ガ2軸
早く癒えてと願うから
デュフォーは、泥と血とで汚れた、高級そうなブラウスの袖を捲った。顕になる白い肌に、切り傷と内出血の存在を認めると、濡れたタオルを手に取る。丁寧に、手早く、確実に、拭いていく。その手つきは慣れていた。
「……手際がいいな」
「怪我をしたものたちの処置 は、旅の中でする機会も多かったからな」
ゼオンが思わず口に出すと、デュフォーはつらりと発言する。アンサー・トーカーがあるがゆえ、元から対処自体は完璧なものだったが、繰り出すための技術 そのものは、デュフォー自身に委ねられる。十三年ほど前を思い起こすと、動きが洗練されているように見える。そもそもあの戦いでゼオンが処置を受けなければならないケガを負ったことは数えるほどしかないので、比較対象が少ないとも言えるが、下手な王宮救護班よりも手早く正しいのは、確実だ。
他人への処置が手馴れているということは……それを日常的に行っているということは……。つまり、デュフォーの変化と、活躍を意味する。〝答え〟を見つけたのだろう。誇らしげにゼオンは目を細めた。自分を追いつめ、魔界を狙う敵が襲ってくるこんな状況だが、純粋に、デュフォーの未来が喜ばしかった。思った以上に、デュフォーは成長しているのだ。戦いに巻き込んでしまったことを思うと心苦しいが、ずいぶんと頼もしくなったと、感慨深くなる。
デュフォーは、ガーゼを消毒液に浸した。酷い切り傷。雑菌の繁殖を防ぐためにこうした方がいいと考えた。白い皮膚に刻まれた傷口からじんわりと滲んだ赤色が見える。沁みないようにと動いているつもりだが、それでもやはり、触れれば否が応でも痛むようだ。声こそ耐えているようだが、ぴくりと揺れる身体と、静かながら荒い熱を持った吐息はごまかせない。こちらはせめて素早く、しかし不備がないよう動くのみだった。
ふと、そのすべやかな白い肌に、真っ赤な血が、痛々しい傷跡が、存在を主張していることが、どこか信じられない心地だとデュフォーは気がついた。抉られた肉、流れる体液。それをひとは〝負傷〟と呼ぶ。それらは、かつては『敵』がするもので、自分らにはほぼ関係がない事柄であった。ゼオンは強い。自分の指示がある場合は、特に。彼自身の戦闘技術も、自然治癒力も、並大抵のものではない。
だからこそ、今、実感している。ゼオンも負傷すること。皮膚の下には血が巡ること。……強い彼が傷つくほど、傷の手当てを自分に頼るほど、追い詰められた状況であること。
過去だってゼオンが怪我を負うことは当たり前にあった。ただこんなに新鮮味を感じるのは、記憶の限り、こうして直接手当てすることがなかったからかもしれない。
警戒心の強さからなのか、単なる癖か、ゼオンはいつも、怪我を自分で処置していた。粗末にマントで縛られた患部は、応急処置としては実用的な仕上がりで、ずいぶん慣れているようだった。魔物は、治癒力が優れている。魔力が高いゼオンはなおさらで、一週間足らずで綺麗に治ってしまっていたから、結局デュフォーが、手助けしたことはない。
そんなゼオンが今、こうして傷ついた姿を晒しているのは、どんな意味があるのだろう。それほど切羽詰まっている──と受け取る自分もいたが、自分を信頼してくれているのだと、デュフォーはとらえた。処置していく自分の手指を、感慨深げに眺めるゼオンのまなざしのあたたかさの意味を、初めて知ってから十数年も経っている。その信頼に応えようと努力できるのが心底、嬉しかった。
考えながらも、手は動いていた。他の処置も済ませて、ガーゼを当てて包帯をしっかりと巻く。これで目立った大きな傷は大方処置しおわった。切られ抉れた跡は、自分の手によって白い布で覆い隠された。
「これで終了だ」
もう、処置をする必要はない。事実的に……医療的にはそう判断できる。しかし、どこか物足りないような、名残惜しいような、寂寥感が胸に滲んで、痛めはしないが解放もしない柔らかな腕の拘束を解けずにいた。〝処置〟はできても、きっとその〝痛み〟はケアができていないままだ。そっと、欲望のままそのまま左手もゼオンの腕へと持っていき──患部へ、手を当てた。
