chapter1 ヤバイシティー
サミュエルには帰宅後、毎日行う日課があった。
それは体を鍛える為のトレーニング。
養子として引き取られた五歳の時からずっと、サミュエルはライラスにあらゆる武術をその身に叩き込まれていた。
武術だけじゃなく生きる為に必要なあらゆる知識や技術もすべて仕込まれた。
常に最悪に備えるべきだというライラスの教えにサミュエルも賛同していた。
何かが起こった時、何かを守る時、何かと戦う時、立ち上がらなければならない時、その必要な時に力や能力が無ければ何も成すことはできない。
そしてそれらの力は一朝一夕で身に付くものではないのだ。
日々の努力なくして己を高めることは出来ない。
その点においてサミュエルはライラスに感謝していた。
クリスマスの夜、家族が強盗に殺された時、サミュエルは五歳で無力だった。
もう二度とあの時のような思いをしないで済むよう強くあろうと心に誓った。
動きやすいトレーニングウェアに着替えたサミュエルは、ライラスと共に地下の階段を降りトレーニングルームへと移動した。
この家は一見だだっ広いワンルームだが地下にトレーニング室が備わっていた。
トレーニングマシーンをはじめ、マットや体操などで使うような高い鉄棒なども揃っているが、それらを使う時は一人で自主的にやる時だけで基本的には何もない空間でライラスに直に武術の稽古を付けてもらうのがいつもの習慣だった。
サミュエルは壁に立て掛けてあった背丈ほどの棒を手に取ると、頭上で一度クルクルと回す仕草をしてからスッと前方のライラスへと構えて向き合った。
「今日こそ勝ってやる」
意気込むサミュエルを見てライラスは瞳を閉じてクスリと笑った。
その柔らかく落ち着いた表情は絶対的な自信の表れでもある。
その余裕の笑みをいつか必ず崩してやるとサミュエルは常々思っている。
いつか、という言葉で察する通り、まだ一度もライラスに勝ったことがない。
「サミュエル、僕はいつでもそれを望んでいるよ。
君がもっと強くなって僕を超えてくれるのをね……」
慈愛に満ちた穏やかな瞳でそう告げるとライラスは静かに、壁に立て掛けていた細い棒を手に取った。
カンカンと激しく打ち合う音が響き渡っている。
サミュエルが間合いに踏み込んでから棒を振り回し、一方的に攻撃を仕掛けているものの、ライラスは穏やかな表情を崩すことも無く、流れるような動作と最小限の動きだけでそのすべての攻撃を交わしていく。
それでも逃すまいと振り翳したサミュエルの棒もライラスの棒で静かに受け止められ、最後は力で弾かれた。
手の届かないところまで飛ばされた棒が床へ落ち、カランと虚しく音を立てる。
そして無防備になったサミュエルの肩に上から容赦なく棒が叩きつけられた。
小さく呻いて膝が頽れたところで、ライラスは四つん這いで項垂れるサミュエル
の首筋の横に棒を突き立てた。
――勝負あり、である。
「まだまだ甘いねサミュエル……」
崩すことのない微笑を携えたまま、ライラスは未だ床に手を突いたまま肩で息をしているサミュエルを見下ろして言った。
すると悔しさを滲ませた不満げな表情でサミュエルは顔を上げて言った。
「……僕はもう十分強くなった。ライラス以外には負けないよ」
小柄で細身の身体からは想像付かない程のずば抜けた身体能力を、サミュエルは
既に持っている。
特に棒術を得意とし、身の軽さを生かした跳躍や俊敏さにも優れていた。
それを見い出し、そう育てたのはライラスだ。
暴漢を同時に複数人相手にしても負けない自信がある。
「でも、『化け物』を前に身動き一つできなかったんだろう?」
ライラスはクスリと意地の悪い笑みを零して言った。
「あ、あれは夢だって、ライラスが言ったじゃないか……!」
都合の悪い指摘をされサミュエルは顔を真っ赤にして反論した。
「でも、たとえ夢でも、『油断』したことに変わりはない。
油断こそが命取りだよ、サミュエル。
どんなに鍛錬を積んでも、一瞬の油断で全てが終わる」
ライラスは話し終えると床に突き立てていた棒をスッと己の傍らに引っ込めようと手を緩めたが、その一瞬の隙をサミュエルは見逃さなかった。
目にも止まらぬ速さで四つん這いだった姿勢から片腕だけで体重を支えて、体を滑り込ませるように捻って足払いをするようにライラスの棒を蹴り飛ばした。
カランカランと音を立てて棒が遠くへと転がる。
「……こういうこと?」
低い体勢のままサミュエルは悪童のような笑みを浮かべてライラスを見上げた。
武器を失ってもなお動じることなく、寧ろその挑戦的な目を向けるサミュエルにライラスは満足したように笑みを浮かべた。
サミュエルは元々負けず嫌いで、まだ勝負を諦めてはいないようだ。
ライラスもサミュエルのそういうところが鍛え甲斐もあり気に入っている。
それならばもう少し稽古に付き合おうかとライラスは思った。