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氷華の罪


炎天下の中、行秋と重雲は帰離原の方へ出かけていた。お互いがお互い無言のまま歩いていく。行秋と再会したあの日から相変わらずギスギスした空気が漂っていた。当たり前だろう、行秋からしたらぼくは行秋を殺そうとした男なのだから。距離を置きたいのも頷ける。しかし単に距離を置く訳には行かない理由があった。そう、周りの反応である。自分が長い間眠っていたこと含め、周りに大きな心配をさせてしまったことが申し訳なかったのか、今新たに心配の種を増やしたくないのだという。君の処遇については僕が対処する、と面倒くさそうに言っていた。そのため、行秋は周囲の評判通り・・・ぼくはいつも通りのように振舞っていた。仲のいい親友を演じ、たまに遠出したりする。遠出といっても周囲の視線から外れると途端に無言の間が降りるのだからかなり剣呑な雰囲気である。

「ちょっと、歩くのが遅い。」

「え、あ・・・ごめん」

数歩前を歩いていた行秋がちら、とこちらを一瞥する。どうやら考え事をしている時に歩くスピードが落ちていたようだ。いや、多分考え事だけではなく炎天下の中歩いていることで純陽の気が暴れそうになっているのかもしれない。嫌そうにされるのを承知の上で休むことを提案しようか。いや、今は自分の体調よりも行秋の機嫌を損ねる方が恐ろしい。額の汗を乱暴に拭いながら、行秋に追いつけるように歩幅を大きくする。しかし、暑さには敵わず足がもつれてしまう。前のめりに倒れそうになり、目の前にあるものを掴む。

「・・・何してるの」

その冷ややかな声に顔を上げると、どうやら掴んでいたのは行秋の肩だったらしい。焦って離そうとすると逆にその手を掴まれる。ひやりとした手に懐かしさを感じていると手を引かれたまま大きな木の下へと連れ込まれる。

「行秋・・・?」

「・・・僕だって、休みたいって言えば休ませてあげるよ。」

表情は相変わらず無表情のままぶっきらぼうに言い放つ。その言葉の中にいつもの行秋の優しさが残っている気がした。

「あ、ありがとう」

「別に。君に倒れられたら僕が運ばなくちゃならないんだから、その手間を考えたら少し休むくらいどうって事ないよ。」

行秋は懐から一冊の本を取り出し、読書を始めている。行秋は本を読むと時間を忘れてしまうところがあるから当分ここに居座る事となるだろう。その言葉に甘え、火照った体を木の幹に預ける。日光が遮られ心地よい風が熱い体を冷やしてくれる。

「・・・行秋は、もう怪我大丈夫なのか?」

「君がそれを言うとはね。・・・まだ完全には治りきってないけど、軽い運動程度なら問題ない。」

「そうか・・・良かった。」

「良かった、ね。あの時も言ってたけど、別に2人きりなんだから本音を言っても構わないよ。それとも油断させてから殺すつもりかい?」

「・・・・・・良かった、って思うのは本心だよ。心の底からの。」

「・・・・・・・・・・・・。」

本を読む手は止めず、それでも言葉を返してくれる行秋に何だか泣きそうになる。その言葉にぼくへの憎しみが見え隠れしていても、ただ・・・言葉を返してくれるだけで、それだけで嬉しかった。

「・・・おかしな人だな。間違いなく君は僕を殺そうとしていた。それなのにどうしてそんなことが言えるんだい?」

眉を顰めた行秋が、本から目を離し訝しそうな視線を投げてくる。不可解だ、と顔に書いてある。

「・・・きっと、信じてもらないけど・・・覚えてないんだ。ぼくが行秋を怪我させた理由も、分からない。」

「・・・・・・・・・」

「言い訳みたいに聞こえるだろうし、行秋はぼくのこと覚えてないから何とも言えないけど・・・本当の本当に、生きててくれて良かったって思ってる。それだけは・・・信じて欲しい。」

無言で考え込んだ行秋は屹然とした態度の中に少しの戸惑いが混ざっていた。自分を殺そうとした相手の言葉を信じていいのか吟味しているのだろうか。

「君は・・・君は、本当に何なんだ・・・。」

困惑に満ちたような声音でそう呟いたあと行秋は読書を再開した。まだ精神的にも物理的にも距離はある。行秋の記憶が戻らなければずっとこの蟠りと共に生きていかなくてはならないのだ。それならば、少しでも信じて貰えるように精進しなくてはならない。そして・・・どうして自分が行秋を襲ったのか、それについても調べておかねばならない。課題は山積みで、頼りである行秋からの信頼はゼロ。正直上手くやれるか分からないが、やるべき事だけは分かってる。重雲は未来を見据え固い決意をその目に宿す。