「……? デュフォー、何をしてるんだ?」
離そうとしないどころか、むしろ触れてくるデュフォーに疑心を持ったのだろう。ゼオンは訝しげに、首を傾げる。
「『手当て』だ」
間髪入れず、デュフォーは答える。じんわりとした体温をゼオンの腕へと分け与えながら。それがどういった意味を孕むのか。どういった効果があるのか、振り返りながら。
「こうやると痛みが少しは緩和されるかと思って」
手当ての語源。いわゆるハンド・ヒーリング・タッチ、触手療法。患部に湿布代わりの手を当て、傷を癒す、古来から伝えられてきた療法。そう、現代技術に比べれば非効率的で、根拠もない、精神論。
「まじない……みたいなもの、か」
「ああ」
止血もした、包帯もした。できることも知識も限られた過去ならともかく、器具が揃っている近代のさなか、こんな簡単すぎるほどの処置を施す意味は、ないと言い切ることはできる。〝答え〟が出せるデュフォーには、特に容易いことだ。
「確かに、気持ちがこもっていく感じがして……心地いいな」
ゼオンが感じ入るように放った、その言葉が全てだ。非効率的だと……非現実的だと思いながらも、このふれあいは、せめて痛みだけでも癒えてくれと願うデュフォーにとっては、意味があると、思えたのだ。
「ことさら早く治りそうだ」
甘んじてデュフォーの温度を感じながら、ゼオンはゆったりと呟く。独特の掠れを持つ心地の良い低音に、安堵感が漏れている。元から痛みには慣れているが、こんなやり過ごし方は、知らなかった。他人の温もりを感じるだけで、とてつもなく、快適になるとは。
「人の想いの力は強いからな」
聞こえた言葉に返すデュフォー。深く響くような言の葉は、様々なものを逡巡させながらの一言に思えた。昔ならばしなかっただろう治療法。一体いつ知り、いつその力を知ったのだろう。なんにせよ、その顔と声はデュフォーが良い経験を得てきた何よりの証明で。
ゼオンは、包帯に触れているデュフォーの手と、彼自身の顔を目に映し、朗らかで柔らかに笑みを浮かべる。あたたかい。心身ともに届くえも言われぬそのぬくもりに、つい、目を細めた。
デュフォーは、泥と血とで汚れた、高級そうなブラウスの袖を捲った。顕になる白い肌に、切り傷と内出血の存在を認めると、濡れたタオルを手に取る。丁寧に、手早く、確実に、拭いていく。その手つきは慣れていた。
「……手際がいいな」
「怪我をしたものたちの
ゼオンが思わず口に出すと、デュフォーはつらりと発言する。アンサー・トーカーがあるがゆえ、元から対処自体は完璧なものだったが、繰り出すための
他人への処置が手馴れているということは……それを日常的に行っているということは……。つまり、デュフォーの変化と、活躍を意味する。〝答え〟を見つけたのだろう。誇らしげにゼオンは目を細めた。自分を追いつめ、魔界を狙う敵が襲ってくるこんな状況だが、純粋に、デュフォーの未来が喜ばしかった。思った以上に、デュフォーは成長しているのだ。戦いに巻き込んでしまったことを思うと心苦しいが、ずいぶんと頼もしくなったと、感慨深くなる。
デュフォーは、ガーゼを消毒液に浸した。酷い切り傷。雑菌の繁殖を防ぐためにこうした方がいいと考えた。白い皮膚に刻まれた傷口からじんわりと滲んだ赤色が見える。沁みないようにと動いているつもりだが、それでもやはり、触れれば否が応でも痛むようだ。声こそ耐えているようだが、ぴくりと揺れる身体と、静かながら荒い熱を持った吐息はごまかせない。こちらはせめて素早く、しかし不備がないよう動くのみだった。
ふと、そのすべやかな白い肌に、真っ赤な血が、痛々しい傷跡が、存在を主張していることが、どこか信じられない心地だとデュフォーは気がついた。抉られた肉、流れる体液。それをひとは〝負傷〟と呼ぶ。それらは、かつては『敵』がするもので、自分らにはほぼ関係がない事柄であった。ゼオンは強い。自分の指示がある場合は、特に。彼自身の戦闘技術も、自然治癒力も、並大抵のものではない。
