Encrucijada ―分かれ道―
リオの話を聞いた後も、娘は動揺した素振りを見せなかった。それどころか、小首をかしげると、少し挑発するように眉を上げ、呟くように尋ねた。
「それで? よそ者は出ていけとでも言う気?」
その問いに、リオは首を横に振った。
「いいや。時代と共に旧いものが新しくなっていくのは、世の理だよ。そもそも君たちも、これだけ土地に根付いていたら、もうよそ者とは言えないさ。ただ疑問なのは、今ではほとんど忘れ去られたはずの古い力が、どうして今になって、急に復活したのかということ。それと、竜はここにいないならどこに行ったのか、という疑問もまだ片付いていないしね」
手にした赤石を握り込むと、指を二本立てる。
「考えられる理由は二つ。ひとつは、誰かが古い信仰と伝承を復活させた。でも、俺はこっちの線は薄いと思う。だってこの伝承のことはもう誰も知らなかったしね。誰かがこっそりやろうとしたとしても、あの噂好きの町民たちが放っておくはずないんじゃないかな。
もうひとつは、古い力を抑えていた新しい力が弱まった、または薄まった。これなら、竜がとっくにどこにもいないことも、伝承が妙に分裂して残っていることも説明できる。君がずっとどこか焦っていることもね。
というのも、これは俺の知り合いが調べてくれたんだけど、唯一アンバルデオロの古代生物の記録がある文献には、『アンバルの竜は封印の竜としても知られ、年に一度その封印は解かれる』って書かれてるらしいんだ。なんでそう呼ばれてるのかまでは説明がないんだけれども。そこの部分まで書いてくれればよかったのに、不親切だよね。
竜が何を封印していたのか、これは推測の域を出ない。でも、伝わっている伝承をもう一度見返してみるなら、竜は『赤い石を飲み込んだ』わけだ。あるいは、『お姫様を閉じ込めている』と言い換えてもいい」
初めて、娘の眼が鋭くなる。それは無言の非難にも、苛立ちにも見えた。
「そこまでわかったのに、その石が危険なものだとは考えなかったわけ? 随分と片手落ちじゃないかしら」
リオは肩をすくめると、石を持った手を開いた。
「俺は魔力の有無は見抜けても、それがどういった性質のものなのかまでは見抜けない。魔力の扱いに関しちゃ専門外だ。土産物のお守りとしては普通だよ。恐らく、この石も元々は触媒みたいなものだったんじゃないかな」
魔力の本質はその場に残留した、あるいは取り残された生命力だ。リオは、娘と出会う前夜に聞こえた不思議な声のことを思い出していた。思い返せば、あの時から全てが始まったのだろうという気がする。
「この石に宿っているもの には、間違いなく意思がある。でも多分、自力では大きく動けない。君がこの森から遠く離れられないように。だからこれ は、森に行くためにわざわざ俺を選んだ。俺が辿ってきた石の跡は、君の乗っているその大岩、それに続いていた。封印が弱まって何らかの方法で抜け出したはいいが、洞窟は隠されていて見つからず、君の支配下にある森から遠ざかろうとしたんだろう。でも町にたどり着いた時、人々は古い信仰を忘れ、かつて祭壇があった墓所はとっくに別の建物が建てられていた。だから仕方なく、もう一方の力の源に近づこうとした、といったところじゃないかな。俺の助けを借りてその洞窟を見つければ、力を取り戻せると思ったんだろう」
リオはそこまで言うと、途方に暮れたようにしみじみと空を仰いだ。
「俺は自分の意思でこの森に来たと思っていたけれど。今となっては実際にはどれくらいが自分の意思だったのか、自分じゃわからないものだなあ。そもそも最初からすんなりこの広場を見つけられたのも、今思ってみればちょっと不思議だったしね。実は多少なりともこの石に操られていたのかもしれないと言われても、否定できる自信がないよ」
娘はそんなリオを見つめ、彼に聞こえないように小声で「ほんと、あきれた人」と呟いた。
「でも、ここまで洞窟に近づけば当然、君にも勘づかれる。君は俺と一緒にそれ がいることに気づいて、それ以上干渉しないように、俺を森から遠ざけたんだ」
リオの言葉を彼女はふんと鼻先であしらうと、傲然と豊かな金髪を背中に払った。そして横を向いたまま、ため息交じりに言った。
