闇に散る華
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「っ、はあ…!」
ーー…早く、もっと早く…!
仄かな暖色に灯る洋燈のみが照らす廊下を、監督生は迫る恐怖に怯えながらはだけたシャツの前を押さえて必死にひた走る。
途中、足がもつれてこけた時に打った膝が痛むがそれに構っている暇などなかった。
あの時、女の部分を見て驚愕したリドルの一瞬の隙を突いて監督生はなんとか部屋から逃げだしたのだった。リドルが部屋に入ってきた際に鍵をかけ忘れたことが幸いした。
逃げた監督生を本気で番にする気でいるのなら、追いかけてきているに違いない。だから、追いつかれる前に一刻も早く出口に辿り着きたかった。
長い廊下を突き進み、階段を駆け下りてまた廊下を突っ走る…。それはまるで不思議の国に迷い込んだ少女が追手から逃げるワンシーンのようだった。
廊下を曲がった先に見えた、一際大きい扉。漸く辿り着いた出口に安堵した監督生はそこに駆け寄り扉に手を伸ばした、その時だった。
トン、と体を挟むようにして扉に付かれた両手。それを見た瞬間、サッと血の気が引いて体がカタカタと震えだす。
「ひっ、ぃや…やだっ…!」
グッと肩を掴まれた瞬間に、恐怖の余り情けない声が出てしまった。
「おっと、悪かった。脅かすつもりはなかったんだ。」
「……っ!」
思った人と違う声に振り返ると、そこには優しそうな顔立ちの背の高い男性が立っていた。
あまりの驚きに監督生は声を出せず、目も逸らせずにいると、その人物は乱れた服装に気付いて着ていた白い上着を脱いでそっと肩にかけてくれた。
「チョーカー…Ωか。随分と怯えてるように見えるが…」
「たっ、助けて下さい、人に追われてて…!」
漸く絞り出した声はかなり小さかった。
早くここから出ないとあの恐ろしい人に追い付かれてしまう。捕まったら今度こそ終わりだ。
恐らく外には出してもらえない。人の目に触れないような部屋に押し込められるかもしれない。そうなれば逃げ出すことはおろか、ジャミルにも会うことが出来なくなってしまう。
二度と会うことが出来ないまま、命が尽きるまであの人の傍にいるなんて…
最悪な事態を考えて身震いする。それだけは絶対避けたかった。
「そうか、それは怖かったな。もう安心して大丈夫だぞ。」
「はい…。」
「あと、Ωのフェロモンに当てられて我を忘れただけであってリドルは本当は優しいヤツなんだ。許してやってくれないか?」
気持ちを汲み取ってくれてホッと安心したのも束の間、瞬時に何かが引っ掛かっているようなザワザワして落ち着かない気持ちに襲われた。
今のセリフをもう一度思い返す。多少時間がかかったが感じた違和感に気付いた瞬間、途端に背筋が寒くなった。
「あの、私…リドルさんに、とは一言もーー…」
違和感の正体ーーそれは、何故この男はリドルに追われていると知っているのか。
発した声は情けないくらい酷く震えていた。信じたくないし、出来れば気付きたくなかった。心臓の音が相手に聞こえそうなくらい騒がしかった。
そんな監督生を気にすることなく目の前の男は喋り続ける。
「乱暴なことはしないよう忠告しておいたんだが…まったく、困った女王様だ。」
聞こえていない、というか聞いていないのだろう。目の前の人は一体何を言っているのか。そもそもこのタイミングで現れた理由は?
