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君のいない世界

「死んだ人の事、声から忘れるらしいね」

天気の話題をするように、何でもないように行秋が呟く。俺は何と返せばいいのか迷って口に含もうとしていたパフェのスプーンを戻す。

「・・・ごめん。気にしないでおくれよ。」

「忘れたの?」

「よく分からない。」

ふるふると頭を横に振る。今でこそこうして共にカフェで楽しく談話出来ているが・・・少し前の行秋は何も食べようとせず、ただ虚ろな瞳で『彼』の名前を呼び続けていた。

「もう、この話はやめよう。・・・してもどうにもならないから。」

ふと琥珀色の瞳に影が差す。そんなときはいつも『彼』を思い出している時だ。証拠にさっきから全くフォークが進んでいない。前は大好きだったベイクドチーズケーキ。誕生日の時、『彼』が作ってやると瞳をキラキラさせて美味しそうに食べていた。俺たちはそれをスマホで撮って後日グループLINEに送り付けてやったんだ。行秋からは何てもの撮ってるんだ!とお怒りの言葉を頂いたが『彼』は嬉しそうに即保存していた。しばらくして個チャで「行秋が美味しいもの食べてる顔を見ると幸せになれる。(要約)」とまぁ長文の御礼LINEが来た。・・・うん、あの頃は皆幸せだった。

「・・・行秋、もしかしてまだ」

「おしまい、ね」

ゆっくりとフォークがチーズケーキを切り分ける。もそもそと口に運び始めるが、やはりその表情にはあの頃の輝きは見当たらなくて。『彼』の与えた影響は計り知れない。行秋がどれだけ苦しんだか、泣いたのか、それは分からないけれど。

「・・・また付き合ってよ行秋。」

「ん、ありがとう空」

微かに笑う行秋は痛々しくて。あれほどのことがあったのだから仕方ないのだろう。それでも・・・また前みたいに、笑ってくれないだろうかと。会計を済ませて帰りのバスをチェックする行秋の横顔を見ながら、少しだけそう思った。



『彼』、行秋の彼氏。俺たちの友達。
重雲が死んでから、はや二年が経とうとしていた。



* * *


俺たちに連絡が来たのは淀んだ空から大雨が降り注ぐ、そんな暗い日のこと。行秋と重雲が集中治療室に運ばれたことを聞いて、ヒュッと喉奥が締まった。ウェンティに電話越しに励まされながら動けない体を叱咤して言われた病院へタクシーで向かう。都内でも有名な大病院だった。

「ウェンティっ、行秋と重雲は・・・?」

先に来ていたウェンティにそう尋ねると珍しく表情の暗い顔で黙ってしまう。それぐらいのことが起きたのだと、嫌でも理解してしまって。手術中と書かれたランプを睨みつける。二人がどうか無事であるようにと祈るしか無かった。

「通り魔、だって」

「え?」

ウェンティから聞こえた声は酷く掠れていた。

「二人で帰ってる時に、通り魔に・・・行秋が刺されて、重雲はずっと行秋を守るようにしてたんだって」

何とも、彼ららしい。目敏い行秋はいち早く通り魔の異常な雰囲気に気付き、重雲を守るようにと前に立ちはだかったのだろう。刺された行秋を見てようやく事態を理解した重雲。手負いの行秋を守って逃げるには、凶器を持った通り魔相手にどうしようもなかった。せめて行秋だけは守ろうとずっと壁になったに違いない。どれだけ痛くて、血が出ても、きっと行秋を守り続けていたのだろう。

「そんな・・・っ」

そんなことって、ないだろう。通り魔ってなんだよ。何であの二人を狙ったんだよ。行秋も重雲も、何も悪いことしてないのに。

「・・・ボクが、見つけたんだ。通り魔に刺されてた重雲たちを路地裏で見つけてね。通報したよ。通り魔はすぐに捕まったけど・・・ボクが近くに行った時はもう、二人とも意識を失ってて・・・。」

