Meiga y Angela  ―魔女と聖女―

 小麦畑が黄金色に輝く期間は意外に短い。
 実った穂は農民たちの手によって順番に刈り取られていき、段々と姿を消していく。刈り入れが終わった麦はしばらく干して、それから脱穀だ。この時期は町の人々も家業を休んで、農家へ手伝いに出てしまう。農作業の一部を手伝うことで、収穫の一部を支払ってくれるのだそうだ。なにしろ麦畑が広大なので、誰も彼も麦のことでいっぱいだ。そのせいかどうか、リオが連日森へ繰り出してもこれといって誰も咎める者はいなかった。
 そして、刈り入れが終われば祭りがやってくる。
 これこそが、人々が労働を楽しみにする最大の理由だった。老いも若きも、富める者も貧しい者も、分け隔てなく喜びを共有する日。口を開けば事あるごとに、人々はリオに向かって口々に祭りについて語った。祭りについて触れる時は皆、農作業に汚れた顔を輝かせて話すのだった。
 祭りの目玉は、大掛かりな張子を使った竜退治の英雄劇だそうだ。

「ホルヘさん、お久しぶりです」
 リオが声を掛けると、畑の隅の木陰で皮袋を傾けて休憩している二人の男のうち赤ら顔の男が、帽子をひょいと上げて挨拶を返した。町に来た初日に酒場で出会った男だ。もう一人はつぎのある服を着た、まだ顔に若さの残る鷲鼻の男で、赤ら顔とは仲が良さそうな雰囲気。赤ら顔は人の好さそうな笑みを浮かべて、リオを自分の隣に招いた。
「おぅ、奇遇だな兄ちゃん。こんなところで会うとはなぁ」
 赤ら顔はにやりと笑うと、皮袋の中身をぐびりと飲んだ。
「男手があると助かるって農家のおかみさんにせがまれましてね、ちょっと藁組の手伝いを。ホルヘさんこそいいんですか、昼間から。それ、お酒でしょう」
「なぁに、ちょいとした休憩よ。喉が渇いちゃ仕事も捗らねえからな。紹介するよ、こっちは隣畑のマルセロだ。マルセロ、こっちが俺の言ってた旅の兄ちゃん」
「リオです。流れ者ですが、よろしく」
 マルセロと紹介された鷲鼻の男が軽く会釈した。リオは会釈を返すと、赤ら顔の隣に座った。初夏の日差しを遮る木陰に吹く微風が涼しい。
「セリオさんもお元気ですか?」
「あいつは金物屋だからな、今頃鎌の錆び取りに脱穀機の手入れと張り切ってるさ。兄ちゃんも一口やるか?」
 赤ら顔は皮袋の口を傾けてこちらに向ける。時間の経った麦酒の匂いが漂ってくるのをやんわり断って、リオは刈りかけの麦畑を眺めた。
「本当に町の人たち総出なんですね」
「おう。麦はこの町の命だからな」
「命か。そりゃ大切なわけだ」
 パッチワークのようになった麦畑の向こうに、黒々とした塊が見える。中に入ればあんなに木々に日が差して美しいのに、外から見ると不思議だ。黄金森の黄金とは、何を指すのだろう。
 赤ら顔と鷲鼻もしばし喋り疲れたのか、代わりばんこに革袋をちびりちびりやりながら畑を眺めている。リオはゆっくりと、言葉を選びながら口を開いた。
「ところでホルヘさん、黄金森についてもう少し聞きたいんです。森が危険って言われている理由についてなんですけど」
「相変わらず森通いしてんのかい、兄ちゃん。あんたも懲りないねえ」
 リオは曖昧に頷いた。うっかり赤ら顔のペースに乗せられると、ついついそのまま連れて行かれてしまう。
「狼とかって出たりしますか?」
 それを聞くと、鷲鼻の男が飲み込んだばかりの麦酒で噎せ込んだ。赤ら顔の男も面食らったのか、皮袋から口を離して顎に手を当てる。
「狼ぃ? いんや、聞いたことねえなあ。少なくとも俺が生まれてから、ここいらで狼なんか出たこたねえよ」
「へえ?」
「あの森に入りたがらん奴がいるのは、ここの町に根付いてる昔話のせいでさあね。悪霊が出るんさ。伝説って言ってもいいがね」
 鷲鼻男が口を挟んだ。それを聞くと、リオは身を乗り出した。
「そのお話、もう少し詳しく聞かせてくれますか。ホルヘさんが前言ってたお宝のお話とはまた別で?」
「いんや、同じお話だがよ」
 赤ら顔は何か不満なのか、眉根を寄せて鷲鼻のほうを見遣りながら顎の無精髭を撫でている。対照的に、鷲鼻は意気込んでやや大仰に身振りを交えながら話し出した。
「お宝なんてのは嘘っぱちさあ。むかーし、ここに住んでたでっけぇ竜がなぁ、悪徳な王様と戦ったんでさ。王様にはお姫様がおったんだが、そのお姫さんは民が困ってるのに心を痛めてね。畑を荒らしてた竜に、自分が竜に嫁ぐから代わりに父王を倒してくれって頼んだわけさ。んで、竜はお姫さんの願いを聞き入れて悪い王と戦ったんだが、最後には相打ちで、どっちも死んじまったんだな。そのお墓があるのがあの森ってわけでさ。そんでお姫さんは悲しくって竜の死体に覆い被さったんだが、そしたら鋭い竜の鱗に刺されちまったんだね。その鱗の毒で竜の呪いを受けちまって、最後には悪霊になっちまったんさ。それ以来お姫さんはそのお墓にいて、夏至の近くんなると洞窟の中から悪霊の金切り声がよく聞こえるそうでさ。だから、あの森に入る不届き者には、お姫さんの悪霊が呪いを掛けるぞ~って、小さい頃はおっ母によく脅されたもんでさね」