「あまり手荒なことはしたくないんだけどな…仕方がない。」
男の目の色が変わり、マジカルペンを持っているのを見た瞬間に“逃げろ”と脳に危険信号が送られる。監督生が慌てて身を翻そうとした時に声が聞こえた。
ーー…『
「ぁっ、ぁあ…!やだ、嫌ぁ…!」
魔法をかけられて少しずつ記憶が霞んでいく。強制的に変えられる記憶に吐気がして監督生は膝から崩れ落ちた。抗えない悔しさに一筋の涙が頬を伝い床へと吸い込まれた。
記憶の中のジャミルの声、温もり、淡い恋心が徐々に消されていく。その代わり現れたのは、ワインレッドの髪の…
「……私は…」
ーー…何をしにここまで来たんだろう。私の帰るべきところは…
「ほら、戻ろう。今ならリドルは許してくれるさ。一緒に謝ろう、な?」
「はい…すみません。」
差し伸べられた手を掴みゆっくり立ち上がる。行くべき場所は正面の道。でも…
後ろの扉の向こうに何かとても大切なものがあるような気がしたけれど、どうやっても思い出せない。逆に思い出そうとすると頭が割れるように痛んだ。
その痛みを堪えて監督生は先を行く男の後を追った。
元来た道を辿り月明かりと洋燈が照らす談話室に行けば、ソファーにもたれて足を組んで座っているリドルがいた。
「このボクを待たせるなんていいご身分だね、トレイ。」
睨むように監督生を連れてきた目の前に立つ男ーートレイを見上げながらリドルが強めの口調で言う。
その威圧的な雰囲気にたじろいで何も言えなくなる生徒が多い中、トレイは臆することなく困ったように笑いながらリドルの前で立ち止まった。
「まあ、そう怒るなよリドル。連絡が来てから偶然を装って出口で会うように先回りするのも結構大変だったんだぞ。」
「随分と大袈裟に言うけれど、トレイにとっては造作もないことだろう?」
「うーん、どうかな。…ほら、お姫様を連れてきたぞ。まだ魔法が掛かってるから少しぼんやりしてるが…」
「監督生、おいで。」
リドルに名を呼ばれた監督生は朧げな意識の中、トレイの傍を離れてふらついた足取りでリドルの元へ向かう。
目の前に来た監督生を見上げたリドルは心底安心した表情を浮かべて立ち上がると、肩にかかった上着をトレイに返してからそっと監督生の肩を抱いた。
ふわりと漂う甘い匂いにリドルは恍惚とした表情を浮かべた。
「ふふ、凄く美味しそうな香りだ。…よく監督生の傍にいて平気だったね。」
「俺はβの中でもΩのフェロモンは全く感じないらしい。だからこそリドルにも協力できるんだけどな。」
「感謝するよ、トレイ。…さあ行こう、監督生。」
リドルと監督生を見送り、トレイは自室へと続く静寂な廊下を歩き始めた。
そして、返された上着を羽織り直しながら先程の出来事を思い返していた。
前々からリドルより聞かされていたΩの子は、恐らく監督生のことだろう。女性的な顔立ちで華奢で儚げな印象があり、まさに守ってあげたいと思わせる容姿をしていた。
「泣かせるつもりはなかったんだけどな…」
ユニーク魔法を掛けた時に見た監督生の泣き顔が頭に焼き付いていた。あの瞬間を思い返すと、ズキっと胸に痛みが走った。
今までΩの泣き顔なんて何度も見てきたのに、どうしてこうも気になるのだろうか。それに…
「(あの髪飾りは確かジャミルの物だったはず。…まさかな。)」
人の番と分かってリスクを冒してまで手を出すようなリドルではない。監督生からは微かにジャミルの匂いが感じられたが、恐らく身に付けている衣類から漂ってきたものだろう。
正式に番になっているのなら、他のαを誘惑するようなフェロモンは出さないし、執着される事もない。
あの髪飾りはジャミルが牽制の意を込めて監督生に贈った物だとトレイは感じとった。
「(恐らく監督生を番にしたいαは他にもいるんだろうな。)」
それは、出会って直ぐのトレイでも分かった。監督生には人を惹きつける魅力がある。例えるなら闇の中に突然現れた、一際美しい輝きを放つ妖花。
甘美な香りにつられたαに
トレイは廊下の窓から月を見上げ、後者である事をひっそりと願ったのだった。
一方、その頃…
皆が寝静まった深夜、自室のドアを開けて静寂な廊下に物音がしていない事を確認してからジャミルは足音を立てず移動し始める。
監督生は一体どこに行ってしまったのだろうか。帰る方法が見つかって元の世界へ戻ったのならそれでいい。しかし、監督生のことだからきっと戻る前に伝えてくれるはずだ。それがないということは、やはり何かに巻き込まれた可能性が高い。
