Encrucijada   ―分かれ道―

 娘は、長いこと睫毛を伏せていたが、やがて面を上げた。その瞳には、あの石と同じ、――狼の瞳と同じ紅が燃え立っていた。
「あなたたちが古代生物と呼ぶそれの魔力を、人間が永らえようと試みた手段について、あなたは知ってる?」
 おもむろに娘は尋ねる。リオは黙って頷いた。彼女の口調は穏やかだったが、目の前の少女の身に降りかかった災厄を思うと、彼はむしろ心の底が冷える思いがした。
「実例は知らないけど、聞いたことはある。古代生物の生命力を、人の命で上書きしようとする方法。禁じられた祭祀の儀式」
「あれは祭祀なんかじゃないわ。ただの呪いの上塗り。知ってる? あの悍ましい儀式を重ねると、依代は狂うのよ。己を失い、言葉を失い、しまいには己の姿も失い、新たな生贄を求める悪霊に成り果てるの。あのひとはそれから私を救ってくれた。家族に、なってくれた。全てをなくした私の、たった一人の愛しい家族に」
 娘は穏やかに、いとおしそうに岩肌を撫でた。リオたちには伺い知ることすらできなくとも、彼女らふたりが過ごしたのであろう歳月の重みが、心からの慈愛の篭った手つきに表れていた。白く細い指は岩の先端まで行くと、僅かに震えて止まる。その手を引き寄せると、もう一方の手で胸元に抱え込み、震えるほどに固く握り込んだ。
「それでも、私をあの呪いから完全に断ち切ることはできなかった。だから、あのひとは隠したの。この墓所と、私を。石の封印が解かれた後も、あれが私を見つけることがないように」
「でも、君はそれを良しとしなかったんだね」
 零した声に、彼女は毅然と顎を上げる。
「当然よ。あれをどうにかするのは私の義務だもの。あのひとが私を救ってくれたように、私もあのひとの意思を受け継ぐ。自分だけぬくぬくとしてられないわ」
 先ほどまでの雰囲気とは打って変わり、堂々と告げる。その声には強い意志が宿っていた。その決意に応えるように、リオは黙って顎を引く。
「あっちの君がこの時期に活動を始めたのは、偶然じゃないんだろう?」
「そうでしょうね。夏至は、あのひとの力が最も弱まる季節。あれが復活を望むなら、そこに付け込んでくることはわかっていたわ。でも、あの亡霊の復活を止める手立ても、見つける手段も私にはない。媒介になる誰かが必要だった。でも……それは、協力者をかつての私と同じ目に遭わせると言うこと。力も手段もない今の私に、確実に亡霊を倒せるだけの力はないもの。そんな危険なことを承知してくれる人はいない」
「それで、丁度良く表れた余所者の俺を選んだわけだ」
 リオが少し茶化すと、娘は怒って裸足で岩を蹴った。
「そうじゃないわよ。誰であれ、危険な目には遭わせたくない。あなたは本当に勝手に入り込んで来たんだから。闖入者の自覚はあるの?」
「うん。でも、俺としては喜んで協力するつもりだよ。ただ、あっちの君が代わりに消えてしまうのは、俺としては嫌なんだ。他の道も探りたい」
 リオの言葉に、娘は真顔に戻り、まじまじと彼へ視線を注いだ。
「あなた、前に、残ったものと残らなかったものの違いが知りたいって言っていたわよね」
「ああ」
「私に協力するつもりなら、それだけじゃ信用できないわ。あなたの本当の意図を教えて。あなたは何者? 何を得ることが目的なの?」
 娘の真剣な声音と眼差しに気圧されて、しばし逡巡すると、いつも持ち歩いている手帳を取り出した。紙は高級でないなら庶民にも手の届く代物だが、それを小さく分厚く誂える製法は一般にはあまり広がっていない。頁を広げると、そこには植物の造形だけでなく、羽や角を持つ異形の生命体の姿が、地図と共にびっしりと書き込まれていた。
