは絶対ない。」
あんな居心地の悪い場所など二度とごめんだ。
『じゃあ福岡のおばさんのところへ行きなさい。高校は、近所の公立高校に転校しなさい。おばさんの旦那さん、教育委員会の人だから、コネがあるわ』
『家賃は居候だからいらない。学費は私が出すけど、後のお金は全部自分で稼いでね』
「ありがとう…また連絡する」
そう言い終わる前に、電話はぷつりと切れた。
わかっていたことだ。
最初から助けてくれないことくらい。
新しい場所を用意してくれた時点で、感謝しなければいけないことはわかっている。
それでも、たった一言でもいいから、『つらかったね』と言ってほしかった。
『がんばったね』『無理しなくていいよ』
なんでもいいから、優しくしてほしかったんだ。
しーちゃんが横山の部屋から帰ってくるまで、指原は久しぶりに泣いた。
数日後、前田先生がお母さんと話をつけたらしく、郵送で送られた退学届が、お母さんの署名と捺印つきで送り返されてきた。
終業式の日、改めて退学届を提出しに職員室へと向かった。
指原の希望で、退学することはクラスのみんなには内緒にした。どうせ三学期になったらバレるけど。
「退学届、受理します。」
彼女の声は相変わらず冷たかった。
「今までお世話になりました。ありがとうございました」
頭を下げて、職員室を出て行こうとしたそのとき。
「元気でね、指原」
先生の声がして、振り返る。
前田先生の顔は、ほんの少しだけ寂しそうで。
見たことのないその表情に指原は動揺してなにも言わずに職員室を出て行った。
寮の部屋に戻って、荷物をまとめる。
しーちゃんはみゃおと愛ちゃんたちと放課後遊びに行くと言っていたし、里英ちゃんと横山はどうせデートだ。
誰もいないこの時間に、さっさと出て行ってしまうことにした。
大きなボストンバックをもって、扉の前に立つ。
部屋を出る前に、一度振り返って指原の荷物だけがなくなったこの空間を一望した。
(よくここで、地方組のみんなで遊んだりしたっけ)
仲良くなってすぐのころは、寮生活が修学旅行のように楽しくて消灯時間ギリギリまでしゃべったりしていた。
いつからだったのだろう、居心地のいい寮ですら息苦しくなったのは。
「…また、ダメだったな」
ぽつりと出たつぶやきは、指原にしか聞こえていなかった。