手掛かりが得られそうな場所をいくつかピックアップし直して、そこへ行くため談話室を通った時に後ろから視線を感じて立ち止まった。
「こんな時間にどこへ行くんだ?」
「……、カリムには関係ない。」
「監督生が心配なのは分かる。ジャミルにとって大事な人だしな…。だけど、ジャミルはずっと走り回ってて休んでないだろ?だからさ…」
「監督生が誘拐されたかもしれないのに休めって?その相手がαだったとしたらΩが辿る末路はカリムだって知ってるはずだ。」
拉致されたΩは大抵αに無理矢理迫られて抵抗できないまま関係を持ち、望まぬ関係となったΩが自ら命を絶つ事件は多い。ただでさえ貴重なΩが少なくなっているため近年では社会問題にまでなっている。
それに、カリムの言った通りジャミルにとって監督生は特別な存在であるから一刻も早く見つけたかった。
「……一日二日休まなくても大したことはない。」
間もなく監督生がいなくなってから二日目を迎えようとしていた。
昨日、監督生から授業が終わったという通知がなく夕方を迎えた。監督生にしては珍しく連絡をし忘れて先に帰ってしまったのかと思ったジャミルはオンボロ寮へ向かったのだが、中からは全く人の気配が感じられない。
不審に思ったのだが入れ違いになるかもしれないと思い、暫く待ってみたが一向に帰って来ない。
その後監督生の教室へ向かったのだが下校時間をとうに過ぎているため勿論誰もいない。監督生がいそうな場所にも足を運んでみたが、結果は同じだった。
心配して送ったメッセージにも既読は付いていない。
何かとても嫌な予感がする。幼少期にカリムが誘拐されたと初めて知らされた時のように胸がざわついて落ち着かない。
バイトとは聞いていなかったが念のため、モストロ・ラウンジへ向かった。
「あれ、ウミヘビ君じゃん。」
「おや、ジャミルさん。あなたがこんな所に来るなんて珍しいですね。」
モストロ・ラウンジに入ると、たまたま入り口の近くにいたジェイドとフロイドが気付いて声を掛けてきた。
普段なら思わず身構えてしまうような相手だが、今はそれどころではなかった。
「監督生がここに来てないか?」
「小エビちゃんは今日は休み。なぁに、喧嘩でもしたの?」
「いや、そうじゃない…」
ジャミルのただならぬ雰囲気を感じ取ったジェイドとフロイドは互いの顔を見合わせて少し考えた後、ジェイドは閃いたような悪巧みに近い顔を浮かべた。
それを見たフロイドも何かが伝わったのか、つられて同じ顔をした事にジャミルは気付かなかった。
「ジャミルさん、少しお時間をいただけませんか?」
「は?何を言って…」
「フロイド、ジャミルさんを止めておいて下さい。」
「オッケ〜」
「おい、俺はいいとは言ってない。……チッ、聞いてないな。」
勝手に話を進める双子にジャミルの感情は戸惑いから焦り、そして苛立ちに変わり無意識に舌打ちをした。
ジェイドがスタッフルームへ姿を消してから五分とかからず再び姿を現した。満面の笑みを浮かべるジェイドを見て、フロイドも微笑んだ。どうやら話がうまく運んだようだ。
「アズールに説明して今日から三日間、お休みをいただきました。」
「さっすがジェイド〜!」
「慈悲深い方で本当によかった。ふふふ。」
数週間前の監督生との事を引き合いに出してほぼ脅しという形でアズールから休みをもぎ取ったジェイドは嬉しそうに口に手を当てて微笑んだ。
「それで、監督生さんが何か?」
話が全く飲み込めず置いていかれてるジャミルに向き直り、ジェイドは話を切り出した。
今回は力になってくれるようだが、どうも胡散臭くて話す気にはなれなかった。困っている人のために無償で動くような双子ではないからだ。
話すのを躊躇うジャミルに双子はクスリと笑った。
「なぁに、オレらそんなに信用ないわけぇ?はあ、ガッカリ…」
「そんなに落ち込まないで、フロイド。ジャミルさんは長年カリムさんの従者をされている身ですから、その癖で人より用心深くなっているのでしょう。」
熱砂の国の大富豪、アジーム家長男の命を狙う人は多い。刺客を始め、家族や使用人、友人が数分後には裏切る事があるため常に警戒する必要がある。
アジーム家を守るのがバイパー家。毒見や警護は勿論、刺客から主人を守るため気を抜けない。守れなかった時には相応の処罰が待っている。
ーー…カリムのために死ぬなんて、馬鹿げている。俺は絶対に自由になってやる…!