「古代生物、と一般に呼ばれている生物群。その痕跡とされる魔法だけを残して消えた、長命で神秘的だったはずの、異形の生命たち。数百年前に起きた“大消失”と呼ばれている期間以降、その生存は確認されていない。でもその痕跡と記憶は、呼び名は違えど、世界中に残っている。この大陸だけじゃなく、南方大陸や、境界島嶼部、極北山脈の向こうでもね。俺は、各地に残るその古代生物の痕跡と記憶を、旅をしながら収集してる。完全に忘れ去られてしまう前に。だから、ここにはアンバル地方の竜の痕跡を探しに来たんだ」
 彼と彼の取り出した手帳を見比べ、娘は瞳を閉じる。やがて得心がいったのか、はたまた何かを諦めたのか、肩を落としながら大きく溜め息をついた。
「なるほどね。それならあなたのそのわけのわからない執念にも、魔術師並に目と耳が利くのにも納得がいくわ。記録が目的なら、危険も情報になりうるってこと。まったく割に合わない旅ね」
 リオは困ったように肩をすくめる。
「結構お金になることもあるよ。彼らの生命力で変異した魔法植物は高額で取引してもらえるし、魔力として利用されている力は古代生物たちの生命由来だから、情報という形で魔術師達への需要も高い」
「割に合わないのは命に対してよ。はぁ……やっぱり、変な人なのは間違いないわ」
 呆れた声に、少しむっとして返答する。
「変な人じゃなくて、リオっていう名前があるんだけどな」
 娘はそれを聞くと、目を見開いた。そして、今初めて思い出したように、身を乗り出して膝に頬杖をつくと、その上に顎を乗せてリオの瞳ををしげしげと覗き込んだ。
「そういえば、お互いにまだ名乗ってもいなかったのね」
 ぽつりとつぶやく。それから、紅の瞳が真っ直ぐこちらに向けられる。
「私の名前はシャナ。かつては旧き石狼の巫女にして、今はアンバル竜の残滓。どちらも半端にして果たせず、未だ死に切れぬ亡霊」
 はっきりと輝きを纏った視線。石のように固く、炎のように燃え盛る意志が、瞳の奥に宿っている。
「それでも、私に協力してくれるのかしら」
 リオは短く、しかしはっきりと首肯した。それから、少し躊躇いがちに少女を見上げる。
「これは記録のためじゃなくて俺自身の疑問なんだけど、一つ教えて欲しいんだ。君にとっては、人よりかれのほうが大事なのかい? 己の半身を消そうとすれば、君自身も無事では済まないだろうに、君にそうさせるだけの絆を、かれは作ったのか」
 何を当然のことを、とでも言いたげに、彼女は胸を張って答えた。
「私にとって、本当の家族になってくれたのはあのひとだけよ」
 しかし迷いなく言い放った後、彼女はすぐに顔を伏せると、睫毛を震わせた。そして様々な想いを全て融かし込んだ声音で、ゆっくりと付け足した。
「だけど、そう……過去に何があろうと、このアンバルデオロの町はとっくに……今でも、私の大切な故郷で、それから……本当じゃなくても、家族よ。あのひとは私を愛した。そして、この町と、そこに住む人々のことも愛していた。それだけよ。私は、そんなかれの想いも含めて、あのひとのことを愛していた。愛しているわ。今も。ずっと」
 俯いた彼女の髪を撫でるように、優しく風が森の枝葉を吹き抜けた。
「……ありがとう」
 彼女は少し悲しげに微笑むと、頭上の木をそっと撫ぜた。
 伝承によれば、金髪の娘が竜に赤い石を食べさせたのだという。
 それは、愛する者の死を悲しんでついには悪霊となった王女であり、街の為に身を捧げた聖女でもあり、ただ家族との約束を果たそうとする一人の少女の姿でもあったのだろう。
「さて、それじゃ、どうやって呪いに対抗するつもりなのか、あなたの意見を聞こうかしら」
 シャナの言葉に、リオは微笑み、口を開く。
 静かな森の中で、熾火は再び燃え出したのだった。
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