闇に散る華
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「監督生さん、今日もお疲れ様でした。次回もお願いします。」
「ジェイドさん、ありがとうございました。」
「小エビちゃん、またね〜♡」
モストロ・ラウンジでバイトを終えた頃には茜色の空は瑠璃紺に染まり、海洋生物が優雅に舞っていた海は、深く煌めく濃紺の静かな夜の海へと変わっていた。
控え室に戻って制服に着替えた監督生はスマホを取り出してジャミルへメールを送った。
すると、ものの数分で既読が付いて『わかった 今から行く』と返信が来た。
たったそれだけなのに、それが凄く嬉しくて口角が上がってしまう。
あれから数週間が経った。
だいぶ学園にも慣れた。魔法は使えないが元の世界では習うことのない授業は楽しいと感じていた。
ジャミルの髪飾りを付けてから他のαとβから手を出される事は激減した。声をかけられる事はあっても髪飾りに気付くと明らかに態度を変えて撤退する者もいたし、バイト中での過度なスキンシップも殆ど無くなった。
それでも懲りない生徒はいたが、その場合はジェイドとフロイドが対応してくれた。
ジャミルは約束通り授業やバイトが終わった後、連絡をすると必ず迎えに来てオンボロ寮まで送ってくれた。
最初こそ緊張してあまり話すことが出来なかったが、今はそれも解れて少しずつ話せるようになっていた。
緊張していたから分からなかったが、監督生が話している時には口を出さないし、最後まで話を聞いてくれる。相談も親身になって聞いてくれていた。
歩くスピードも合わせてくれて、当たり前のように荷物も持ってくれた。
それはまるで恋人のような扱いで。
好きになってはいけないと分かっていた。しかし会うたびに、優しくされるたびに益々気持ちが大きくなっていく。
恋すら知らなかったのに、ジャミルに出会ってから芽生えた感情はあっという間に育ち、あの日以降“好き”が確信に変わった。
元の世界へ帰らなければならない。それは分かっている事で学園長や事情を知っているジャミルもきっとその方法を探してくれている。
それでも、いつかジャミルの恋人として隣を歩きたいと思うようになった。
「ジャミルさん…」
名前を呟くとキュッと胸が締め付けられた。
今でなくてもジャミルに想いを伝えたい。そう思いながら向かってきてくれているジャミルを待つために監督生は荷物を持って控え室を出た。
モストロ・ラウンジの入り口まで行きドアを開けると、ちょうどジャミルが歩いてきているのが見えた。
月光が射す水面が揺らめいて、幻想的な光に照らされた廊下を歩くジャミルに見惚れた。
「お疲れ様。」
「え、あ…」
気付けばジャミルが傍に立っていて、その声を聞くだけでドキドキと心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
恋だと自覚した時から視線が合うと顔が熱くなるし、ずっと見ていたいのに気恥ずかしくて我慢出来ずに目を逸らしてしまう。
学園生活でもジャミルを見かけると、その姿が見えなくなるまで視線を送ってしまうこともあった。
「ほら、行くぞ。」
「あ、はいっ。」
監督生の荷物をジャミルが持ち、ペースを合わせて隣を歩いてくれる。それが嬉しくて、気持ちを悟られないように俯く。
そうすると時々視界に入る、触れそうになる指先や腕に視線を奪われる。
男性を装う自分とは違う、本当の男性の体。肌の色や身長は違えど他の男性とパーツは同じはずなのに、ジャミルは特別のように感じる。
骨張った印象を与える指で触れられたい。細身であるが鍛えられ、引き締まった腕に抱かれたい。服を脱げば、その下はきっと男らしい筋肉質な体なのだろう。
ーー…ジャミルさんを知りたい。支配されたい。
視線はジャミルの顔へ向かう。形の良い薄い唇を見ると、あの時のキスが思い出される。ジャミル以外何も考えられなくなる、甘く蕩けるような口付け…。
自然と熱くなる身体に小さく溜め息を溢す。
「どうした、具合が悪いのか?」
