Persona Grata

「おや、アマランス様。御機嫌よう」
 母はいつもと変わらぬ笑みを浮かべた。まるで何事もなかったかのように。
「母上」
 教主は静かに母の居室へ足を踏み入れる。
「どの将兵を処罰すればよいか聞きにいらしたのですね。懸命な判断ですわ。まず近衛隊長八名とその麾下を」
「いいえ、母上。誰を処罰すべきか告げに来たのです」
 二人の間に沈黙が下りた。サウスレアの口元に、歪んだ笑みの残滓が張り付いている。
「それは」
 母は唇を一度だけ舐めた。その瞳にもはや笑みはない。
「どういう意味かしら」
「たった今申し上げた通りです。兵の生殺与奪権は教主にあるはず。同じく背教者の捕縛権も」
 背後の扉から近衛兵が現れ、母后サウスレアを取り囲んだ。
「母上。あなたは宰相と密謀して皇国と内通し、密偵を宮廷内に入れようとした上、証拠の隠滅を図りました。私はあなたを捕らえねばなりません。悪魔に唆され、神の教えに背いた背信者として。残念なことです」
「……ふ、成程」
 サウスレアは不意に笑い、静かに腰を下ろした。
「よろしいですわ。選んだ道がどのような破滅に向かおうと、わたくしの役目はここまでです。お望み通りにいたしなさい、教主様」
 黒々として、最後まで温もりを持つことのなかった母の瞳を、アマランスは真っ直ぐに見つめ返した。お互いに母子として感情を込めることはついぞなかった。それでも。
「さようなら、母上」
 私を私として見てくれていた唯一の人は、ひょっとしたら彼女であったのかも知れないと、教主は思った。


 使節が監禁されていたのは、別館とは名ばかりの、今は使われていない倉庫蔵だった。
「あの晩以来か。久しいな、教主殿」
 使者は皮肉っぽく口を歪めて笑った。唇の端に一瞬見えたのは痣の痕か。
「どうだ。見ろ、俺の言った通りだろう。これが余所者への扱いなのだ。貴殿も気を付けた方が良い。組む相手を間違えれば、俺の二の舞になりかねぬ」
 ラエタムの瞳が再び、あの青い光を宿した。
「今なら軍と臣の粛清を同時に行えるぞ。俺と組め、教主アマランス。皇国軍の精鋭が味方に付くのだ。貴殿には最早後見も摂政も要らぬであろう」
 教主は暫く沈黙したまま、何の感情も浮かばぬ瞳をじっと注いだ。
「ああ、そうだな」
 教主は静かに口を開いた。
「私には最早後ろ盾は無用の長物だ。母后サウスレアと宰相ナルドは、謀反の疑いで先程拘束された」
「……何を言う。貴殿に軍からのそれほどの支持など」
「支持? そんなもの簡単だ。彼らの求めるものを与えてやれば良い」
 それを聞いたラエタムの顔に、初めて焦りの色が浮かんだ。
「――貴様、皇国を敵に回す気か! そんなことをすれば、貴様の命どころかこの国の運命もないぞ!」
「誤解してもらっては困るな。そもそも、貴公の計画が上手くゆく保証など何処にもない。即位早々に内部分裂を始めるとは、皇国の未来も永くはなかろう。あの晩密偵が届けた情報如何では、私ではなく宰相らに接触するつもりであったのだろう? そのような二枚舌を持つ輩とは組めぬ」
 どこからか微かに煙の臭いが漂ってきた。ラエタムは必死に束縛を解こうとするが、縄はびくとも緩まない。
「後悔することになるぞ、我らの軍が貴様らの地を蹂躙した後にな!」
 その言葉を聞き、教主は口の端を上げた。木の焼ける臭いが段々と強くなり、辺りに黒煙が漂い始める。
「死が怖いか。矢張り、貴公も人の子。我らは死を恐れぬ。我らに敗北はない。神の御加護がある限り」
 教主はゆっくりと踵を返した。
 後ろから罵声が聞こえてきたが、最早気にはならなかった。再び振り返ることはなく、教主はいずこかへと立ち去っていった。
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