だからこそ、今、実感している。ゼオンも負傷すること。皮膚の下には血が巡ること。……強い彼が傷つくほど、傷の手当てを自分に頼るほど、追い詰められた状況であること。
過去だってゼオンが怪我を負うことは当たり前にあった。ただこんなに新鮮味を感じるのは、記憶の限り、こうして直接手当てすることがなかったからかもしれない。
警戒心の強さからなのか、単なる癖か、ゼオンはいつも、怪我を自分で処置していた。粗末にマントで縛られた患部は、応急処置としては実用的な仕上がりで、ずいぶん慣れているようだった。魔物は、治癒力が優れている。魔力が高いゼオンはなおさらで、一週間足らずで綺麗に治ってしまっていたから、結局デュフォーが、手助けしたことはない。
そんなゼオンが今、こうして傷ついた姿を晒しているのは、どんな意味があるのだろう。それほど切羽詰まっている──と受け取る自分もいたが、自分を信頼してくれているのだと、デュフォーはとらえた。処置していく自分の手指を、感慨深げに眺めるゼオンのまなざしのあたたかさの意味を、初めて知ってから十数年も経っている。その信頼に応えようと努力できるのが心底、嬉しかった。
考えながらも、手は動いていた。他の処置も済ませて、ガーゼを当てて包帯をしっかりと巻く。これで目立った大きな傷は大方処置しおわった。切られ抉れた跡は、自分の手によって白い布で覆い隠された。
「これで終了だ」
もう、処置をする必要はない。事実的に……医療的にはそう判断できる。しかし、どこか物足りないような、名残惜しいような、寂寥感が胸に滲んで、痛めはしないが解放もしない柔らかな腕の拘束を解けずにいた。〝処置〟はできても、きっとその〝痛み〟はケアができていないままだ。そっと、欲望のままそのまま左手もゼオンの腕へと持っていき──患部へ、手を当てた。
「……? デュフォー、何をしてるんだ?」
離そうとしないどころか、むしろ触れてくるデュフォーに疑心を持ったのだろう。ゼオンは訝しげに、首を傾げる。
「『手当て』だ」
間髪入れず、デュフォーは答える。じんわりとした体温をゼオンの腕へと分け与えながら。それがどういった意味を孕むのか。どういった効果があるのか、振り返りながら。
「こうやると痛みが少しは緩和されるかと思って」
手当ての語源。いわゆるハンド・ヒーリング・タッチ、触手療法。患部に湿布代わりの手を当て、傷を癒す、古来から伝えられてきた療法。そう、現代技術に比べれば非効率的で、根拠もない、精神論。
「まじない……みたいなもの、か」
「ああ」
止血もした、包帯もした。できることも知識も限られた過去ならともかく、器具が揃っている近代のさなか、こんな簡単すぎるほどの処置を施す意味は、ないと言い切ることはできる。〝答え〟が出せるデュフォーには、特に容易いことだ。
「確かに、気持ちがこもっていく感じがして……心地いいな」
ゼオンが感じ入るように放った、その言葉が全てだ。非効率的だと……非現実的だと思いながらも、このふれあいは、せめて痛みだけでも癒えてくれと願うデュフォーにとっては、意味があると、思えたのだ。
「ことさら早く治りそうだ」
甘んじてデュフォーの温度を感じながら、ゼオンはゆったりと呟く。独特の掠れを持つ心地の良い低音に、安堵感が漏れている。元から痛みには慣れているが、こんなやり過ごし方は、知らなかった。他人の温もりを感じるだけで、とてつもなく、快適になるとは。
「人の想いの力は強いからな」
聞こえた言葉に返すデュフォー。深く響くような言の葉は、様々なものを逡巡させながらの一言に思えた。昔ならばしなかっただろう治療法。一体いつ知り、いつその力を知ったのだろう。なんにせよ、その顔と声はデュフォーが良い経験を得てきた何よりの証明で。
ゼオンは、包帯に触れているデュフォーの手と、彼自身の顔を目に映し、朗らかで柔らかに笑みを浮かべる。あたたかい。心身ともに届くえも言われぬそのぬくもりに、つい、目を細めた。
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