二人の家族は説明を聞きに行っているようでここにはいない。俺とウェンティが病室の外でやるせない思いを抱えて黙っていた。
・・・中学生の頃から、見守ってきたんだ。重雲も行秋も分かりやすいほどに互いに好意を向けていて。高校生になって付き合って、大学生になって同棲を始めて・・・相手の可愛いところや好きなところを内緒話のように打ち明けに来る二人が大好きだったんだ。お似合いの二人だった。二人の惚気話を「また?」って呆れながら聞く時間が大好きだったんだ。






祈りも虚しく、暫くして出てきた担当医に重雲はもう助からないだろうと告げられた。行秋は何とか一命を取り留めたようだが、それでも・・・俺たちは素直に喜べなかった。行秋に何て言えばいいのか分からなかった。
病室を訪れると、二人は並んでベッドに寝かせられていた。たくさんの管に繋がれて目を瞑る二人は見たことがない。・・・見る機会なんて、なかったらよかったのに。

「行秋・・・」

血の気を失って白くなった頬に触れる。行秋は重雲が居なくなることに、耐えられるのだろうか。重雲はまだ微かに息をしていて、でも・・・居なくなって、しまうのか。真面目で、鈍感で、真っ直ぐに行秋を愛していた彼が。

「重雲・・・、駄目だよ、行秋が寂しがるよ」

俺たちよりよく知ってるだろ。行秋は寂しがり屋なんだって。一緒に居てやってよ。重雲にしか出来ないことなんだよ。お願いだよ。思わず震える手で重雲の手に触れると薄らと瞳が開く。

「重雲・・・っ!」

「・・・そら?」

苦しそうな表情は変わらず口を開くのすら億劫そうに俺たちに目を留める。直ぐに視線をさまよわせて、隣で眠る行秋を見て表情を柔らかくする。

「・・・良かった」

「良くなんかないよ!直ぐにお医者さん呼ばないと・・・!」

目を覚ました。意識を取り戻した。それならまだ助かる見込みがあるんじゃないか。一縷の望みをかけてナースコールに伸ばした手をウェンティに掴まれる。どうして止めるのだと睨みつけると、無言で重雲へと向き直った。

「キミは、分かってるんだろう?」

「・・・ああ。ぼくはもう、駄目・・・なんだな。」

駄目って何が。まだ心電図も動いてる、息だってしてる。こうして喋っているのに、何が駄目なんだ。

「あ、きらめないで・・・行秋は、どうするの・・・!」

「空。・・・重雲は、もう直ぐ死ぬよ。どれだけ手を尽くしても、もう・・・。だからせめて、最期は重雲の好きにさせてやりたいな。」

「さい、ご・・・?」

「ありがとう、ウェンティ。・・・行秋、あぁ、行秋・・・。」

点滴で繋がれた腕が弱々しく行秋の指先に触れる。もう俺達のことなど見えていない。その勿忘草色の瞳は愛する人だけを映していた。

「お前を、愛してる・・・きっと、大丈夫。空も、ウェンティも・・・お前の、味方だから。・・・痛い思いさせて、ごめん。どうか、幸せに・・・。」

す、と重雲の頬に一筋の涙が零れ落ちたのを見て、俺は病室の床に蹲る。夢だと言って欲しかった。駄目だよ重雲。重雲を喪った行秋の心の穴を、俺たちで埋めろなんて。そんなの出来るわけない。絆の深さも、愛情の形もまるで違うのに。頼むよ、死なないでよ。奇跡的に回復して、また皆でご飯食べながら「あの時は焦ったよ」なんて笑い話を、ねぇ。
ウェンティがそっと俺を後ろから抱きしめる。少しだけ背中に熱く濡れた感触が伝ったのには気付かないフリをする。

行秋はただただ固く瞳を閉じて眠っていた。
その目が開いた時、その身に辛く悲しい現実を受け止めなければならない。
俺たちはただただ泣いていた。
大切な親友の死に際に、大切な親友のこれからの行く先に。
涙の音と心電図の響く病室で、ただただ重雲だけが愛おしい人に微笑んでいた。









