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氷華の罪


「……気に入らない」

行秋は自室のベッドの上で怠惰を貪っていた。その表情はあまり機嫌がいいとは言えず、寧ろ何処か不貞腐れたような表情を浮かべている。
結局のところあの日何があったのか、全くもって分からなかった。調べたいことだってまだまだ未解決のものが目立つ。そして何より行秋の機嫌を損ねているのは重雲という少年だった。重雲は行秋を殺そうとしていたし、本来ならば最警戒人物である。けれど何故か彼の隣は居心地がいいと感じてしまうし一挙一動に反応してしまう。あろうことか無意識に人たらしな発言を繰り返す重雲のせいで行秋は毎度毎度謎の発熱と動悸に悩まされることとなる。この前なんてドラゴンスパインから帰った来たあと、使用人から「あら、楽しそうですね坊ちゃん。」などと言われてしまった。楽しい?そんなわけが無い。殺人未遂してきた犯人と会っていて楽しいなんてことがあるはずがない。警戒のし過ぎで心身ともに疲れきっているに決まってる。・・・別に、嫌だったわけでもないが。いやいや、嫌だったに決まっているだろう!!そもそも何で重雲のことなんかでこんなに悩まなくちゃならないんだ!!!!
こんなの、……まるで……まるでっ……!

(僕が重雲のことが、す、好き……みたいじゃないか!!)

そんなことがありえるわけない。こっちは殺され・・・例えそれが何かしらの理由があったとしても、もう少しで死ぬところだったんだ。それは変わらない。それが僕の知る重雲なのだから。……今は、どうだろうか。重雲は壊れ物を扱うかのように僕に優しく接している。それが僕に対する罪滅ぼしの為なのか、それとも元からそうなのか……それは分からないけれど。重雲のその態度は何だか擽ったく感じてしまう。記憶があった時の自分も重雲に対して特別な感情を抱いたことがあったのだろうか。いや、本人の口から聞いた訳では無いから分からないが、もしや恋人同士だったりしたのだろうか。立場が立場だから家では幼馴染で通していた……?いやいや流石に邪推だろう。それにもしも恋人同士だったならば重雲の方から何か…………う、そうだ重雲との初対面で思い切り人殺し呼ばわりしたんだった。そりゃあ恋人だなんて切り出せる訳ない。

……って、違うだろう!何で恋人云々の話になるんだ!!重雲は警戒対象なんだ、好きになるなんてありえない!
枕に顔を埋めジタバタともがく。天下の飛雲商会の御曹司ともあろう者が少年一人に心揺さぶられるなんて……と普段は思いもしないようなことを並べ立ててみる。いや、この際認めよう。確かにドラゴンスパインで重雲と話した時は楽しかった。それはもう阿吽の呼吸というかトントンと話のキャッチボールが出来るのが心地よかったし、揶揄いがいのある奴だ、なんてことも思った。……前もこんな感じで楽しく過ごしていたのかもしれないが。
怪我の癒えきってない腹を撫でる。念の為、と心配性なお抱えの医師により厚く巻かれた包帯の感触が伝わる。今は鎮痛剤が聞いているが、起きた直前はそれはもう痛かった。貫かれたのだから当たり前だろう。今は貧血気味な程度に収まっている。まぁ……兄上たちはこの怪我をヒルチャール霜鎧のせいだと思い込んでいるようだが。あんな大きな大剣で貫かれればそれは痛い。かなり痛い。きっと跡が残るだろう。男の体でそんなこと気にしてはいないが、重雲はどうだろうか。きっとあの泣きそうな顔で心配し続けるに違いない。そんな顔をされてしまうと、あの日の出来事を全て水に流してしまいそうになる。いっそ思い出した振りをして仲のいい友達として……いや、それは重雲にも記憶を失う前の自分にも失礼だろう。となるとやはりあの日の真相を解明していくことが当分の目標になるだろう。重雲の言葉を信じるならば当の本人は記憶が無いようだし。……とはいえ、ドラゴンスパインには手がかりになりそうなものは無かった。本当に何しに行ったんだ前の自分は。あそこには白亜先生の研究所はあるが、どれもこれも雪山についての記載ばかり。……記憶の朧気な一日のうちに雪山の素晴らしさに目覚めて研究しに行った……というのは無理があるか。となると、やはりヒントはこの紙……乱雑に書き出された単語だろう。ドラゴンスパイン、重雲……それらはまだいい。純陽、というのはどういうことだろう。
確か純陽といえば、方士一門の中で稀に生まれる稀少な体質では無かっただろうか。自身から溢れ出る陽の気で妖魔は逃げ去っていく……という内容だったはずだ。

