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chapter1 ヤバイシティー




トレーニングルームを後にすると、サミュエルはいつものようにバスルームへと直行し、頭から被るようにシャワーを浴びて汗を流した。

 結局あれから小一時間ライラスに挑んだが、一勝も出来ずに稽古を終えた。

 いつものことだが、やはり悔しい。

 まだまだ自分はライラスには敵わないのだといつも痛感させられる。


 パジャマに着替えるとサミュエルはバスルームを出てベッドに向かった。

先にトレーニングルームを出て既にシャワーも済ませていたライラスが枕を背に優雅に本を読んでいたが、サミュエルがベッドの中に入ってきたのを目で確認すると習慣のように本を閉じルームランプを消した。

 キングサイズのベッドは、男二人が寝ても十分な広さがあった。

 幼少の頃からの習慣で未だにベッドを共有していてもサミュエルは違和感を感じることも抵抗も無く寝ていた。


「十年、か……」

 部屋の明かりが消え、窓から差し込む青白い月明りだけが差し込む中、仰向けで天井を見上げながら突然ぽつりとライラスが呟いた。

「……どうしたの?」

 不思議に思い、それまで背を向けて寝ていたサミュエルも仰向けに転がって隣にいるライラスを横目で見た。

「いや、短かったのか、長かったのか、どっちなのかな、ってね……」

「何それ」

 呆れたように笑ってサミュエルはそう返した。

 十年……というのは、サミュエルが強盗に家族を殺されてライラスに引き取られてからこの家で今日まで過ごした年数のことだ。


 クリスマスの夜、強盗が突然、家に押し掛け両親を銃で殺された。

 その時、サミュエルは『隠れんぼ』をしてクローゼットの中に隠れていたことで強盗に見付からず被害を免れたが、クローゼットの隙間から見た凄惨な光景は今も脳裏から離れない。

 クリスマス時期になると未だに悪夢で魘される程だ。

 あの時、何が起こったのか理解出来ず、サミュエルは恐怖で動けなかった。

 犯人が逃げた後、銃声を聞いた近所の通報により警察が駆けつけてサミュエルは救出され保護された。

 その時の流れはあまり覚えていない。

 泣くことはなかった。

ショックが大き過ぎて放心状態だったという。

 周囲の大人たちは皆、口々に言う。

 ーーお気の毒に。

ーー可哀想に。

ーー元気を出して。

ーー頑張って。

ーー困った時は力になるから。

ーー貴方だけでも助かってよかった。

 葬儀が終わり、墓の前で立ち尽くしているところに男が現れた。

 参列者の一人だったのか、サミュエル同様、黒の喪服に身を包んでいた。

『……君の気持ちはわかるよ』

 そう言って背後からそっと左肩に手を触れた。

 墓を見つめたまま反応しないサミュエルに構わず、男は続けた。

『悔しいんだろう? 理不尽に人生を奪われて。何より無力だった自分が……』

 サミュエルはぼんやりとした顔を上げ、ようやく隣に立つ男を見た。

 その人物は不思議と安心感を覚えるエメラルドの穏やかな瞳で微笑んでいた。

 まるで心が読めるかのように的確な男の言葉に、サミュエルは『運命』のようなものを感じた。

『僕の名はライラス。良かったら一緒に来ないか?
 僕なら君が求めているものをあげられる……』

 差し伸べられた手を取ることに躊躇はなかった。

 そして、誘われるまま、導かれるままに男に付いて行った。

 あれから十年、である。


「サミュエル……君は本当に良い子に育ってくれたね。
僕の教えることは何でも全て吸収した。
もう何も教えることはないよ。
誰よりも賢く、強く、オマケに見目も良い。
君の成長を見る事が出来て僕は本当に良かったと思ってるよ」

「何だよ急に……気持ち悪い」

 ライラスに突然褒められてサミュエルはむず痒くなった。

 確かに身体能力では人よりもずば抜けているとは思っているが、稽古ではライラスに未だに勝てないし、勉強だって学年トップとはいえ、クロエと並んでいる。

 自分の伸びしろはまだまだあるし、もっと教わりたいことが沢山ある。

「ねえ、それより面白い話をしてよ、久々にさ」

 話題を変えようと、サミュエルは幼少の頃によくこうしてベッドで寝る前に聞かされていた『物語』を催促した。

 子供のようにねだるサミュエルにライラスはクスリと笑みを浮かべた。

「……そうだね、どんな話がいい?」

「何でもいいよ、エジプトの物語でもローマでも」

 それはライラスが自身の『実体験』として語る冒険物語である。

 実体験と言ってもサミュエルはそれを信じてはいない。作り話に決まっている。

 何故なら、その物語では、ライラスは『不老不死』であり、『タイムトラベラー』ということになっているからだ。

 それでも、その物語は他のどんな本よりも聞くに値するほど面白いものだった。

 サミュエルがタイムトラベラーになりたいのもライラスの物語の影響である。

 その物語の中のライラスは世界の様々な時代や場所に行き、時の権力者に深く関わり、時にはただ傍観をし、気が遠くなるほどの長い長い歴史を見ていた。

 ライラスが語るものは史実とされる通説とはまるで違うものも多く含まれていたが、即興で作った話にしてはその目で直に見ていたかのように詳しく、真実味を帯びており、考えれば考える程、矛盾も無く歴史の舞台裏の見えなかった部分まで一本の線で全てが繋がるような、そんな話だった。

 固定観念を破壊するような斬新な発想は、想像力が掻き立てられ、視野も広がり頭のトレーニングをしているようで面白かった。

最高のフィクションである。

 作家にでもなって本を書けばいいのに、と思うが本人にその気はないらしい。

 そもそも、ライラスは何の仕事をしているのかサミュエルは知らなかった。

 朝、ライラスに玄関で見送られ、学校が終わり、帰宅する頃には既にライラスは家にいて夕食が出来上がっている。

その間に、何をしているのかは知らない。

もしかしたら出掛けてさえいないのかもしれない。

 ライラスは何も話してはくれないが、経済的に困ったことは一度もないので、これまでサミュエルもあまり追及はしなかった。

(もしかして、本当に現代人じゃなくて『タイムトラベラー』だったりして……)

 耳に心地良いライラスの声を聞きながら、サミュエルはそのような考えが過り思わず笑みを零すと、次第に稽古の疲れからか、瞳を閉じて眠りについてしまった。

 スヤスヤと寝息を立てているサミュエルに気付くと、ライラスは話をやめ、慈愛に満ちた穏やかな目でその寝顔にそっと指先を伸ばした。

頬に掛かった髪を耳の裏に梳かすように優しく撫でてから、誰に言うでもなく、ぽつりと呟いた。

「……そろそろ、かな」





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