規則的に動いていた心電図が機械的な音を立て、その役目を終えた。






* * *



そうか、もう二年も経つのか。
あの後、部屋に駆けつけた親族たちは緩く繋がれた手を見て咽び泣いた。医療関係者まで少し涙ぐんでいた。すごいよ、あいつは。重雲も分かってたんだよな。行秋が寂しがることぐらい。これから辛いことが待ち受けているってことも。だから手を繋いであげてたんだよな。行秋が起きてしまっても一人にならないように。最期の瞬間まで寄り添ってやりたかったんだよな。
今なら分かるよ。・・・行秋は、どうかな。

「あ、ウェンティ」

「やぁ、行秋とのランチは楽しかった?」

「うん、チーズケーキ頼んでたよ」

「ほんっとチーズケーキ好きだなぁ・・・ボクは絶対無理だよ。・・・元気にしてた?」

「無理、してた」

たまたま出くわしたウェンティにさっきの行秋の様子を語る。今までの行秋に戻れるとは思っていないが・・・痛々しさを感じる。

「声から・・・ね。」

「・・・忘れるのが辛いのかもしれない」

俺のスマホには4人で写った写真がたくさんある。もちろん二人のツーショットもあるけど。行秋と重雲のスマホは襲われた時に地面に落ちて壊れてしまったようで。データも残っては居なかった。一度行秋が落ち着き始めた頃にデータを送ろうかと持ちかけてみたら少しだけ迷った後、「幸せを思い出すのが怖いから、いい」と断られてしまった。二人で暮らしていたあの家にはもう、重雲の遺影しか残っていない。

「ね、空。少し付き合ってよ。」

「いいけど・・・どこに?」

「重雲のお墓」

それだけ言うと直ぐに踵を返す。向かう先はバス停。すたすたと足早に歩き始めたウェンティを追いかけながら、予想外の場所に目を白黒させる。

「は、墓荒らしは・・・良くないと、思う」

「流石のボクも行秋に骨をプレゼントしたりはしないよ??・・・ま、たまには3人で悪巧みを・・・ね!」

ぱちっとウィンクしてみせたウェンティに首を傾げる。悪巧みとは、一体何のことだろう。ウェンティは俺たちの中でも先に前を向いて歩き出したやつだ。薄情だと言っているわけじゃない。ウェンティもウェンティなりに親友を亡くした悲しさを抱えてきたことを知っている。憔悴する行秋を、ボクたちが支えてあげないと。苦しくても辛くても、前を向くしかないんだよ。そう言って、手を差し伸べてくれた。その瞳の奥にある覚悟は重雲の死を受け入れる強さを持ち合わせていた。
そんなウェンティだからこそ。俺も・・・信じてみようと思った。行秋を少しでも元気付けられるように、笑わせてあげられるように。そうする術がウェンティの中にあるのなら。それに賭けてみよう。
バス停に向かうウェンティの背中を追いかけて俺も早足になる。向かうは重雲の墓前。丁度いい、重雲に話したいことはたくさんあるんだ。俺も悪巧みの共犯者になってやろう。




