闇に散る華
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窓から射す淡い光を感じた監督生は心地よい微睡みから徐々に意識を浮上させる。瞼を薄く開けば、目の前には愛しい恋人が静かな寝息を立てていた。
整った顔立ちは見様によっては同性に見えなくもない。しかし、筋肉質な二の腕や規則正しい呼吸で上下に動く鍛え上げられた上半身は紛う事なく男性そのものである。
ぼんやりする意識の中暫くジャミルを見つめていたが、視線を落とした先に見えた露わとなった自らの肌に残る充血痕を認識すると徐々に思い出される淫らな行為に顔に熱が集まるのを感じた。
薬により強制的に引き起こされた発情期。欲に溺れ本能のままに欲しがった初めては思い返してみると、とてもロマンチックと言えたものではなかった。それに、初っ端からアブノーマルな体験をするなんて微塵も思わなかった。
普段冷静でクールなジャミルからは考えられないくらいの情熱的な営みは思考を蕩けさせるように甘く、なにも考えられなくなる程の強すぎる快感は暴力的で身も心も全て支配されたようだったが、終始愛はしっかりと感じられた。
出会った時からいつも守ってくれた大切で愛しい人と愛し合えたのが嬉しいと思える反面、未だに番になった実感が湧かない。
「(そう言えば、あの時……)」
“初日”ーー番になった瞬間の事を思い返して指先で項に触れれば感じる噛み痕に特別な関係になったのだと改めて実感すると、嬉しいのと愛しい気持ちで胸がきゅんと狭くなった。
「(ジャミルさんよく寝てる…、ずっと付き合ってくれたんだもんね)」
期間中一緒に過ごしたジャミルの寝姿を見たことがなかった監督生にとってその姿は貴重なものであった。普段の大人びた表情の彼とは裏腹に寝顔は年相応で可愛いと思えた。
もっと近くで見てみたい。そう思い体を動かした瞬間腰部に感じたことのない鈍痛が走り、思わずシーツを握り締めた監督生は顔を顰めた後一番痛みを感じた箇所を庇うようにさすった。
発情期の間は愛される幸せと強すぎる性欲で気にもしなかったのだが、ずっと抱かれ続けた体は腰を中心に重怠く感じて無理に動かそうとすれば鋭い痛みが走った。
暫くはベッドとお友達になりそうだ。そう悟った監督生はなんとか体の向きだけは変えようとしたのだが。
体を動かそうならば抱き締められるようにして回された腕の力がぐっと強くなった。まるで離さないと言われているようで、その力強い抱擁に心臓が強く跳ね上がった。眠っているため無意識にされたその行動は非常に嬉しいのだがその反面、肌が更に密着するのが恥ずかしくて頭の中はパニック寸前であった。
監督生の心中など露知らず、ジャミルは収まりの良い所を探すようにもぞもぞと動き…やがて落ち着いたのか動きが止まった後で再び寝息が聞こえてきた。
胸元に埋まる黒髪を見つめる監督生は少し恥じらいの表情を浮かべた後、そっとジャミルを抱き締めて頭に頬を寄せる。
「大好きです、ジャミルさん」
小さく囁いた愛の言葉に返事はないけれど、幸せに満たされた監督生は再び眠りに就いた。
「…、……」
満足感と安心感に包まれて久しぶりによく眠ったジャミルは、ふっと目を覚まして二、三度瞬きを繰り返す。
深呼吸をすれば、優しく甘い匂いが鼻腔を擽る。覚醒しきらない頭の片隅でそれが最愛の彼女のものだと認識するとこの上ない幸せを感じた。
今思い返してみれば一週間、あっという間だった。リドルの調合した媚薬のせいで監督生は発情期を迎えてしまったわけだが、それがきっかけで心の奥底に仕舞い込んだ想いを伝えて晴れて監督生と番になれた。
Ωの性に翻弄され、欲に溺れながらも何度も名前を呼ばれて健気に受け入れてくれた監督生が堪らなく愛しくて、本能のままに何度もその身を貪るように抱き続けた。
強烈なフェロモンに当てられて最初は抑止出来ずに監督生を抱き潰してしまっていたが、回数を重ねるに連れてヒートに波があるのが分かり少しずつ監督生のペースに合わせて理性をコントロール出来るようになった。
求められるがままに抱く日もあれば、甘く蕩けるように時間をかけてたっぷり愛する日もあった。
徐々にクリアになる意識。顔に当たる柔らかな感触に顔を少し離せば、双丘に埋まる形で眠っていたのに気が付く。そしてよくよく見てみれば、逃がさないように華奢な体に腕を回して、脚もしっかり絡ませているではないか。