「どうりで探しても探しても見つからないはずよ。あなたが持っていたんですもの。迂闊だったわ。こういうことがあるから、なるべく人を森に入れないようにしていたのに。ものともせず入り込んでくる人がいるなんて、その時点で疑うべきだったわね」
「どうやって干渉する気なんだい? そもそも、君はどうしてあれを追ってる?」
「危険だからよ。あれは旧い信仰の残骸なんて大層なものじゃない、呪いを呪いで上塗りした禍々しさの集積そのもの。前にも、すでに呪いに耐え切れず狂っているの。もう、とっくにかつての意思を失ってる。封印するしかないわ。放っておけば力を取り戻すために、この土地から力を奪い、血を流させるわ。それは看過できない。たとえ私には干渉できないとしても」
「君はそれでいいの?」
リオの言葉に、娘はきっと目を細めたが、すぐに視線を逸らし、足元の岩肌を見つめた。そして下を向いたまま尋ねる。
「どうして?」
「俺は、ずっと考えていたんだ。あの狼が何者か、どうして俺の前に何度も現れるのか、俺に一体何を伝えようとしていたのか」
石像を除けば、リオが狼と出会ったのは、全部で三度。初日に森に迷い込んだ時、森から追い出された晩の夢の中、そして墓所の真上である修道院の小屋の中でだ。どの時も、リオにとってはこの町での調査の分岐点となる瞬間に、狼は夢に現に姿を現した。そしていつも狼は獣性だけでない、その奥から覗く知性を瞳の中に宿していた。何かを伝えようとしていた。
「魔力というのはすなわち、古く巨大な生命力の残滓 だ。そして、魔力を保有している生きた 古代生物は、ここ数百年の間、確認されていない。だから、あれは信仰対象である石の狼本体ではあり得ないんだ」
リオは重たい口を開くと、ゆっくりと、だが迷いなく、娘を直視した。真紅の燃えるような瞳、その中にある熱さと冷たさに、しっかりと目線を合わせた。
「今、ようやくわかった。あれも多分、何かを探していたんだ。君と同じ様に。あの狼は、己の姿を忘れて、彷徨っているみたいだった。それが、俺を媒介にして、ようやく見つけられたんだ。……君も、そうだろう? 力の根本が分かたれたから、見つけられなかったんだ……己の失った半身を」
石を封じていたはずの竜の力を持つ彼女が石を見つけられず、石の力に干渉できないのなら、逆も然りということになる。まるで鏡写しのように。そして、この土地に二つあった信仰は、どちらもこの丘を起点にしている。
なぜ、もっと早くに気づかなかったのだろう。答えはずっと目の前にあったのに。
「君は、元からその力を持っていたわけじゃない。竜の純粋な眷属なら、竜の死後もこんなに長く力を保つのは不自然だ。その前 があったはずだ。竜によって分かたれ、生まれ変わる前の。つまり……あの狼は、君自身でもある」
「それで? よそ者は出ていけとでも言う気?」
その問いに、リオは首を横に振った。
「いいや。時代と共に旧いものが新しくなっていくのは、世の理だよ。そもそも君たちも、これだけ土地に根付いていたら、もうよそ者とは言えないさ。ただ疑問なのは、今ではほとんど忘れ去られたはずの古い力が、どうして今になって、急に復活したのかということ。それと、竜はここにいないならどこに行ったのか、という疑問もまだ片付いていないしね」
手にした赤石を握り込むと、指を二本立てる。
「考えられる理由は二つ。ひとつは、誰かが古い信仰と伝承を復活させた。でも、俺はこっちの線は薄いと思う。だってこの伝承のことはもう誰も知らなかったしね。誰かがこっそりやろうとしたとしても、あの噂好きの町民たちが放っておくはずないんじゃないかな。
もうひとつは、古い力を抑えていた新しい力が弱まった、または薄まった。これなら、竜がとっくにどこにもいないことも、伝承が妙に分裂して残っていることも説明できる。君がずっとどこか焦っていることもね。
というのも、これは俺の知り合いが調べてくれたんだけど、唯一アンバルデオロの古代生物の記録がある文献には、『アンバルの竜は封印の竜としても知られ、年に一度その封印は解かれる』って書かれてるらしいんだ。なんでそう呼ばれてるのかまでは説明がないんだけれども。そこの部分まで書いてくれればよかったのに、不親切だよね。