ジャミルに声を掛けられて監督生は我に返る。心配そうな顔を向けられ、厭らしい事を思っていたなんて口が裂けても言えない。
「(私は、なんてことを…)」
そう思うのはΩの性だから。 Ω特有の発情期が近くなればなる程抑えられない性欲に駆られてしまう事を監督生は知らなかった。
「大丈夫です。何でもない、です。」
卑猥な事を考えていたなんてジャミルに知られたら絶対に嫌われてしまう。ましてや恋人でも何でもない相手からこんな事を思われているなんて、絶対嫌に決まってる。
ジャミルには嫌われたくない。
その考えを捨てるように首を振り、少し声が裏返ってしまったが通常通りを装った。
「監督生。」
突然立ち止まったジャミルに名前を呼ばれ、監督生は肩をビクッと震わせた。
もしかして、今の考えは言わなくても顔に出ていて、ジャミルにはバレてしまっているのだろうか。
恐る恐る振り返ると、無表情で全てを見透かしているような眼差しでじっと見つめられていた。
あんなに見たいと思っていた黒曜石の瞳に捉われているのに、今はそれが怖いとさえ思ってしまう。ヒュッと変な呼吸をしたのが分かった。
「え、あっ…違いますっ、決して変な事を考えてたわけじゃなくてっ…!」
咎められた訳ではないのにジワリと視界が滲む。面倒臭いと思われたくなくて必死に出てくる涙を堪えようとするのに構う事なく溢れ出る。
何か言おうと焦るほど言葉が出て来なくて、頭が回らず真っ白になる。
ジャミルの手がスッと伸びてくると、反射的に瞼を強く閉じた。
「なにか勘違いしているようだが、まだなにも言ってないだろ。…それに、泣かせるような事をした覚えもない。」
「す、すみませ…」
ジャミルは少し困った顔をして、親指で監督生の涙を拭う。監督生は顔を上げれず瞼を伏せたまま小さく謝罪する。
泣いた事でまた呆れられてしまったかもしれないと落ち込む監督生をよそに、ジャミルは咳払いをすると言葉を続ける。
「…来週の日曜日、何か予定はあるか?」
「えっ…」
学園行事も含めて瞬時に思い返してみたが、特には何もなかったような…。強いて言えば、部屋の掃除くらいだった。
その旨をジャミルに伝えるが、返事はなく。
不思議に思った監督生が顔を上げると、ジャミルにしては珍しく言葉を選んでいるのか口元に手を当てて考え事をしているようだった。
「あの、ジャミルさん?」
「…その日私用で買い物に行く予定なんだが、監督生が良ければ一緒にどうかと思って。嫌なら断ってくれていい。」
それはつまり、ジャミルと学園外で過ごす事が出来るという事で。恋人でないためこう言っていいのか分からないが、デートという解釈で間違いないだろう。
さっきまで沈んでいた気持ちは一体何処へやら。今は嬉しくて仕方ない。勿論、返事は決まっていた。
「一緒に行きたいですっ…!」
間髪を入れず返答した監督生にジャミルは一瞬驚いた表情を浮かべたが、目の前で忙しくコロコロ変わる表情が面白かったのか口元に手を添えてクスクスと笑い出した。
「ふふっ… 監督生はほんと、見ていて飽きないな。」
難しい顔をしたと思えば急に赤面したり、落ち込んでいるように見えたのに声をかければ笑顔になったり…。
カリムも監督生と同じような反応をするのだが、それはジャミルにすればカリムは落ち着きのないヤツで片付けられるのである。しかし、相手が監督生だとその反応が一々面白くて、愛おしくて仕方がない。
相手が違うだけで正反対の感情を抱いてしまうから、恋というものは凄いとジャミルは感じた。
「(ジャミルさん、可愛い…)」
ジャミルの笑顔に監督生の胸はキュンと狭くなった。ここ数週間でジャミルは色んな顔を見せてくれるようになり、それを見る度に少しずつ距離が近付いているような気がしていた。
人前では滅多に笑わないジャミルが、今こうして目の前で笑ってくれていると思うだけで嬉しかった。
「…ところで、監督生の言っていた“変な事”って?」
今まで笑っていたジャミルは一呼吸置くと、目をスッと細めて悪巧みをしているような顔付きになった。
