ビーチの灯り
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女はビーチの絵を描いていた。しかし、ただこのホテルをそっくりそのまま描いたものではない。ビーチには、まっ黄色の絵の具が幾重にも塗り重ねられ、建物の形を認識するのも困難になっていた。
「邪魔なんだよ、テメェ…。退けや」
キャンバスで人の動線を塞いでいたソイツに、本来即座に撃ち殺してやってもいいところを、ご丁寧にも口で忠告してやる。にも関わらず、声をかけた後数秒間、口をアングリさせたまま女は動かなかった。どうやら言葉の意味が理解できないらしい。
苛ついてキャンバスを蹴ると、ソイツはようやっと合点がいった顔で、
「…?あぁ、ごめんなさい」
と謝りながら、キャンバスをどけた。
女の名前は〇〇という。元の世界で何をしていたのかは知らない。げぇむ中は大して目立つ奴じゃないが、昼間はいつも同じ絵を描いており、そういう意味では妙な存在感があった。
兎にも角にもボーっとした女で、何を考えているのか全く分からない。そんなもんだから、武闘派の仲間たちは総じて馬鹿にしていたし、カルト派連中でさえ、コイツのことは持て余しているようだった。
「またその絵か…。よく飽きねぇもんだなァ。それに妙にギラギラさせやがって……ビーチの権威でも象徴してるつもりかよ?」
〇〇は目をぱちぱちさせた。まさかこの絵について言及されるとは思ってもいなかったようだ。たっぷり10秒ほど黙ったままだったので、舌打ちをして去ろうとしたら、〇〇は慌てて口を開いた。
「これは電気だよ」
「電気?」
「ここはいつも明るいから…。夜中に起きても、廊下やロビーは明かりがついていて、眩しいでしょ?」
なるほど。確かにそう解説されれば、この趣味の悪い真っ黄色も理解はできた。
「ニラギさんは、なんでボーシヤさん達が、ビーチに電気を引いたか、分かる?」
絵に興味を持たれたことに嬉しくなったのか、〇〇は調子に乗ってオレに問いかけてきた。
「ンなこと知るかよ」
「そうすれば、人が寄ってくるからだよ」
その時オレは、その女を、意外とものをよく分かっているじゃねェかと、少し見直した。
ボーシヤは、常に自分のためにトランプを集める兵隊を探している。そのため、明かりをつけて、群がってくる奴等を捕獲しようとしているのだろう。
「でも、ニラギさんにはギラギラしてるように見えたんだね?じゃあ、改善しないと」
〇〇はうんうんと考え込む。
「別に改善しろなんて言ってねェよ」
この絵がギラギラしてようがしていまいが、オレには何の関係もないことだ。そもそも美術に関する知識などない。思ったことをそのまま口に出しただけなのだから。オレは、目の前の絵と睨めっこしている女を尻目に、その場を去った。
しかし、その日を境に〇〇は、頻繁にオレに絵を見せにくるようになった。オレが武闘派の仲間と共に行動している時でもお構いなしだ。
別にオレは、この女にそこまで構ってやるつもりはなかった。なんせ馬鹿そうに見える。例えコイツが思ったよりはものを分かっていると言っても、他の奴らにそんなこと伝わるはずもない。
この女と一緒にいると、オレまで馬鹿にされるような気がした。特に武闘派には。それはごめんだ。
「気安く話しかけてきてんじゃねェよ」
あからさまに不機嫌な顔をして拒絶しても、〇〇はその意図を理解できないようで、
「…なんで?そんなこと言わずに答えてよ。どう?この絵はギラギラしてるように見える?」
と構わず問いかけてくる。殺してやるのは簡単だったが、〇〇の何にも考えていないような、ぼんやりした眼を見ているとその気も失せた。オレにここまで臆さず、普通に話しかけてくる人間が珍しかったのもある。
そんなことが数日続いたある日。オレは〇〇にこう提案した。
「オレじゃなくて、他の奴と話せばいいだろうが。…ホラ、あそこにいるアイツとかよ」
偶然にも、視界の隅に見えたチシヤを指す。相変わらずスカしていて、ムカつく野郎だ。しかし、〇〇は肩をすくめてこう返答した。
「あの人はダメだよ。チシヤさんったら、なんにも分かってないくせして、なんでも分かったような振りをするんだから」