いつからこの体勢で眠っていたのか。無意識だとしてもがっつきすぎるだろうとなんだか居た堪れない気持ちになる。
体勢を変えるため監督生を起こさないように体をゆっくり動かしたつもりだったが、僅かな動きが刺激となったのか小さく身じろいだ監督生が薄く目を開き、瞳にジャミルの姿を映した。
「……じゃみる、さ……」
「すまない、起こしてしまったな」
「……、どこにも、いかな…で」
掠れた声を出した監督生はジャミルが動いたことでできた隙間を詰めるように胸元に頭を擦り寄せる。そうすると体が密着して安心したのか、すー…と深く息を吸い込む音がして少ししてから再び静かな寝息が聞こえ始めた。
今ジャミルが動けば監督生をまた起こしてしまうだろう。それは可哀想だからこのまま一緒にいたいと思う反面、いつもの日常に戻りカリムの身の回りの世話をしなければと従者としての責務を天秤にかける。しかし、起きた所でその時間は普段と比較すればとうに過ぎているわけで。
それに、監督生が授業に出られるか。恐らく初めての発情期を終えて足腰が立たない状態だろう。長時間の座学はきっと辛いに違いない。飛行術は魔法が使えないため
ーー…と、なれば。
ジャミルはベッドサイドの棚の上に置いていたスマホを取って目的の人物にメッセージを送り、既読の通知が付いたのを確認してから電源を切った。
「(これで良し、と。……俺も随分変わったな)」
少し前ならきっと監督生ではなく
初めて見た瞬間から恋に落ちて、運命の人と分かっているのに恋焦がれる彼女は異世界から来た人。いずれ元の世界に戻るのなら一緒になるのは叶わないから諦めようとした想いは思わぬ形で伝わり、愛し合い、腕の中で眠る愛しい人と番になれた。監督生の項に残る痕を見る度に幸せに満たされるのと同時に、守ってやらないと、という使命感が強くなる。
そして何かを決心した顔付きになり、ベッドサイドの棚を開けてその中から小箱を取り出した。
カパ、と箱を開けるとそこにはバイパー家を表す蛇の紋章が刻まれたシルバーのイヤーカフが入れられていた。これは自身がαだと判明してから作った物で、入学後に両親から在学中にもしもの事があればと送られてきた物であった。
その時には使うわけがないとこの棚の奥に仕舞い込んだのだが、まさか在学中にこれを贈る人が出来るなんて一体誰が想像出来ただろうか。
気持ち良さそうに眠る監督生の耳を隠す髪を指でそっと掻き分けてイヤーカフを装着する。起きた彼女がこれを見てどう反応するのか、想像してにやけそうになるのをグッと堪えた。
「君は俺だけの…、……愛してる」
今度こそ監督生を起こさないようにそっと抱き寄せて、前髪を掻き分けて額に唇を寄せる。間近に見る監督生が心なしか嬉しそうに見えて、ジャミルの口角は自然と上がった。
明日にはいつも通りの日常に戻る。二人きりで過ごす時間は暫くお預けになるため、もう少しだけこの幸せに浸っていたいと思いながらジャミルは穏やかな顔で監督生の寝顔を見つめるのだった。
-------……………
------……………
数時間後。
僅かに聞こえる物音に監督生は重い瞼をゆっくり開けて目の前に広がる濃紺のシーツをぼーっと見つめた。少し視線を逸らせば見える窓の向こうの空は橙色に染まり今が夕方である事が分かった。
息を深く吸い込むと大好きな人の匂いに少し遅れて甘い匂いがふわりと漂ってきた。それにつられた監督生が体を起こすと、ベッドに体を預けるようにしてクッションに座って本を読んでいたジャミルがその気配に気付いて振り向いた。
ぱち、と重なった視線になんとなく気恥ずかしくなって逃げるように監督生が俯けば、素肌だと思っていた体には服が着せられていた。自身の体格より大きいそれはジャミルの私服で、まるで彼に包まれているようで嬉しくて胸がキュッと狭くなったのと共に照れ臭くて顔に熱が集まるのを感じた。
「よく休めたか?」
難しそうな内容の本に落としていた視線が自分へと向けられている。ジャミルの優しい声音に小さく頷けば、「それならよかった」と言葉が続いた。
「そろそろ起きる頃だろうと思って……、口に合えばいいが」
甘い匂いの正体はホットチャイ。渡されたマグカップはじんわり温かくて淹れて間もない事が分かった。
一口飲み込むとこっくりとした甘さが口いっぱいに広がった。そういえば以前、熱砂の国の飲み物には砂糖が入っているものが多いのだと教えてもらったのを思い出した。
今まで飲んだ飲み物の中で一番甘いが嫌な甘さではないし、寧ろ一週間ろくに食事を摂っていなかった監督生にとってはとても美味しく思えた。