いつか得る自由のために死ぬわけにはいかない。その結果、常に命を狙われる立場のカリム以上にジャミルは疑り深くなった。
「僕達にとって、監督生さんは可愛い妹のような存在なので、純粋に力になりたいと思いまして…。それだけでは理由になりませんか?」
それだけが理由ではないのだが、ジャミルから話を聞くにはこう言った方が適当だと判断したジェイドはいつもの紳士的な表情でそう言った。
それから間が空いて、ジャミルがポツリと話し出した。
「ーー…成る程、それは心配ですね。」
「ウミヘビ君が、無意識に嫌がらせして避けられてるだけじゃなくてぇ?」
「馬鹿言え、嫌われないようにするのに手一杯なんだ。そんなことする余裕なんて…」
そこまで言ったジャミルはハッと息をのんだ。目の前の双子が今まで見たことのないくらいにニヤニヤと口元を歪ませていたからだ。
そのニヤついた顔とつい口を滑らせてしまった自分に腹立たしく感じたが、言ってしまったものは取り消せない。気持ちを切り替えるため、ジャミルは咳払いをした。
「とにかく、些細なことでもいい。何か分かれば連絡をしてくれ。」
「はい。では行きましょう、フロイド。」
「じゃあね、ウミヘビ君。」
オクタヴィネルを出たところでジャミルと別れた双子は顔を見合わせて同時にある場所へ向かった。
その場所は…
「ジェイド、本気?」
「はい、本気です。」
鏡舎の中、とある寮に続く鏡の前で立ち止まる。
「彼ら…特に彼なら必ず力になってくれます。ああ見えて特定の人物には懐が深いですから。」
ふふふ、と意味深な笑みを浮かべたジェイドはフロイドと共に鏡を潜りある人物に会いに行ったのだった。
ジャミルの方は何の手掛かりも得られないまま
カリムや寮生が就寝したのを見計らって寮の入り口に向かったのだが、カリムに見つかり先程の展開を迎えていたのだった。
「落ち着け、ジャミル!」
「うるさい!止めるな、カリム!こうしてる間に監督生に何かあったら、俺は…!」
監督生を失いでもしたらきっと正気でいられなくなる。また闇に飲み込まれ、今度こそ戻れなくなる。同じ過ちを繰り返すわけにはいかなかった。
「お邪魔するッスよ〜、ってジャミルくんだいぶ荒れちゃってますけど…?」
声のした方を見れば、談話室の入り口で気まずそうにするラギーとそんなカリムとジャミルを見て面白そうに笑うレオナの姿があった。
「ラギー!それに…レオナ!?頼む、ジャミルをとめてくれ〜!」
「よお、ジャミル。たった一人のΩに狂わされて無様だなぁ?」
「深夜に他寮に訪ねてくるなんて、夕焼けの草原の王子サマは躾がなってないようですね。それとも、マナーも教えてもらえなかったのですか?レオナ先輩。」
皮肉たっぷりの言葉にレオナは一瞬眉をひそめたが、ジャミルの挑発には乗らずにくつくつと笑う。
その態度に今度はジャミルが怪訝な表情を浮かべた。
「そんなの、わざとに決まってんだろ。ここに行けば面白いものが見れると聞いたんでな。」
「(アイツら…!!!)」
「まあ、予想通りか。…そんなお前にイイこと教えてやるよ。信じるかどうかはお前次第だがな?」
不敵な笑みを浮かべた獅子は瞳をスッ…と細めてそう言ったのだった。
◇To be continued◇
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