Bosque de Oro  ―黄金森―

 獣道から逸れた後、リオはさらに歩き続けて、開けた明るい空き地に出た。斜面の麓で、黒々とした大岩が鎮座する傍らに泉がこんこんと湧き出ている。酒場で出会った男たちが言っていた場所に違いなかった。
 リオは日暮れ前までそこに居座ることに決めた。明るく開けていて水もあるし、草木の調査には持ってこいだ。そうして観察に没頭するうち、いつしか近付いてきた人影に気が付かなかったのだった。
 頭上に落ちた人影に、リオは草を探る手を止めて顔を上げた。一瞬強張った表情はすぐに解け、安堵の笑顔が広がった。
「君か。また会ったね」
 相手は言い方が気に入らなかったのか、むくれ面を見せた。
「都合のいい挨拶の仕方ね。せっかく忠告してあげたのに、聞いていなかったのかしら」
「そういえばそうだったな」
 紅い瞳の娘はため息をつくと、豊かな金髪を背中へ払った。
「危ない目には遭わなかったの? それとも、出遭ってなおその調子の良さなのかしら。もし後者なら救いようがないわ」
「生憎そういう性分でね」
 リオは曖昧に微笑むと、再び下を向いて手帳に野草のスケッチを書き込んだ。
 先程遭った獣のことを忘れたわけではなかったのだが、娘は不服げにふんと鼻を鳴らす。彼女は彼の手元をちらりと一瞥して言った。
「ヒナギクね。毒があるのよ、それ」
「ああ。でも乾燥させると、いい風邪薬になる」
 あら、という顔をして、彼女はリオを見た。
「よく知ってるのね」
「まあ、好きでやっていることだからね」
 ふうん、と呟いて彼女はリオの隣にしゃがみ込んだ。しばらくの間、彼が草に触れる音と、黒炭を紙に走らせる音だけが木漏れ日の下続いた。
「そんなに熱心に粗捜しするなんて、相当ここが気に入ったみたいね」
「うん、美しい土地だと思うよ。土も生き物も、人も豊かだ」
「そういうことを聞いてるんじゃないの。あなたよく鈍感だって言われないかしら?」
 リオはスケッチの手を止めて、しばし考え込んだ。
「いや、本当にそう思っているんだ。知りたくてたまらないんだよ。この土地の豊かさを支えているものは、何なんだろうってね。その手がかりがこの森にあるような気がするんだ」
 それを聞くと彼女は虚を突かれて呆れたような困惑したような、何とも言えない顔をした。
「どうするのよ、そんなもの知って」
「どうもしない、かな。でも、知ったらきっと大切にできそうな気がする。人とか景色とか、人じゃないもの、草とかもそうだ。それから、自分が今まで大切にできなかったものとかも」
 しばらく沈黙が流れた。木々が枝葉をさわさわと揺らす音が響く。上層に吹く風は樹冠を抜ける間に弱まり、空き地に届く頃には心地よい微風となっている。
 彼女はゆっくりと立ち上がり、無言のまま優しい手つきで裾を払った。
「……とりあえず、あなたが悪い人じゃなくて、変な人だっていうのはわかったわ」
 しばらくして、溜め息混じりの声がリオの耳に届いた。
「この森を傷つけないのなら、邪魔はしないでいてあげる」
 顔を逸らしてどこか拍子抜けしたような口調で、彼女は告げた。リオのいる場所からは彼女の表情は読み取れなかったが、彼は相好を崩した。
「ありがとう」
「でも、もっと気をつけたほうがいいわよ」
「うん。でも、君は俺に挨拶してくれただろう?」
 リオが答えると、彼女は吐息と共に「……都合のいいひと」と不満そうに零した。
 こうして、彼女との奇妙な交流が始まった。
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