オレは思わず口元を緩ませてしまった。その言葉の意味はよく分からなかったが、少なくともチシヤが貶されているのを聞くのは気分が良い。
「…オレは?どうなんだよ」
「ニラギさんのことはまだあんまりよく分かんないよ。いつも私とろくに話してくれないじゃない」
それは気に入る答えじゃなかったが、まぁゼロかマイナスかでいうと、ゼロの方がマシだろう。
そんな言葉を交わした次の日から、オレは〇〇が寄ってくるのを受け入れるようになった。但し、こんな馬鹿女と一緒にいたんじゃ面目が立たないから、二人きりになれる時だけを選んで来るよう、〇〇によく言って聞かせたが。
最近、〇〇は毎日のようにオレに話しかけてくる。そのほとんどが、絵について意見を求めているだけだったが、時には他の話題を提供してくることもあった。
大抵今日の昼飯は何だったか、といったどうでもいい内容だったが、今日の話題は、〇〇が昨晩参加したげぇむに関してだった。
ジャンルは♡だったらしく、くりあできる人数が限られていたようだ。そうなると、いかにビーチの仲間といえど、必然殺し合いになる。オレの部屋のベットに腰掛け、〇〇はそれを嘆いていた。
「なんで、皆争うんだろう。私たちは同志だって、ボーシヤさんも言ってるよ」
この純粋な女には、皆が生死をかけて醜く争い合う様を理解できないようだった。
「…まァ、そんなもんだろ人間なんて。普段はいい顔してたって、死ぬのは怖いに決まってんだからよ」
必死になるのは当然だ、と〇〇でも分かるように説明してやる。それを聞いた〇〇はムッとしたような顔で、予想外の言葉を返した。
「死ぬのなんか怖くないよ。ここにいる皆、そのことが分かってないんだ」
「…あァ?」
「死ぬのは怖いことなんかじゃないよ。皆、主のもとに帰っただけだもの。皆、あっちで幸せそうに笑ってるよ」
頭がお花畑すぎる。オレは呆れ顔で〇〇の話を聞いていた。なんかの宗教にでもハマってんのか。しかし、これだけ生に執着がないとは、恐ろしい話である。これは、オレが出来る限り〇〇のことを守ってやらなくてはならない。
守ってやらなくてはならない。そう思った瞬間オレは、この女のことが唐突に愛おしくなった。このオレが、誰かを守ってやろうというのである。そこまで考えるとは、オレはこの女のことが相当好きなのかもしれない。
そう自覚したオレは、おそるおそる〇〇の手を握った。〇〇は拒まなかった。それどころか、それを当然のことだとでもいうかのように、ギュッと手を握り返した。
拒まれない。〇〇もオレのことが好きなのか。こうなると、いよいよ愛おしさが抑えきれなくて、たまらず〇〇を押し倒してしまった。突然のことに〇〇は驚いていたが、やはり拒みはしなかった。
〇〇を組み伏せ、キスをしている時、オレは間違いなく人生で最も幸せだった。愛し合っている二人で体を重ねるのは、こんなにも気持ちいいものかと、感動すらしていた。
終わった後、心地よい疲労感とともに、オレは〇〇を抱きしめたまま眠ってしまった。そのせいで、〇〇がポツリと呟いた言葉を聞き取ることができなかったのだ。
「…ホントに怖いのは、孤独でいることだよ。その事も、皆忘れちゃうんだ。特に、げぇむ中は」
それからオレたちは付き合うことになった。はっきりと付き合おうと言ったわけではないが、何度も手を繋いだりキスをしたし、げぇむに支障をきたさない範囲でセックスだってした。
〇〇は一度だって拒まなかった。相変わらずぼんやりとした女だったが、キスをしたり触れ合う時は、いつだって微笑んでいた。
オレは相当この女にゾッコンだったと思う。この女になら、こんなクズでも、少しだけ優しくしてやれた。
ある日のこと。オレはビーチ内である男女を射殺した。どうやらこの二人は、ビーチで出会ってから良い仲だったらしい。それ自体は別にどうだっていいが、問題はビーチの体制に疑問を持ったコイツらが、ここから抜け出そうとしたことである。所謂駆け落ちのようなものだった。
「くだらねぇな…。ンなことでオレの手を煩わせんなよ」
オレはこの二人について何も知らないし、今回はアグニ大将から命じられて殺しただけで、そこにはなんの感慨もなかった。さっさと死体を処理しなければ。そう思った瞬間だった。