(重雲も確か方士一門だったような…………)

重雲、純陽というワードが並べば何となく見えてくる。おそらくその重雲こそが純陽の体質の持ち主なのだ。いつだったか2人で出かけた時に炎天下の中で息を荒らげていた重雲の様子が思い浮かぶ。なるほど、純陽は暑さに弱いといっていたから辻褄が合う。となると、ドラゴンスパインへは……純陽に関する何かを調べに行ったのだろう。ドラゴンスパインの気候と純陽……その繋がりは分からない。けれど前の自分は何かに繋がりを見出したはずだ。そうじゃなきゃあんな寒い雪山に行くわけが無い。……分かるか、分からないか。この差はきっと重雲のことを知ってるか、知らないかの差だ。重雲のことを理解して彼のためになる何か……それを探しに行ったんだろう。

(目標変更……暫くは重雲と一緒に過ごして彼の体質について研究しよう。)

よし、と息巻いてフル回転していた脳を止める。目標さえ決まればあとは行動するだけだ。とりあえず今日は休もう。段々と光の差してきた未来に満足して眠る。きっと重雲を思い出せる日も近い。そうしたら自分は……、重雲に、……ん??



飛雲商会の一室で顔を真っ赤にしながら「だから違う!!」だの何だの叫んでいた少年がいたとか、いないとか。








* * *

「あ、おはよう変態」

「やめてくれ……」

この前のことを引きずっているのか朝から変態呼ばわりされつつ、おはよう、と返す。
ここは璃月港、商業盛んなこの港には様々な物が運ばれてくる。昨日行秋からここで待ち合わせようと連絡があり、今日に至る。軽く挨拶をしたあと、行秋がこちらへと視線を投げかける。行秋は基本的に本へと視線をそそぐことが多いが、大切な話がある時や伝えたいことがある時は人の目をじっと覗き込む。おそらくは瞳の奥にある感情を見透かそうとしているのだろう。商人の息子として育った行秋は人の心の本音を掬いとるのに一等長けた少年だった。

「重雲、一つ確認したいんだが」

「なんだ?変態じゃないぞ?」

「君の性癖がちょっとアレなのは置いといて、君の体質についてだ。」

置いとくな、とツッコミたかったが真面目な表情の行秋に見つめられ口を閉じる。

「君は純陽の体質の持ち主なのかい?」

「え?あ、あぁ……そうだが……それも忘れてたのか?」

「そうなるね。やはり君に関することはすっぽり頭から抜けてるみたいだ。最後のときを除いて。」

行秋がすっと目を細める。これは頭の中で何かを考え込んでいる時の仕草だ。遠くを見据えているような、夢の中にいるような朧気な瞳は蜂蜜のように融けている。重雲は行秋のその表情がとても好きだった。

「とりあえず、君と過ごして何か手がかりを得るしか道は無い。……不本意だけど、しばらく付き合ってもらうよ。」

「分かった、ぼくに出来ることなら何でも手伝うぞ!」

行秋のことだからきっと活路が見え始めたのだろう。そしてその活路を掴み取るために行秋はどんな努力も欠かさない。自分は行秋のように賢いわけでも天性の才能がある訳でもない。けれど、手伝えることぐらいはあるはずだ。

「全く君は……はぁ、」

視線を逸らし溜息を吐く行秋。
また何かしでかしたか、と焦るが本人は溜息を吐いたあとは気にする素振りも見せず歩き出した。遅れて重雲も歩き出す。
そういえば行秋が目覚めてからかなり警戒されていたため、一定の距離を保たれていたが今は近くに寄っても避けられることは無い。これは好感度が上がりつつあると自惚れてもいいのだろうか。……行秋のことだから、考えるのに夢中で周りを見ていない可能性も否めないが。