「だいぶ良くなった、ありがとう。・・・そろそろ行くか?」

そう声をかけると行秋は無言で立ち上がる。洗練された気品を感じる動作で服に着いた泥や草を払いつつ、本を仕舞う。重雲もそれに倣うように立ち上がる。

「・・・・・・・・・あ、」

しかし次の瞬間歩き出そうとした行秋がガクン、と倒れそうになる。重雲は手を伸ばし倒れる行秋を地面に体を打ち付ける前に抱きしめ、共に倒れ込んで衝撃を和らげる。

「っ、行秋!!」

「・・・耳元で、大きな声出さないで。急に立ち上がったから目眩がしただけ。」

ぐい、と重雲の体を押し退け重雲の腕の中から抜け出そうと体を捩る。

「本当に大丈夫か?傷が痛んだりは・・・」

「大丈夫だって言ってるだろう。・・・君に、心配されたくない。」

「ぼくが・・・信用出来ないのも分かってるけど。・・・心配ぐらい、させてくれ。」

「・・・・・・・・・。」

行秋は苦しそうな顔をしたまま俯く。やはりどこか苦しいのだろうかと頬に触れようとすると弱々しい力で払いのけられる。

「僕は・・・君が分からないよ。」

今度こそ行秋は立ち上がり、いつものように迷いのない歩調で先に歩いていく。重雲もその後を追いかけて小走りになる。

「お、おい!大丈夫なのか?」

「これぐらい平気。ただの貧血だから。」

「そ、そうなのか・・・」

貧血、と聞いてあの日のことがフラッシュバックする。気がついた時には血に塗れた行秋が腕の中にいて、どんどんと力の抜けていく行秋を死なせまいと掻き抱いた。行秋は最後に笑って・・・・・・好きだ、と口にした。血に塗れた告白だった。いや、告白なのか分からない。あんな告白は認めない。諦めたような告白なんて・・・・・・うん?もし仮に行秋が再度告白してきたとして、それが諦めではなく希望のある告白だとして・・・ぼくは何て返事をするんだ?そもそもぼくは行秋にどんな感情を抱いてるんだろう。・・・そういえば、行秋はぼくに刺されたと言っていたけど、じゃああの時の行秋は何でぼくに告白を・・・?

「なぁ、行秋。・・・最後の言葉って覚えてるか?」

「はぁ?」

いきなりあの日の話を蒸し返す重雲に心底意味が分からないとばかりに顔を歪めた行秋がこちらを振り向く。

「・・・僕が覚えてるのは映像・・・なんというか古い映画みたいな感じで・・・とにかく、細かい会話なんて知らないよ。」

「そうか・・・」

律儀に答えてくれた行秋に感謝しつつも落胆に肩を落とす。やはり中々上手くはいかないものだ。行秋が記憶を取り戻すのが先か、それとも重雲が自分の行動の答えを導き出すのが先か。それは誰にもわからなかった。

そういえば、と重雲は真っ直ぐに前を歩く行秋の背中を見て思い出す。あの日そもそも雪山に出向いたのは行秋が【調べ物】をしたいから、という理由だった。一体何を調べていたんだろうか。・・・もう一度、雪山に戻ったら何か手がかりは見つかるのだろうか。
重雲は遠くに見える氷山を振り返った。








* * *

何なんだあの男は。

行秋は何度目になるかも分からない感想を抱いていた。正直信用はしてない。今の行秋にとって【重雲が行秋を殺そうとした】という事実が真実であるから尚更である。重雲という存在すらも怪しい。本当に彼は自分の幼馴染なのだろうか。父も兄も使用人も騙されているのではないか。

(それは無い・・・か。)

もし仮にそういった呪いをかけているのであれば重雲は相当な実力者だ。しかし彼からは良くも悪くも普通の少年らしさを感じる。特に自分と変わりないようにも見える。そうなると、重雲という少年の通り、自分が記憶を失っていることになるのだろう。仮にそうだとしても事実は揺らがないが。しかし、行秋は今現在その事実にすら疑惑を抱いていた。確かに最期に見えたのは大剣を突き出す少年の姿。溢れる紅、紅、紅だ。しかし、少年が酷く自分を気にかけているということは嘘ではないようにも見えた。事実、自分を殺そうとするならチャンスはいくらでもあったはずだ。行秋は重雲を連れ出しては彼のことを観察していた。しかし彼は一向に行秋を襲う素振りは見せない。少々体力が無さすぎて呆れるが。夏真っ盛り、炎天下の中は確かに茹だるような暑さだった。しかしあそこまで疲れ果てた様子を見せるなんて。行秋は木陰で休む重雲を思い出す。あの時、重雲に肩を掴まれた時にどき、と心臓が跳ねた。何が問題なのかと言うと、その動悸に恐怖や不愉快は含まれず寧ろ甘酸っぱい何かが広がるような感じがしたのだ。寄りにもよって自分を殺そうとしている相手に、だ。

「・・・何なんだ、あの男は。」

呟きながらベッドに埋まる。今はもう思考を放棄して休んでしまいたかった。ふと紙が擦れる音がして目を開く。枕元にメモのようなものが挟んである。4つ折りにしてあった紙を開く。相変わらずの汚い字に自分のものながら苦笑する。これを読めるのは家族と使用人と・・・・・・・・・?誰であっただろうか。あまり気にする事はせずにメモを見てみると、単語が並べられており【ドラゴンスパイン】【純陽】【重雲】【暴走化】などと読める範囲でもかなりのことが書いてある。その中で思わず【重雲】という文字に反応してしまう。やはり自分は重雲を知っているのだ。・・・しかし、【純陽】と【暴走化】という単語にも同じく聞き覚えがない。重雲以外に忘れている人はいなさそうだし、恐らくは彼に関するものなのだろう。

「ドラゴン、スパイン・・・」

自分が死にかけた場所であり、記憶を落としてきた場所。そこに行けば真相が分かるのだろうか。・・・彼を思い出すことが出来るのだろうか。
部屋をぐるりと見回す。目覚めてからも『いつも通り』だったため部屋を漁ったことは無い。けれど、もしかしたら・・・この部屋の中にも重雲という人物の痕跡があるのかもしれない。

「・・・いや、やめておこう」

自分と重雲がどんな関係かは知らない。けれど、あまり思い出を荒らされたくはないだろうと早々に捜索を打ち切る。とにかく進むべき目標は決まった。現場に戻る、ドラゴンスパインで恐らく自分が歩んだ道を辿る。自分はあそこで何をしようとしていたのか。その答えを出すために。



自分が抱いた、重雲への不可解な感情を思い出すために。
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