竜が何を封印していたのか、これは推測の域を出ない。でも、伝わっている伝承をもう一度見返してみるなら、竜は『赤い石を飲み込んだ』わけだ。あるいは、『お姫様を閉じ込めている』と言い換えてもいい」
初めて、娘の眼が鋭くなる。それは無言の非難にも、苛立ちにも見えた。
「そこまでわかったのに、その石が危険なものだとは考えなかったわけ? 随分と片手落ちじゃないかしら」
リオは肩をすくめると、石を持った手を開いた。
「俺は魔力の有無は見抜けても、それがどういった性質のものなのかまでは見抜けない。魔力の扱いに関しちゃ専門外だ。土産物のお守りとしては普通だよ。恐らく、この石も元々は触媒みたいなものだったんじゃないかな」
魔力の本質はその場に残留した、あるいは取り残された生命力だ。リオは、娘と出会う前夜に聞こえた不思議な声のことを思い出していた。思い返せば、あの時から全てが始まったのだろうという気がする。
「この石に宿っている
リオはそこまで言うと、途方に暮れたようにしみじみと空を仰いだ。
「俺は自分の意思でこの森に来たと思っていたけれど。今となっては実際にはどれくらいが自分の意思だったのか、自分じゃわからないものだなあ。そもそも最初からすんなりこの広場を見つけられたのも、今思ってみればちょっと不思議だったしね。実は多少なりともこの石に操られていたのかもしれないと言われても、否定できる自信がないよ」
娘はそんなリオを見つめ、彼に聞こえないように小声で「ほんと、あきれた人」と呟いた。
「でも、ここまで洞窟に近づけば当然、君にも勘づかれる。君は俺と一緒に
リオの言葉を彼女はふんと鼻先であしらうと、傲然と豊かな金髪を背中に払った。そして横を向いたまま、ため息交じりに言った。
「どうりで探しても探しても見つからないはずよ。あなたが持っていたんですもの。迂闊だったわ。こういうことがあるから、なるべく人を森に入れないようにしていたのに。ものともせず入り込んでくる人がいるなんて、その時点で疑うべきだったわね」
「どうやって干渉する気なんだい? そもそも、君はどうしてあれを追ってる?」
「危険だからよ。あれは旧い信仰の残骸なんて大層なものじゃない、呪いを呪いで上塗りした禍々しさの集積そのもの。前にも、すでに呪いに耐え切れず狂っているの。もう、とっくにかつての意思を失ってる。封印するしかないわ。放っておけば力を取り戻すために、この土地から力を奪い、血を流させるわ。それは看過できない。たとえ私には干渉できないとしても」
「君はそれでいいの?」
リオの言葉に、娘はきっと目を細めたが、すぐに視線を逸らし、足元の岩肌を見つめた。そして下を向いたまま尋ねる。
「どうして?」
「俺は、ずっと考えていたんだ。あの狼が何者か、どうして俺の前に何度も現れるのか、俺に一体何を伝えようとしていたのか」
石像を除けば、リオが狼と出会ったのは、全部で三度。初日に森に迷い込んだ時、森から追い出された晩の夢の中、そして墓所の真上である修道院の小屋の中でだ。どの時も、リオにとってはこの町での調査の分岐点となる瞬間に、狼は夢に現に姿を現した。そしていつも狼は獣性だけでない、その奥から覗く知性を瞳の中に宿していた。何かを伝えようとしていた。
「魔力というのはすなわち、古く巨大な生命力の
リオは重たい口を開くと、ゆっくりと、だが迷いなく、娘を直視した。真紅の燃えるような瞳、その中にある熱さと冷たさに、しっかりと目線を合わせた。
「今、ようやくわかった。あれも多分、何かを探していたんだ。君と同じ様に。あの狼は、己の姿を忘れて、彷徨っているみたいだった。それが、俺を媒介にして、ようやく見つけられたんだ。……君も、そうだろう? 力の根本が分かたれたから、見つけられなかったんだ……己の失った半身を」
石を封じていたはずの竜の力を持つ彼女が石を見つけられず、石の力に干渉できないのなら、逆も然りということになる。まるで鏡写しのように。そして、この土地に二つあった信仰は、どちらもこの丘を起点にしている。
なぜ、もっと早くに気づかなかったのだろう。答えはずっと目の前にあったのに。
「君は、元からその力を持っていたわけじゃない。竜の純粋な眷属なら、竜の死後もこんなに長く力を保つのは不自然だ。その
