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氷華の罪


重雲はあの日から飛雲商会に通い詰めていた。目的は一つ、未だに意識の戻らない行秋の様子を見るためだ。あの時、駆けつけた千岩軍の適切な対応により行秋はすぐ様治療を受けることが出来た。しかし、傷は深く出血量も酷かったため意識が戻るかどうかが生と死の分かれ目だという。行秋は今、飛雲商会の別邸にある集中治療室で昏昏と眠りについている。規則正しい心音計に安堵の息を漏らし、いつものように笑ってくれるのを願う日々。そんな日々の中、重雲はある疑問に頭を悩ませていた。行秋から送られた手紙によるとヒルチャール霜鎧に遭遇した行秋は身動きが取れない状態にあったらしい。それは確かにそうだろう。足を深く怪我していたし、とても歩ける状態ではなかった。・・・しかし、あの『腹の傷』は?行秋を空中で抱き留めた時、確かにあの傷はなかったはずだ。重雲が純陽の暴走により意識を失ったあとでまたヒルチャール霜鎧が襲ってきた・・・?行秋は必死に抵抗しようとしたが、隙をつかれて怪我を負った・・・そう考えると確かに納得できなくもない。事実、千岩軍や飛雲商会の人たちはそう捉えているようだった。。もうひとつおかしいのはぼくの剣だ。あの日、何も退治していなかったと言うのに、意識が戻ったあと蒼い大剣は深紅へと染まっていた。・・・腹の傷からしても一致する大きさの大剣が。最悪な想像ばかりが頭をよぎる。嘘だと言ってほしい。何言ってるんだと笑って欲しい。しかしそれが出来るのはあの日の真実を知っている行秋だけなのだ。その行秋はたくさんのチューブに繋がれ包帯を巻かれた状態のままだ。方士としての任務もあるため夜遅くになることもあったが、毎日必ず行秋の元を訪れ今日あったことを話したりする時間が日課となっていた。今日も今日とて行秋のベッドの傍らに用意された椅子に腰かけ、話しかけていた。もちろん返事はない。しかし、こうして話しかけていればいつか答えてくれるのだ、と信じていた。







そんな悶々とした日々が三週間続いた。
怪我もだいぶ塞がり、容態も安定して来ていると専属の医者が教えてくれた。もうじき意識も回復するだろう、と。一方重雲は目覚めた行秋にどう接すればいいのか悩んでいた。行秋が目を覚ましてくれることは嬉しい。けど、腹の傷について行秋はどの反応を返すだろうか。心優しい行秋のことだ。もしあの傷にぼくが関与していたとしてと隠してしまうのでは無いだろうか。もしそうだとしたら何かを抱えたまま生きていくことになる。秘密を抱えて、隠して。重雲は行秋にそんな生き方をして欲しくなかった。いっそ何もかも洗いざらいぶちまけて欲しかった。ぶちまけて欲しいことと、真実を聞くことが怖くないのは別物だけれど。喜ばしいような、不安なような。



そんな複雑な心境を抱えていた重雲の元に一通手紙が届く。そこには達筆な文字で行秋が目を覚ましたことが記載されていた。重雲は直ぐ様任務を片付け、飛雲商会へと向かった。何を言われるか、責められるか、隠されるか。それは分からなかったが、今はどうでもよかった。早くあの澄んだ清流のような声が聞きたかった。あの声が聞こえるなら、どんな言葉でも構わない、と。

「行秋っ!!」

ガラガラと大きな音を立て引き戸を開く。いきなりの登場に話していたらしい行秋と行秋の兄が似た顔で目を丸くする。

「重雲くん、よく来たね。この通り行秋が目を覚まして・・・っと、ここは2人きりにした方がいいかな?」

行秋の兄が気を利かせて退室を申し出る。行秋に二、三言言ったあとすれ違いざまに会釈をする。こちらも会釈し返したあと、パタン、という音で完全にこの部屋には重雲と行秋の二人きりになった。扉を見つめたあと、ゆっくり行秋の方を振り返る。行秋はベッドに座った状態でじっとこちらを見つめている。