カタンっ、と何かが地面に落ちる音が背後から響く。振り返ると、そこには持っていたキャンバスを落っことした、〇〇の姿があった。
マズイ、と本能的に感じた。オレは人を殺したり傷つけたりしている姿を、今まで一度たりとも〇〇には見せたことがない。そんな姿を見せれば、この純粋で、平和主義の女がオレから離れていくことは容易に想像できたからだ。
「オイ、〇〇…」
なんとか弁解しようと話しかけるも、〇〇は踵を返して逃げ出してしまった。オレは逃げられたことに呆然としたが、我に帰って
「オイっ!」
と慌てて〇〇を追いかけた。落ちたキャンバスも回収して。
追いかけながらオレは、脳みそをフル回転して〇〇への言い訳を考えていた。今回のは武闘派として、ビーチ幹部としての仕事のようなものだ。別に望んでやったわけじゃない。それどころか、オレは〇〇に出会ってから、大分人を殺す回数が減っていた。
〇〇はビーチ内の自室に逃げ込んでいた。オレはすぐさま追いつき、キャンバスを壁際に置いて、彼女に事情を説明しようとした。
「なァ、〇〇。聞いてくれよ、オレは…」
「うるさいよ!!ニラギの馬鹿!!」
〇〇は聞いたことのない大声で叫んだ。こちらを振り返った彼女は、顔が青白く、唇をぶるぶると震わせている。
「だから、落ち着けよ!オレはなァ…」
「もういいよ!…ニラギがそんな人だとは思わなかった」
それを聞いた瞬間、カッと全身が熱くなるのを感じた。
〇〇がオレを拒絶した。その事実が何より許せなかったのである。オレは苛立ちに任せて、〇〇を乱暴にベッドに押し倒した。
「やめてよ!!何するの!!!!」
女は手足をジタバタさせて、抵抗した。今まで一度だってオレを拒んだことはなかったのに。
「やめてったら!聞こえないの!?」
「うるせェ黙れ!!!」
オレは最早〇〇の言うことを全く聞いていなかった。この女がこれ以上抵抗するならば、横っ面を一発ぶん殴ってやろうと考えていた。
「ニラギは私を愛してるんじゃないの!?」
「……………………」
いよいよ拳を振り上げたオレは、その言葉を聞いて、動きを止める。いや、正確には動きが「止まった」のだ。オレは確かに、目の前の女を愛している。守るとまで誓った女だった。それをオレは、今傷つけようとしたのである。
オレの動きが止まって、調子づいた〇〇は更に言葉を続けた。
「ニラギが殺したあの二人ね、とっても仲が良い二人だったんだ。私、知ってるよ。片方がげぇむに行ってる時も、もう片方はすごく心配してた」
「…ンなこと、オマエには関係ねェだろうが」
「関係あるよ!!」
再び〇〇は叫ぶ。しかし、叫んだ後、彼女はふと静けさを取り戻し、こうオレに問うた。
「ビーチに電気を引いたのはなんでかわかる?」
それはオレたちが初めて言葉を交わした時に、〇〇から投げかけられた質問であった。
「…人が寄ってくるからだろ。ボーシヤはそうやって自分の兵隊を増やしやがる」
「違うよ!…灯りがついていたら、たくさんの人が寄ってくるでしょう?そのなかから自分の、ただ一人の、大切な人を見つけるためだよ。私たちだってそうやって出逢ったじゃない」
〇〇は初めて見る切なそうな顔をした。オレは振り上げた拳を下ろして、黙ったまま聞いていた。
「生きていくのは一人だって出来るよ。この世界には魚だって獣だっているんだから。お水だって、川はきれいだから、問題ないよ」
「げぇむだって、本当に生き残りたいなら一人の方が楽な時はあるじゃない。他の人を裏切って、自分一人だけ生き残る方がずっと楽だよ」
「…でも、それじゃダメなんだ。誰か、大切な人と触れ合ったり言葉を交わすことでしか、得られない幸せがあるよ。…ニラギとは、そんな幸せを共有できてると思ってた」
「私たちが手を繋いで、抱きしめ合って、キスをして、愛を確かめ合うのと同じように、彼らもそうしてたんだ。なのに、ニラギは、そんなことはどうだっていいって思うんだね?」
そう捲し立てた〇〇は、一通り言い終わった次の瞬間、ワッと子どもみたいに泣き出してしまった。その涙を見て、初めてオレは、なんだか、自分がとんでもない悪行をしでかした気分になった。
〇〇をベットに縫い留めていた手を緩めて、代わりに〇〇の背に手を回す。彼女はまだ泣いている。オレはまだ、慰めの言葉の一つも覚えていなかった。ただ、〇〇の背中を撫でさすっていた。