 鷲鼻はご丁寧に、子供を脅かす母親の演技までしながら話を結んだ。
「へぇ、だいぶ様相が異なりますね? お姫様は死んでしまったんですか?」
「いんや、間違ってるのはそっちだね」
 赤ら顔が、突然口を挟んだ。
「そんなのは子供を怖がらせるために作られたニセモンの話だ。俺は信じないね」
 鷲鼻がむっとして赤ら顔を睨んだ。赤ら顔は麦酒をぐびりとあおると、さらに続けた。
「お姫様は街と畑を守るために、アンバルデオロを日照りにした悪竜に身を捧げて、王様の墓を今でも守ってんだ。その代わりに今の豊かな暮らしがあるんだから、感謝しろっちゅうありがた〜い教訓のある言い伝えなんだ。こっちの方が理にかなってるし、筋も自然だろ。だいたい、お姫様が悪霊になったって? はん、そんな幼稚な子供騙しを信じてる方がどうかしてるぜ」
 おや、どうやら地元の人の中でも意見が割れているらしい。二つのまったく異なる結末が伝えられてるのはなかなか珍しいな、と、リオは呑気に考えながら二人を観察した。鷲鼻の言い出した「もう一つのお話」に興味を惹かれていたので、二人の諍いを止める気はさらさらなかった。
「筋が自然だあ? あんたぁ、お話が自然かどうかで、本当かどうか判断してんのかい。そっちの方が余程幼稚じゃないかね。だったら、作ったスープがいい匂いだから食べようとして皿が勝手に棚から落ちたんだっちゅう、こないだの割れた皿を前にしたペピの言い分を信じんのかい?」
「なぁにを屁理屈言ってんだ、この鼻っ垂れ坊主が。そっちの言うことが嘘じゃねえって証拠がどこにあんだ。王様倒しただけなら、この土地が豊かになった理由にゃなんねえだろうが」
「悪い王様がいなくなったから、みんなが精出して小麦作れるようになったんでしょうが。だいたい、竜がまだ生きてんなら、なんでわざわざ祭りに竜退治の芝居なんかやるかね。そっちの話が嘘っぱちな証拠さあ」
 これは面白くなってきたぞ。リオは内心興味津々なのをなんとか抑えながら、顔だけは気遣わしげに二人の言い争いを見守った。酒の勢いも相まってか、二人の口論はだんだん勢いが増していき、最後にはあわや喧嘩寸前というところにまでなった。皮袋片手に赤ら顔が拳を振り上げかけた時、ようやくリオは仲裁に入った。
「まあまあ、どちらにしろ伝説は伝説ですし、正しいとか嘘だとかはいいじゃないですか。どっちも面白いお話を聞かせてもらいましたよ」
「いんや兄ちゃん、分かってねえ。こいつぁただの昔話じゃねんだ」
 赤ら顔が皮袋を振り回しながら大声でリオに言った。
「そうでさあ。このお話は、本当にあったお話なんでさ」
 鷲鼻も一歩も譲る気はない様子で息巻いている。
「御伽話じゃないんですか?」
「あたぼうよ。御伽話なんかじゃねえ、俺たちにとっちゃあ、大事な歴史・・さね」
 止められるものでもなさそうだ。リオはやや驚き、最早感銘すら受けて、ほうと息を吐いた。
「大事にされてるんですね……」
 その言葉に、赤ら顔も鷲鼻も言い合いの手を止めて、二人同時にリオの方を向いた。
「なんだい、兄ちゃん、まるで生きてるもんみてえに言いやがって」
「そうでさ、なかなか話が通じるお方だあ。こりゃあ夜まで語り明かさにゃあ」
 だいぶ酔いの回った二人は笑い出し、交互にリオの背中を叩き始めたので、リオは噎せ込んだ。二人は大声で好き勝手に喋り、今に歌でも歌い出さんばかりだった。
「おい兄ちゃん、酒場に行って飲み直さねえか!?」
 こうなってはもう畑仕事に戻るどころではない。今の話の続きが聞けるなら酔っ払い二人に付き合わされても苦ではないが、正直そんな理性は二人に残っていなさそうだし、リオとしてはこの後の予定はすでに決まっている。
 河岸を移してまで「ちょいとした休憩」を続けるという二人の誘いを丁重に断って木陰の外に出ると、リオはやれやれと伸びをした。
 麦の刈り入れに働く人々。地平線まで続く麦畑。その中心に、意味ありげに佇む黒い森。日照りに、悪霊に、竜退治。日常である畑と非日常の祭りが巧妙に、糸のように絡まっている。そんな印象だ。先ほど聞いた相反する昔話を思い返しながら、ふとリオの頭の中に、紅い瞳の彼女の姿がよぎった。
 彼女はどっち・・・だ?
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