「行秋・・・、その目が覚めたんだな。」

「・・・・・・・・・・・・・・・。」

「良かった、本当にっ・・・。」

「・・・・・・・・・・・・・・・。」

じわり、と視界が揺れる。行秋が生きている。行秋が目を開けて、座って、息をして・・・・・・それだけで嬉しかった。やっと心の底から安堵した。

「痛かったよな、すまない助けてあげられなくて・・・ぼくがもっと早くに駆けつけて居れば・・・そしたら、行秋は・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・。」

「でも、生きていてくれてよかった。まだ痛い所はないか?そうだ、明日何か果物でも、採って・・・くる、よ。・・・・・・?」

「・・・・・・・・・・・・・・・。」

無言の空間に包まれる。行秋は重雲が話している間ずっと重雲見つめていた。ただ、見つめているだけだった。しかしその視線にいつもの親愛は含まれていない。どちらかと言うと軽蔑や恨みが篭っていそうな瞳であった。その視線に気づき、重雲も押し黙ってしまう。

「・・・言いたいことは、それだけかい?」

やっと開かれた口から零れ落ちたのは重雲を突き放すような声音だった。

「・・・・・・ぇ、あ、」

なんと言葉にしていいか分からず視線が彷徨う。背中から冷や汗が溢れ出す。行秋と喧嘩したことぐらい何回もあるけど、こんなにも冷ややかに突き放されたのは初めての事だった。

「行秋、ぼくは・・・」

「気安く呼ばないで欲しいな。・・・何が目的なんだい?」

「も、目的・・・?」

「父上も、兄上も騙して・・・一体どういうつもりかって聞いてるんだよ。」

「だ、騙す・・・?何の、話をしてるんだ」

本気で意味がわからず脳が混乱する。ぼくがいつ行秋の父と兄を騙そうとしたというのか。行秋はそんな重雲を見て鼻で嘲笑った。

「・・・ここは僕達しかいないんだ。いまさらとぼけるのは止してくれ。」

「待ってくれ、本当に分からないんだ・・・行秋は一体何の話をしてるんだよ!!」

薄らと弧を描いていた口元が、すっと引き締まる。その目には最早いつもの行秋の暖かさは映っていたなかった。

「・・・記憶の改竄・・・」

「え?」

「兄上たちは僕が目覚めた時に重雲という少年についてよく語っていたよ。どうやら僕の幼馴染らしい。心配かけるのもあれだから黙って聞いていれば・・・随分深くまで記憶に入り込むじゃないか。」

「・・・・・・な、んだよ、それ・・・まるで行秋が僕のこと・・・」

「まるで、じゃないよ。ちゃんと言わないと分からないのかい?・・・僕の人生に重雲という少年は存在しない。」

ぼくが、存在しない・・・?揶揄っているのだろうかと、行秋を見つめると冷めた視線が返ってくる。もし行秋が言っていることが本当なら・・・

「記憶、喪失・・・?」

「僕からしたら君が兄上たちの記憶をいじっていると思うんだけどね。」

「違う、そんな事しない!!ほ、本当に覚えてないのか!?」

「・・・いつまでも演技を続けられると、流石の僕も興ざめだよ。」

「演技・・・?」

「ねぇ、良いことを教えてあげようか。僕が・・・大怪我を負うことになったあの日・・・朧気でほとんど覚えていないけど、一つだけ脳裏に焼き付いているんだ。」

「・・・・・・・・・、」

「覚えてるよ、水色の髪をした少年が僕に剣を突き立てたこと。今日会って確信したよ。・・・よくも、生きていてくれてよかった、なんて言えたね。」

「あ、・・・あ、あぁ・・・・・・あ・・・」

言葉にならない声が漏れ、ガクガクと体の芯が震える。想像していた最悪よりももっと最悪な事が起きている。行秋が会った時から素っ気ない態度なのも頷けてしまう。
すぅっと、黄金と石珀を混ぜたような瞳が細められる。思わず膝から崩れ落ちた重雲を見下ろして、吐き捨てるように行秋は言った。

「本当は死んでて欲しかったんだろう?・・・人殺し。」

もう、行秋の目には重雲の存在は映っていなかった。
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