彼女が新しく描きあげたビーチの絵は、以前よりもずっとあたたかい黄色で覆われていた。
「邪魔なんだよ、テメェ…。退けや」
キャンバスで人の動線を塞いでいたソイツに、本来即座に撃ち殺してやってもいいところを、ご丁寧にも口で忠告してやる。にも関わらず、声をかけた後数秒間、口をアングリさせたまま女は動かなかった。どうやら言葉の意味が理解できないらしい。
苛ついてキャンバスを蹴ると、ソイツはようやっと合点がいった顔で、
「…?あぁ、ごめんなさい」
と謝りながら、キャンバスをどけた。
女の名前は〇〇という。元の世界で何をしていたのかは知らない。げぇむ中は大して目立つ奴じゃないが、昼間はいつも同じ絵を描いており、そういう意味では妙な存在感があった。
兎にも角にもボーっとした女で、何を考えているのか全く分からない。そんなもんだから、武闘派の仲間たちは総じて馬鹿にしていたし、カルト派連中でさえ、コイツのことは持て余しているようだった。
「またその絵か…。よく飽きねぇもんだなァ。それに妙にギラギラさせやがって……ビーチの権威でも象徴してるつもりかよ?」
〇〇は目をぱちぱちさせた。まさかこの絵について言及されるとは思ってもいなかったようだ。たっぷり10秒ほど黙ったままだったので、舌打ちをして去ろうとしたら、〇〇は慌てて口を開いた。
「これは電気だよ」
「電気?」
「ここはいつも明るいから…。夜中に起きても、廊下やロビーは明かりがついていて、眩しいでしょ?」
なるほど。確かにそう解説されれば、この趣味の悪い真っ黄色も理解はできた。
「ニラギさんは、なんでボーシヤさん達が、ビーチに電気を引いたか、分かる?」
絵に興味を持たれたことに嬉しくなったのか、〇〇は調子に乗ってオレに問いかけてきた。
「ンなこと知るかよ」
「そうすれば、人が寄ってくるからだよ」
その時オレは、その女を、意外とものをよく分かっているじゃねェかと、少し見直した。
ボーシヤは、常に自分のためにトランプを集める兵隊を探している。そのため、明かりをつけて、群がってくる奴等を捕獲しようとしているのだろう。
「でも、ニラギさんにはギラギラしてるように見えたんだね?じゃあ、改善しないと」
〇〇はうんうんと考え込む。
「別に改善しろなんて言ってねェよ」
この絵がギラギラしてようがしていまいが、オレには何の関係もないことだ。そもそも美術に関する知識などない。思ったことをそのまま口に出しただけなのだから。オレは、目の前の絵と睨めっこしている女を尻目に、その場を去った。
しかし、その日を境に〇〇は、頻繁にオレに絵を見せにくるようになった。オレが武闘派の仲間と共に行動している時でもお構いなしだ。
別にオレは、この女にそこまで構ってやるつもりはなかった。なんせ馬鹿そうに見える。例えコイツが思ったよりはものを分かっていると言っても、他の奴らにそんなこと伝わるはずもない。
この女と一緒にいると、オレまで馬鹿にされるような気がした。特に武闘派には。それはごめんだ。
「気安く話しかけてきてんじゃねェよ」
あからさまに不機嫌な顔をして拒絶しても、〇〇はその意図を理解できないようで、
「…なんで?そんなこと言わずに答えてよ。どう?この絵はギラギラしてるように見える?」
と構わず問いかけてくる。殺してやるのは簡単だったが、〇〇の何にも考えていないような、ぼんやりした眼を見ているとその気も失せた。オレにここまで臆さず、普通に話しかけてくる人間が珍しかったのもある。
そんなことが数日続いたある日。オレは〇〇にこう提案した。
「オレじゃなくて、他の奴と話せばいいだろうが。…ホラ、あそこにいるアイツとかよ」
偶然にも、視界の隅に見えたチシヤを指す。相変わらずスカしていて、ムカつく野郎だ。しかし、〇〇は肩をすくめてこう返答した。
「あの人はダメだよ。チシヤさんったら、なんにも分かってないくせして、なんでも分かったような振りをするんだから」
オレは思わず口元を緩ませてしまった。その言葉の意味はよく分からなかったが、少なくともチシヤが貶されているのを聞くのは気分が良い。
「…オレは?どうなんだよ」
「ニラギさんのことはまだあんまりよく分かんないよ。いつも私とろくに話してくれないじゃない」