まさかそれを聞かれるとは思っておらず、監督生はその内容を思い返してボッと赤面した。
「何でそれを…」
「俺は物覚えが良い方なんでね。監督生が口を割るまで聞くと思うから、言うなら今のうちだぞ。」
「絶対言いませんし、忘れて下さいっ!」
監督生はジャミルから逃げるように歩くが、どの道監督生をオンボロ寮に送り届けるまでジャミルはついて来るためその行動自体が無意味であった。
オンボロ寮まで辿り着き、別れ際にジャミルは思い出したように口を開いた。
「あ、そうだ。学外に行くから学園長に外出許可をもらっておくのを忘れるなよ。」
「学園長にですか?」
「普通は寮長に貰うんだけど、君の所はいないだろ。だったら、事情を知ってる学園長にもらっておくべきだ。」
ジャミルの言う通り、魔力も何も無い監督生はクロウリーの厚意でこの学園に身を置かせてもらっている。家族のいない監督生にとってはクロウリーが保護者みたいなものだった。
「そうですね…分かりました。また連絡しますね。今日もありがとうございました。」
「ああ、また明日。戸締まりを忘れずにな。」
ジャミルの姿が見えなくなるまで見届けてから監督生はオンボロ寮へと入っていった。
その後、晩ご飯を食べて入浴を済ませてからヴィルより譲り受けた化粧品セットのスキンケアグッズで手入れをする。
リラックス出来る香りと、付けた瞬間から肌が滑らかになるのを感じて、監督生は満足そうにしてベッドに入った。
枕元にはジャミルに借りた丁寧にたたまれているパーカー。
この世界に来る前からよく眠れなかったのだが、服を借りてからは驚く程熟睡出来るようになっていた。
それはジャミルが魂の番であるからで、ジャミルを感じられる物が傍にあるだけで監督生を安心させる事が出来るからだった。
Ωは番の、或いはいずれ番になる相手の物を身に付けたり、傍に置く事で安心感を得ると言われている。
αは私物をΩに贈る事で、他のαやβが寄り付かないように牽制する事が出来る。αの中でも強い力を持った者なら、贈るものが例え小さい私物でも効果は十分だ。
ジャミルの場合、髪飾りだけで十分な効果をもたらしていた。
それを知らない監督生は無意識に本能でジャミルの私物を手に入れており、逆にジャミルはそれを知っていて髪飾りやパーカーを渡していた。
監督生にとってジャミルの匂いは安心出来るもので、今では入眠する時には欠かせない物となっていた。
次第にウトウトしてきた監督生はパーカーを顔の近くまで手繰り寄せ、ジャミルの匂いに包まれて入眠し始めた。
ーー…そして、翌日。
「ええ、構いませんよ。」
「え…」
昼休み中、監督生は外出許可を得るために学園長室へ行き、事情をクロウリーに話した。
難航するだろうと思っていたが、すんなり許可が出た事に監督生は驚きを隠せなかった。
「いいんですか?」
「この世界に来てから学園の事しか知らないのは少々かわいそうですし、慣れない事でストレスも溜まる…。この際、学外へ行って気分転換をするのもアリかと。私、生徒思いのとっても優しい先生なので。…但し。」
外出許可も得て、ホッと胸を撫で下ろしていたところで続く言葉に監督生は不安そうにクロウリーを見つめる。
「バイパー君はαで、監督生さんはΩ。取り返しがつかない事を起こすのだけは絶対に避けること。それでなくてもあなたはいずれ元の世界へ帰らなくてはいけない身なのですから。…いいですね?」
「…はい。では、失礼します。」
クロウリーに釘をさされ、監督生は小さく返事をして学園長室を出た。
心配して言ってくれたのだろうが、分かっていた事を言われるのはかなり精神的にきた。
知っているから好きになるのを止めようとした事もあったが、もう後戻りが出来ない程に感情は大きく膨れ上がっていた。
憂鬱な気分になり、俯いたまま廊下を曲がった。だから、気付かなかった。
「っと…ぶつかるとこだった。歩く時はきちんと前を見るように。」
「すみません。」
凛とした声に監督生が顔を上げれば、見覚えのあるワインレッドの髪が印象的な生徒が見下ろしていた。
