Persona Grata
――先代の血を引かず、民にとっては余所者、臣下にとっては傀儡。
昨夜の使者の言葉が、まだ耳にこびりついている。いや本当は、ずっと聞こえていたはずだったのだ。教主となった時からずっと。
「神は皆を等しく愛されます。神を讃え、我らも愛しましょう」
愛とは何かも知らぬくせに、一体何を騙るのか。立ち込める香の煙、神像の生気のない肌を照らす燭台の灯り。そういった厳かな雰囲気の全てに、噎せ返って吐いてしまいそうだ。
「神は父としての面を持たれます。時に厳しく、常に我らを見守ります」
――私には父もいないのに。
「神は子としての面を持たれます。皆がかつては神であり、内に神を宿します」
――私には子もいないのに。
「神は母としての面を持たれます。全てを包み慈しみ、生み落とします」
――私には、
私は「母」も知らないのに。
私は、私の素顔が知りたいだけなのに。
しかし使節が帰国する前日になって、事態は急転直下を迎えた。
「先日の侵入者の目的は使節の暗殺ではありませんでした。あの者は皇国からの密偵です。呪詛は我々を混乱させるための目くらましでした」
召使は息を切らせて、宴会の晩の侵入者の正体が判明したことを告げた。
「本当か。やはり見せしめにした効果があったのか」
教主の言葉に、召使は首を振った。
「いえ……。使節団の所持品から、密書が見つかりました。あの夜、密偵は勅使と接触する予定だったのです」
教主は思わず庭を見下ろした。あの晩あの場所で、自分は使者と会っていた。だが一つ異なれば、事態は大きく変わっていたのだ。恐らくは自分の知らないところで、自分にはどうすることもできないまま。
靄のかかっていた頭の中が奇妙に冴えていくのを感じながら、教主は尋ねた。
「兵士の様子はどうだ。暴動の兆しはないか」
「残念ながら、既に暴徒と化した一部の兵が、使節団のうち何名かを殺害しました。残りは別館に隔離し、厳重に警固しております。しかし反発は激しく、わたしの伯父を含め将校の殆ども……し、」
しばし言葉を詰まらせた後、イノンドは震える声で言った。
「使者への死の報復を望んでいます」
母たちはそれを何とか避けようとするだろう。場合によっては握り潰しも図るかもしれない。高僧、そして王族である使者の首を飛ばせば皇国との関係悪化のみならず、全面戦争もありうる。教主はしばし目を閉じ、首を垂れた。
「イノンド、お前はどうなのだ」
唐突に訊かれて視線を彷徨わせ、それから召使は静かに口を開いた。
「わ、わたしは……教主様に従います。我らはどこまでも、教主様の味方であり、僕であり、同胞です」
そうか。やはり、そういうことなのか。
アマランスは長い溜息をつき、瞳を開けた。
所詮、そうなのだ。民も、臣下も、ラエタムですらも。彼らが求めているのは私ではない。教主アマランスであるのだ。
「ひとつ頼みがある」
教主は静かに命令を下した。
昨夜の使者の言葉が、まだ耳にこびりついている。いや本当は、ずっと聞こえていたはずだったのだ。教主となった時からずっと。
「神は皆を等しく愛されます。神を讃え、我らも愛しましょう」
愛とは何かも知らぬくせに、一体何を騙るのか。立ち込める香の煙、神像の生気のない肌を照らす燭台の灯り。そういった厳かな雰囲気の全てに、噎せ返って吐いてしまいそうだ。
「神は父としての面を持たれます。時に厳しく、常に我らを見守ります」
――私には父もいないのに。
「神は子としての面を持たれます。皆がかつては神であり、内に神を宿します」
――私には子もいないのに。
「神は母としての面を持たれます。全てを包み慈しみ、生み落とします」
――私には、
私は「母」も知らないのに。
私は、私の素顔が知りたいだけなのに。
しかし使節が帰国する前日になって、事態は急転直下を迎えた。
「先日の侵入者の目的は使節の暗殺ではありませんでした。あの者は皇国からの密偵です。呪詛は我々を混乱させるための目くらましでした」
召使は息を切らせて、宴会の晩の侵入者の正体が判明したことを告げた。
「本当か。やはり見せしめにした効果があったのか」
教主の言葉に、召使は首を振った。
「いえ……。使節団の所持品から、密書が見つかりました。あの夜、密偵は勅使と接触する予定だったのです」
教主は思わず庭を見下ろした。あの晩あの場所で、自分は使者と会っていた。だが一つ異なれば、事態は大きく変わっていたのだ。恐らくは自分の知らないところで、自分にはどうすることもできないまま。
靄のかかっていた頭の中が奇妙に冴えていくのを感じながら、教主は尋ねた。
「兵士の様子はどうだ。暴動の兆しはないか」
「残念ながら、既に暴徒と化した一部の兵が、使節団のうち何名かを殺害しました。残りは別館に隔離し、厳重に警固しております。しかし反発は激しく、わたしの伯父を含め将校の殆ども……し、」
しばし言葉を詰まらせた後、イノンドは震える声で言った。
「使者への死の報復を望んでいます」
母たちはそれを何とか避けようとするだろう。場合によっては握り潰しも図るかもしれない。高僧、そして王族である使者の首を飛ばせば皇国との関係悪化のみならず、全面戦争もありうる。教主はしばし目を閉じ、首を垂れた。
「イノンド、お前はどうなのだ」
唐突に訊かれて視線を彷徨わせ、それから召使は静かに口を開いた。
「わ、わたしは……教主様に従います。我らはどこまでも、教主様の味方であり、僕であり、同胞です」
そうか。やはり、そういうことなのか。
アマランスは長い溜息をつき、瞳を開けた。
所詮、そうなのだ。民も、臣下も、ラエタムですらも。彼らが求めているのは私ではない。教主アマランスであるのだ。
「ひとつ頼みがある」
教主は静かに命令を下した。