それは気に入る答えじゃなかったが、まぁゼロかマイナスかでいうと、ゼロの方がマシだろう。
そんな言葉を交わした次の日から、オレは〇〇が寄ってくるのを受け入れるようになった。但し、こんな馬鹿女と一緒にいたんじゃ面目が立たないから、二人きりになれる時だけを選んで来るよう、〇〇によく言って聞かせたが。
最近、〇〇は毎日のようにオレに話しかけてくる。そのほとんどが、絵について意見を求めているだけだったが、時には他の話題を提供してくることもあった。
大抵今日の昼飯は何だったか、といったどうでもいい内容だったが、今日の話題は、〇〇が昨晩参加したげぇむに関してだった。
ジャンルは♡だったらしく、くりあできる人数が限られていたようだ。そうなると、いかにビーチの仲間といえど、必然殺し合いになる。オレの部屋のベットに腰掛け、〇〇はそれを嘆いていた。
「なんで、皆争うんだろう。私たちは同志だって、ボーシヤさんも言ってるよ」
この純粋な女には、皆が生死をかけて醜く争い合う様を理解できないようだった。
「…まァ、そんなもんだろ人間なんて。普段はいい顔してたって、死ぬのは怖いに決まってんだからよ」
必死になるのは当然だ、と〇〇でも分かるように説明してやる。それを聞いた〇〇はムッとしたような顔で、予想外の言葉を返した。
「死ぬのなんか怖くないよ。ここにいる皆、そのことが分かってないんだ」
「…あァ?」
「死ぬのは怖いことなんかじゃないよ。皆、主のもとに帰っただけだもの。皆、あっちで幸せそうに笑ってるよ」
頭がお花畑すぎる。オレは呆れ顔で〇〇の話を聞いていた。なんかの宗教にでもハマってんのか。しかし、これだけ生に執着がないとは、恐ろしい話である。これは、オレが出来る限り〇〇のことを守ってやらなくてはならない。
守ってやらなくてはならない。そう思った瞬間オレは、この女のことが唐突に愛おしくなった。このオレが、誰かを守ってやろうというのである。そこまで考えるとは、オレはこの女のことが相当好きなのかもしれない。
そう自覚したオレは、おそるおそる〇〇の手を握った。〇〇は拒まなかった。それどころか、それを当然のことだとでもいうかのように、ギュッと手を握り返した。
拒まれない。〇〇もオレのことが好きなのか。こうなると、いよいよ愛おしさが抑えきれなくて、たまらず〇〇を押し倒してしまった。突然のことに〇〇は驚いていたが、やはり拒みはしなかった。
〇〇を組み伏せ、キスをしている時、オレは間違いなく人生で最も幸せだった。愛し合っている二人で体を重ねるのは、こんなにも気持ちいいものかと、感動すらしていた。
終わった後、心地よい疲労感とともに、オレは〇〇を抱きしめたまま眠ってしまった。そのせいで、〇〇がポツリと呟いた言葉を聞き取ることができなかったのだ。
「…ホントに怖いのは、孤独でいることだよ。その事も、皆忘れちゃうんだ。特に、げぇむ中は」
それからオレたちは付き合うことになった。はっきりと付き合おうと言ったわけではないが、何度も手を繋いだりキスをしたし、げぇむに支障をきたさない範囲でセックスだってした。
〇〇は一度だって拒まなかった。相変わらずぼんやりとした女だったが、キスをしたり触れ合う時は、いつだって微笑んでいた。
オレは相当この女にゾッコンだったと思う。この女になら、こんなクズでも、少しだけ優しくしてやれた。
ある日のこと。オレはビーチ内である男女を射殺した。どうやらこの二人は、ビーチで出会ってから良い仲だったらしい。それ自体は別にどうだっていいが、問題はビーチの体制に疑問を持ったコイツらが、ここから抜け出そうとしたことである。所謂駆け落ちのようなものだった。
「くだらねぇな…。ンなことでオレの手を煩わせんなよ」
オレはこの二人について何も知らないし、今回はアグニ大将から命じられて殺しただけで、そこにはなんの感慨もなかった。さっさと死体を処理しなければ。そう思った瞬間だった。
カタンっ、と何かが地面に落ちる音が背後から響く。振り返ると、そこには持っていたキャンバスを落っことした、〇〇の姿があった。
マズイ、と本能的に感じた。オレは人を殺したり傷つけたりしている姿を、今まで一度たりとも〇〇には見せたことがない。そんな姿を見せれば、この純粋で、平和主義の女がオレから離れていくことは容易に想像できたからだ。