「あの、授業って今日からでしたよね。すみません、私が起きれなかったばかりに…」
「別に、俺が勝手に判断しただけだから監督生は気にしなくていい」
「……でも」
「ほら、早く飲んでしまわないと冷めるぞ」
それからは何も言わずマグカップに口を付けた監督生を見たジャミルは、監督生が飲み終わるのを待つように再び本を読み始めた。
「……美味しかったです、ご馳走様でした」
「そう言ってもらえてよかった。他に食べたい物があれば遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます。……あの、とりあえず顔洗ってきます。洗面所借りますね」
足腰がしゃんとせずふらふらしながら歩いて洗面所に向かう監督生を見送ったジャミルだったが、やはり覚束ない足取りを心配して後を追えば、今にも泣き出しそうな顔をしている監督生と鏡越しに目が合った。
どうやら掻き上げられた髪から覗くイヤーカフの存在に気付いたらしい。
「これって……」
「ああ、それはーー…」
「私、αになっちゃったんですか……?」
「……え?」
なんだか想像していた反応と違うと思いつつ理由を問えば、αの生徒はイヤーカフを付けているからだと返答された。
確かに以前監督生にその事だけを説明していてその続きを言っていなかったのを思い出したジャミルは説明するより実物を見てもらった方が早いと判断したのか、監督生が見やすいように下ろしていた自身の黒髪を耳に掛けてみせた。
「番になった証としてαはΩに贈り物をする。どんな時でも傍にいて命をかけて守り、愛することを誓って……」
ジャミルの左耳には以前付けられていた他のαの寮生と同じイヤーカフではなく、鏡に映っている監督生の右耳に付けられたのと同じ物であった。
それを見た監督生はその意味を理解して目を見開き、涙で滲んだ視界のせいでジャミルが見えづらくなりながらも震える足で彼に歩み寄った。
ジャミルさん、と名前を呼ぶ前に腕を掴まれて引き寄せられ、そっと優しく抱き締められる。服越しに伝わる力強い鼓動がいつもより速く感じるのはジャミルも少なからず緊張している証拠で、それが分かると監督生の胸中は愛しい気持ちでいっぱいになる。監督生は幸せそうにジャミルを見上げて蛇が施された飾りをじっと見つめる。
「どうして蛇の模様なんですか?」
「ん?ああ、その模様はバイパー家を表していて……バイパー家では先祖代々、婚約者に家紋を施したアクセサリーを贈る習慣があるんだ」
命が尽きるまで、あなたの傍にこの身を置かせて欲しいという意味を込めて。元来アジーム家へ向けて行われていたこの儀式はいつしかバイパー家の婚礼の儀として成り代わっていった。
アクセサリーの種類に決まりは無く、気に入った物を相手に贈ったり、物の意味を調べて贈る者もいたという。
ジャミルの場合は後者だった。カリムの従者である以上、離れて生活を送る時間が増えるかもしれない。だから肌身離さず付けて欲しい、離れていても自分の存在を感じていて欲しいという想いが込められたイヤーカフを選んだ。
「元の世界に帰る手掛かりはこれからも探し続けるが、監督生がこの世界から離れる時が来るその時まで俺の番として…婚約者として傍にいて欲しいと思ってる」
穏やかな表情、優しげに細められた黒曜石の瞳が真っ直ぐ監督生を見つめる。その視線を感じてほんのり朱に染まった頬に褐色の掌が添えられる。その上から更に重ねられた一回り小さな掌は頬以上の熱を持っているように感じられた。
うっとりした表情を浮かべた監督生がそっと瞼を閉じると、潤んだ瞳から零れ落ちた涙が頬を伝い落ちた。
ーー…きっと、
「実はあの時…項を噛んでもらう時、この先もずっとジャミルさんの傍にいたいって思ったんです。元の世界に全く未練がないってわけじゃないですけど……産んでくれた両親には申し訳ないですが、あのままあの生活が続いていればきっと私はどこかで命を絶っていたと思います」
物心ついた時には既に両親は他界していた。兄弟もおらず、引き取られた先で毎日こき使われいびられて、中学校を卒業して高校に入学したと同時に始めたバイトは生活の為だと言われて複数掛け持ちをして、そのお給料は殆ど巻き上げられてしまっていた。
そんな生活を送っているからか、友達と呼べる人や心を許せる存在もいなかった。人はこの世に生を受ける時、理由をもって生まれると聞いた事がある。でも、自分が生存するその理由は?いい事なんて一つもない、これから先もきっと……。只々繰り返される辛い日々にどうして生きているのかわからなかった。