「どこに行くんだ?」

「ん……少し休もうか。聞きたいこと、まだあるし。」

すっと行秋が視線を上げると最近新しく出来た甘味処がある。どうやら個室となっていて、甘味も一つ一つ手作りしているそうだが。というのも、重雲はあまりこういった店に立ち寄る機会が無く、昔から行秋に連れられて……ということが多かった。行秋の視線からあの店に行くつもりなのだろうと察する。そのまま歩き始めた行秋の後を追えば、やはりその店へと足を踏み入れる。うん、長年の勘も役に立つものだ。
出迎えた店員に一言二言告げ、奥の個室へと向かう。

「涼しいな」

「稲妻から輸入された凉菓もあるそうだよ」

ん、と差し出された品書きに目を通すと、聞いたことないような菓子が多かった。おそらくこれらが稲妻から伝わったものだろう。

「こっちはあんみつ、寒天っていう……ゼリーみたいなものとフルーツが一緒に入ってるやつ。これは水羊羹。餡子っていう稲妻の甘いペースト状のものが練り込まれてる。あっさりした味だよ。これがわらび餅。透明な餅できな粉……甘い粉をかけて食べるんだよ。」

ぼくが悩んでいるのに気づき、行秋が一つ一つ丁寧に説明していく。時折出てくる餡子やきな粉というものにも聞き覚えがなかったが、行秋が噛み砕いて説明してくれた。想像は出来ないが。

「うーん、……あんみつにする」

「僕は水羊羹にするよ。」

悩んだ末に何となく想像出来るあんみつをチョイスする。残念ながら香菱のように冒険するタイプでは無いのだ。行秋は元より決めていたのかすぐに注文した。やはり慣れているのだろう。数分後に運ばれた甘味と茶は見たことの無いものだった。

「……それで、聞きたいことっていうのは?」

甘味を口にしながら今日の本題を促す。行秋はお茶を啜り丁寧に口元を拭く。こういったところに育つの良さを感じる。

「そうだね……まず、僕と君の関係は?」

「幼馴染……親友?そんなところじゃないか?」

「親友……そう、」

一瞬脳裏にあの時の行秋の姿がリンクする。痛々しい傷と血溜まりの中での愛の告白。……親友なら、告白はしないだろう。おそらく行秋はぼくのことをそういう意味で好いていている。自分の返事が出来てないから、あの日のことを行秋は忘れてるから、色々な言い訳を胸に親友という言葉を吐き出す。それは酷く苦い味がした。
一方行秋もその答えを聞いた途端に俯いてしまう。両者ともに気まずい時間が流れ、もくもくと甘味を口に運ぶ。何か気に障ることでも言ってしまったかとそっと顔を覗き込むも、行秋は無心で甘味を口に運んでいた。そんな時間が十数分間続き、やがてその沈黙は行秋によって破られる。

「僕は……一体、どれほどのことを忘れてるんだろうね。」

「行秋……?」

「君との思い出も全部無かったことにして、君を責めたてて。」

無表情を取り繕っているが、不安に揺れる瞳が心の迷いを示していた。机の下で握られた白く細い手はきゅっと固く握られたまま。

「……どうして、君は僕の傍にいてくれるんだい?」

やっと重雲を捉えた瞳は行秋らしくなく曇りきっていた。行秋は基本的に自己完結してしまうタイプだ。分からない時は自分で調べる。調べた上で自分の答えを導き出す。そんな行秋がこのように質問してくるのはある意味珍しかった。普段は質問してきても、行秋の中での答えは固まっていて確認・・・あるいは参考にすることが多かった。だから答えを求められる問い、というのは初めてかもしれない。その分、慎重になって言葉を選ぶ。どうして自分が行秋のそばに居るのか。あんなに酷い言われ様でも、それでも傍にいたいと願うのは、どうしてなのか。

「多分……行秋は特別なんだ」

すっと思い浮かんだのは『特別』の二文字。行秋は眉をひそめて言葉の続きを待っている。

「行秋は昔から……すごく色々助けてくれたんだ。ぼくは行秋のことを一番信頼していたし、行秋もぼくと一緒に居てくれた……うん、行秋がぼくにとって特別な存在だから。だから……そばに居るんだと思う。」