* * *




『行秋、こら!寝坊するぞ!』

『んー・・・やだ、もうちょっと』

『起こしてって言ったのはお前だぞ。』

『重雲も一緒に寝ようよ・・・お布団きもちーよ?』

『ぐ・・・ね、寝ない!休みだからってぐーたらするのは良くないぞ』

『・・・いいじゃん、別に。ずっと寝てようよ、君に抱き締められながら寝るの好きなんだよ。』

『駄目だ。行秋は・・・起きないと駄目なんだ。』

『何だい、それ。重雲は僕が居なくても平気なんだ。』

『・・・・・・・・・。』

『僕が傍に居なくても、僕が毎晩泣いてても、僕がどれだけ苦しんでても、平気なんだ。』

『そんなわけ、無いだろ・・・!』

『じゃあどうして、僕を置いてくの?離れようとするの?・・・起きて、なんて、残酷なこと言うの?・・・重雲は、夢の中で僕と会えても嬉しくないんだ。』

『・・・・・・置いてかないよ。ずっと待ってる。遠い未来で、また会える日まで待ってるから。』

『・・・無理だよ。君の人生を奪った僕が・・・君と同じところに行ける訳が無いよ。』

『あれは事故だ。行秋は何も悪くないんだ・・・もう、自分を責めるのはよせ。』

『あ、はは・・・っ、どうせ夢なんでしょ。そんな綺麗事、僕が作り出した自分を赦す言葉なんだよ。』

『行秋・・・』

『起きるよ。起きる。夢はいつか醒めるものだから。・・・大丈夫、ちゃんと分かってるよ。』

『お前の大切な仲間たちが・・・きっとお前を助けてくれる。』

『世界で一番大切だった君は・・・僕を、置いてったのに。・・・もう誰も僕のことは救えないよ。君以外は。誰も。』












「・・・・・・・・・はっ、」

はっ、はっ、と短く息を吐き出す。無意識に握り締めていた拳。指先は白く染まり、全身嫌な汗でぐっしょりと濡れている。額に張り付く前髪が煩わしい。

「・・・夢?」

重雲が死んでから二年。頻繁に見ている夢。まるで重雲のことを忘れるなと過去の己が警告しているかのように見せられる夢。・・・辛くは、ある。けれど重雲と会えるならば・・・その辛ささえ愛おしい。でも、最近は・・・起きてすぐ重雲の声が思い出せないことに気付いた。夢の中でははっきり聞こえているはずで、きちんと会話していたはずで。起きるとまるで脳内に浸透していたように会話がぼやけて不明瞭になる。テレパシーで会話していたように。

「・・・重雲」

隣を見ても重雲は居ない。温もりはない。起こしてくれる声も、いい匂いがする朝ごはんも、無い。二年経つのだ。現実は受け入れている・・・つもりだ。意識を取り戻した当初は周りの声に耳を傾けず、ただただ重雲を探して錯乱していた。泣くことすら出来なかった。だってあの頃の自分は重雲が生きていると信じてやまなかったのだから。きっと周りがからかっているだけだと。重雲は少しお見舞いに来れない事情があるだけで、本当は、傍にいてくれるはずで。・・・退院して空たちに付き添われながら二人で暮らしていたマンションに戻って。「重雲はいつ帰ってくるんだろうね?」「ご飯用意してあげた方がいいのかなぁ」なんて言って、空たちは何も言えずに無言だったっけ。そりゃ困るよね。今になって反省するよ。空たちが帰って・・・あの家に一人になった瞬間、漠然と感じたんだ。「ああ、僕もう一人なんだ」って。明日から重雲の作るご飯が食べれないんだって。僕が寂しくなって、辛くなって、抱きしめて欲しくなった時に、重雲は居ないんだ。重雲が死んでしまったのだと、その時ようやく理解出来て。一人なのをいいことに、子供のように泣きじゃくった。広いリビングの真ん中で、ぼたぼたと涙と鼻水を垂らして、膝から崩れた落ちてわんわんと泣いた。「重雲が死んじゃった」「やだ、重雲、置いてかないで」って、本当・・・子供のように。

「・・・このベッド、僕一人じゃ広すぎるよ。」

重雲が居なくなってから、朝起きるのが辛くなった。重たい体を起こして、ひんやりと冷たいフローリングに足をつける。

「朝ごはんは・・・いっか」

重雲が居なくなってから、朝ごはんを作らなくなった。重雲の作った朝ごはんが食べたい。僕の作った朝ごはんを・・・食べてくれる人は、もう居ないから。

ああ、ほら。重雲がいないだけで、僕はこんなにもダメになってしまう。何でもできると思ったかい?万能だと、しっかりしていると、そう思ったかい?実際は愛してる人の死を二年も引きずっているような人間なのだ。・・・時々、考える。もしあの日の死因が、別のものだったら。例えば余命宣告されていた末の病死。暴走した車による事故死。・・・あんな、無差別な他殺では無く。僕の心は二年後には晴れていただろうか。

「いたい、なぁ」

腹の傷。重雲を庇って出来た傷。重雲を死なせる原因の一つになってしまった傷。あの時、僕が庇うのではなく避けていたら?二人で逃げて警察に通報していたら?二年後も笑い合える日が続いていたのだろうか。