そんな時、あの声に導かれてこの世界にやって来たのだった。
監督生が住んでいた環境が思った以上に過酷な場所なのだとこの時ジャミルは初めて知る事となった。誰からも認めてもらえないのは痛いほど分かるし、生きている意味を見出せないのもまるで昔の己を見ているようだった。
今まで明かされなかった生い立ちを話してくれたのはそれなりに信頼してくれるようになった証拠であると同時に監督生なりの覚悟なのだろうと感じ取った。
「こんな私に居場所を与えて下さったのは、ジャミルさんだけでした」
心から隣にいて欲しい、幸せになって欲しいと初めて言われ、愛してくれたのはたった一人だけだった。
それが理由でここに留まる決意をしたのもあるけれど、一番の理由は好きな人の傍にいたいからだった。そしてなによりジャミルの隣は監督生にとって居心地が良かった。
「魔法は使えないし、この世界について殆ど知らない事ばかりでご迷惑をお掛けしますが……、こんな私でいいのならジャミルさんの隣にいたいです」
そう言ってジャミルを見つめる監督生の体は僅かに震えていた。自身の生い立ちを誰かに話すのは初めてだし、受け入れてもらえなかったらどうしようという不安が強かったからだ。
しかし、そんな監督生の曇った心を晴らすのはいつだってこの最愛の人で、想いは微塵も変わらない。
「監督生以外となんて考えられないし、そもそも君じゃなきゃ意味がない。それくらい監督生を心から愛してる。それに、魔法を使えずとも生活できるし、ここで暮らすうちに知らないことは少なくなるだろう。それでも分からない事があればいつでも聞いてくれ」
「……っ、ありがとうございます」
この幸せにいつか終わりが訪れるかもしれない。それでも今ある幸せを噛み締めて芽生えた愛を大切に育んでいきたいと思った。
「そういえばあの時、どうして泣きそうになってたんだ?」
「それは……αになったらジャミルさんにもう愛されなくなっちゃうんじゃないかって思って……」
「……、何か勘違いしてるようだが別に監督生がΩだから好きになったわけじゃない。例えαやβだったとしても君を好きになっていたのに変わりはなかっただろうな」
たまたま出会ったのがこの世界だっただけで、どの世界線にいても、例え身分に差があったとしても巡り逢い
恥ずかしげもなくサラリと言うジャミルに対して照れて赤くなった顔を隠すように俯いた監督生を見て、何かを思い付いたのだろう。
ニヤリと意地悪な顔を浮かべたジャミルは監督生を逃がさないように片腕で腰を引き寄せて、もう片方の手で顎を掬い上げて羞恥で潤んだ瞳を見据える。
「ーー…それで?」
「……?」
「さっきから俺ばかりが“好き”や“愛してる”を言ってるような気がしてならないが……監督生はどうなんだ?」
濃灰色の瞳から逃げるように監督生は目線を彷徨わせていたが、言わなければきっと解放してくれないだろう。そう思いおずおずと開けた口はしかし言葉を発せずにキュッと固く結ばれる。
この世界に残った理由と徐々に赤く色付く頬が答えを示していたが、ジャミルはどうしても監督生から直接聞きたくて仕方なかった。
恥ずかしがる監督生の小さい喋り声でも聞こえるようにと少し身を屈んだ事でコツンと触れる額同士。鼻先が触れるくらいにまで距離が縮まり、ジャミルの放つ色香に当てられた監督生はくらりと目眩を起こしそうになる。緊張で胸が騒めき、甘く締め付けられる。そして、
ーーちゅ…
僅かに触れた監督生の唇は感触や温もりを堪能する前に離れていき、再度ジャミルの胸元へ顔を埋めてしまった。監督生の顔は見えないが、髪の間から覗く耳が林檎のように真っ赤になっているのを見て、監督生に対する愛しさが溢れてその細い身を強く抱き締めた。
「ジャミルさんが思ってる以上に、私はジャミルさんが大好きです。誰よりも大好きですし、幸せにしたいって思ってるのもジャミルさんだけなんです。……これじゃダメですか?」
「ふふ、充分だ」
その答えに幸せそうに微笑むジャミルは、誰にも見せたことのない優しい表情を浮かべていた。
そんな幸せの絶頂にいる二人の元に、一つの闇が音もなくひっそりと近付いていたーー…
◇To be continued◇
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