Persona Grata

 夜も更けた頃、部屋で横になっていたアマランスの元にイノンドがやってきて告げた。
「お休みのところ失礼致します。使者殿がお呼びです」
「……ラエタム殿が?」
 鈍痛を訴える体を引き摺り月の位置を確認すると、夜半を過ぎていた。宴会はもうとっくに終わっている頃合だ。
「母上には何と言ってあるのだ」
「何も。教主様お一人でいらっしゃるようにとのことです」
 しばしの間、教主は口を開かなかった。その後、彼は低い声で「すぐ行く」とだけ告げた。


 使者が指定したのは、庭園の池に浮かぶ東屋だった。三日月が無花果の葉を透かし、水面に銀細工を描いていた。
「存外に早かったのですね」
 使者はそう言って出迎えた。昼間謁見した時はあまり感じなかったが、月光の下では彼が皇国の人間だということがよく分かる。黒檀の髪と白皙の肌は、紛れもなく王族の証だった。
「わざわざお呼び立てして申し訳ありません。ですが最適な場所が他になかったもので」
「木々に視界を阻まれ、声は岸まで届かない。密談にはこれ以上の場はないでしょう」
 温度のない教主の言葉に、使者は笑みを崩さぬまま、すっと目を細めた。
「密談だなどと。私はただ教主殿の有難い教えを拝聴したく」
「私が母上と宰相の傀儡に過ぎないと、あの宴席で分かったはず。今更我らの教義などに用はないであろう。貴公の望みは一体何だ」
 池の水面を、風が音もなくさざめき立たせる。静謐が、月華と共に東屋を覆った。
「我が皇国は通算十七年の内乱を経たが、ようやくしばしの安寧を得た」
 静寂を破ったラエタムの声は、先程までのものとは異なっていた。
「だが、俺はその不安定な均衡を崩したい」
 アマランスはラエタムの底光りする瞳を見据えた。謁見の時に一瞬見たのと同じ光が、青い瞳の底に宿っていた。
「新たに玉座に座ったのは、先年謀殺された皇帝の外戚にあたる将軍だ。だが奴は王族の血を引いていない。奴は王族の勢力を削ごうと、手始めに法皇の王族継承を廃止した。……それまでは、これでも俺は次期法皇として名を得ていたのだが」
 ラエタムは自嘲気味に唇を歪めた。皇国の宗教的最高権威である法皇は、原則として王族でなければ継ぐことはできない。だがそれが絶たれたというのならば、それは王族の権勢と同時に権威も落ちることを意味する。
「俺は皇国の玉座を、正統な王族の手に戻したいのだ」
「そのためなら異教徒の手も借りる、と?」
「そうだ」
 躊躇いなくラエタムは言った。昼間見た違和感の正体を、アマランスは悟った。外交官も僧正も、ラエタムにとっては仮面に過ぎない。彼の素顔は僧侶ではなく王族なのだ。
「ならば尚のこと、母上やナルドに先に相談するべきであろう。こんなところで油を売っている暇はないはずです」
 ラエタムは鼻で笑った。耳元の柘榴石が紅く光る。
「あのサウスレアとかいう女か。あやつのことなら知っている。継承戦争が始まる前に皇宮にいた宮女だな。その後教団が封土を領袖する際に降嫁されるまで、しばし動向が分からなかったと聞いたが。貴殿、本当にあやつの子か?」
 アマランスは胃の腑が強張るのを感じた。それは彼が常に感じつつも、触れるのを避けていた禁忌だった。自分たちは本当に、血の繋がった親子なのか。母はそれに関して一切言及することもなく、かといってアマランスに愛情を注ぐこともなかった。
 アマランスはラエタムに非難の視線を送ったが、彼はアマランスの内心の動揺を見逃しはしなかった。
「成程、父の顔を知らぬだけでなく、実の母かも分からぬということか。道理で母子の情というものが薄いわけだ。先代の血を引かず、民にとっては余所者、臣下にとっては傀儡。このままでは貴殿に未来はなかろう」
「何が言いたい」
「俺とてただで助力を請おうとは思っていない。等価交換でなければな。貴殿、目障りな母と宰相から独立したいとは思わぬのか?」
 自分一人を密かに呼び出した時から、薄々勘付いてはいた。しかし教主としては、実際に提案されておいそれと承諾することはできなかった。この使者の面を被った野心家は、政権を奪って母と宰相を殺せと言っているのだ。
「悪くない条件だと思うが。軍隊の統帥権は未だ貴殿の手中にあろう?」
 ぎり、とアマランスは奥歯を噛みしめた。統帥権があるはいえ、傀儡である自分に行使の自由がある訳ではない。軍指揮権とは裏を返せば、いつでも戦死する可能性のある、母たちにとって体のいい捨て駒だということだ。
「手を貸そう。貴殿にとっての邪魔者を粛清しろ」
 アマランスは暫く顔を上げなかった。彼の首筋に月光が当たり、色の薄い髪は銀色に光っているように見えた。
「時間を頂きたい」
 しばし経った後、彼は呟いた。
 使者は顔面に笑みを張り付けたまま席を立った。
「いいでしょう。まあ、悩む必要はないと思いますがね。覚えておきなさい、彼奴らにとって私は最悪の使者でしょうが、貴殿にとっては最良の使者であるはずです」
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