重雲は通り魔に殺された。

でも、僕は・・・どうしても、『もしも』を考えてしまう。
だって、僕があの時適切な判断下していたら、生きていたのかもしれないのに。

・・・僕が、殺した。
僕の判断が、優しい彼を殺した。

責任を感じることは無い、なんて。そんなの綺麗事でしかない。僕だって分かってる。悪いのは全て通り魔だ。・・・でも、僕のせいだと思うことによって苦しいけど、救われる気がしたんだ。自分だけを責めていれば、この身を憎悪の炎に焦がさなくて済む。復讐せずに済む。嗚呼でも、もしもあの時二人で・・・・・・いや。もう過ぎてしまったこと。いい加減僕も、前を向かないと。

「・・・あい、たい」

もう一度だけ抱きしめてほしい。包み込んで欲しい。それだけで僕は・・・きっとこれからも生きていくことが出来るから。そう思ってしまう弱い自分が許せなくて爪が食い込むまで拳を握り締める。

「重雲、」

じわりと滲んだ視界。手で乱雑に涙を拭う。少し暖かくて、手が濡れる。

「重雲・・・」

名前を呼んでも、もう返事は返ってこない。それどころか、あの優しくて暖かな声さえ。

「忘れたく、ないなぁ」

忘れたくない。声も、姿も、幸せだった日々も。重雲という人がどれだけ自分を愛してくれていたかを。忘れたくない。覚えていたい。・・・それなのに、時間は残酷だ。いとも容易く記憶から重雲を追い出していってしまう。嫌だ、嫌だ。重雲を忘れるのだけは嫌だ。忘れるのが恐ろしかった。いつか消えてなくなる泡沫のように君が居なくなってしまうんじゃないかって。そう考える度に心臓が抉られるようにじくじくと傷んで、もうとっくに癒え切ってしまったあの日の傷がズキ、と軋む。


「・・・僕も、あの時重雲と」

プルルルル
机に置いていたスマホがバイブレーションと共に着信音を奏でる。ふらつく足で電話を取って、名前も確認せずに出る。

「・・・もしもし」

『あ、行秋?おはよう。ね、この後時間ある?』

電話は一週間ほど前に食事をした空からであった。その声は少し楽しそうでワントーン上がっている。

「ん、大丈夫だよ。」

『良かった〜!じゃあ昼にウェンティの家集合で!』

「ウェンティもいるんだ。はーい、分かったよ。」

ウェンティの家か。ここからそう遠い訳でもないし、ゆっくり身支度しよう。急に誘われることなんて今までに何度もあったし、今日もどうせ新作のゲームをプレイしようだとかそんなところだろう。・・・四人ではもう集まれないのか、と思わないこともないけれど。

「・・・行ってくるね、重雲」

唯一遺された重雲の写真。遺影に向かって手を合わせる。心の中で贈るのは謝罪と懺悔の言葉。あの日からずっと、僕は重雲に謝り続けている。

生き残ってしまったことへの、懺悔を。











* * *


「行秋、いらっしゃい!・・・あれ、目どうしたの?赤いよ?」

「ちょっと花粉症でね。」

玄関の方でウェンティと行秋の話し声が聞こえる。緊張で引き締まる息を吐き出しながら俺もゆっくり立ち上がる。

「行秋、一週間ぶりだね」

「全く・・・また僕を誘い出すなんて。君達は暇なのかい?」

やれやれ、と溜息をつく行秋。元気そうに振舞っているが、全体的に疲れたような雰囲気が漂っていて。空元気であることが分かってしまう。

「まぁまぁ、ほらこっち来て!この部屋で・・・ここ座って待っててよ。」

ウェンティがぐいぐいと行秋を部屋に連れ込む。ウェンティは楽器を弾いたりすることが多いためこの家は防音、また基本的にものを買い込んだりするタイプでは無いせいか、行秋が通された部屋は殺風景な部屋だった。壁の白色が眩しいほどに。部屋の中心には椅子とパソコンが置かれていて、行秋からしたら何のために使われている部屋なのかさっぱり分からないだろう。