確か彼は、ハーツラビュル寮長のリドル・ローズハートと名乗っていた。
更に口を開こうとしたリドルだったが、監督生の表情を見て何かを感じ取り先程とは打って変わって優しい口調になった。
「…キミは監督生だったね。何か悩み事でもあるのかい?ボクで良ければ聞くことくらいはしてあげられるよ。」
「リドルさん…」
「ここでは人も多いし、場所を変えよう。ついておいで。」
こうしてリドルと一緒に監督生はハーツラビュル寮へ向かった。
鏡舎を通り、案内されたのは談話室。真紅のソファーに座るように言われ、監督生は大人しく従った。
薔薇やハートが描かれた壁紙に暖炉、正確な時間を示さない時計、トランプが散りばめられた絵画。
優しく甘い薔薇の香りが部屋に充満していた。
ハートの女王とトランプ兵を彷彿させる内装はとても可愛らしくて、まるで御伽話の世界に迷い込んだようだった。
「どうぞ。キミの口に合うかな。」
カチャと、机に置かれたのは藍色ベースで中心には白い帯状のラインがあり、その白い部分にだけ薔薇が描かれたティーカップ。
湯気立つ甘い匂いのするそれは、ローズティーだった。
カップを手に取り、一口飲めば優しい甘みが口の中で広がった。
「…美味しいです。」
「それは良かった。ローズティーには気分を落ち着かせる効果もあるそうだよ。」
監督生の正面に座ったリドルもローズティーを口に入れ、喉に流し込んだ。
「うん、悪くない。…さっきの話をする前に確認しておきたい事があるのだけれど、それはジャミルの髪飾りだね。キミは彼の番になったのかい?」
「えっ、や、これには事情があって…ジャミルさんとはまだ、そんなんじゃ…」
監督生からジャミルの匂いがするが、番になったわけではないという。そして、名前を出しただけで明らかに動揺して赤面するという事は…。
つまり、監督生はジャミルに恋をしているのだと直ぐに勘付いた。
番になっているのであれば手は出さないと決めていたが、そうでないのなら話は別だ。相手が誰を想っていようが、欲しいものは奪えばいい。
「へえ。ならまだボクにもチャンスがあるわけだ。」
リドルの瞳がギラリと光り、スレートグレーの瞳が監督生を射抜く。それはまるで、肉食動物が獲物を狩る時に見せる鋭い眼光のようであった。
「…あの私…、っ?」
監督生は何か嫌な予感がしたため理由を付けて立ち去ろうとしたのだが、どうしたことか上手く手足に力が入らない。
それだけでなく痺れも感じ始め、徐々に息苦しくなり短く浅い息を繰り返す。頭の中もふわふわして思考が奪われる。
「はっ、ぁ…っ!」
それでも体を動かそうとして足に力を入れると、バランスを崩して床に倒れ込んでしまった。何が起こっているのか分からず、監督生は床に突っ伏したまま荒い呼吸を繰り返す。
すると、対面したソファーからクツクツと笑う声が聞こえた。この部屋にいるのは監督生と、そして…。
「ふふっ、効いてきたようだね。」
コツ、コツと靴音を鳴らし近付いたリドルは不敵な笑みを浮かべ、監督生の傍まで来るとスッと片膝を突いて蹲み込んだ。
「監督生が飲んだのはただのローズティーじゃない。文献を読んで、ボクが調合した特別な薬が入っていたのさ。それと、この部屋に充満している薔薇の香りはΩにしか感じないお香のような物でーー…」
リドルの声が少しずつ遠くなっていく。
とてつもない眠気が監督生を襲った。ここで眠ってしまえばジャミルに二度と会えないような気がした。
眠りたくない。必死に抗おうとするが、投与された薬には敵わなかった。
「ジャ、ミルさ…」
助けてと声に出せず、監督生は意識を手放した。
リドルは監督生を抱き起こし、顔にかかっている髪を払ってからサラリと優しく撫でて愛おしげに見つめる。
ーー…おやすみ、ボクのアリス。良い夢を…
監督生を姫抱きにしたリドルは談話室を静かに去った。そしてそれを知る者は誰もいなかった。
◇To be continued◇
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