chapter1 ヤバイシティー
学校から来たルートとは別の道を通った方が、住宅街への近道になっていることを知ってるサミュエルは、カフェを出て建物のすぐ横の細い路地を通って帰ることにした。
大通りに比べ、外灯は少なく人通りも殆どない。
女性を連れて歩くには少々物騒と言えば物騒だが、最短ルートの魅力に抗うことは難しい。
いざという時は二人の用心棒くらいにはなれるという過信もあった。
カフェの横の路地を通ると屋外用の大きなダストボックスや勝手口があり、そこから雑居ビル特有の鉄骨で出来た折り返し階段が見える。
表からは分からないが、この建物は恐らく三階建てで、店舗である一階を除き、二階から上がメアと家族の居住スペースとなっているのだろう。
その横を通過して暫く進むと今度はちょっとしたトンネルに出くわす。
トンネルと言っても五十メートル程の短いものだが、照明は中央にたった一つしかなくぼんやりと薄暗い、昼間でも敬遠したくなるような古びたトンネルだった。
サミュエルは二人が並んで仲良くお喋りしている前を先導するように歩いた。
やがて中央の明かりに差し掛かる手前で何者かが座り込んでいるのに気付いた。
一瞬、ぎょっとして立ち止まったが、その正体はだらしのないボサボサの髪に、伸びきった髭、色落ちしたような見すぼらしい服装の中年男で、片手には酒瓶の首部を握ったまま地べたで壁に凭れて眠っている。
推測するに酔っ払いのホームレスのようだった。
クロエとルーナに緊張が走る中、サミュエルは背後の二人に視線を送ると、口元に人差し指を当てて、「しーっ」と声を潜めてから、手のひらを上に向けて指を曲げるジェスチャーで「行こう」と合図を送った。
万が一、酔っ払いに絡まれでもしたら厄介だが、幸いにも相手は眠っている。
三人は起こさないようにそっと横を通り過ぎることにした。
無事にトンネルを抜け、三人がホッと一息ついたその直後だった。
「うわぁあああ!」という男の悲鳴がトンネル内に響き渡った。
三人は驚いて背後のトンネルへと振り返った。
「な、何っ?」
クロエは思わずサミュエルの背後に回って身を固くした。
「さっきの方の声でしょうか?」
ルーナも心配そうな顔で身構えている。
「ちょっと見てくる。危ないからここにいて……」
サミュエルは二人にそう言うと再びトンネルの中へと覗き込むように入った。
中央の仄暗い照明に照らされてぼんやりと人影が浮かび上がっている。
ものの輪郭がはっきりとしないが、人影は天を仰いで立っているように見える。
位置的にも先程のホームレスに間違いないようだったが、何か様子がおかしい。
体の軸が定まっていないかのようにフラフラと動いているのだ。
酔っているのとは違う、何かに操られているかのような、そんな動きだった。
「おっちゃーん、どうかしたーっ?」
遠くから声を掛けてみる。
すると、先程までユラユラと揺れていた男の身体がピタリと止まった。
そして天を仰いでいた顔がゆっくりと下り、サミュエルを見据えた。
その目は赤く獣のように光っている。
直感で〝人〟ではないと感じた瞬間、男が唸り声をあげて突進してきた。
「わっ、何だ、コイツ!」
サミュエルは襲い掛かってくる男の動きを躱すように横に跳んで避けた。
標的を見失った男は立ち止まり、尚も獣のようにグルグルと唸っている。
そしてゆっくりと振り向き、間合いの外に立つサミュエルを視界に捉えた。
単純な動きだ。
思考も鈍そうだし、これなら素手でも倒せる。
ライラスに比べたら、楽勝だ。
そう感じたサミュエルは、僅かに腰を落として足の重心を定めて戦闘態勢を取った。
次に動いた時に仕留めようという算段だ。
しかし、再度、男が唸り声を上げ襲い掛かってきたところで、別の悲鳴がトンネル内に響き渡った。
「きゃぁああああ!」
心配して様子を見に戻ってきたクロエとルーナが、まさにサミュエルが男に襲われてるところを目撃したからだ。
(マズい……っ!)