「何だい?ここは・・・」

不安そうな顔をしている行秋を強制的に椅子に座らせたウェンティ。いいからそこ座って待っててよ、と言いながら行秋を残し、俺を連れて自分の私室へと戻る。

「・・・上手くいくかな」

「絶対いけるよ。ボクたち、すっごく頑張ったじゃない。」

背中をバシバシ叩きながら、元気付けられる。思えば彼はいつもそうだった。自分だって辛いくせにいつも背中を押して前を向けと激励してくれる。そんな生き方しか出来ない奴なんだった。後悔も、後ろ向き、も彼の人生には無いのかもしれない。



ぷつっ、とモニターの電源を入れると戸惑いながらも緊張した様子で椅子に腰かけている行秋。監視カメラ……と言うと大袈裟だが、成り行きを見守る必要があったのだ。そして、あの部屋に……行秋と、『彼』の二人きりの空間に、邪魔するのは、些か野暮だろう。


「ねぇ、これ……いったい、『行秋』」

戸惑う行秋の声と、パソコンから発せられた重雲の声が重なる。その瞬間、行秋の息が止まる。

「重……雲……?重雲、なの……?」

『行秋は我儘なんかじゃないぞ。』

パソコンから、流されるのは。俺たちのスマホにあった重雲の声のデータ。そう、データでしかない、けれど。会話をすることはもう叶わないけれど。重雲の『声』を届けることはできる。会わせてあげることは。

『ぼくは行秋の我儘に振り回されてなんかないよ』

『ぼくが行秋のお願いを聞きたくて、だからそうしてるんだ。』

『だから、我儘って言うのは……うん?そこが甘い?……そうかな。』

行秋は何も話さずにただじっとその声に耳を傾けていた。髪の毛の先すら動かさずに時折睫毛を震わせて聞き入っていた。

『好きなんだ、行秋が。』

『ああ、愛してる。……行秋には内緒だぞ。』

『我儘な所も、甘えてくる所も、頑張り屋さんなところも、全部……好きなんだ。』

『……も、もういいだろ!酒の席だから話したんだ。ぼくはそろそろ行秋をベッドに運んでくる。』




それは、ビデオレターとは到底言えない。けれど、たくさんのビデオの中から重雲の声だけを抽出しては貼り付けて……そんな作業を俺たちはここ最近寝る間も惜しんでやっていた。理由は一つ。行秋たちに幸せになって欲しかったから。

オーディオの再生が止む頃、行秋は俯いて蹲っていた。余計なことをしただろうかと後ろにいたウェンティを振り返ると柔らかく笑って「行こう」と告げられる。




「……行秋、」

「……ぁ、あ」

「行秋?」

「ぅ、あ…あ、……ああぁぁ、ああ……っ、!」

膝をついた行秋の手に、ぼた、と大粒の涙が落ちる。こんなに苦しそうに泣く人なんて、見た事が無い。それは行秋は長年抱えてきた涙なのかもしれない。

「重雲……っ、重雲……!!や、だ……っ、やだ、しなないで、……ぅ、あ、」

「行秋、行秋……!大丈夫だよ。俺たちがいるよ。」

「なんで、なんで……っ、4人が、いい。4人が良かった……!ごめ、ん、なさい、僕が……僕がっ、」

「行秋のせいじゃない!……俺だって、4人で居たかったよ……!」

苦しそうに泣きながら震えるその背中を抱き締める。重雲ならこの時何て言ったのだろう。どうやって行秋の心の曇を取り払ったのだろう。泣きじゃくる行秋に後ろにいたウェンティがスマホを差し出す。

「……ね、行秋。この音声データはボクらのスマホから作ったんだ。……残念だけど、もう4人でいることは叶わない。でも、この中なら……思い出なら、たくさんある。」

泣き腫らした瞳で、行秋はスマホを見つめる。ずっと寂しかった行秋の写真フォルダ。大好きな人の笑顔は、額縁に飾られて他人行儀な薄ら笑みしかなくて。……でも、俺らは知っているよ。思い出の中の重雲が、どれだけ行秋に愛おしい笑顔を向けていたのか。どれだけ行秋を大切に思っていたかも。