「特、別…………」

柔らかそうな桃色の唇がその二文字を象る。何度か特別、という単語を繰り返したあと、ふっと微笑む。

「ふふ、特別……そっか、特別、なんだね。」

「あぁ、行秋はぼくにとって特別な人だ。それは記憶を失っていても変わらない。」

「……うん。」

心做しか行秋の視界が晴れた気がして少し安堵する。良かった、下手なことは言わなかったみたいだ。

「重雲重雲、君は好いている人とか居ないのかい?」

再び甘味を食べようと口に運んだスプーンは口に入る前に停止する。

「好いている……人……?」

「いい歳だろう?好きな女の子の一人や二人いてもおかしくないじゃないか。」

「いや……好いている女の子は居ないが」

「ふぅん……?香菱や胡桃とかとは違うんだ。」

「あの二人は恋愛云々よりも仲間って意識が強いな。」

「……うん?待って、仲間?……僕は?」

「え……だから、行秋は特別枠だ。」

「香菱たちは仲間で、僕は特別?」

「……?だから、そうだと言ってるじゃないか。」

何を当たり前のことを、と言おうとして行秋の顔を見ると随分嬉しそうにニマニマと笑っている。

「ふーん、へー、特別、ねぇ……ふーん、」

「な、なんだ……?」

嫌な予感がする。大抵こういった笑みを浮かべる行秋は何か企んでいる時なのだ。長年の勘が危険信号を鳴らす。

「つまり重雲は他の子は『仲間』と思ってるけど、僕の事は『特別』、と……。」

「……え、あ、違う!そうだけど、なんか違う!!」

「初心で可愛いね、重雲」

「可愛くない!!」

「はいはい、……あははっ」

自分は何を言ってるんだ。よっぽど恥ずかしいことを言っていた……気がする。傍から見れば告白ととられても仕方ない。それを指摘されて余計に恥ずかしさがこみ上げるが、楽しそうに笑う行秋の顔にまぁいっか、なんて楽観的な思考になる。うるさい、チョロいのは分かってる。けど、いつもなら行秋が揶揄ってくると少しムッとするはずなのに今日はそこまで嫌じゃない。何故だろうか。

「やっぱり、何だか君を揶揄うのすごく楽しい。……記憶あった頃の僕も同じようにしてたんじゃないか?」

「そうだな、……うん、悪戯好きだったから」

悪戯好きで済ますかー、と苦笑している行秋の顔は晴れやかで。迷いなんて吹き飛んだようだった。……でも、解決はしてないんだ。行秋がぼくを忘れてしまったことも、自分が行秋を殺そうとしていたことも。何も解決などしていない。目覚めた行秋に投げかけられた『人殺し』の文字は未だに重雲の心を縛り付けていた。いくら行秋の態度が軟化しようとその事実だけは揺らがない。行秋だってまだ心のどこかで警戒の糸を緩めていないのだろう。周りからすると一見いつも通りの彼らだが、目に見えない溝が出来ていた。




* * *


談笑しながら甘味を平らげ、店を後にする。談笑といってもほぼ行秋からの質問に答えていただけだが。
その後は万文集舎で本を読んだり、港で珍しい商品などを覗いたりといつものような休日を過ごした。
そして、いつの間にか空が橙色に染まる頃合いになってしまった。行秋の言っていた手がかりは結局のところ得られたのだろうか。特別なことはせずいつも通りの行動をとっていたが。沈んでいく太陽を見ながら行秋と共に帰路につく。

「行秋、なにか手がかりはあったのか?」

「うーん、君とすごく仲が良かったっていうことは分かったかな。」

「……そうか、」

思い出した、ではなく分かった、という表現に少し気落ちする。時間とともに思い出すと言われていたが、やはりまだ先のことなのだろうか。いや大変なのは行秋の方だ。自分ばかりが落ち込む訳にはいかないだろう。

「行あ……「静かに。」

何か励まそうと口を開くと、その口は行秋の手によって塞がれる。そのまま腕を引かれ2人して木の影へと身を隠す。

「どうした?」

「あれは……」

行秋が睨みつけている視線を辿ると、岩場に出来た不自然な割れ目にアビスの呪術師が三体ほど入っていく。

「重雲、追いかけよう」

「でも、行秋……まだ傷が……!」

「僕の事は気にしなくていい。いざとなったら君を敵に突き飛ばしてでも逃げるさ。」

「今遠回しに囮だって言われた気がする」

もちろん行秋はそんな事しないだろうが。……しない、と思うが。

「ほら、ボサっとしないで行くよ。」

またもやグイッと腕を引っ張られ強制的に立たされる。どうやら大人を呼んでくるといった作戦は行秋の頭に無いようだった。何としてでも行秋を守ろう、と心に誓い。走り出した行秋の後を追いかけた。
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