「オイ、〇〇…」
なんとか弁解しようと話しかけるも、〇〇は踵を返して逃げ出してしまった。オレは逃げられたことに呆然としたが、我に帰って
「オイっ!」
と慌てて〇〇を追いかけた。落ちたキャンバスも回収して。
追いかけながらオレは、脳みそをフル回転して〇〇への言い訳を考えていた。今回のは武闘派として、ビーチ幹部としての仕事のようなものだ。別に望んでやったわけじゃない。それどころか、オレは〇〇に出会ってから、大分人を殺す回数が減っていた。
〇〇はビーチ内の自室に逃げ込んでいた。オレはすぐさま追いつき、キャンバスを壁際に置いて、彼女に事情を説明しようとした。
「なァ、〇〇。聞いてくれよ、オレは…」
「うるさいよ!!ニラギの馬鹿!!」
〇〇は聞いたことのない大声で叫んだ。こちらを振り返った彼女は、顔が青白く、唇をぶるぶると震わせている。
「だから、落ち着けよ!オレはなァ…」
「もういいよ!…ニラギがそんな人だとは思わなかった」
それを聞いた瞬間、カッと全身が熱くなるのを感じた。
〇〇がオレを拒絶した。その事実が何より許せなかったのである。オレは苛立ちに任せて、〇〇を乱暴にベッドに押し倒した。
「やめてよ!!何するの!!!!」
女は手足をジタバタさせて、抵抗した。今まで一度だってオレを拒んだことはなかったのに。
「やめてったら!聞こえないの!?」
「うるせェ黙れ!!!」
オレは最早〇〇の言うことを全く聞いていなかった。この女がこれ以上抵抗するならば、横っ面を一発ぶん殴ってやろうと考えていた。
「ニラギは私を愛してるんじゃないの!?」
「……………………」
いよいよ拳を振り上げたオレは、その言葉を聞いて、動きを止める。いや、正確には動きが「止まった」のだ。オレは確かに、目の前の女を愛している。守るとまで誓った女だった。それをオレは、今傷つけようとしたのである。
オレの動きが止まって、調子づいた〇〇は更に言葉を続けた。
「ニラギが殺したあの二人ね、とっても仲が良い二人だったんだ。私、知ってるよ。片方がげぇむに行ってる時も、もう片方はすごく心配してた」
「…ンなこと、オマエには関係ねェだろうが」
「関係あるよ!!」
再び〇〇は叫ぶ。しかし、叫んだ後、彼女はふと静けさを取り戻し、こうオレに問うた。
「ビーチに電気を引いたのはなんでかわかる?」
それはオレたちが初めて言葉を交わした時に、〇〇から投げかけられた質問であった。
「…人が寄ってくるからだろ。ボーシヤはそうやって自分の兵隊を増やしやがる」
「違うよ!…灯りがついていたら、たくさんの人が寄ってくるでしょう?そのなかから自分の、ただ一人の、大切な人を見つけるためだよ。私たちだってそうやって出逢ったじゃない」
〇〇は初めて見る切なそうな顔をした。オレは振り上げた拳を下ろして、黙ったまま聞いていた。
「生きていくのは一人だって出来るよ。この世界には魚だって獣だっているんだから。お水だって、川はきれいだから、問題ないよ」
「げぇむだって、本当に生き残りたいなら一人の方が楽な時はあるじゃない。他の人を裏切って、自分一人だけ生き残る方がずっと楽だよ」
「…でも、それじゃダメなんだ。誰か、大切な人と触れ合ったり言葉を交わすことでしか、得られない幸せがあるよ。…ニラギとは、そんな幸せを共有できてると思ってた」
「私たちが手を繋いで、抱きしめ合って、キスをして、愛を確かめ合うのと同じように、彼らもそうしてたんだ。なのに、ニラギは、そんなことはどうだっていいって思うんだね?」
そう捲し立てた〇〇は、一通り言い終わった次の瞬間、ワッと子どもみたいに泣き出してしまった。その涙を見て、初めてオレは、なんだか、自分がとんでもない悪行をしでかした気分になった。
〇〇をベットに縫い留めていた手を緩めて、代わりに〇〇の背に手を回す。彼女はまだ泣いている。オレはまだ、慰めの言葉の一つも覚えていなかった。ただ、〇〇の背中を撫でさすっていた。
彼女が新しく描きあげたビーチの絵は、以前よりもずっとあたたかい黄色で覆われていた。
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