「そうだよ行秋……!無理して別れを受け入れる必要なんて無いんだよ!そんなことして、無理して、苦しんで……そんなの、駄目だよ。」

「だ、って……思い出があったら、立てなくなっちゃう。僕は……重雲の分まで、立たないといけないのに……っ、」

「……じゃあ、今は立てているのかい?」

「…………っ、」

「焦る必要は、無いよ。」

ウェンティがスマホを操作してとある写真をアップして行秋に見せる。小さな画面の中で、重雲が照れくさそうに行秋を抱き締めて笑っていた。行秋は大切なものを仕舞うかのように、ウェンティのスマホを受け取ってそっと胸に抱いた。やっと見せてくれた行秋の涙は、止むことなくはらはらと舞い落ちていった。





* * *





『君の声、やっぱり好きだな』

夢の世界の中で、重雲と対峙する。何となく、何となくだけど。重雲はもう、毎日のように現れてはくれないのだろう。段々と回数が減って、いつかは夢で会うことなど出来なくなってしまうのだろう。

『……行秋』

『君にも、心配かけたね。君が、僕の夢が生み出した幻なのか、幽霊なのか……結局分からずじまいだったね。』

『いいんだ、そんなこと。……もう、大丈夫なのか?』

『……君の言う通り、空やウェンティが……大切な仲間たちが、助けてくれたよ。この空っぽだった新品のスマホにも、ようやく君の写真が入ってきたんだ。』

『流石、ぼくたちのことを見守ってくれてたやつらだな。……幸せになってくれ。どうか。』

『……うん。』

重雲が、あの人同じ服装のまま立っている。頷いた僕の頬にそっと触れるけど透き通ってしまって触れられることすら出来なかった。

『ごめんな、そんな顔させて』

『どうして重雲が謝るの。……ねぇ、ねぇ重雲。僕ね、悲しかった。君に置いてかれて悲しかった。でも、分かったんだ。……君は、僕を置いてったんじゃない。僕が君を置いてくんだね。』

毎日服を着替えて、少しづつ成長していって。死んだその日から成長が止まってしまった君を僕は置いて行ってしまうのだろう。

『気にしなくていい。ぼくはお前の成長を見守るのが楽しみなんだ。……だから、ほら。お前のことを大切にしてくれる人と幸せになるんだぞ。』

触れることの出来ないはずの重雲の指先が軽く僕の背中を押した気がした。振り返ると、重雲はどこまでも晴れ渡った笑顔で少しだけ目尻に涙を浮かべて眩しそうに僕を見つめていた。

『……幸せに、なるよ。』

『ああ。ぼくの分まで。』

その方が重雲も成仏できるのだろう。空を見上げて、零れ落ちそうになる涙を必死に堪える。泣いたら駄目だ。泣いたら駄目なんだ。君との写真だって、動画だって、たくさんある。これ以上引き止めちゃだめだ。

『行秋。』

背後から抱き締められているような気がする。半透明なその腕は僕を抱き締めて、でも感覚は無くて。温もりも……無くて。ずっとぼくの幸せだけを願い続けていた彼は、悔しそうに声を震わせていて。







『本当は、ぼくがお前を幸せにしてやりたかった……!』

『……僕も、君と幸せになりたかった。』


その言葉を残して、僕たちは何度目か分からぬ別れを告げたのだった。



* * *



「…………うん、悪くない朝だ。」

目を覚まして、頬に流れる涙を拭ってから伸びをする。カーテンを開けると眩しすぎる朝日が僕を照らして一日の始まりを教えてくれる。

「朝ごはん、作ろうかな」

食パンと、サラダと、目玉焼き。そのくらいなら簡単に用意ができるだろう。広いベッドから起き上がって、重雲が生前使っていたパーカーを羽織る。もう洗濯して、彼の匂いは残っていないけど。

「今日も、頑張るね」

重雲の遺影。今やその周りには空たちから貰った写真を印刷してたくさん重雲の写真が飾ってある。遺影の笑顔よりも、もっと自然な表情が。

もう、この世に重雲は居ない。
後を追うことも、もう考えてない。
幸せになってあげるよ。君の分まで。
僕がおじいちゃんになって死んで、天国で語りきれないほどの土産話をしてやるんだ。




だから。

重雲の居ない世界で、




僕は今日も生きていく。
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