男が標的を二人に変更しないよう、サミュエルは素早く相手の懐に飛び込んで捨て身のタックルをした。
男は「うごっ‼」という呻きと共に地面へと仰向けに倒れ込んだ。
すかさず男の体を反転させて両腕を後ろに捻じり上げて抑えつける。
男は俯せで身動きできず苦痛に呻いた。
「ちょっと、大丈夫なの? 何があったの?」
「お怪我はありませんか?」
相手が抵抗できなくなってるところで二人は恐る恐る近付いてきた。
「分からない、いきなり襲ってきたんだ」
サミュエルは男の背中の上に乗ったまま両手と片膝でしっかり体重をかけて相手の両腕を抑え込んで言った。
徐々に男の体から力が抜けていくのを感じる。
「取り敢えずこの人どうする? 警察呼ぶ?」
言いながらサミュエルは改めて男の顔を覗き込もうとした。
ーー次の瞬間。
男がゴポッと音を立てて口から何かを吐き出した。
黄色いゼリー状のものだ。
「うわっ!」
気持ち悪さに思わずサミュエルは男の体から飛び退いた。
吐き出された黄色いゼリーは、まるで意思を持った生き物のように、地面の上でブニブニと蠢いている。
「な、何なのよ……これ……」
気味の悪い物体を目の当たりにした三人はクロエの言葉と共に後ずさりをする。
「う、うぅ……ん」
ゼリーを吐き出した男は寝起きのような声を上げて、自由になった半身をムクりと起こした。
そして空気が読めていないのか、緊迫した様子の三人に場違いな言葉を掛けた。
「何だ? お前ら。ここは何処だ?」
どうやら事情を全く把握していないようだ。
その僅か一瞬で、サミュエルは男に気を取られてしまった。
その隙を衝いたように、謎の物体が素早い動きで跳ね上がり、照明の光が届かぬ真っ暗闇へと姿を消した。
(しまった……っ‼)
見失ったことで形勢不利となり、不意を衝かれて襲われる危険に緊張が高まる。
サミュエルは反撃に備え周囲を警戒した。
不利な状況で尚且つ皆を守らなけれなならない。
背後ではクロエとルーナが身を寄せ合っていた。
だが、予測に反して、それっきり何事も起こらなかった。
謎の物体は闇に紛れて何処かへと逃げたようだった。
「あーっ……たく。何でこんなに体が痛いんだ? 転んだのか? 腕が特に痛ぇ。ちくしょう。また酔ってこんなとこで寝ちまったのかぁ? 俺は」
相変わらず状況を理解していない男は、サミュエルに攻撃されたことも知らず、立ち上がるとブツブツと独り言を言いながら覚束ない足取りで歩き出した。
まるで何事も無かったかのように。
「あの方、何も覚えていない様でしたわね……」
ルーナはきょとんとした顔で、何となく手を振りながら男の背中を見送った。
「……逃がして良かったの?」
クロエの問いは謎の物体に対してか、男に対してか、恐らくはその両方だろう。
謎の物体が吐き出された場所をじっと見つめたままサミュエルは呟いた。
「やっぱり……夢じゃなかった」
質問と違う言葉が返ってきてクロエは眉を顰める。
「どうしたの?」
少し様子のおかしいサミュエルにクロエは声を掛ける。
意を決したようにサミュエルは顔を上げて二人に言った。
「昨日も僕は襲われたんだ」
「えっ……?」
驚く二人に構わずサミュエルは話を続ける。
「色は緑色だったけど同じ……スライムみたいなヤツだった」
「どういうこと?」
「分からない」
同じやつなのか、まだ別の個体が複数いるのか。
そして、人に寄生するモノならば何故、自分は無事なのか……?
分からないことだらけだ。
「ただ――」
サミュエルは一呼吸おいてから、言った。
「――この町に僕らの知らない『何かがいる』ってことだ」
衝撃の事実を目の当たりにし、三人はただ愕然とするばかりだった。
《chapter1・終》